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第15話「助かる側まで、脚本に慣らされていた」

 答えの出ない問いを抱えたまま、翌朝が来た。


 領都ラングフォートの市場通りは、朝から人の声で濁っている。果物売りの怒鳴り声、荷車の車輪が石畳を噛む音、鍛冶屋の裏手から漏れる金属音。ツカサは人混みの端を歩きながら、無意識に右足をかばっていることに気づいた。踵の豆はもう痛みというより鈍い違和感に変わっている。慣れたのではなく、感覚が諦めただけだ。


 隣を歩くリネットは、左手首の端末を時折ちらりと確認しながら、市場に並ぶ人々の頭上を流し見ている。因果ラベルの有無を確認しているのはツカサの役目だが、リネットはリネットで、魔力の残留痕跡から何かを読んでいるらしい。昨夜は術式疲労で早めに休んだが、目の下にうっすらと影が残っていた。


「——あ」


 声をかけてきたのは、果物の並ぶ露店の陰から出てきた中年の女性だった。エプロンに粉がついている。パン屋か、菓子職人か。


「あんた、あの学園の式典のとき、二階席にいた——」


 ツカサは一瞬身構えた。婚約破棄事件のとき、一般来賓に紛れて潜入していた。顔を見られていた可能性は想定していたが、こうして声をかけられるのは初めてだった。


「エレインお嬢様の叔母の店で働いてるんだけどね」


 女性は声を落とした。周囲を気にしている。


「あの子、あれからずっと自分で調べてるの。証拠を集めて、偽証した連中を法に訴える準備をしてる。あの日、あんたが会場で何かしたんだろう? あんたが動いた後から、急にみんなの目が覚めたように証拠の矛盾に気づき始めた。あんたが来なかったら——あの子の声は、一生封じられたままだった」


 深く頭を下げられた。ツカサは「いや、俺は」と言いかけたが、女性はもう顔を上げて、小さな紙包みを押しつけてきた。


「干し杏。うちの店のだけど、持っていきなさい」


 断る間もなく、女性は露店の裏へ戻っていった。


 紙包みの中身は、六つほどの干し杏だった。甘酸っぱい匂いがする。


「……ありがたいけど、ちょっと居心地が悪い」


「受け取っておきなさい。善意を拒否する理由はないでしょう」


 リネットの声は淡々としていたが、端末から目を上げてツカサの手元を見た視線には、どこか確認するような色があった。


 市場通りをさらに東へ歩くと、魚屋と革細工の店が並ぶ区画に出る。人の密度が上がり、荷車を避けるたびに右足の踵が石畳に引っかかった。


 そこで、別の声が聞こえた。


「——あいつだろ、いい見世物を台無しにしたってやつ」


 魚屋の隣の路地から漏れた声だった。小声のつもりだろうが、市場の雑踏が一瞬途切れたタイミングで、妙にはっきり届いた。


「婚約破棄のやつ? あれ、なんか急に会場がしらけたって話じゃん。それまで盛り上がってたのに」


「令嬢が冤罪だっつっても、あの場の空気で見たかったのは処刑のほうだろ。ぶっちゃけ」


 ツカサの足が止まった。


 振り向きはしなかった。振り向いても意味がない。声の主はツカサの顔を知っているのかいないのか、それすら定かではない。ただ、声の中身だけが残った。


 ——見たかったのは処刑のほう。


「……聞こえた?」


 リネットが、端末を操作する手を止めずに言った。


「聞こえた」


「感想は」


「最悪」


 ツカサは歩き出した。右足の踵が鈍く痛んだ。


  *


 昼を回った頃、二人は市場通りから少し外れた酒場に入った。


 領都の商人や職人が昼食を取る類の店で、カウンターの向こうでは太った店主が黙々とスープを注いでいる。リネットがカウンターでスープ二杯と黒パンを注文し、手当の硬貨を数枚置いた。ツカサはこの世界の通貨を持っていない。食事はずっとリネットの学院調査手当から出ている。残りがどれだけあるかは聞いていないが、リネットの財布が薄くなっていることくらいは分かっていた。


