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ミッシング・リンク(2)

 翌日の午後二時、比良坂市某所で零士はもくもくと食器を洗っていた。その店の名前は比良坂屋、創業八十年の老舗である。そのためチェーンより食事をするには少し高くつくが、それ以上に味は素晴らしい。

 この店でバイトを始めたのは小夜の勧めで、店主一家以外にはバイトが一人しかいないという事で零士は諸手を上げて歓迎された。慣れない内も丁寧に教えて貰い、今では一通りそつなくこなせるようになった。時給も他のバイトと比べて低くはないだろう。もっと時給の良いバイトがあったとして、時給で良し悪しを決める事に意味は無いと零士は思う。

 何よりこの店の人と、この店に訪れる客の雰囲気が零士は好きだった。

「――碑文谷先輩」

 零士は客席から厨房に入ってきた少女の名前を呼ぶ。

 碑文谷桃子ヒモンヤトウコは、零士より先にこの店でバイトしていた先輩であり、同じ学校に通う先輩でもあった。何でも地元ではかなりの名家らしいが、自立のためという理由でここでバイトをしている。週四日働いている零士とすべて被っているので、同じかそれ以上は働いている事になる。それでいて彼女は学年トップの成績を誇るのだから大したものだ。

 この店の人は皆木の良い人たちだが、全員零士とは一回り以上も歳が違う。そのため休憩時間には桃子と世間話をするのが恒例になっていた。

「何かな灰村君?」

 彼女はセミロングの髪を掻き上げながら答える。ふわりと髪が待って首筋が覗く。その首筋に少しだけドキリとして、零士の心臓が脈打つ。

「あ、えと……最近何かと物騒ですよね?」

「連続殺人事件の事かな?」

 特に何も考えず話しかけただけに、ふと相手の姿を見て頭の中が白くなる。とっさに思いついた話題を振ってしまって、不味かったかなと思う。

「はい……そうです」

「灰村君は火事が起きたら現場に行くタイプ?」

「いや、火が消えるのを待つかな。その後見ていた人から話を聞くと思います」

 好奇心はあるが、野次馬根性は行けない事はわかっている。

「そう、賢明ね。じゃあこういう話をするのは辞めた方が良いわよ」

「火事は近付いて来ないけど、殺人犯は向こうから近づいてくるかもしれない。せめて、どんな奴か知ってれば逃げれるかもしれないですよね? 碑文谷先輩は何でも知ってそうだから聞いてみただけです」

 殺人鬼が居たとして、自分が相手の凶器の届くだ場所に居なければ殺される事は無い。殺人鬼に対しての勝利とは、倒す事では無く殺されない事だ。殺されさえしなければ、後は警察が捕まえてくれる。

「幸せは歩いて来ない、だけど不幸は歩いてくる。認めたくないけどその通りね……。でも灰村君、普通は自分が殺されるかもなんて考えない物だと思うけど」

「心配性なんですよ、杞憂なくらいね……」

 洗い終わった食器から軽く水気を拭いて、重ねながら零士は答える。食器を積み重ねる時のカシャンという音は、積み重なるほどに高くなり心地良い。

「そう、まあ良いわ。私が知ってる事――といっても噂話の混じった信憑性に欠ける話だけ良いかしら?」

「ええ勿論、どんな小さな事でも知らないよりはマシですから」

「――ふーん、別に止めはしないけど知る事は良い事ばかりじゃないのよ? 知ったら最後こんな風にズドンとやられるかも」

 桃子は手で銃の形を作って撃つ真似をする。口封じに殺されるという事だろうか。

「まさか――」

 まさかこの日本で、そんなマフィアみたいな事が起こるはずない。そう言いかけて零士は口を噤む。今は「普通」などではない、こんな映画にでもなりそうな事件が起きている。そして昨日の夜、零士が遭遇した二人。どれも「普通」などではない。

「どうする?」

「聞きますよ、もし危険なら先輩も危ないってことですよね?」

 零士ははっきりと答える。零士にとって桃子も大事な先輩であり、友人の一人なのだ。危険だとしたら放っておけない。その返答を聞いて、桃子は少しだけ長く考えてから言葉を切り出した。その長さは零士が深呼吸を一回終えるのと同じぐらいだったように思う。

「――――やっぱり、灰村君は変わってるのね?」

「そうですか?」

「他人と違う部分を自覚していたら、それはねじ曲がってるっていうのよ。だからこそ灰村君は『変わってる』なの。嫌味じゃなくてそういう所うらましいわ」

 不思議そうに首を傾げる零士に、桃子は微笑みながら答える。それから三時までの午後休憩の間は客の来ない客席を指さして、「座って話しましょう」と言った。

「じゃあ、まずは大体の流れから話そうか。被害者は四人で事件は七月二十日から今日二十八日まで継続発生中。ペースはだんだん早くなっていってるわね。それでこの事件の最初の被害者だけど――」

