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ミッシング・リンク

 ――灰村家の食卓。

 いつもなら午後八時頃に夕食は済ませるが、今日は際立って遅かった。

「――で、美少女に鍵を拾ってもらってお礼してたらこの時間と?」

 粛々と背筋を伸ばし目を瞑った零士と、取り調べをする刑事のように前のめりになって食いかかる女性。彼女の名前は虹村小夜、先程の電話で零士に罵声を浴びせた人物である。零士は教師の説教が終わるのを待つ小学生の様に肯定だけを繰り返す。

 ――バンッ!

 小夜が木製のテーブルを手のひらで叩いた。テーブルの上に並べられた食器類が、ガシャンという音を立てて数ミリほど宙に浮いたように見えた。ますます取り調べみたいだなと零士は思った。皮肉な事に今晩の夕食はサックリと揚がったヒレカツを乗せた比良坂名物のソースかつ丼である。

 カツ丼と言えば零士が小夜に聞いた話では、取り調べ中のカツ丼は自分で払うらしい。何でも何かを与えて証言させた場合、その証言は法廷では無効になるからだとか。同じ理由でタバコなども与えないという。刑事ドラマなどを良く見るだけに零士は酷くその事実に衝撃を受けた(そもそも小夜が取り調べの経験があるという事実にも)。

「そんな理屈が通じるかってんだよ!」

 小夜は零士の襟首を掴み、ぐわんぐわんと前後に揺らす。小夜の逆鱗に触れるのも、もう慣れたものだ。怒らせてしまったら対応策は一つ、冷めるまで耐え続けるに限る。激流に逆らおうとするから被害が増える。そうではない、激流には身を任せる物だ。

 ――激流を制するは静水、命は投げ捨てるものでは無い。

 激流に身を任せ同化することで、怒りを制するのだ。下手にどうこうしようとすれば、小夜の性格を考えると、火に油どころかニトログリセリン注ぐことになりかねない。

 そう何事も穏便に平和的に解決するべきだ。穏便に、穏便に。

「まったく――買い物一つまともに出来ないのか?」

 穏便に、穏便に――零士が五度ほどそう唱えた後、小夜の言葉が彼の中にある線のようなものに触れた。それは導火線だったかもしれない。

「……そもそも、小夜姉が車出してくんないから時間かかったんだろ?」

 零士は最後まで口答えはしないつもりだったが、流石に小夜の横柄な物言いに我慢できなくなって言い返した。それでも小声になってしまうあたり情けないと思う。

「安息日なんだよ私は、それに今日の家事当番はレイジだろうが」

 小夜はこんな性格だが、自分で決めたルールに対しては絶対に曲げる事が無い。

 効率から考えれば融通聞かせた方が良いのだが、彼女はそれを決してしない。彼女の信条からすれば、決めたことは自分であっても破れば悪である。零士から見れば強迫観念に駆られているようにも見える。何にせよ生きにくい生き方だと思う。

「安息日って良く言うよ……」

 安息日と言っても日曜ではない。そもそも小夜は無宗教だ。その考え方はある意味、自分の信仰に従ってるようにも思えるが。安息日と言うのは小夜が自ら決めた週に一度の日で、この日は一切働かない。どの程度のレベルかと言えば食事とトイレ風呂以外は動こうとすらしない始末だ。

 零士が「それで仕事に不都合が出ないのか」と聞いた事があるが、その答えは「不都合くらい計算して備えるものだ」との事らしい。

 まったく動かないその様子はまるで神話のベヘモットのようですらある。零士から見れば世界の終りまでそうしてるのではないかと思うくらいだ。小夜の事だからきっと、てこでも動かないだろう。恐ろしくてそんな事試そうと思わないが、そう確信させた。

「レイジも教会か寺にでも入ったらどうだ? 少なくともその簡単に嘘を吐く口くらいは治してくれると思うぞ? ――まあ、そのコサインカーブくらい曲がった性根は治しようが無いだろうけどな。はんっ」