 窓際の席に腰を下ろすと、リネットは端末を卓上に置き、朝から記録していた因果波形のデータを整理し始めた。


 ツカサは運ばれてきた黒パンを千切りながら、酒場の空気を聞いていた。


 この店は情報が集まる。市場の噂が、ここで酒と一緒に発酵する。リネットがここを選んだのもそれが理由だった。


「——フォルテスに向かうって話、聞いたか」


 カウンター席の男が、隣の連れに話しかけている。声量の調整ができないタイプだ。


「勇者一行だろ。北の街道都市を拠点にするって。盗賊団が出てるとかで」


「盗賊団? あのあたり、半年前までは平和だったじゃねぇか」


「だからこそだよ。勇者が来ると事件が起きる。——いや、事件が起きるから勇者が来るんだっけ?」


 男たちは笑った。深い意味はない。酒場の軽口だ。


 だが、ツカサの耳には引っかかった。勇者が来ると事件が起きる。因果の順序が、この世界の住人にすら曖昧になっている。


「——あとさ」


 別の卓から、今度は女の声が混じった。


「あの婚約破棄のやつ、結局なんだったの? 令嬢が無実だったのはいいけど、あの場の断罪って、けっこう見応えあったんだよね。友達と一緒に見に行ってたの。それがいきなり中止になって、正直——ちょっとがっかりした」


「分かる。勇者様のときもそうだけど、ああいうのって、スカッとする瞬間があるから見に行くわけじゃん。証拠がどうとか矛盾がどうとか言われても、そういう話じゃないっていうか」


「そうそう。正しいかどうかより、気持ちいいかどうかっていうか——」


 ツカサは黒パンを噛む手を止めた。


 正しいかどうかより、気持ちいいかどうか。


 あの女性たちは、エレインが無実だったことは知っている。噂として広まったのだろう。だが、知っていてなお、「見応えがあった」「がっかりした」と言っている。事実を知ったうえで、それでも求めているのは真実ではなく快感だった。


 冤罪だと分かっても、断罪の場で声すら出せなかったエレインの恐怖は、彼女たちの中では「見応え」の一部でしかない。あの場に立たされた人間が何を感じていたかは、観客席からは見えない。——見えないのではなく、見る必要がないと思っている。


「……リネット」


「聞こえてる」


 リネットは端末から顔を上げなかった。だが、指が止まっていた。


「あの人たちは、令嬢が無実だったことは知ってる。事実としては広まっている。でも、エレインがあの場で何を感じていたかには——興味がない」


「そうね。事実と体験は違う。"冤罪だった"という情報と、"声を封じられて壇上に立たされた恐怖"は、同じ出来事の別の層よ。彼女たちが受け取っているのは情報だけ。体験の層には、最初から手を伸ばしていない」


 リネットはスープが運ばれてきたのを横目で確認しながら、小声を続けた。


「そして、手を伸ばす必要がないと思っている。なぜなら、あの断罪劇は彼女たちにとって"物語"だから。物語の登場人物に、観客が感情移入する義務はない。——それが、テンプレに慣らされた人々の認識の形」


 店主が無言でスープを置いて去る。湯気が窓からの光に白く浮かんだ。


「整理するわ」


 リネットは小声に切り替えた。周囲の雑談に紛れる音量。


「この世界の人々は、"勇者が来て、危機を派手に解決して、悪者が裁かれて、みんなが喝采する"——その流れを、ずっと見せられてきた。何度も。何世代にもわたって。それが"希望の形"として刷り込まれている」


「テンプレ因子が、人々の認識にも——」


「直接貼りついているかは、まだ断定できない。ただ、結果としてそうなっている。勇者が来れば助かる。派手な見せ場があれば安心する。断罪劇はスカッとする娯楽になる。——その"テンプレ"に慣れすぎて、テンプレから外れた救済を受け入れられなくなっている」


