裏切りに凍て付く翼
椅子が、鳴った。屈んだ背中を正すより、喉の奥から押し出された声の方が先だった。
「お待ちください!」
「いい加減にしたまえ中尉。これ以上我々の心象を汚して何とする?」
心象などどうでもよかった。喉の奥で、それより大きな何かが焼けていた。
「まあまあ、各々方。これは殊勝な態度の転換と、好意的な視点で俯瞰してみてはいかがでしょう?」
「……っ」
忌々しくもナイジェルの執り成しで発言を許可され、背筋を正す。
この時、ダグアーラは呆然とテテュスを見詰めていた。それだけで喉の強張りが霧散し、微笑を返す余裕まで生まれた。
大丈夫だと、自分に示してくれたみたいに。
「では中尉、改めて訊ねましょう。飛翔ユニットの着脱は、誰の意志ですか?」
弁明は、自分でも意外なほど滑らかに喉を通り抜けた。
「あの時。炎上するユニットを切り離せば、機体の消失は免れる。そう考えていたのは事実です」
嘘は吐けない。身体が拒否する。一言「私の責任だ」と口にできれば、どんなに楽だろうか。諦念し、眼を眇める。
「つまり、非は自分にあり、貴方の独断が機体の大破に繋がったと。責任を認めるんですね?」
「待ってください」
ダグアーラが声を上げる。絞首台の死刑囚ではない。正面を向く碧眼には、明確な意志が宿っていた。
「今回の墜落事件、責任は僕にあります。機体の不具合も、アハティアラ中尉の判断も。全ては僕の準備不足。技術的問題に収束します」
「殿下……っ」
整えられた盤面をひっくり返す発言。色を失い凝視するナイジェルを、将校の一人が「サイヴレイグ護衛官」と名指しで掣肘。彼は悔しげに押し黙る事しかできない。
少佐は言葉を継ぎ、決定的な一言を会議の場に投げ掛ける。
「つきましては、エンドリフギル開発計画を一旦凍結。フルムハルグの開発に全人員を投入し、飛翔実験の成功に注力します」
彼の瞳は既に、別の機体に向けられていた。テテュスは自身の耳を疑い目を剥く。凍結とはつまり――
「私は、どうなるのですか……?」
制止の声も聴かず、ダグアーラに尋ねる。縋るような眼差しに、彼は色の無い冷えた碧眼を返して告げる。
「我が権限を以て、テテュス・アハティアラ中尉を解任します」
絶句。まず、指先が冷えた。
次いで、喉を通っていた熱まで握り潰されたように消えた。
床を踏んでいるのに、足裏だけが宙に浮いている。
解任、という二文字だけが、氷刃として胸に深く突き刺さった。
「私を……」
(ダメ――)
それ以上はいけない。口にしたら最後、自分すら裏切ることになる。
だが、危惧とは裏腹に、喉の奥から言葉が滑り落ちる。
「私を、守ってはくれないのですか……?」
「いいえ中尉。最初から貴女を乗せなければ、危険に晒すこともありません」
平板な声。まるで、ナイジェルのような。
絶縁状を突き付けられ、蒼白顔でイスに崩れ落ちた。
閉会後。呆然自失のまま、廊下を歩く。足が動いている。それだけは分かった。
けれど、どこへ向かっているかまでは定かではない。
それから後日。テテュスに辞令が下り、彼女は誰に告げるでもなくソクボルグ基地を後にした。
その場から逃げるように――――。
〇 〇
椅子の上で項垂れる。痛々しい彼女の姿が、瞼に焼き付いて離れない。
テテュスを解任し、基地を去ってから数日経っても、それは変わらなかった。
「これで、良かった。よかったんだ……」
ダグアーラは窓を眺め、何度も繰り返し呟く。それでも、胸の内に広がる霧は一向に晴れない。夕暮れに煙る山肌の霧が、どうしようもなく心を掻き乱す。
墜落事故は自身にとって、改めて突き付けて来た。自分が何を造ろうとしているのかを。
『そなたの飛翔型開発は、必ず失敗する。何も解って居らぬのだからな』
姉は正しかった。兵器を作るとはどういう事か、まるで解ってなかった。
大好きな竜機兵で、己が才を示す。その程度の不純な動機で臨むのは、開発に携わる全ての人員に対しての背信行為に等しい。
空に届かない以上、改める必要があった。認識を。
(兵器は、人殺しの道具なんだ)
玩具ではない。
頭上から術式を投射し、逃げ道を塞いで地上を蹂躙する。
それが飛翔型なのだと、今更胃の腑の底で理解した。
自分が造ろうとしていたのは、空を拓く夢ではない。覇王の剣だった。
その事に思い至り、柄を掛けようとしている実感に呼吸が浅くなった。
やがて流れるであろう、戦場での夥しい血。その一滴に、テテュスがなりかけた。その事実に身の毛が拠立つ。
不意に、ノックが部屋の静寂を破る。鬱陶しい護衛官の入室を苦々しく思いながらも、邪険にはしない。
「どうぞ」
愛想笑いのまま顔を上げたダグアーラは、次の瞬間だけ表情を止めた。
入ってきたのはナイジェルではない。くりくりと、アイスブルーの円らな瞳はスコル。
