腫れ物扱い
白亜の石材で組まれた神殿。
汗の匂いが、朝の冷気を薄く焦がしていた。
まだ陽の低い訓練場に、木刀のぶつかる乾いた音が響く。その奥へ、湖上神殿で焚かれる香の名残がわずかに混じっていた。清めの香だ。
だが今のテテュスには、祈りよりも、熱を帯びた呼気と汗の塩気の方がずっと現実だった。
張り詰めた静寂の中。紅白の巫女装束に身を包む二人が武器を構え合う。
冷や汗をかく黒髪の少女は木製の薙刀を下段構え。他方、テテュスは木刀を正眼に構え、相手の喉元を切っ先で睨みつける。
息を潜め、左自然体から後ろ足を捌き慎重に半円を描いていく。同時に、柄を繰り込み間合いを稼ぐ。長柄武器の利点を活かそうとする試みは悪くない。
(ならば――)
下段は偽装だと読み、テテュスは一気に間を詰める。相手が動揺したところを強襲、柄を担いで踏み込む。
「くっ」
苦し紛れの脛打ちなど、当たるテテュスではない。右足を浮かせ、躱しざまに迎撃。呼吸の乱れごと潰し、切っ先はすでに喉元にある。
勝負が決し、息を切らせる少女は悔しさに唇を噛みながらも瞑目した。
「狙いは悪くない。だが、相手の攻めに動揺し過ぎだ」
「はい……」
少女は弱々しい返事で俯く。もっとも、悉く攻撃を潰されれば、攻めあぐねて狼狽するのも無理はない。ましてや、相手はこの春に戦巫女となったばかり。だからといって、戦場で魔物が忖度してくれる道理はない。
「攻め手が尽きたなら、愚直に繰り返すしかない。迷いは死に繋がる」
「はい」
テテュスは少女を下がらせると今度は青髪の獣人の少女が進み出る。
左自然体の中段。重心は後ろ。明らかな守勢だった。直前の助言を何だと思っているのか。テテュスは内心で眉をひそめる。
切っ先を顔の中心へ据え、晴眼に構える。
少女は薙刀を被せて圧を掛け、間合いを保ったまま後退した。様子見からの反撃狙い。なら、正面から叩き割るまで。
木刀を刀身の下に滑らせ、踏み込みと同時に鋭く払い上げた。
相手は迷いなく体を切り返し、石突を跳ね上げ回避。テテュスはそこへ半身八相から袈裟に落とす。受けは間に合った。だが、その瞬間に気が緩む。
「甘い」
服の襟を掴み、鍔を支点に木刀を寝かせる。刃部が手首に触れ、少女の身体が止まった。完全制圧。
組み伏せられたまま、それでも反抗的な目だけは逸らさない。
「最初から様子見で受けに回るな。魔物は攻め気のない獲物を、待ってはくれない」
テテュスが冷ややかに告げると、返ってきたのは唇を引き結んだままの無言。納得していないらしい。
「もう一本」
告げると同時、立ち上がった青髪の少女は気勢を上げて踏み込んだ。
「やああああああああッ!」
今度は様子見ではない。
上段からの打ち下ろし、返して胴、間を置かず石突の突き上げ。攻め続ける意思だけは見えた。だが、速いだけで粗い。肩に力が乗り、呼吸が剣先へそのまま漏れていた。
半歩ずつずらし、空を切らせる。下手に受ければ力みが悪化する。故に、相手に冷静さを取り戻させる意味でも回避に徹した。
攻めあぐねて刃がわずかに泳いぎ、脇が開いた一瞬。テテュスは迷わず打ち込んだ。木刀の切っ先が喉元へ走る挙動は偽装だった。
テテュスは木刀を下ろし、冷ややかに見下ろした。
「ただ攻めれば良い訳ではない」
少女の乱れた吐息が白い。額の汗がこめかみを伝い、石床へ落ちる。見上げて来る目は、悔しさと反発でまだ燃えていた。
「怒りに刀を振らせるな。熱くなった分だけ、隙が増える」
青髪の少女は何も言わない。それでも視線だけは逸らさなかった。
その負けん気を見届け、テテュスは木刀の切っ先を顔に突き付ける。
「もう一度だ」
新人たちの青い太刀筋を捌きながら、カルシラたちの顔が脳裏に過ぎる。
練度や実力、要領の良さ。腐っても、あの三人は士官だった。
新人たちの成長を祈り、テテュスは冴え渡る斬撃を見舞う事で範を示す。それは地に足の着いた技であればあるほど、痺れるような違和感が皮膚の上を這い回る。胸の奥が、ここではない高さを探してしまう。
気迫が篭る訓練場。その熱の中心に立ちながら、テテュスの胸は少しも軽くならなかった。
「――よし。ひとまず朝食にしよう」
訓練を打ち切っても、汗の匂いはまだ濃かった。