 リネットはスープを一口飲んだ。


「あなたのやり方は、彼らが慣れている希望の形に合わない。事前に、静かに、茶番の骨組みだけを壊す。被害が出る前に終わらせる。——それは正しいけれど、"盛り上がり"がない」


「盛り上がりがないから、感謝されない」


「もっと悪い。盛り上がりがないから、"何かを奪われた"と感じる人が出る。あの酒場の女性たちが言っていたでしょう。"見応え"を潰されたと。彼女たちにとって、断罪劇は——」


「——娯楽」


「ええ。被害者の痛みではなく、観客席の快楽として消費されていた。それを壊したあなたは、"楽しみを奪った邪魔者"になる」


 ツカサはスープに口をつけた。塩気が強い。領都の味付けは、街道沿いの宿場町より荒っぽかった。


「迷宮でも同じだった」


「ガゼルたちのこと?」


「補正を壊したら、敵が本気になった。勝てたけど、フィンが怪我をした。"余計なことをした"って言われた。——あのとき思ったんだ。正しいことをしても、不便なほうに人は怒る」


「そうね。そして、それはレオ個人の問題じゃない」


 リネットの声が、少しだけ硬くなった。


「レオは確かに加害者よ。人の努力を消費して、思い出を壊して、それを当然だと思っている。でも——レオの周りに勝手に集まる賞賛と、あの酒場の女性たちの"見応え"への期待は、根が同じなの。"気持ちいい物語"を求める空気そのものが、レオの振る舞いを許容し、強化し、再生産している」


 ツカサは黒パンの最後の一欠片を口に入れた。


「つまり、問題はレオだけじゃない」


「かといって、あの酒場の人たちが"悪人"かと言えば、そうでもない。彼女たちは自分が何に加担しているか分かっていない。分かっていないまま、"そういうもの"として受け入れている。——それが一番厄介なのよ」


「味方のはずの人たちが、構造の一部になっている」


「ええ。だから、レオの補正を剥がしても、この空気は変わらない。空気ごと変えないと、次のレオが出てくる」


 重い結論だった。


 ツカサはしばらく黙って、空になった皿を見ていた。干し杏の紙包みがポケットの中で存在を主張している。あの女性は、エレインを救ったことに感謝してくれた。一方で、この酒場には「見応えを返せ」と言う声がある。どちらも同じ領都の住人だ。


「……分かってる」


 ツカサは顔を上げた。


「分かってるけど、じゃあテンプレに沿った救い方をすればいいのかって言ったら、それは違う」


「違う?」


「テンプレに沿うってことは、誰かを悪役にして、誰かを被害者にして、派手にぶっ倒して喝采を浴びるってことだ。それは——エルデン村でレオがやったことと同じだろ。見せ場を作るために、被害を許容する。それはやらない。絶対に」


 リネットの眼鏡の奥で、翡翠色の目が少しだけ開いた。


「……あなたは思ったより頑固ね」


「お前だって相当だろ。勇者パーティに籍を残したまま、追放された男と領都で飯食ってるんだから」


 リネットは一瞬、言葉を探すように口を閉じた。それから、唇の端がほんの少しだけ持ち上がった。


「休暇届は正式に出してあるわ。書類上は問題ない」


「書類上はな」


「書類上が全てよ」


 ツカサは小さく笑った。声に出すほどではない、口元だけの笑い。リネットも端末に視線を戻したが、画面を見る目がさっきより柔らかくなっていた。


  *


 夕方、古い茶館の二階。


 領都外れのこの場所は、リネットと同盟を結んだあの日の拠点だ。天井が低く、壁の漆喰がところどころ剥がれている。窓から見えるのは領都の裏通りと、その向こうに広がる農地の緑。


 リネットは卓上にデータを広げ、今日一日の観測結果を整理していた。ツカサは窓辺の椅子に座り、ハリセンの状態を確認している。先端の曲がりが少し広がった気がする。核粉砕の焦げ跡に加え、迷宮での新しい焦げ跡が重なり、端のほつれも目立ってきた。


