表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝翼のテテュス ~誇り高き巫女は、王子の愛に靡かない~  作者: 三津朔夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/56

カウントダウンライブ

 優しく包む、母の手は温かかった。

 冬の夜気にさらされて赤くなった指先を包まれるたび、胸の奥までじんわり熱が移ってくる。

 はるかな昔、神様にたくさんお願いしすぎて、大きな国はダメになったらしい。

 だから今は、神様に願うのではなく「一緒に頑張ろう」とはげまし合うのだ。


 今日は父も一緒に来るはずだった。けれど、いきなり衛兵えいへいの任務が入ってしまい、今ごろはどこかの持ち場で寒さに耐えている。湖上神殿の年越し神楽かぐらは見られないと、朝に少しだけ残念そうな顔で笑っていた。


 だから少女は、母の手を引く指にそっと力を込めた。

 父の代わりに、ちゃんと見ておこうと心に決めている。今夜のことを、一つ残らず覚えて帰るのだ。明日になったら、どんなふうにキレイだったかを全部話してやるために。


 今夜のアロナ湖上神殿は、いつもよりずっとまぶしかった。

 白い回廊かいろうられた魔光灯まこうとうが湖面へこぼれ、れるたびに白銀の欠片みたいに砕けていく。

 香の煙は細く夜へのぼり、焼いた麦菓子の甘い匂いと、甘酒の湯気と、湿った外套がいとうの冷たい匂いが、押し合うみたいにあたりへ満ちていた。


 桟橋さんばしの先、湖のまんなかへせり出すように舞台があった。

 三方を客席に囲まれ、水の上へ浮いているみたいに見える。

 灯に照らされた欄干らんかんの向こうで湖面がきらきら砕けるたび、舞台は少し遠く、少しだけ夢みたいだった。


 父の肩があれば、もっとよく見えたのに。

 そう思って、少女は唇をきゅっと結ぶ。けれど泣くほどではない。今夜はそんな気分ではなかった。その代わり、少女はもう一度背伸びをした。

 人垣ひとがきの隙間から舞台をのぞき込む。ちゃんと見たい。ただそれだけで、胸がそわそわした。


「寒くない?」

「ん。だいじょうぶ」


 母のいに答えた声が、自分でも少しはずんでいるのが分かった。

 だって今夜は年越し神楽かぐらだ。ミストルディス様が舞い、歌ってくださる夜。

 父がいないのは寂しいけれど、それでも目をらすのはもったいないと思えるくらい、今夜の神殿は綺麗だった。


 人は多いのに、押し合う感じは不思議としない。

 囃子はやしが鳴り止んでから、みんな今か今かと神楽を待っていて、ざわめきまで少し浮き足立っていた。


 やがて、回廊や舞台の照明がひとつ、またひとつと落ちていく。夜の暗幕が降りると、母の横顔がかすむ。背伸びして周りを見渡せば自分や、それぞれが手に持つ星灯が淡い暖色光を発していた。

 人々のざわめきが波のように静まり、母の手が少しだけ強くなった。少女もつられて息を呑む。


 その時、胸の奥がひとつねた。

 始まる。そう思っただけで、のどの奥がきゅっと細くなった。

 舞台の中央は、まだ空いている。

 なのに誰もが、その「まだ何もいない場所」から目を逸らせなかった。

 少女もまた、父の代わりにちゃんと見ておこうと目を見開いたまま、次の瞬間を待った。


 〇                         〇


 暗闇の中、吐く息さえ細く整えねばならなかった。

 舞台袖ぶたいそでから客席のぞを覗けば、星灯の淡い光が地に満ちる星天のようで。その幻想的な光景に、重責を感じた。

 観客席の誰もが、今か今かと開演を待っている。

 年越しの夜は特に闇が深い。欲望を向ければ神は濁る、必要なのは、ひたむきに神楽へと臨む純真じゅんしん


(大丈夫。落ち着いて……)


 特別な装束しょうぞくに身を包む巫女みこは胸に手を当て、これまでの稽古けいこに想いをせながらゆっくりと深呼吸した。

 よいの時刻から深夜にわたって奉納ほうのうする今夜の神楽。それは一年を締めくくり、新たな一年を迎え入れるための寿ことほぎであると同時に、深まる魔性を押し返すための儀式ぎしきでもあった。


 絶対に失敗できない。初舞台の巫女は、すそを握る指に力を込めた。


「どうして、緊張する必要があるのでしょう?」

(え――――?)