 そこまで言いかけて、桃子は少し言葉を詰まらせる。

「――大庭香代、比良坂高校の二年で弓道部ね。生徒会にも入ってるから私の直属の後輩に当たるってことになるかしら」

 いたって淡々とした口調で桃子は言った。毛筋も感情を見せないそんな声だった。

「当たるって事になるって……それだけですか?」

「それだけって?」

「だって……親しい人が殺されて、なんでそんな!」

 グッと乗り出して零士は言う。親しい知人が被害者だというのに、冷めた金属の様に冷ややかな桃子に憤りを感じずにはいられなかったからだ。しかしそれは単に零士の思い違いだという事に気付く。

 ――グラスを持つ手が震えていた。

 ――艶のある唇も、肩も震えていた。

「……悲しんでは、いられないのよ」

 何も感じてないはずがない。そんな冷血人間でない事はもう、零士自身が一年になる付き合いでわかっていた筈だ。少なくとも桃子は彼女なりに、出来る範囲で事件について知ろうとしていたのだろう。

「すみません……碑文谷先輩」

 自分の無神経さに気付き、爪が立つほど拳を強く握った。

「……気にしないで良いわ。――説明を続けるわよ、二人目の被害者は一之瀬俊治イチノセトシハル、帰宅途中のサラリーマン。《本町》の駅から離れた路地で発見されたわ。三人目は木場正宗キバマサムネ、部活帰りの高校一年ね。《旧本町》側の河川敷、ちょうど橋の下で見つかったわ。最後に四人目は奧村泰子オクムラヤスコ、買い物帰りの主婦。今度は《旧本町》の路地で見つかった。ようするに――」

「北上しているって事ですか?」

 一人目は新聞の通り駅前、二人目は《本町》、三人目は川を跨ぐ錦桜橋の下、四人目は《旧本町》。四つの点を線で結べば北上しているのがわかる。つまりは次は《丘》に来る可能性が高いという事だ。それを知って背筋をぞくりと悪寒が走る。

 一番信じたくない線が濃厚になったのだから。

「理解が早いと助かるわ、勿論これくらいは警察も気付いてるでしょうけど」

「じゃあ――」

「――でも、多分捕まえられないでしょうね」

 零士の言葉の先はボキリと、桃子にあっさりへし折られた。

「どうしてですか!?」

「灰村君、街で流行ってる噂知ってるかな?」

 神妙な面持ちで桃子は言う。その表情に零士はごくりと息を飲んでから、ゆっくりとその口を開いた。

「噂って吸血鬼が出るとか言う話ですよね……その噂がなんで今――」

 急に降って湧いた怪談話に首を傾げかけた時、零士にパッと電流が走る。吸血鬼と殺人鬼が同時に町に現れたなんて、そんな都合の良い事があるだろうか。

「もしかして、殺人鬼と吸血鬼が!」

「そう、同一人物なのかもしれないって考えたんだけど、どうかしら?」

 ケロッとした表情で桃子は答える。正直、彼女がオカルトの類を信じるとは思っていただけに零士は面をくらった。

「そんな事――」

「――あるわけないかしら?」

 またも言葉の先を読んだように、桃子が続きを口にする。

「だって吸血鬼ですよ、バンパイア。そんなの居るわけないじゃないですか」

「私だって吸血鬼が居るとは思ってないわよ。ただ他の人間より図抜けて身体能力が高い化け物みたいな人間なら居るかもしれないって思っただけ。私も結構読んだりするのよ漫画。ジャンプとか、ガンガンとか、マガジンとか。それから――ビックコミックとか」

 零士は一年付き合ってきて、これまでになく桃子に対して親近感を感じた。分厚い辞書か洋書の類を読んでいそうなイメージがあっただけに、その手の娯楽本を読んでいるというのは意外だった。

 今度は鳩が豆鉄砲くらったみたいに呆然と、零士は桃子を眺めていた。

「何……似合わないかしら?」

「い、いやそんな事は! な、なんていうか碑文谷先輩はそういう物は読まないイメージがあるんで驚いたというかなんというか……」

 少しだけ困ったような表情になった桃子に、零士はどもりながら慌てて返事を返した。勉学に生徒会、バイトに娯楽まで、いったいどう時間を使えば全て網羅できるのだろう。零士にはそれが不思議でならない。

「私だって息抜きくらいするわよ……。まあ良いわ、吸血鬼についての噂を大雑把にまとめて話すわね。噂が立ったのは先月末くらいかしら。噂だと長身の男で、コートと帽子を着込んでいるらしいわ。人を襲っている所を目撃した人物が居るらしいけど、見られた事に気付くと凄まじい跳躍力で建物の屋根伝いに逃げて行ったそうね。聞いたほとんどの人が共通して話した部分はこれだけ、後はみんな口々に違う事を言ってたわ」

