ミッシング・リンク(3)
昨日と同じ道、零士は再びゲルニカの公園の前に差し掛かっていた。時刻は昨日よりも少しだけ早かった。ふと思う所があり、視線を公園の方へ向ける。やはりというか、当然だが誰も居なかった。
「まあ……居ないか」
零士は少しだけ、ほんの少しだけ彼女の影を探していた。
「――何を探してるの?」
「……!?」
突然左側面から聞こえてきた声に、零士はビクリと肩を震わせた。身体を徐々に動かせばそこには昨日の少女の姿がある。
「……もう少し普通に声かけられないか?」
「ふつう?」
どうやら少女は日本語はわかっても、普通はわからないらしい。首を少し傾げた後、零士に向けてゆっくりと歩み寄ってきた。
――ズリリ、ズリリ。
アルムが歩くたびに硬い物を引きずるような音がする。ふと見れば小さめな棺桶のような黒色の楽器ケースを身体から帯でだらんと吊るしていて、それが地面に擦れて音を立てていたようだった。零士の記憶が正しければ昨日は無かったものだ。
「……それは?」
零士は黒ケースを指さして、アルムに恐る恐る尋ねる。
指の先を追うようにアルムは視線をずらした後、しまったという表情をしてから慌ててケースを服に隠そうとする。しかしケースは横幅からして彼女よりあるので、どうやっても隠しようが無い。
「……隠せてないけど?」
「……へんたい」
とばっちりで変態呼ばわりされた。
そもそもそんな目立つ物を、見るなという方が無理があると零士は思う。そんな無茶な物言いも、もう一度アルムに会う事ができた高揚感で気にならなくなっていた。ふと小夜の言葉を思い出してニヤリと笑う。
小夜が頭を下げるところなんて、零士に対してはおろか、まったくと言って良いほど見たことがない。小夜がミスすること自体珍しく、遊びの類ですら一度も勝った覚えは無い。それだけに零士はあの義姉の悔しそうな表情を思い浮かべると、胸の中の物がスッと抜けるような底知れない達成感があった。
「俺は断じて変態じゃない。それより昨日もここで会ったけど、もしかしてアルムはこの辺りに住んでるのか?」
《丘》に誰か引っ越してきたという話は聞かないが、この付近のどこかに越してきたのかもしれない。しかしそんな零士の予想に対してアルムは首を傾げる。
「……住んでる?」
どうやら違うらしい。という事は旅行でこの辺に来ているのだろうか。この日本の僻地の比良坂に旅行なんて、すごい物好きなのだなと零士は思う。比良坂で誇れる物なんて、ソースかつ丼と焼きまんじゅう、あとはお切り込みとコロリンシュウマイくらいしか無い。
「えーと、何か用があって比良坂に来たの」
「……うん――」
アルムはこくりと頷いてから口を開いた。
「――人を探してるの」
零士がアルムと出会ってから、初めてこんなにはっきりした声を聴いた。どこかぼんやりとした声では無く、はっきりとした意思の籠った声だった。
「人って、どんな?」
「私とは正反対の人……大事な人」
月に思いを浮かべるようにアルムは呟く。その時の彼女は空気に溶け込みそうな透明感があった。零士はどうしてかそんなアルムに話しかける事が出来なかった。そうして暫くの間沈黙が流れる。
「…………」
「…………」
始めに切り出したのは零士だった。
「……き、昨日の鎧着た奴は居ないのな」
声が上擦っていたし苦し紛れの内容だったけど、会話のきっかけとしては充分だった。
「……ティアベル?」
「へえ、ティアベルっていうのかアイツ」
「そう……ティアベルベットっていうの」
昨日の鎧騎士の事を話すアルムは少し嬉しそうで、二人の信頼関係を伺わせた。昨日の会話を見る限り主従関係にある事は間違いないだろう。名前と格好からして外国の名家のお嬢様なのだろうかと、零士はふと想像した。
しかし、未だに鎧を着込んだ騎士というのもおかしい。まさか飛行機にあの格好で乗り込んだという事は無いだろう……無いよな。
「で、今はどうしてるんだ?」
「……わからない」
「わかんないって、そんな……」
「でも、すぐに来るわ」
何処に居るかわからないのに、そんな事わかるのか。
「…………」
「…………」
また沈黙が流れる。思えば辺りもすっかり暗くなって、聞こえるのは蝉の声だけ。そしてその隙間を合間縫って、僅かな二人の呼吸音がある。
「何か飲み物買って来るよ」
零士は切り出した。それはアルムの事を気遣ったというより、自分の喉が異常に乾いて尚且つこの空気に耐えられなかったからだ。思えばアルムのような無口な人間は、零士の周りにはあまり居ない。普段なら黙ってても相手から話し始めるので、自分から話を振るという事をしていなかったからかもしれない。
路上に転がる細かい砂利を靴裏で転がしながら、公園から少し離れた位置にある自販機まで零士は歩く。
赤く塗装されたロゴ入りの自販機に小銭を入れて、ろくに見ずボタンを押して同じ飲み物を二本買った。釣銭を財布に入れてから、赤い外装の缶を腕で抱え込んだ。
待っているアルムの元に急いで戻ろうとした時だった。
零士は虫が這うような悪寒を感じて振り向く。カツリ、カツリと足音が響かせながら、夜闇の中からスッとその男は現れた。零士より一回りほど背は高く、体格も相まって威圧感を感じるほどだ。そして何よりもだ――その男は赤いコートを身に纏い、同じ色の帽子を目深に被っている。
「――ッ!?」
直感的に危険を感じて後ろに跳ぶ。抱えていた缶が宙に放り出され、男が動き出すまでの時間を数えて一秒。男が弾丸のように零士に向い距離を詰めるまでの時間を数えて二秒。コートの懐から何かを取り出すまで三秒。
零士と男の距離は目測一メートル半と言ったところだろうか。
銀光が一閃、二閃。零士の瞬きよりも早くきらめく。そこから遅れて一秒、どちらの缶も二つに両断され中身が炭酸と共に吹きだす。地面へとボタボタと音を立てて落ち、大きな染みを作った。
――そんなバカな!