 耳に響く玲瓏れいろうな声はミストルディス。見透みすかされたと思い、息が止まった。

 暗転した舞台袖でも分かる、圧倒的な存在感。湖面を彷彿ほうふつとさせる双眸そうぼうは、繊月せんげつの下にあっても明澄めいちょうな輝きを放っていた。

 洒脱しゃだつな舞姫の装束しょうぞくに身を包む女神は一度皆を集め、自分を取り囲むように座らせてから、自らも腰を落ち着ける。


「今一度、胸に手を当て思い浮かべてください。新たに迎える一年を、どうしたいかを」


 新しい一年を、どんなものにしたいか。巫女は自らの胸の内に問い掛ける。

 不幸な事件など、起きては欲しくない。ただ、穏やかで幸せに包まれた一年が良い。

 少しの間、沈黙の幕が下りる。それは誰もが、来年の自分に想いを巡らせているようでもあった。

 やがて、衣擦きぬずれから誰かが立ち上がったのだと分かる。目を開けると、長身のミストルディスが皆を見渡していた。


「では皆さん。今宵は笑顔を絶やさず、それぞれの未来を胸に舞いましょう。祈りとは、自らを律する誓いなのですから」

『ハイッ』

「よろしい」


 神の下、巫女たちは密やかに団結する。


「それでは参りましょう」


 ミストルディスはあごに手を添え、静かに吐息を吹く。

 白いもやは床を滑り、回廊を走り、たちまち舞台の四方を満たした。霧は湖面の上へ垂れ幕のように立ち上がり、客席からの視界を一息に奪う。

 静寂の中、ざわめきが靄の中に波打つ。が、混乱はない。この地の女神が霧深い氷河湖ひょうがこの化身なればこそ。


(雲の中みたい)


 ミストルディスの先導で、燐光りんこうともる回廊に踏み入る。かすかな靴音。足裏が、石畳の感触を失いかけた。

 それは、視界に広がる霧のせいか。それとも、胸の熱のせいか。

 どちらか分からないまま、前へ進んだ。


 やがて全員が配置に付くと、霧がほどけ始める。

 自身や女神の輪郭りんかくが浮かぶにつれ、自分の心拍が一段ずつ上がるのが分かった。

 他方、観衆のさざめきは収まっていく。期待と緊張がい交ぜになった空気を、頬に感じる。


 この時ばかりは雷弦琴も、鼓鈸(こはつ)も、人々の息遣いさえ、夜の底へ沈む。

 そして光がぜた瞬間、身体は考えるより先に動いていた。

 玲瓏れいろうたる歌声が暗影あんえいの天へ突き抜け、歓声は歌の後から遅れて来た。

 それ程までに、誰もが最初の一声に心をさらわれていた。


 魔光灯が煌々《こうこう》とかがやく夜の中。祝詞のりとを旋律へせたその美声に観衆は胸を撃ち抜かれ、せきを切ったように称句しょうくを返し熱狂した。

 雷弦琴の幻想的な伴奏が歌声へ鋭い陰影いんえいを与え、鼓鈸こはつの拍動が腹の底をらす。


 浮き立つような熱が肢体したいに満ち、いつもより身体が軽い。客と演者。その場にいる誰もが、女神が吟詠ぎんえいと演舞に酔いしれる。

 快哉かいさいが、耳に心地よい。笑みは自然とこぼれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