表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝翼のテテュス ~誇り高き巫女は、王子の愛に靡かない~  作者: 三津朔夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/56

身を切る湖風

「それは……」


 視線を外し、テテュスは必死に言葉を探した。

 確かにあの時、リョースは自身の指示から離れた。そこだけ切り取れば、あの男の言い分は通る。

 だが、それをそのまま呑み込むのはしゃくだった。

 

 (――いや、違う)


 ゆっくりと頭を横に振った。それから改めて、蒼氷色の凍て付く眼差しを受け止める。


「暴走ではありません」

「――ほぅ。というと?」

「リョースは、私を守るために動いてくれた。ただそれだけです」


 自身のほこりと相棒の献身けんしん。それを、暴走の二文字でけがさせる訳にはいかない。

 ヴェルシアが視線を落とし、再び沈黙が流れる。数秒の後、巫女みこ長は言葉をつむいだ。


「全ては、貴方の身を案じての行動。そう言いたいのですか?」

「はい」


 即答以外、あり得ない。

 しばらく無言で見詰め合ったのち、ヴェルシアは表情を変えずに告げた。


「貴方の所感がどうあれ、判断を下すのは機関の人間です」

「機関?」


 問い返した声には、わずかに熱が混じった。

 だが、ヴェルシアはまゆ一つ動かさない。その無反応だけで、燃えかけた何かがのどの奥でついえた。

 聞き慣れない言葉。少なくとも、この神殿を指した単語ではない。もっと別の――


「何はどうあれ。幼精(パルウルス)の件については、貴方への開示範囲も、最終判断も。私の一存では決まりません」

「……っ」

 

 反駁はんばくしたい衝動に駆られる。リョースを知りもしない人間に何が分かる、と。

 

「話は以上です。下がりなさい」

 

 その一言が、のどの奥へ静かに落ちた。

 反論はあった。だがどれも、声になる前に冷えていく。喚いたところで、状況は好転しないから。

 口を引き結ぶテテュスは一礼し、きびすを返した。

 

 〇                          〇


 年のである霜籟月(そうらいづき)は、神殿にとって最も忙しい時期だった。

 大晦日おおみそかには年越し神楽かぐら奉納ほうのうされ、拝観客で境内けいだいまる。

 その準備に追われる最中でも、各員に休みは割り当てられる。今日のテテュスは非番だった。


 軍支給のコートを羽織り、その下にはいつかに買った私服を着る。

 少なくとも今日くらいは、巫女みこのままでいたくなかった。


 神殿の正面門を出ると、まず香の匂いが薄れた。

 白亜の石段を下るごとに、身を切るように凍て付いた湖風うみかぜと、焼いた麦菓子の甘い匂いが混じり始める。さらに下れば、今度は魚をさばいた生臭なまぐささと、燻製くんせい小屋から流れてくる煙の匂いが鼻を刺した。


 アウルネス。アロナ湖上神殿の参道から発展した街。

 正面の巡礼通りには香舗や蝋燭ろうそく屋が並び、白い壁に青灰の屋根が整っている。だが、西側の湖岸に足を向ければ、朝市区には湿ったあさ袋と木箱が積まれ、湖魚うみざかなうろこが朝日にれて光っていた。さらに湖際へ寄れば、桟橋から物資を揚げる人足たちの掛け声が飛び、れた縄と板張りの匂いが、神殿の清浄さを押し流していく。


 その町を、テテュスは一人で歩いた。

 往来は誰も彼女を見咎みとがめない。ただ、人の流れは当たり前のようにそのわきをすり抜けていく。

 マフラーから白く凍る息を立ち昇らせ、巡礼通りと朝市区の境目まで来た時だった。


「……テテュス様?」


 振り向けば、リゼが居た。几帳面きちょうめんな一礼のあとで生真面目きまじめな顔がわずかにやわらぐ。


「ご無沙汰しております。お変わりなく、何よりでございます」

「……そう、見えるか」

 

 そう返してから、すぐに視線をらした。

 立ち話もはばかられ、二人は近くの喫茶店へ入る。

 コートを脱いだリゼのメイド服のすそれるのを見て、胸の奥に妙ななつかしさがよぎった。


「私服、ご購入されたのですね」

「ああ……」


 テテュスは自身の踝丈くるぶしたけのブラウンのワンピースに視線を落とした。一月ほど前のここが、昨日のことのように思い出される。

 ハーブティーの湯気が立つ。

 安らぎすら覚える香りはやわらかいのに、喉の内側だけがまだ乾いている。

 何から話せばいいのか。見当も付かなかった。


「本日は、神殿への挨拶あいさつ品と奉納ほうのう品の手配がありまして。ついでに年始の水産物も。ゲズゴール様のお心遣いで毎年、年始のご馳走ちそうにはここで水揚げされた物を使用しております」