 それが保護者兼、教師兼、義姉の言う事か。

「だから、嘘じゃないって」

 零士は「はぁ」とため息をついて、カツを口に運ぶ。サクッという音を立てて、肉の旨味とソースの風味が口に広がる。我ながら職人技だと自賛したい。絶妙な揚げ具合とソースの漬け時間、才能が為せる技である。

 まず、衣のつなぎに秘密がある。パン粉の前にくぐらせるバッター液と呼ばれる物だが、これに少量の油を加える。そして揚げるコツだが、二度揚げが最も大事だ。一分揚げ一分待ち、再び一分揚げる。その後は余熱を通し、ソースに漬ける。ソースに漬ける時は釣りで食いつきを確かめるように、二度手を上下させサッと引く。漬け過ぎても、浅すぎてもいけない。

 以上が灰村家秘伝のレシピである。これを熱々の白米を盛った丼に乗せれば、食欲は野に放たれた獣のごとしである。

「その話のどこが嘘じゃなくて、何を嘘と言えば良いんだよレイジ」

「……ん、路上でアイス一緒に食べた。その証拠に二本減ってるだろ」

 小夜の問いに対して、零士は口の中に残ったのを租借して答える。遅くなったことは事実だし悪いと思っているが、理由は断じて嘘ではない。

「ふふふ、素直に言えば私も怒らないぞ。一人で二本も食べたのを怒られると思ったんだろうレイジ。他のも時間が経ってドロドロに溶けてたしな?」

「俺は食いしん坊か! そして何より子供か!」

 いくら暑くてもそんな嘘つくか。それに大体、つくならもっとマシな嘘ぐらい思いつく。そんぐらいの脳味噌なら零士の中にもある。

「じゃあなんで嘘ついたんだ、蟻の行列追いかけてたら知らない街にでも着いたのか?」

「だから子供か!」

「子供だ。嘘でないと言うならその白髪で赤い目の美少女を連れてこい。そうしたら信じてやっても良い。それどころか、疑って悪かったと頭を下げてやるよ」

 余裕たっぷりの笑みを浮かべて、条件を提示する小夜。零士はぐぬぬと唇を噛み、ぐっと堪える。連れて来いと言われてはどうしようも無い。そもそもどこに行ったか解らないし、一度会っただけの相手に「誤解を解くから来てほしい」などと言うのか。そんな事をしようものなら、彼女にまで誤解されかねない。

「うぐぅ……できないとわかって」

「万が一にも億が一にも、可能性と言う単語を潰すのが策と言うものだよ」

 たかが寄り道したかどうかの真意のために、策なんて言いだされても困る。そんな事を言えば小夜は「獅子は兎を狩るにも――」なんて言いだしそうだと、零士は半ば確信を持って、うんうんと頷く。

「本当に居たんだよ……」

 ふと零士はあの少女の事を思い出した。アルムと名乗った白髪赤目の美少女、小夜との賭けがどうこうではなく、純粋に彼女と会って、もう一度ゆっくり話が出来たら良いなと、ほんの少しだけ思った。

 ――せめて、

 せめて彼女が誰なのかくらいは、さっさと聞いてしまえば良かったかもしれない。どこから来たのか、どのくらい比良坂に居るつもりなのか。そして、滞在中どこに住んでいるのかぐらい聞いていれば、どうにでもなった気がする。

 居場所がわかっていたとして、零士に訪ねる度胸があったかと言えば疑問だが。

 それでも、あれでおしまいという事にはならないで済むかも知れなかった。こんな街で少しだけ変化を感じられるチャンスだったかもしれない、と考えたら零士は少しだけ気が重くなった。

 ――じわり、とカツに染み込んだソースが虚しく広がった。

 郷土史の資料数ページでわかってしまいそうなこの街で、滅多に見る事が出来ない変化だと思ったのだ。それに何より零士の脳裏にはハッキリと、あの表情豊かとはお世辞に言えない少女の笑った顔が焼き付いている。

