第30話 洗い上がるまで、ここにいよう
富美の袋は、持ち手だけ、少し丈夫になった。
早苗が直して、前の日に返した物だった。
水曜の朝、富美はその袋へタオルを入れて来た。
受付は休みでも、洗濯機はいつもどおり使える。
彼女は中央の台へ袋を置き、まず持ち手を指で押した。
「ここが切れると思うと、いつも下から抱えてたの。それ、やめていいのね」
早苗は朝の清掃の道具を片付けながら、縫い目が引かれていないか見た。
「今の量なら、大丈夫そうです。重さは、袋の方にも合わせてくださいね」
「ええ。丈夫になった分だけ入れたら、また、私が持てなくなるわ」
二人で笑った。
富美は一つの袋へ全部押し込まず、タオルを広げて確かめた。
古くなった一枚の端に、小さい目印がある。
雑巾にする方を、自分で選んで分けたという。
「前に、引出しが閉まらないって言ったでしょう。あれ、少し閉まるようになった。全部ではないけど」
早苗も、住居の棚を思い出した。
空になった引越しの箱は、先月、畳んで片付けた。
使う場所へ移った物と、自分で選び直した物がある。
いまは、名前を壁側へ向けて隠す必要もなかった。
清掃を終えた後、早苗も自分の洗濯物を持って店へ出た。
タオルと、表示の合う日常の物を分ける。
自分の分の料金を入れ、運転を始めた。
富美のタオルは、もう乾燥機へ移っている。
中央の台には、まだ何も広げていない。
早苗は籠を足元へ置き、待つ方の椅子に座った。
着ている淡い青のブラウスは、洗って直した後、普段にも着るようになっていた。
上へ重ねた普段の服で、襟元しか見えていない。
富美は、その服に何があったのかを尋ねなかった。
早苗も、知ってもらうために話す必要は感じなかった。
袖を少し整え、鞄から手帳を出した。
四月から先の頁にも、清掃と受付の予定が入っている。
早苗は次の頁へ指を掛け、その前に、今月の水曜を開いた。
入口の掲示板には、地域の練習会の新しい案内があった。
千帆が貼り替えに来て、前の紙は持って帰った。
来られる日だけ補助を続けていると、短く話した。
富美はその日付を自分のスマホでも確かめ、行けそうなら行くと答えていた。
「次、早苗さんも来るの?」
富美が尋ねた。
早苗は手帳を見て、今月はその日に別の予定を入れていると答えた。
「じゃあ、私が道を覚えておくわ。まだ、短い方だけだけど」
富美は笑い、乾燥機の残り時間を見た。
匡史が来たのは、その少し後だった。
今日は店が休みで、自分の洗濯物を持っている。
いつもの作業着だけではなく、普段のシャツも袋に入っていた。
早苗は会釈し、棚の上の忘れ物を見ていた手を戻した。
「今日は、そっちの椅子なんですね」
匡史は受付を指すのではなく、早苗の足元の籠を見た。
「自分の洗濯を、待っています」
「じゃあ、俺も。今日は、家へ干す方が多いので」
彼は表示を確かめ、服を分けてから運転を始めた。
前に貼りついていたシールも、紙のメモも、今日は出てこなかった。
ポケットを確かめる手つきは、変わらず、一つずつだった。
富美のタオルが乾いた。
彼女は自分で取り出し、中央の台へ広げる。
早苗が立ちかけると、富美は、持てる分だからと、先に籠の向きを変えた。
頼まれたときに手を貸せる場所へ、椅子を少しだけ引いておく。
それで、通り道も空いた。
「りんごの方も、また置きます?」
早苗は匡史へ尋ねた。
甘くない試作の後で、あのパンのことも、思い出していた。
匡史は次に少し焼く予定があると答え、父と決めた置き方の話をした。
定番と、自分で考えた物の場所を分け、分からないことは、客の反応も聞きながら直す。
別の店を持つ話は、まだ途中だった。
「言ったら、一気に店ができるかと思ったけど、そんなことは、なかったです」
匡史が笑った。
「話して、次に調べることが、また出ました。でも、何を考えてるかは、家でも、前より伝えられてます」
早苗は、次はりんごも買いに行きます、と答えた。
富美はタオルを畳み終え、袋へ戻した。
忘れ物がないことを確かめ、入口で手を上げる。
「また、来るわね。今日は、ちゃんと持ち手を使って帰る」
早苗は笑って、ありがとうございましたと送った。
戸が閉まると、通りの音が遠のき、二台の洗濯機の音だけになった。
匡史が椅子へ座る。
早苗は手帳の開いた頁を見た。
来週の水曜、午前の清掃の後には、まだ何も書いていない。
「三枝さん。来週、朝ご飯を、一緒に食べに行きませんか」
言った後で、胸が少し速くなった。
彼は少し目を上げ、手元の予定を確かめた。
「行きたいです。遅めでも、いいですか」
「はい。私も、清掃を終えてからなら。十時くらいは?」
「その時間なら、空いてます」
早苗は手帳へ、十時、と書いた。
その下に、朝食と入れ、場所を相談した。
匡史が候補を二つ挙げる。
一つは、駅から近い小さい店だった。早苗はそちらの、窓のそばの席の写真を見たことがあった。
「その店へ、行ってみたいです。まだ、入ったことがなくて」
匡史は、じゃあそこにしましょう、と答えた。
待ち合わせは、店で十時にした。
早苗が店名を書いて見せると、匡史はうなずいた。
「俺も、店の外で会えたらと、思ってました」
早苗はペンを置き、彼を見た。
「私も。もっと、話したくて」
匡史は笑い、少し遅れて、早苗も笑った。
店名の下へ何か書き足そうとして、もう必要なことは書いたのだと気づく。
そのまま、ペンの蓋を閉めた。
「十時だと、私、一度、朝ご飯を食べてると思います」
早苗が言うと、匡史は笑った。
「俺も。休みの日でも、起きる時間は、急に変わらないので」
「じゃあ、二度目の朝ご飯ですね」
「二回目だからって、小さくしないといけない決まりは、ないですよね」
早苗も笑った。
来週の頁を、もう一度見る。
十時の約束の下に、午後は家で休む、と書いた。
匡史が隣で、あくびをかみ殺した。
「眠いですか」
「休みでも、五時に目が覚めるので」
「さっきまで、寝てたらよかったのに」
「洗濯、今日のうちにしたくて」
匡史は足元の籠へ目を向けた。シャツを干すハンガーが、袋の口からのぞいている。
早苗の籠にも、空のハンガーがあった。
奥の七番機には、白い停止札が下がっている。
今日使う人の予約はない。
早苗は手帳を閉じ、膝へ置いた。
洗濯機の残り時間は、あと七分だった。
隣で、匡史が座り直す。
洗い上がるまで、ここにいようと思った。




