第8話 ありがとう
オルゴールから、カチリ、とはっきり音がした。
そっと蓋を開けると、金の光がオルゴールの内側からあふれ出した。
「あ……」
私と公爵の声が揃った。
聞き覚えのある静かなオルゴールの音。
箱の左側には、磨かれた金の台座の上を音楽に合わせてくるくると回る陶器の狼。
「これ、小さい時に見たことがあります!」
私がいつまでも寝付かない日に、母がこの回る狼を見せてくれたことを今思い出した。
「懐かしいな……私も子供のころ、これが好きでよく眺めていたんだ」
公爵の子供時代の姿を想像した。
銀髪に紫色の瞳の子供――じっとオルゴールを眺める姿を想像すると自然と頬が緩んだ。
「これは、手紙でしょうか?」
狼が回る隣。そこは紺色のベルベット張りになっていて、ごっそりと手紙がつまっていた。
「……私がヤナに送った手紙だ」
「え……?」
手紙の束を手に取る。
「読んでも構いませんか?」
「……読んでも面白い物じゃない。捨てられた男が女々しくいつまでも送り続けていた手紙だ」
「でも……読みたいです。嫌いな人の手紙をこうやって大事に取っておくのって、おかしいもの」
公爵は眉間に皺を寄せてから、「好きにしなさい」とだけ答えた。
私は一番上に乗っていた手紙を手に取って、封筒から手紙を出した。
手紙の文字は、何かに濡れたように滲んでいた。
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ヤナ様
すまない。
急に姿を消した君のことだ。
探してほしくないということは、重々承知していたが、どうしても気になって探してしまった。
急な手紙を送ることを許してほしい。
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「公爵様は、母がどこに住んでいるかを知っていたんですか?」
公爵は気まずそうに頬を掻いた。
「ヤナが何か事件に巻き込まれていたりしないか、心配だったんだ。いなくなってすぐに国中を探したよ。帝国の端の村でヤナを見つけたのは、いなくなってから五年後のことだ」
五年……この人は、母を五年も探し続けたというの?
貴族だから、きっと結婚もしろって周りにも言われていただろうに、それも無視し続けて、母を探したこの人は、その時どんな気持ちだったんだろう。
「直接会いに行くことも考えたんだが、ヤナを困らせたくなかった。だから、それ以来手紙を送り続けたんだ」
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君に紫の瞳の小さな子がいるのを見た。
もしかして、私の子供ではないか?
もしそうだったとしても、そうじゃなかったとしても、君と君の子を迎え入れる準備をして待っている。
捨てられたのに、諦めが悪いことをしているのは、分かっている。
君の気持ちが知りたい。
手紙の返事を待っている。
イヴァン・ストヤノフ
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「この手紙を送ったのって――」
「十年も前のことだ。相手にされていないのに、馬鹿だよな」
迎え入れる準備をして――という一文を読んで、はっとした。
ラリサが言った『公爵様がニーナ様のためにご準備されていた部屋でございます』という言葉。
ラリサが侍女見習いの修行を始めたのも、十年前と言っていなかっただろうか。
衣装室に吊るされた、小さな子供用のドレス。
頭の中で何かがカチッとはまる音が聞こえた気がした。
公爵からの手紙にもう一度視線を落とす。他の封筒に記された日付けを見ると、どれも一年と間を置かずに次の手紙が送られているのが分かった。
「公爵様は、母と私をずっと見守り続けてくれたんですね」
公爵は驚いたように眉を上げて、苦しそうに顔を歪めて笑った。
なんて不器用な人なんだろう。
「母からの返事はなかったんですか?」
「あぁ、そうだ。亡くなる前に君を引き取ってほしいと手紙を送ってきた以外、ヤナは返事を返してくれることはなかった」
母は、どうして返事を返さなかったんだろう。
記憶にはないが、母が手紙を読みながら涙を流している姿がなぜか脳裏に浮かんだ。
全ての手紙をテーブルに順番に置いていくと、最後の二通だけ他の手紙とは違う茶色い封筒に入った手紙があった。
「公爵様! これ!」
封筒に書かれた宛名はそれぞれ、イヴァン・ストヤノフとニーナになっていた。
公爵様へ宛てた手紙を彼に渡し、私は自分宛の手紙の封を開けた。
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ニーナへ
この手紙を読んでいるということは、『秘密の鍵』の合言葉に気がついたのね。
イヴァンとは、仲良くやっているかしら。
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母の私への言葉に、私は目頭が熱くなった。
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ニーナ、あなたに謝らなければいけないことがあります。
あなたには、お父さんは亡くなったと伝えていましたが、あれは嘘です。
あなたのお父さんは、イヴァン・ストヤノフ公爵です。
ニーナには、父親のいない幼少期を過ごさせてしまって、申し訳ないと思っています。
私がイヴァンの元を去ったのは、あなたが私のお腹に宿っているのを知った時のことです。
きっと責任感の強い彼のことですから、私を妻にと考えることは、予想できていました。
でも、私はそれが怖かった。
彼を愛していたから。
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どうして?