 ――サクッ、と続けて音がする。小夜がカツを噛んだ音だ。

 その表情も零士とは対照的で淀みの無いものだった。

「しかし、零士の料理の腕前は大した物だよ。本人は散々嘘つくが、料理の味だけは嘘をつかないって事か? 褒美に星を三つやる」

「上手い事言ったつもりかよ……ま、素直に賛辞だと思って受け取るよ……」

 零士はここ数年で自分で解るほど料理が上達した。週四日の家事当番で作るのもあるが、バイト先で包丁を握る機会が多かったからだろう。今日のカツの揚げ方もバイト先で教えて貰った物だ。

 箸を止めていた零士の視界に、ふと新聞の紙面の一文が目に入る。

 ――比良坂市連続猟奇殺人事件。

 関東北部の街、比良坂で起きた連続猟奇殺人事件。始めの事件は七月二十日、零士が夏休みに入った日に起きた。被害者は零士と同じ高校に通う女子生徒だった。名前は大庭香代、二年の弓道部員。直接接点は無かったが、部活では中々の成績を残していたはずだ。

 その彼女がまず駅前の路地で、二十一日の明朝に死体となって発見された。現場の様子は凄惨で、まともな神経を持ってれば目を覆いたくなるような物だったという。顔こそ被害者のものだと解ったが、身体は滅多刺しにされていたらしい。現場には彼女の血液で謎の記号が描かれていて、警察は猟奇犯の犯行とみなし捜査を行っている。

 他にも二十四日、二十六日と事件間隔は狭くなっていき、今日二十八日までに四人の死傷者を出している。犯人が捕まらなければ今後も被害は増えていくだろう。そうなってくると、おちおち安心して外出も出来なくなって来る。折角の夏休みの開放感が台無しだと、零士は尚気を重くした。

「こら、食事中に新聞読む奴があるか」

 零士が紙面を凝視していると、小夜が新聞を掴んでポイと投げた。

 小夜はマナーに人一倍うるさい。保護者としての責任感か、それとも教師としての決まりを順守する精神か。恐らくどちらでもない、単に小夜自身の拘りだろう。

「なあ、小夜姉大丈夫かな」

「何がだ?」

 小夜の返答に対して、零士は床に転がった新聞を指す。こんな形で全国紙に比良坂の名前が載る事になると誰が予想できただろうか。

「いや何でもない……」

「怖いか?」

 俯き目をそらす零士と、彼を優しく見つめる小夜。

「いや――怖くない」

 零士は嘘をついた。彼も本当は死ぬほど怖い。治安の良さだけが取り柄だったこの街で、こんな事件を起こした者が居る事が怖い。零士は知らない人間が殺された事に、心から憤ったり悲しんだりできるわけでは無い。しかし、もしその矛先が家族や友人に向いたりしたらと思うとゾッとしない。

 零士が黙り込むと、小夜はわずかにほほ笑んでから「ふう」と息をついた。

「――レイジ、殺人鬼如きが私に敵うと思うのか?」

「いいや、でも……」

 小夜なら悪漢の類を難なく返り討ちにするのが予想できる。無論それは殺人鬼相手でも同じかもしれない、しかしこの事件の殺人鬼は底知れない恐ろしさがある。これだけ警戒が強まってる中で、犯行を控えるどころか間隔を減らしていっている。それでいて警察は尻尾すら掴めていない。

「大丈夫だ、直ぐに捕まる。少なくとも私の家族の命くらいは保証してみせるよ」

「……小夜姉」

「まあその為にも――」

 小夜は言葉を途中で息をため込むように止めて、そっと天井を指さした。零士は何事かと思って上を見る。しかし天井に変わったところは無く、環状の蛍光灯が白く輝いているだけだった。零士は首を傾げて凝視するが何も見えては来ない。

 小夜に尋ねようとした所で、サクッという音が聞こえてきた。ふと視線を慌てて下方に戻せば、一枚カツの減った零士の丼と満足そうに咀嚼する小夜の姿があった。

「小夜姉、騙したなぁ!」

「ふふふ、騙される方が悪いんだ」

 悪戯っぽく笑う小夜の表情は綺麗で、零士はぐっと怒りを飲み込んだ。きっと不安を和らげてくれようとしたのだろう。

 ――賑やかな灰村家の食卓はいつも通りである。

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