「それだけ聞いてると殆ど化け物と変わらないような気がしますね……狙われたら逃げられる気がまったくしないです」

 屋根の上を軽々と飛び回る大男、それは「みたい」じゃなくて「化け物」だ。それだけの脚力ならナイフで刺殺どころか、蹴られただけで致命傷間違いなしだろう。

「逃げる――とはちょっと違うかもしれないけど対策なら簡単よ?」

「え、どうやってですか?」

「犯人は一貫して、夜中に一人で歩いている人間を襲っているわ。だから夜中は出歩かないだけで、数倍は安全になるんじゃないかしら?」

「でもそれだと……」

 実際のところは殺人鬼は捕まらないし、解決したわけでは無い。犯人が路上だけの殺人に留まるかはわからない。銃で止められるかどうかというレベルの相手だ、今後さらにエスカレートして行くことも考えられる。

「わかるまでよ。殺人鬼が何者かわかるまでは、後手に回っていくしかないわ……」

「その間にも……」

「どうしようもないのに殺人鬼の前うろつくなんて、勇気があるというより馬鹿だとは思わないかしら灰村君?」

 零士は桃子に諭すように言われたおかげで頭を冷やす。

 零士が殺されに行って、被害者が居なくなる保証なんてない。犯人が捕まる事でしか解決はあり得ないのだ。知れば知るほど日常から離れていく現実に、安っぽいヒロイズムを抱いてしまっていたようだ。灰村零士は一般人、ヒーローでは無い。

「…………」

 自分の大きさを理解した上で、出来る事をきちんと考える事しかできない。今、零士に出来るのはたった一人の家族と、手の届く距離に居る知り合いを守る事だけだ。

「あとは――ゆっくり冷静に考えましょう? もうすぐ休憩が終わるから、まずはバイトの事からね……」

 そう言って立ち上がると、桃子は厨房の奥へ消えていった。奥で休んでいた店主の下見さん一家も戻ってくる。まだ聞きたい事はいくらでもあったが、零士は気を入れ直してバイトに集中しようと立ち上がる。


 それから四時間ほどした頃、零士はぼうっとしたままに仕事上がりの許可を貰った。時刻は七時、夏とはいえ暗くなる時間帯だ。

 店名の入れられた前掛けを畳み、零士は「ふう」と息をつく。気持ちを切り替えようとしたが、それは無理そうだった。バイト中も、桃子から聞いた話が頭から離れなかった。零士の脳内では今もコートを着込んだ殺人鬼が居る。

「灰村君、お疲れさま」

 零士が声にハッとして振り向くと帰り支度を済ませた桃子が居た。落ち着きのある色のワンピースを身に纏いこちらの帰り支度が済むのを待っているようだった。

「お疲れ様です、碑文谷先輩」

 待たせるまいと慌てて支度を済ませ駆け寄る。

「一緒に帰りましょうか」

「え、はい……もう暗いですし送ってきます」

「それだけかしら?」

 桃子の問いに対して、零士はキョトンとした目で見つめる。

「それだけ……というと?」

「これでも学校の男子なら、話しかけただけで感激してたわよ?」

 そこまで言われて零士は慌てる。

「え、えとその! 光栄です?」

 零士が疑問形で答えると、桃子は笑い出した。

「なんで疑問形なのよ。ふふふ、まあ良いわ灰村君がそういうガラじゃないのはここ一年でわかってるしね。殺人鬼でも出ない内に速いとこ帰りましょう」

 酷く失礼な事を言われた気がするが、いつになく笑っている桃子を見ているとこちらまで嬉しくなって来る。普段からあまり笑わない人なので、こんな風に声を出して笑う姿は初めて見たかもしれない。

 その後徒歩にして十五分くらいの距離を、ゆっくりと時間をかけて歩いた。その間はお互い無言のままだった。通り過ぎる車の音、水田への用水路のせせらぎ、蝉の声。それでも空白を埋めきれず沈黙が流れた。

 話す事が無かった訳では無い。もし今話をしたなら、きっと殺人鬼の話題になってしまう事がわかっていたから、楽しい気分を台無しにしたくなくて黙っていたのだろう。

 でもそんな時間にも終わりが来た。零士と桃子は国道沿いの一際大きな邸宅の前で足を止めた。立派な作りの門の入り口には碑文谷という大きな表札がかけられている。恐らく庭だけで零士の家が四つは立つ広さはある。

「じゃあ、送ってくれてありがとう。また会いましょう」

「いいえ、帰り道ですから。えっと……戸締り、気をつけてくださいね?」

 軽いお辞儀をする桃子に、零士は滅相もないと手を顔の前で振った。それから取り付けられた監視カメラを見て、大丈夫だとは思いつつ注意を促した。

「…………?」

 零士の言葉に不思議そうに首を傾げる桃子。

「碑文谷先輩も俺の大事な人の一人ですから」

「ふふふ、やっぱり灰村君は変わってるわね。私なら大丈夫、それより灰村君も気をつけて帰ってね寄り道しちゃだめよ?」

 門の中へと入っていきながら、桃子は背中越しに言った。その様子を見て一つだけ不安の種を下しながら零士は帰路へ着く。

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