真相と代償
「では、答えてもらっても?」
あの窮状の中、どうやってエンドリフギルの飛翔ユニットを着脱したのかを。
ナイジェルの問いに、テテュスは少しだけ目を伏せた。
脱落ではない。だが、偶然でもなかった。
「……アレは、事故ではない」
低く答える。
ゼルヴァもナイジェルも黙っていた。続きを待っている。
喉の奥が熱い。隠した方がいいことだと、身体のどこかはもう知っていた。
それでも、口を噤めなかった。
「リョースが、私を助けるために切り離した」
沈黙。夜の個室に、小さな寝息だけが残る。
見つめて来る子機の中で、リョースが弱く光った。
ゼルヴァの肩を竦める吐息が漏れ、ナイジェルの「ふむ……」という声が扉越しに聞こえた。
「それは、操縦者の意思を介したものですか?」
「違う」
言葉を選ぶ慎重な確認に対し、テテュスは即答。
だからこそ、空気がさらに冷える。
「それを明日、同じように言うな」
ゼルヴァが低く言う。険しい表情が、壁越しにも伝わった。
「なぜだ?」
「切られるぞ?」
お前が。短い答えだった。
テテュスはリョースを見た。
相棒は、ただ自分を助けてくれたのだ。
それを、暴走と呼ばせるつもりはなかった。
「隠せない」
たとえ自分が、テストパイロットの座から降ろされたとしても。
不思議と心は凪いでおり、自身の声音も静かだった。
「リョースは、私を助けてくれた」
幼精の献身。その事実は、巫女にとっての誇りだった。
〇 〇
薬草を煮たやわらかな薫香が、まだ朝の浅い医務室に満ちていた。
湯気の立つ粥の椀を前に、テテュスは背筋を伸ばして座る。胸の奥はまだ鈍く痛んだが、昨夜よりは息が通った。
おはようの挨拶もそこそこに、四人は朝餉を共にする。
「いや~、本当に良かったよ。特に外傷がなくって♪」
破顔するのは雪豹の耳と尻尾を持つ女性、スコル。彼女の明るい声が、張りつめていた病室の空気をやわらげた。テテュスはふっと顔を綻ばせる。
「ああ。心配かけたようだな」
「それはホントにそう。マジで生きた心地しなかったから」
肝を潰したと肩を竦めるのは褐色の森人、ネイラ。その目元だけは和らいでいた。
「ホントに、心配しました……っ」
匙を止め、俯くノーラが小さく呟く。大きな瞳がうるみ、けれど泣くまいとでもするように口元だけは懸命に引き結んでいた。
向かいのスコルが、その様子にふっと頬を緩める。
「うんうん♪ こうして一緒にご飯が食べれて、嬉しいよね?」
頭を撫でられた幼い侍女は、無言で頷いた。
ネイラは椀をテテュスの方へ少し押しやって、淡々と言う。
「嬉しいのは分かるけど、まずは食べないと。立てる身体がないと、何を言うにも様にならないから」
ぶっきらぼうだが、そこに甘やかしはない。
テテュスは小さく息を吐き、匙を取った。
「……ああ」
一口含む。温かい粥が、空腹の胃にゆっくりと落ちていく。
スコルが笑い、ネイラが頷き、ノーラが安堵したように肩を落とした。
暗く閉塞した湖底ではない。ここは病室で、みんなが居てくれる。
孤独ではない。それだけが、今は十分だった。
「ところで、少佐はどうしている?」
粥を呑み込み、テテュスはふと匙を止めた。
「ん~、食堂では見かけなかったからなあ……」
「会議前に、言いたい事でもあった?」
「独りで、過ごしてないと良いのだが……」
食器に視線を落とす。影が差す面差しに「心配ない」と、朗らかな声を掛けたのはスコル。
「大丈夫♪ 少佐は、そこまで弱い子じゃないから」
「なんでアンタが得意げなの?」
頬を上気させ、胸を張る小柄な女性に怪訝な表情を浮かべるのはネイラ。しかし、当の本人はどこ吹く風。
王族とも親交が深い名家の令嬢は、幼い頃から面識があるようだ。
謝辞を述べつつ食事を再開し、その頃には腹に貯まった粥が、身体の緊張を解きほぐしてくれた。
「うん。ちゃんと食べたし、顔色も戻ってる」
食事を終えるとテテュスは、ノーラに手渡された鳶色の軍服に着替える。少女の頭を撫でることも忘れない。
「大丈夫♪ 正直に話せば、解ってくれる筈だから♪」
「尋問って、ワケじゃないから。ゆっくり、自分の言葉で話せばいいんじゃない?」
「おかえり、お待ちしてます」
三人に励まされ、頷き返すと思わず顔が綻んだ。
「ありがとう。行ってくる」
軍属巫女は白檀の香りを纏って襟を正し、会議の場へと向かった。
温かい朝餉の余熱を胸に残したまま、長い廊下を歩く。だが会議室の扉が近づくほど、喉だけが少しずつ狭まっていった。
