第2章 1ー 53
水のような日の光。その水泡や水のサージが葉脈のように広がり、フェルマエの人々や街を包み込んでいる。その光に人々の顔は照らされて、空にある波や遊漁船を浮かべている。これらの縁が重なる先に見えるのは、フェルマエ王に認められて、フェルマエの城の高台で、パジャマを着ているように、飄々としたアミがいる。アミはその場で、何やら舞いを舞ったあとに、一度、深々とお辞儀をした。すると、フェルマエの人々は、静まり返って、その人、人?人の存在やその背後を見ようとするなか、その人、アミが語りはじめた。
「この世界は幼子の庭です。どこを歩いても、そこは庭です。海を渡り、異国にいても、山を登り、たとえ砂漠や荒野にいても、そこは幼子の庭です。この世界の隅々まで、根源の神様、ひとつなるものが、愛の魔法により、デザインし、創造された庭なのです。全ての人々は、この世界の子供であり、幼子です。わたしたちの心のなかに、そのよろこびの庭があるときに、幼子の庭になります。この幼子の庭で、お互いに、手を取り合って、思う存分に、歌を歌い、絵を描き、踊りましょう!そこには、歌によって創造された湖や鳥達の囀ずり、虹のたて笛や合唱もあれば、お菓子のお家やオモチャの神話、皆で創りあげた太陽のすべり台や輪踊りもありましょう。
わたしたちの存在に、勝るものはありません。全ての存在には、ひとつなるものの息吹きが吹きかけられております。存在に優劣などはなく、存在の代わりはなく、存在は無垢です。その純粋と無垢によってでしか咲けない、可憐の花を次第に咲かせていくことが、生涯です。
平安があるところに、まことがあり、憩いがあり、光があり、愛があります。愛がそこにあれば、あとは、何事も付いてきます。この世界の王様は、愛です。王様である愛が満ち足りていれば、その国は、天の国となるでしょう。そこにある愛が、わずかなものであれば、わずかなものしか、この世界に根づいていかないことでしょう。そこにある愛が兵器であるならば、何事も枯れていき、長くは続かないことでしょう。愛が本物であるならば、行動も本物になっていきます。いつでも愛に繋がっていましょう。愛は必ず、命を損ねずに、命を軽んぜず、命を拾い、命を蘇生させる、最もパワフルで、積極的なものです。
目のまえにいる人や小鳥、木々や月は、皆家族です。ここに集まっている皆さん、また、全ての人々や万物が家族です。全ての人々や存在で一輪の花であり、彩り豊かな翼であり、輝く星であり、ひとつの家であり、一枚の絵画であり、一篇の詩です。ですから、そこに言葉が1つでも欠けてしまったら、砂利1つ失えば、目に見えないものを忘れてしまえば、それは言葉ではありません。誰か一人、一人でも悲しんでいる人がいれば、それは、わたしの悲しみであり、あなたの悲しみです。誰か一人でもうずくまっている人がいれば、世界の人口が5億人であるならば、4億9999万9999人、総勢で助けに行くのです。一人や個は全ての人や全世界の為に、全ての人や全世界は、一人や個のために、呼吸していきましょう。
理想を大切にしましょう。理想は至高の愛であり、理想は神様からの啓示であり、プレゼントです。一人一人に授かったその理想を、次第に生きれるようになれば、一人一人は充実した幸せな日々を送れるようになります。その夫婦や家庭は幸せになり、友や友の友人や恋人、すれ違った子供や見知らぬおばあさんやおじさん、となりの村や街や国、やがて世界に、その幸せは、届いていくことでしょう。
できるだけ小さな感受性を大切にし、できるだけ小さな喜びを育み、できるだけ小さな道を歩み、素直に受け取っていきましょう。大きな道は、人通りも多く、つい足を運びたくなってしまいますが、その道は迷いも多く、自身を見失いかねません。できるだけ小さな道を歩みましょう。その道には、立ちはだかる障壁や試練、批難や嘲笑が待ち受けておりますが、その道が、本当の幸せの道です。自身の心の深く、もっと深くにある良心と愛を大切にし、ひとつなるものに熱心に祈り、日々、草臥れても、礼拝して下さい。すると、愛の源であられる、ひとつなるものから大きな力が届いてきて、何気ないものはなくなっていき、何気ない日々が驚くほど、楽しくなっていきます。おのずと素直で自然体に生きれるようになっていきます。等身等大は最もバイタリティー溢れる日々を、約束してくれることでしょう。
わたしたちは、この世界の子供であり、幼子です。さあ、目を開いて、もう一度、世界を見渡してみて下さい。そして、気付くことでしょう。足元に転がっているよろこびと、新たに聴こえてくる音色、心の目に広がる色とりどりの光を」
※続く




