最悪を曳き連れた虫の知らせ
間もなく、神楽奉納が始まる時間帯ともなれば宵闇は姿を変え、自然と客足も遠退く。ようやく人心地着けるようになり、テテュスも肩の荷が下りる。白い息をひとつ吐くと、固まっていた背中がほんの少しだけほどけた。
「しかしこの賑わい、さながら戦場だな。明日の朝もこんな感じなのか?」
「……ええ。まあ――」
隣の売り子に声を掛けると、戸惑いがちに目を泳がせる。
相変わらずの腫れ物扱い。ただ、言葉を交わしてくれる辺り、同じ困難を乗り越えた者としての仲間意識が芽生えていそうな様子だった。
「はい、お疲れ。交代だよー」
別の年若い巫女が奥から顔を出す。勿論、テテュスの番ではない。客に声を掛けられ再び外に目を向ける。
その時。燃え上がるような熱が背骨を撫で上げ、一瞬で全身から血の気が引く。身を捩って振り落としたくなるような凍える不快が、肩甲骨の間から腰へゆっくりと這い降りていく。
ひゅ、と喉が鳴った。汚染個体が現れた時と同じだ、と身体が先に思い出す。
理由は分からない、兆候も見えない。けれど、このまま放置すれば駄目なことだけは分かった。
「? なにか?」
「はっ――」
隣の巫女に声を掛けられて目を向ければ、色を失くした自分の顔を彼女の瞳に見る。
迷う暇はなかった。
「悪いが頼む!」
我知らず頒布台を飛び出す。今回ばかりは外れてくれ。制止の声を無視しても、そう祈らずにはいられない。
テテュスは自身の直感に衝き動かされ、管理棟にいるであろうヴェルシアのもとへ駆けた。
「あれ? 隊長?」
耳は冷静に、元部下の声を拾う。振り向けば、軽食を頬張る元部下三人。緊張感のなさに苛立ちかけるが、そんなものに構ってる暇はない。テテュスはカルシラの双肩を掴んだ。
「命令だ。今すぐ飛翔鎧に乗って待機しろ」
「え? なん――」
「巡回の理由は何だ?」
短く問い質す。
目を白黒させるカルシラに代わり、ヴァネッサが即座に答えた。
「軍が、狂信者の動きを掴んでます」
「十分だ」
それだけ聞ければ足りた。
神殿に仇なす狂信者。軍も何かを嗅ぎ取っている。ならば、自分のこの悪寒も妄想ではない。
「確かに伝えたぞ!」
言い終えるより早く、テテュスは走り出す。問答の時間すら惜しかった。
まだ、何も起きていない。それが余計に怖かった。
軍の動向を教わり、脳裏には襲撃で名も知らぬ参詣客が苦鳴を上げる光景がちらついて離れない。
境内を疾駆するのに、参拝客が疎らだったことが幸いした。
「どうしたの? そんなに慌てて」
今度はクリスカだった。
速度を緩めると、軍支給のメイド服姿の彼女が駆け寄ってくる。表情は淡々としているが、目だけは笑っていない。
秋の王子凱旋の時と同じ。彼女はゲズゴール将軍の懐刀。そう思い至れば、あとは言葉が滑らかに出る。
「将軍はどこに居る?」
「社殿の方だけど、そっちは?」
「狂信者襲撃の予兆を感じた、気がする」
あくまで勘。それでもクリスカは怪訝な顔ひとつしなかった。
管理棟へ向かうと告げると、当然のように並走する。
神殿へ戻る道すがら、背中を這う痛痒はいよいよ濃くなっていった。
繊月の夜に、まだ悲鳴はない。血も流れていない。
なのに身体だけが、群衆の誰かが壊れ始める手前の熱を知っている。
いつの間にか、囃子の旋律が止んでいた。
「ヴェルシア様!」
巫女長の執務室へ飛び込むように辿り着き、名を叫ぶ。
さすがのヴェルシアも机を前に眉を顰めたが、クリスカが一歩前へ出た。
「わたしはラクリマ基地情報部所属のクリスカ・ヴァージル少佐です。狂信者たちの動向、何か掴んでませんか?」
「いいえ。どういうつもりですか?」
巫女長は懐疑の眼差しを向けて首を横に振る。
まだ間に合う。そう思った瞬間、テテュスは堰を切ったように言葉を吐き出していた。
「神楽奉納を中止し、参拝者を神殿に匿って下さい」
「根拠は?」
「勘です。けど、必ず当たります! ここに将軍も居るのでしょう?」
ヴェルシアの視線が鋭く細まる。
そこで躊躇えば終わりだと思った。
「今すぐ裁可を。お願いです!」
「テテュス、待って」