あり得る筈がないと零士は心の中で叫ぶ。空中に浮かぶ中身入りのアルミ缶を、綺麗に真っ二つにするなんて正気じゃない。弾き飛ばしたわけでもなく、やらかいアルミ缶をへこませることなく切るなんて、それこそ高水圧カッターか何かを用意しなくては無理だ。
再び地面を踏んだ零士は逃げる事なく、その場にへたり込んだ。コイツは、この殺人鬼は間違いなく化け物だ。零士を見下ろす男の口角が上がった。
「俺の名は赤帽子じゃあなクソガキ」
――切られる。
目を閉じて、直感的に襲い来るであろう痛みを覚悟した。男の腕が風を切る音と、刃物が迫る感覚。しかし数秒後耳に届いたのは、金属の打ち合う音だった
零士は目を開く、赤帽子との間にはアルムが居た。見れば彼女の手には剣が握られている。その刀身は黒く、刃渡りは八十センチほどの直剣である。柄には細かい装飾が施されていて、中心には暗い蒼色の宝石が嵌められている。
まずアルムがそんな物を持っていたことに驚き、次に彼女が赤帽子の振り下ろした刃を止めている事に驚く。先程は速すぎて零士には見えなかったが、赤帽子の凶器は刀身の長い短剣だった。刃は厚く山鉈というのが正しいかもしれない。
もう一度打ち合う音と共に火花が散り、赤帽子は飛び退いた。
「ふ――――フハハハハハハハハハハ!!」
赤帽子は飛び入ったアルムを見て笑い声をあげる。笑い声と言っても身体にビリビリと震えが伝わる獣の咆哮のような声だ。
「レイジ、腕見せて」
アルムは視線は男に向けたまま、腕を差し出すように零士に言った。
零士はアルムに言われた通り、袖を自分で捲ってから驚愕した。右腕の甲側にはっきりと赤い痣のような物が浮き出ているのだ。触ってみても痛みは無く、いつも通りの肌の感触だけがあった。
「アルムこれは?」
「……鍵」
ぽつりとアルムは呟き跳びあがる。それから右腕に持った剣で男に切りかかった。早さはあの赤帽子と同等かそれ以上だろう。
「居るとは思ったが女とはな!」
赤帽子は零士を見た時よりも獰猛な笑みを浮かべ、右腕に持った山鉈でアルムの剣撃を流す。それから間髪開けずに左腕で懐からもう一本の山鉈を抜いて切りつける。
アルムはそれを飛び退いて回避、右手の剣を左手に持ち替え構えを逆に変える。すると武器を離した右手が蒼白く発光する。光は細く手の先に伸びていき剣を象っていき、アルムが払うように振るうと黒剣と対になる白い剣が姿を現す。
「ナーゲルリング」
アルムは呟き、再び地面を蹴り真っ直ぐ飛び出す。
「良いなあそれ……最高だ! 面白いなあハハハハ!」
アルムの剣が二閃、三閃ときらめくたび、赤帽子の山鉈も同じように打ち返す。刃と刃はぶつかり合い、無数の金属音と火花を散らす。剣なんて振った事も握った事もない零士には、詳しい事はわからないが、傍目で見る限りはアルムが攻勢の様に見えた。
「……チィッ!」
赤帽子は徐々に姿勢を崩し、舌打ちと共に大きく山鉈を振った。アルムはその鉈に刃を当て向きだけを変え、隙のできたところに横なぎの一閃をする。腕を弾かれて姿勢を崩した赤帽子は受ける事が出来ずに切りつけられる。
「……やったか!?」
零士は思わず口にしてから浅はかだと気付く。
踏み込みが浅かったのか、赤帽子が異様に頑丈なのか解らない。山鉈を地面に突き刺すようにして赤帽子は立ち上がった。その表情には先程までの笑みは無く、怒りに燃える獣のような表情が浮かんでいる。
「この程度でやられるわけがねえだろうがッ!」
赤帽子は吠えると山鉈をアルムに向けて一閃する。アルムは身軽に飛んで躱し、伺うように距離をとった。優勢だったにも関わらず退いたのは、赤帽子の変わり具合を警戒しての事だろう。
だが、赤帽子はそれを好機と見て攻めに転じる。だがアルムも既に迎撃態勢に入っているため再び打ち合いに転ずる筈だ。一秒、二秒刻んで金属が再びぶつかり合う。
しかし続けて聞こえてきたのは剣撃の音では無く、ガシャンという弾かれた剣が地面に落ちた虚しい音だった。先程まで赤帽子を押していたアルムは今はその場に倒れ込み、その表情を苦痛に染めている。
「――アルムッ!」
零士は叫んだ。自分では赤帽子をどうすることも出来ない事実に無力感を感じて、奥歯をすり潰すように強く噛んで、様子を眺める事しかできなかった。
「……なんだ萎えるじゃねえか」
赤帽子は冷たくアルムに一瞥くれると山鉈を振り上げる。
「冴えない幕切れだぜまったく」
アルムに迫る山鉈、零士の心臓は張り裂けそうなほどに高鳴る