「今日の収穫を先にまとめるわ」


 リネットが言った。


「市場で観察した限り、一般市民——商人、職人、買い物客——の頭上に、直接的な因果ラベルは見えなかった。合ってる?」


「合ってる。少なくとも、俺の目には何も浮いてなかった」


「ということは、人々の"テンプレ依存"は、因果ラベルとして可視化されるタイプの補正ではない可能性が高い。直接貼りついているのではなく、長期間の環境暴露——勇者の英雄譚を繰り返し見せられることによる、認識の定着」


「洗脳じゃなくて、習慣」


「そう。だから壊しようがない。ハリセンで叩ける対象がないの。人の頭の中に染みついた"常識"は、ラベルじゃないから」


 ツカサはハリセンを膝の上に置いた。


「結局、俺にできるのは——」


「できることは、あるわ。人々の認識を直接変えることはできなくても、"テンプレに沿った展開"そのものを不成立にし続ければ、いずれ前提が崩れる。何度も"勇者が来なくても助かった"という事実が積み重なれば、テンプレへの依存は少しずつ薄まるはず」


「気の長い話だ」


「短期で認識を変えようとするのは、それこそテンプレのやり方よ。"一回の感動的な演説で全員が目覚める"なんて、脚本の中だけの話」


 それは正しい、とツカサは思った。一発で全部ひっくり返す劇的な逆転。それ自体が、この世界に蔓延しているテンプレの構造だ。


「……なあ」


「なに」


「さっき酒場で、"正しいかどうかより気持ちいいかどうか"って言ってた人がいたろ」


「聞こえてた」


「あれ、腹は立ったけど——嘘じゃないとも思った。人は気持ちいいほうに流れる。それ自体は責められない。問題は、"気持ちいい流れ"のせいで誰かの人生が壊されてることに気づけないことだ」


「気づけない、じゃなく、気づかなくていい構造になっている」


「そうだ。だから構造を壊す。気づかなくていい仕組みのほうを」


 リネットは端末を閉じ、椅子の背にもたれた。天井の低い部屋に、窓からの夕日が斜めに差し込んでいる。


「一つ、確認しておきたいことがある」


「なんだ」


「あなたは、感謝されなくても続けられる?」


 問いは、試すような響きではなかった。純粋な確認だった。データを取るときのリネットの声と同じ、事実を知りたいだけの平坦さ。


「——全員に感謝される必要はない」


 ツカサは窓の外を見た。農地の向こうに、日が傾いている。


「あのパン屋のおばさんが干し杏をくれた。エレインは自分で証拠を集めてる。メルは商隊で荷番をやってる。全員じゃなくていい。壊した結果、自分の足で立てる人が一人でも増えるなら、それでいい」


「それでいい、と言い切れるうちはね」


「言い切れなくなったら、そのときに考える」


 リネットはしばらく黙っていた。窓から差す光が、銀灰色の髪を橙に染めている。


「——了解。なら、次の話をするわ」


  *


 翌朝。


 古い茶館の二階に朝日が差し込む前に、リネットはすでに端末を開いていた。


 ツカサが階段を上がると、卓の上に広げられたデータが昨夜より増えていた。リネットの目の下の影は変わっていないが、翡翠色の瞳には明確な焦点がある。何かを掴んだ目だ。


「早いな」


「昨夜のうちに、酒場で拾った情報と端末の因果波形データを照合した。一つ、急ぎの案件が出た」


 リネットは端末を回してツカサに見せた。画面には領都から北へ伸びる街道の略図と、その先に「フォルテス」と記された都市の名がある。


「神城レオの勇者パーティが、北方の街道都市フォルテスを"次の大討伐の拠点"として宣伝している。近日中に入城する予定。酒場の商人が話していた内容と、学院経由で取れる公式の発表が一致する」