「……よし」
唾を飲み込み、意を決して扉を叩く。
許可をもらって足を踏み入れると、室内にはすでに関係者が揃っていた。
『紅銀の巫女』に視線が集まる中で、ダグアーラだけがこちらを見ない。机上へ落ちた視線は、一度も上がらなかった。胸の奥に小さな痛みが走る。
着席を促され、テテュスは正面を向いた。
「本会議は、事故原因の一次整理および今後の飛翔型運用継続可否について、軍・技術部門・神殿側の見解を照合するための場です」
「主題は、幼精の軍用転用における安全性評価となります」
琥珀の双眸を白黒させ、反射的に腰を浮かせる。
将校たちが朗々と読み上げた内容で分かった。
今日ここで問われるのは、墜落そのものではない。
テテュスが絶句する中、列席していたナイジェルが立ち上がる。
「本会議における神殿側の関心は、事故原因の全般ではございません」
平板な声音だった。お歴々が首肯を返す乾いた空気の中、ダグアーラだけが一度も首を振らなければ一瞥すらもしない。
「確認したいのは、幼精の軍用転用に伴う自律介入の危険性、ならびに操縦者の精神安定性への影響です」
「精神安定?」
聞き返す将校に頷き返すナイジェル。
視線を巡らすと、少佐は俯いたまま。その存在が、ひどく遠くに感じられた。
「神殿としては、功を焦るあまり幼精との同調を深め、判断を誤った今回の件は看過できません」
そこで、胸の奥が冷えた。
功を焦る。
あれほど切迫した救命の局面を、そんな言葉で片づけるのか。
しかもナイジェルの声音には、糾弾の熱すらない。ただ静かに、切り分けやすい形へ整えているだけ。
守りたい相手のために、別の誰かを差し出す。その冷たさに、胃の奥が静かに収縮した。
唾棄する事はできない。始末に負えない誠実さだからこそ、余計に吐き気を催す。
テテュスは、膝の上で指を静かに握った。
「私は――」
「中尉。誰が君に発言を許可した?」
歯噛みするしかない。
腰を下ろすしかないテテュスは、公明正大な告発者として振る舞うナイジェルを鋭い眼光で睨みつけることしかできない。
更にはヴァールヘイト基地での発言が読み上げられる。
「エンドリフギルは自身の専用機である旨の発言は、明らかな越権行為です」
越権。その一語が、胃の底に冷たく沈んだ。
進言すらも功名心に置き換えられ、膝の上の指先が、音もなく白くなっていく。
眼差しに籠る怒りが、行き場を失ったまま燃えていた。
改めて発言の許可が下り、苛立ちをぶつけるように音を立てて立ち上がる。
「あれは、判断の誤りなどではない。リョースは、紛れもなく私を助けようと動いてくれた」
「つまり、期待暴走時の飛翔ユニット着脱は貴方の意志が不介入だと?
幼精の暴走を認めるのですか?」
一瞬だけ、少佐に目が向いた。
俯いたまま。机上から、視線は上がらない。
彼の横顔を見た瞬間、胸の奥で何かが決まった。
怒りではない。もっと静かで、取り返しのつかない何かが。
「ふざけるな! 私を助ける行為を、暴走の二文字で穢すなッ!」
訪れる静寂。そこで初めて、会議室の空気が冷たく張り詰めた。
テテュスは続ける。
「操縦桿で指示したわけではありません。あれは、リョースの判断です。
だが、その判断は妥当であったと、私が保証します」
言い切った瞬間、胃の底がゆっくりと沈んだ。
全部、ナイジェルの目論見通りに進んでいる。忸怩たる思いだった。
「――ふむ。やはり、幼精の軍事転用は不可能であったか……」
「こうも暴走を起こされてはな……」
「は――――?」
テテュスは耳を疑い、瞠目した。
暴走という言葉が、独り歩きしている。
「この期に及んで幼精に責任転嫁とは。随分と見苦しいですね?」
(この男は――)
神性の残滓である幼精、その暴走個体は神殿の神に「浄化」され、新たな生を受ける。全ての記憶を失って。
リョースが、死ぬ。
テテュスが採れる選択肢は、一つしかない。
ナイジェルは主のためなら、こうも冷酷になれるのか。背筋が凍って皮膚が粟立つ。
「では、マナルジョス少佐。貴官の見解を聞こうか?」
「はい……」
暗く沈んだ顔で、少年がゆっくりと立ち上がる。
まるで、絞首台に立たされるかのような思いつめた表情。
一瞬、テテュスと目が合った。微笑を湛えて。
何も言わない。それでも、胸の奥で何かが燃え上がる。
視界の端、護衛官の急き立てる眼差しを待つまでもなく、次の瞬間には立ち上がっていた。
考えたのではない。身体が、先に決めていた。