愛していたなら、一緒になればよかったのに。
なんで、逃げたりしたの?
私は、手紙の母に問いかけながら、二枚目の便箋を読んだ。
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表向きに帝国では、魔女と魔法使いへの偏見や差別は禁止されています。
それでも地方や一部の人たちの間には、その意識がまだ残っているのです。
それは、貴族も例外ではありません。
私は、イヴァンが私を迎え入れることで、彼自身も偏見や差別にさらされるかもしれないことが耐えられなかった。
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私は、村で母と過ごしてきた日々を思い出した。
他人行儀で、決して私たちを受け入れない村人たち。
彼らの冷たい目。
思い出すだけで、腹の中が気持ち悪くなる。
母は、あの目から公爵様を守りたかったのだ。
自分の幸せを捨ててまで。
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ニーナのこともいつまでも見ていたかった。
でも、私の命は、もう長くないようです。
最後にあなたのことが心配で身勝手だとは思いますが、イヴァンに手紙を出しました。
彼ならあなたが生きていく道筋を示してくれると信じているからです。
最後になりますが、お母さんのわがままに付き合ってくれて、ありがとう。
天国からニーナのことを見守っています。
どうか幸せに過ごしてください。
ヤナ
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「こんな……こんなのってないよ」
私は、ぽたぽたと涙をこぼした。
二人は想い合ってたのに。
もう絶対に叶わないのに、母と公爵様が並んで私に微笑みかける姿が目に浮かんで、涙が止まらなかった。
「……ヤナは、勝手だ」
公爵様は、目元を手で押さえて肩を震わせていた。
きっと公爵様の手紙にも、私の手紙同様に母の真実が書かれていたのであろう。
私と公爵様は、しばらくそのまま二人して泣いた。
二人とも涙がおさまった頃、公爵様がぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「……ニーナ」
「……はい」
「私は、ヤナのこともニーナのことも迷惑だなんて、思ったことは決してない」
「うん……」
公爵様の苦しそうな顔を見るとまた泣いてしまいそうで、私は天井を仰いだ。
「私は、家族として……一緒に背負いたかった……」
公爵様は膝の上でぎゅっと拳を握った。
「ニーナ……絶対にお前を誰よりも幸せにすると誓う。どうか、私の娘になってはくれないか」
私はごしごしと目をこすってから、公爵様の目を見た。
彼のアメジスト色の瞳には、強い覚悟のようなものが滲んでいる気がした。
「あの……」
言葉を選んだ。
今まで母と二人で生きてきたのだ。
すぐに普通の父と娘のようにできるか、私には自信がない——でも。
「努力したいと思います」
母が愛し、守ってきたこの人を。
ずっと私と母の幸せを願って、見守ってくれたこの人を。
「私も、お父様の娘になれるように」