口角泡を飛ばして詰め寄り、肩を強く抱いても困惑を浮かべるばかり。煮え切らない態度に歯噛みした。
切迫したテテュスはクリスカに引き剥がされ、冷静を装い深呼吸。
必死の訴えに対し、ヴェルシアは蒼氷色の瞳を伏して押し黙る。再び口を開くまでの時間が、まるで永遠のように感じられた。
やがて彼女が下した判断は、無常という外ない。
「祭神たるミストルディス様が沈黙を貫いている以上、私も動けません」
「なっ――」
鼻白んで絶句。
何故、この期に及んで土地神は動かないのか。ただ、その険しい表情から、巫女長の懊悩が読み取れる。だからこそ神の真意が理解できない。
もどかしさが、喉の奥で熱を持ったまま行き場を失った。
「ですが――」
「貴方の軽挙妄動で、人員を動かせるわけが無いでしょう⁉」
初めてだった。師が蒼白顔で取り乱し、声を荒げる所を見るのは。
彼女は何かを恐れている。であればこそ、果断な行動が必要だというのに。荒れ狂う感情が掌に食い込む。
「一旦落ち着いて、テテュス。アナタの魔力で今、何が感じられる?」
「ああ。言われなくてもッ!」
やってやる。ストロベリーブロンドの髪から銀光を発し、錬り上げた魔力を全身に漲らせる。膝を着き、床へ手を当てた。
浸すように、魔力を神殿全域へと広げていく。
息を止めていた。気づいた時には、指先だけが石床に食い込んでいた。
不快な邪気を、微かに感じる。が、まだ遠い。走査範囲を拡大し、敷地内全てを網羅する。そして――
「見つけた」
二人の息をのむ声が聞こえた。同時に、テテュスも喉の奥が冷える。
神殿を取り囲むように、邪悪な魔性の発生源が外周に八つ。しかし不可解極まりない。二正面作戦にしては散漫、包囲殲滅なら反応が微弱な気がした。
「意味が解らん……」
「うん。具体的に教えて?」
思わず漏れた呻きにクリスカが反応し、既に囲われていることを説明。先に結論を出したのはヴェルシア。
「結界の可能性があります……」
ヴェルシアが低く呟き、クリスカの表情からも色が消えた。
頭の中で点を結んだ瞬間、胃の底がすっと落ちる。神殿はもう、檻の内側だった。
「中に閉じ込められたら、土地神様はどうなりますか?」
緊張の面持ちで口元に手を当てる巫女長に、元上官は冷静に問い質す。
どれだけ強大な神も、魔性の穢れを克服できた試しは無い。ミストルディスが悪神に堕ちる未来など、想像するだに恐ろしい。
「すぐにどうにかなることはないでしょう。ですが、動くに動けません」
その答えが、何より重かった。
土地神は異変を知っている。それでも動けない。何故なら、神殿敷地内に居る全員を人質に取られているも同然だから。手立てがない以上、口を噤むのも無理らしからぬ事。
先程、ヴェルシアが取り乱したのは、その窮状を悟っていたから。遅れて理解したテテュスは、頭に血が昇っていた自身を恥じた。
「解りました。ありがとうございます。将軍に掛け合いましょう」
「ええ。こちらも動きます」
クリスカは即座に通信機へ手を伸ばし、ヴェルシアは踵を返した。
テテュスだけが、その場に一瞬縫い止められる。足先は冷えているのに、首筋だけが焦燥に焼けていた。
「私は……っ」
命令系統に組み込まれていない以上、軽挙は悪手。しかし兆候を捉えた以上、相手にも気付かれた。もはや一刻の猶予も無い。
部屋の奥から戻って来た巫女長は緋色の鞘に納まった大太刀を差し出す。鍔元には、術式が刻まれた薔薇石が嵌め込まれていた。
「後で必ず返すように」
「――っ ありがとうございます!」
両手で受け取る。思ったより、重かった。
それでいい。この重さが、今の自分には必要だった。即座に提げ緒を縛って佩く。
その間にも、外では囃子が再び鳴り始めていた。年越し神楽が、とうとう始まってしまった。
「では、武運長久をお祈り致します。良いお年を」
「はい。ヴェルシア様も」
「良いお年を」
部屋を出て石床を蹴った瞬間、囃子の音が遠くなった。
クリスカの背を追いながら、テテュスは大手門へ向かって走り出す。
祭りの熱が、後ろへ流れていく。