木刀を納めても、訓練場に残った熱はすぐには引かない。白い息を吐き、テテュスは一歩だけ後ろへ下がる。新人たちは腰砕けになったまま礼を取り、見取り稽古していた巫女見習いたちも、声もなくそれに倣った。
見上げて注がれるのは、畏れを含んだ眼差し。尊敬ではなく、触れてはいけない刃を見る時の沈黙に近い。突然やってきた異物に対する戸惑いが察せられた。
「午前中は基礎の鍛錬からだ。形稽古では真剣を使う」
返事は揃った。だが勢いはない。テテュスはそれ以上何も言わず辞去。
扉を開けると、汗の塩気を押し退け神殿に焚かれた清めの香が流れ込んで来る。帰って来た場所の、嗅ぎ慣れた筈の匂い。けれど、胸には少しも落ちてこない。
〇 〇
風の噂によると、ダグアーラは史上初の飛翔型竜機兵開発に漕ぎ着けたようだ。自分の居ない所で。
果たして、自分があそこにいる意味はあったのか。そんな考えが頭を過ぎり、新聞に目を通す気にもなれない。
「いただきます」
朝食の薫香が鼻に抜ける。雑穀の粥は熱かった。なのに舌にはほとんど味が乗らず、喉を落ちる頃にはただ重い。
向かいの席は埋まっているのに、自分の周りだけ妙に静かだった。一口目が、やけに長く感じられた。
隔絶された静謐の渦中で、ノーラの声だけが不自然なほど耳に残った。
味気ない朝食をやり過ごし、テテュスは自室に戻る。
ほとんど汗をかいてないから着替えは必要ない。カゴに追いやられた衣類へ視線が吸い寄せられた。洗濯されておらず、汗の匂いが鼻先をかすめる。
「あれ? ノーラ――」
振り返っても、幼い侍女は居ない。手狭な部屋が、ひんやりとした伽藍堂のように感じられた。神殿に私兵登用制度はない。身の回りは自己完結させるのが基本。
自然と溜め息が零れる。ベッドに腰掛けると、枕元に置いた毛むくじゃらの子機を抱きすくめる。
冷たく、軽い。抱き締めるほど、その軽さだけが腕に残る。
「リョース……」
相棒の名を呟き、かつての温もりを腕の中で探す。無駄だと分かっていても、求めずにはいられない。つくづく、自分の軽挙が恨めしかった。
あの会議で、もっと巧く言葉が選べていれば。リョースを守れたのは、自分だけだったのに。そう思う度、腕の中の軽さが増した。
エンドリフギルの墜落は、テテュスが泥を被ることで幼精の暴走として処理されることは無かった。
それでも「暴走の兆しアリ」ということで、今はどこかの神殿に預けられているという。還される保障もないままに。
解任から既に二週間。もう、我慢の限界だった。
無人の自室を後にすると、テテュスは神殿管理棟へ向かう。会えないのなら、せめてどこにいるのかだけでも知る必要があった。
石の廊下は朝の冷えをまだ残しており、足裏からじわじわと熱を奪ってきた。それでも歩みは止めない。
巫女長の執務室は、湖面を見下ろす高窓のある一室だった。
入室の許しを得て中へ入ると、書類から顔を上げたのは、竜人のヴェルシア・ノルグレト。
テテュスにとっての師であり、この神殿の巫女長。静かに眉を寄せる横顔に、白く細長い竜角が覗く。蒼氷色の瞳が、入室したテテュスを一瞥して戻る。
「何用です、アハティアラ」
感情の籠らない冷たい言葉。凍藍の鱗に覆われた長い竜尾は、ただ静かに佇んでいた。
「……確認したいことがあります」
怯むことなく、テテュスは背筋を伸ばしたまま告げる。
「リョースの、幼精の所在を、お尋ねしたく」
「許可できません」
即答だった。
喉がわずかに強張る。だが表情は動かさない。
「当該個体は、別神殿へ移送済みです。現在は経過観察下にあります」
「どこに?」
無機質な言葉に、堪らず顔を顰めた。
「開示できません」
「面会は?」
「現時点では認可されておりません」
淡々と、丁寧な声音だった。語気を荒げるでもない。だが、それだけに拒絶は深く刺さる。
突破口が欲しい。静寂の中で必死に頭を回転させた。巫女長はその沈黙ごと受け止めて、さらに続ける。
「加えて、貴女自身も経過観察対象です」
意味が届くのに、一瞬遅れた。
胸の奥が、すっと冷える。
「……私も、ですか?」
「事故当事者であり、暴走個体との接続経歴を持つ以上、当然です」
「暴走などでは――」
「本当に? 私の目を見て断言できますか?」
蒼氷色の瞳に射竦められた瞬間。テテュスは瞠目し、喉だけが静かに閉じた。
それきり、言葉になるはずだった何かは、胸の底で凍りついたまま動かなかった。