「珍しいですね。貴方がここに来るなんて」
「そうだね」
返ってきた声に、いつもの軽さはなかった。
扉を閉めたスコルは、その場から動かない。笑いもしない。
その静けさだけで、部屋の空気が一段冷える。
幼いころから知った仲。かといって特段親しくするでもなく、上官と部下という立場で適度な距離を保って来た。
「……何か?」
告げた声は、意図せず低くなる。苛立ちが隠し切れてない。
真顔のダグアーラに、彼女は真っ直ぐ双眸を向けてくる。
「わたし、あの解任に納得してない」
「感情論なら、お帰り願いたいですね」
溜め息を零す少年は、視線を外した。大丈夫。動揺は悟られてない筈だ。
「テテュスを降ろしたのってさ、守るため?」
少年の瞠目を無視して言葉を継ぐ。
「それとも、自分が壊れないため?」
確信を抱いた瞳に、喉が詰まる。それでもダグアーラは、無理矢理言葉を絞り出した。
「…………必要な、判断でした」
喉が貼りつき、声が掠れていた。いつかの時みたいに。
「そこは分かるよ。あのまま乗せ続ける方が危なかった。責任者として、切るしかなかったんでしょ?」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、それでテテュスが救われたとは思わない」
穏やかな声音は、静かな怒気を孕んでいた。
胸の奥が、鈍く軋んだ。ダグアーラは何か言い返そうとして、果たせない。舌が縺れて言葉が閊える。
「これじゃ、あの子が報われないよ。テテュスが誰のために乗ってたか、本当に解ってるの?」
「だからじゃないですかッ⁉」
吐き棄てるスコル。見咎める眼差しと目が合った直後、視界が白熱した。
気が付けば叫んでいた。声の残響が、狭い部屋の壁に反響して返ってくる。
「ええ、そうです。どうせ僕は、公私混同してますよ。けど、自分の好悪を人事に反映させるなんて普通だし、彼女を誰も守ってくれないから。だから守るんじゃないですかッ⁉」
「それがどれ程あの子を傷付けたか。どうしてそれが分からないのよッ⁉」
「だとしてもッ!」
解っている。そんなことくらい、誰に言われ無くたって。
呼吸が荒い。喉が焼ける。
それでも、もう引き返せなかった。
「命令を、覆すつもりはありません」
碧眼でスコルを睨み、拒絶を突き付ける。
彼女はしばらく黙っていたが、諦めたように瞑目して肩を竦めるに止めた。
「……そう」
スカートを揺らし、踵を返した去り際――
「それより、慣熟訓練は進んでますか?」
セラフを搭載した飛翔鎧の訓練は、アイギスを組み込んで駆動術式を刷新したフルムハルグの前段。
「……本当に、飛べると思う?」
向けて来る視線に懐疑が滲む。
「確実に。エンドリフギルは、良い教訓になりました」
「どういう意味?」
「術式が複雑化したせいで、脆弱になり過ぎました」
怪訝な顔を浮かべる彼女にも分かるよう、馴染み深い飛翔鎧を引き合いに出す。
「今回の墜落も、飛翔鎧の速度限界も、根本原因は同じです。高度限界での乱調が致命的なら、そもそも超えなければ良い」
「随分と割り切るんだね」
「飛ばしさえすれば、後は政治判断ですから」
スコルは何も言わない、その沈黙に耐え切れず、ダグアーラは半ば逃げるように続けた。
「とにかく、術式自体は後三日で組み上がります。試験成功まで、一週間と掛からないでしょう……」
少年は改めて、窓の外に広がる景色を眺めた。その瞳に、白亜の飛翼が舞う光景を思い浮かべて。
〇 〇
そして一週間後。
晴れ渡る蒼穹の中。白亜の飛翼は、何の迷いもなく蒼穹へ翔ける。その軌跡を眺めていても、胸は少しも軽くならなかった。
かつては亡き友と、夢にまで見た光景だというのに。胸の中の靄は晴れない。
<こちらヴェッダルフィア大尉。術式安定、機体も異常ありません>
熱に浮かされたような声音が響き、遅れて快哉が沸いた。
(やはり、仮説は間違ってなかった……)
歓声が監視塔を揺らす。史上初の偉業で騒然となる監視塔の中。ダグアーラは冷静にその様子を観察していた。
魔力操作で直接機体を誘導できれば、より状況の変化に対し即応する事ができる。エンドリフギルの試験を経て、それは確信に変わっていた。
「? どうしたんですか、少佐」
生真面目なエイサも、今回ばかりは珍しく頬を上気させていた。
「そうですね。やはり、限界高度を超えられなかったからでしょうか」
コックピット越しの嬉々とした通信を聞いても、心は空虚なままだった。
空を舞う白亜の飛翼を眺めていると、脳裏には別の色が焼き付いた。
真紅。炎の翼。
鼓膜の奥で「少佐」と呼ぶ声がまた鳴った。
振り払った筈なのに、真紅の残像だけが、いつまでも空から消えなかった。