「フォルテス……街道都市か。聞いたことはある。王都とは反対方向だな」


「ええ。領都からは北西へ馬車で二日ほど。街道の要衝で、交易量が多い。常駐の自警団がいて、平時なら治安は悪くない」


「平時なら」


「そう。平時なら。——問題はここ」


 リネットが端末をスライドさせた。数値の羅列が表示される。ツカサには読めない因果波形のデータだが、リネットの指が一箇所を叩いた。


「フォルテス周辺の因果波形に、不自然な収束が見られる。盗賊団の活動が活発化しているのは事実だけど、その活発化のタイミングと、レオのフォルテス入城予定が——綺麗に一致しすぎている」


「盗賊団が"ちょうどいいタイミングで"現れるように、因果が歪められている」


「断言はできないけれど、痕跡はある。あの森で壊した襲撃イベント発生フラグと同じ構造——大元から供給される因果のパターンに、似た波形が混じっている」


 ツカサの頭の中で、映像が組み上がった。


 フォルテスに盗賊団が現れる。街は混乱する。そこへレオが颯爽と現れて、盗賊団を派手に蹴散らす。喝采。感謝。英雄譚の次のページ。


 エルデン村と同じだ。規模と場所が違うだけで、構造は全く同じ。被害が出て、勇者が解決して、人々が涙する。その涙の手前に、焼けた家と壊れた暮らしがあることは、誰も数えない。


「もう一つ」


 リネットが付け加えた。


「私の不在が長引いたことで、レオ側が代わりの魔術師を補充したらしい。宮廷魔術師団の中堅で、実力は——まあ、私には及ばない」


 自信ではなく事実として言い切る声だった。


「替えが見つかった以上、私への復帰要請はしばらく来ないはず。逆に言えば、替えでは精度が足りないと気づいた瞬間に、引き戻しが来る。それまでが猶予」


「その猶予のうちに、フォルテスの件を片づける」


「そういうこと。レオが"到着して全部を持っていく"前に、被害そのものを出さない。盗賊団が襲う前に——あるいは襲った直後に——因果の歪みを壊して、フォルテスの防衛を正常に機能させる」


 ツカサは椅子から立ち上がった。腰のベルトに差したハリセンが、かすかに揺れた。先端の曲がりが朝日に照らされて、焦げ跡の輪郭がくっきりと浮かんだ。


「先に行って、先に片づける」


「レオが舞台に立つ前に、舞台そのものを消す。そういうことね」


「ああ」


 ツカサは干し杏の紙包みをポケットから出し、一つをリネットの端末の横に置いた。


「朝飯。パン屋のおばさんからの貰い物だ」


 リネットは干し杏を一瞬見て、それから何も言わずに手に取った。


 窓の外では、領都の朝が始まっている。市場の声が遠くから届き、荷車の車輪が石畳を鳴らしている。


 あの市場の中に、ツカサを感謝する人と、ツカサを疎む人が同居している。どちらも嘘をついているわけではない。どちらも、自分が見たい世界を見ているだけだ。


 テンプレに沿った救済は、見たい世界を壊さない。だから受け入れられる。


 テンプレを壊す救済は、見たい世界ごと壊す。だから疎まれる。


 それでも、壊す。


 見たい世界の裏で、誰かの人生が燃料にされているなら——見たくない現実のほうを、先に救う。


 ツカサは靴を履き直した。右足の踵が、いつもの鈍さで応えた。


「出発は」


「荷物をまとめたら。半刻で済むわ」


「了解」


 古い茶館を出るとき、振り返った。


 漆喰の剥がれた壁、低い天井、窓から差す朝日。ここで同盟を結び、ここでテンプレ因子を定義し、ここで迷宮のデータを整理した。


 次に来るときは、もう少しマシなデータを持って帰れるといい。


 街道は北西へ続いている。


 フォルテスまで、馬車で二日。


 ——ツカサたちに馬車はない。


「歩きだな」


「三日か四日ね。私の脚だと」


「急ぐぞ」


「分かってるわ」


 領都の裏門を抜けて、二人は北西の街道に出た。午前の光が道を白く照らしている。


 背後に、領都ラングフォートの屋根が遠ざかる。


 市場の喧騒も、酒場の陰口も、干し杏の甘さも——全部が混ざったまま、後ろに残った。

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