「ああ、なるほど」


 ミレイユの母親が湖上神殿の元巫女(みこ)というのは有名な話だ。

 政略結婚でとつぎ、未亡人にとなったようだが家族間に確執はないらしい。


「それと、ノーラさんですが。こちらで良く働いてますよ」


 一瞬だけ、胸の強張こわばりがほどけた。そこで初めて、自分がどれだけその名を待っていたのかを知る。

 ゼルヴァに任せたきり、連絡も取ってない。途中で解雇せざるを得なくなり、今さらどの面下げて手紙を送ればいいのか。

 

「仲良く、やれているのか?」

「問題ありません」


 リゼは気を遣ってる訳でもなさそうだ。上手く馴染なじめているようで何より。

 

「そういえば今日、ミレイユは一緒じゃないのか?」

「ミレイユ様は婚約し、今は実家に戻っておいでです」

「え――」


 マグカップを包む指先から、かすかに熱が引く。

 言祝ことほぐべき話のはずなのに、喉だけが先に乾いていた。

 

「秋の王子凱旋(がいせん)の折。ガイスル家に婿むこ養子の話を進めていた殿方とお会いになり、ミレイユ様としても好感触だったようで」

「……そう、か」


 それだけを絞り出すのが精一杯だった。

 ノーラは新天地で奮闘し、ミレイユは婚約することで家の中核を担おうとしている。

 皆、それぞれ次の舞台へと進んでいる。

 湯気の立つカップを握っても、指先の冷えは戻らなかった。


「それで。テテュス様はその後、どうお過ごしだったのですか?」

「私は……」


 顔を伏せた瞬間、胸の奥で何かが焼けた。なのに喉だけが乾いて、言葉が出ない。

 リゼに気を遣わせたくないので、無言でいるわけにもいかない。くすぶったままの自分が、どうしようもなくうらめしかった。

 はらに力を入れ、訥々《とつとつ》とつぶやく。


「新人の、教導を任されている」

「左様でしたか」


 その後は互いの近況を報告し合い、 二人によろしくと言付けしてから解散した。それ以上、言葉は続かなかった。

 店を出ると、冬の空気が喉を刺した。

 香と魚と茶の匂いが混じる通りを歩きながら、テテュスは誰に聞かせるでもなく感傷がこぼれる。

 

「……みんな、先に行くんだな」

 

 その声は白く凍って、すぐに風へほどけた。

 立ち止まれば、何かがこぼれそうだった。だから足を止められない。

 冬の湖風うみかぜに身をさらしたまま歩き続け、やがて焼き魚の屋台で遅めの昼を済ませる。それだけで午後の時間が空いた。

 暇潰ひまつぶしなら本が良い。テテュスはハルヴァルト記念図書館へ足を向けた。


 アウルネスの南側、寄進文庫でもあるその学舎は、かつて湖岸防衛を担った貴族たちの兵員・士官教育の場を前身としている。

 創設者ハルヴァルト・ヴァルンヘルムの名を冠した建物の二階閲覧(えつらん)室は、神殿よりずっと息がしやすかった。

 

 白い石で閉ざされた静けさではなく、濃い木組みのはりと、古い机に刻まれた無数の傷。そして、開いた窓から忍び込む湖風が、この建物にはあった。紙と革表紙の匂いに、湿った木の匂いが混じる。人が使ってきた場所の匂いだった。


 窓際の机に腰を下ろし、記録集を開く。

 立ち上るインクの香りが、乾いた胸の内側に薄く染みた。

 神殿文庫にはない知識群は新鮮で、テテュスは興味の向くままページをめくる。

 読みふけっている間だけは、胸の奥の空洞にかろうじて薄い板を渡していける気がした。


 

 〇                                   〇


 冬至が近い時節は日が短い。

 気づけば陽は傾き、テテュスは帰途に就いていた。

 自室で巫女装束みこしょうぞくに着替え、ベッドへ腰を下ろす。

 すぐ脇の机へ目を向けても、実家からの文は一つもない。

 

 アハティアラ家が動かない理由は、考えるまでもなかった。

 神職の家系といえど、徒に身内が口をはさめばかばい立てと見做みなされる。面子めんつに拘る父はそれを嫌うだろうし、義兄ならなおさら止める。あの兄妹は、はなから自分を歓迎していないのだから。

 分かっている。

 分かっているからこそ、余計に寒かった。


「クソッ」


 苛立いらだち紛れに机を叩く。

 硬い音だけが虚しく返った。


(いつからだ? いつから、私はこんな……っ)


 孤独におびえるほど弱くなってしまったのか。

 少なくとも出向前は、こんな風ではなかった。

 日誌に手を伸ばし、ページを繰る。出向直後から研修まで、書かれていることは相変わらず淡々としている。

 変わり始めたのは、研修が終わり部下を持ってから。誰かと笑う事を――


「違う!」


 日誌を投げ捨て、両拳で机を叩いた。


「違うんだ……」


 頭を振る。

 何も見たくなかった。

 答えに触れれば、今の自分まで認めてしまいそうで。やりきれなくて頭を抱える。


 どうして自分だけ。

 その言葉にならない切なさが、胸の奥で先に形を持つ。

 何かが、音もなく崩れた。

 涙の温度だけが、ほおの上でひどく冷たかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