【16:料理勝負と書いてアワセカガミと読む】
火が燃える音。
金属が熱せられ、その熱を油に移しながら受け入れる相手を欲している。
調理器具はピカピカに磨き上げられていて、包丁の刃紋に曇り一つない。
そこに映る自分の顔は、自信と希望にあふれていた。
「よし……あとは優勝するだけだ」
今回のレシピには自信があった。
カンザシスミレウオの天ぷらだ。
この素材は通常食用にされることはない。
香りは、甘やかな花の香りにたとえられるような非常によいものなのだが、骨も身も皮も固すぎ、とても人間の歯で処理できないのだ。
それを、超高温かつ一定の温度で揚げ続け、一瞬だけ色が紫色に変わるその瞬間を逃さず取ることで、芳醇な香りと閉じ込められた旨味が花開く。
自分の故郷に、口伝で伝わる揚げ物だった。
最後に勝つときは、子供の時から食べなれて、誰よりも作りなれたこの料理で勝とうと決めていた。
気合を入れて、舞台に上がろうとしたとき、俺の肩を叩く人間がいた。
「ギルさんですね?……少々、お話が――」
戻らない過去を、幻視する。
自分が握っているのは、錆びついた包丁。
……今、目の前に立つパイジィという少女は、それを突き付けられたまま、どこかで見たような情熱をその瞳に宿していた。
「……料理勝負、ね」
「ええ。私が勝ったら、手を抜いた理由を教えてもらいます。そして、二度と料理で手を抜くことを許しません。」
「ほお……それで?……俺が勝ったらお前は何を差し出す?」
「川スライムを使ったデザートのレシピをさしあげましょう。」
「……てめえ……正気か?川スライムは調理不能だろ」
「私にとっては、違います」
レシピ。
この世界で、レシピは大金で取引される貴重品だ。
貴族の世界において、会談や家同士での交流で出される料理は家格を左右する。
領土で何が取れるか。豊かなのか、窮しているのか。
優秀な人材を確保し、雇い続けられるのか。
たかがスープ一つで、成立しない約定もある。
その中でも、最も重宝されるのが、『一般調理不能』の素材を使ったレシピだ。
知らなければ決して食材に加工できない安価なゴミ素材を食材に変えられるそれは、貴族にとって莫大な利益を生み出す技術資産だ。
だからこそ、各貴族の料理人は必ず1つはそのレシピを持っていることが条件だった。
庶民のつくる家庭料理ならいざ知らず、コンテスト優勝者の持つレシピならその価値は計り知れない。
(……この生意気なガキを潰し、大金が手に入るなら……)
いい加減、料理人ごっこも終わりにする時なのかもしれない。
「……乗った。――だが、二つだけ条件がある。」
ギルはパイジィを見ながら続ける。
「一つ目。『この厨房で』勝負しろ。仕掛けてきたのはお前だ。文句は言わせない。」
この厨房はどう見てもマトモじゃない。
爆発魔法が放たれた後の方が清潔なだけマシだろう。
それでも、パイジィは一瞬も臆することなく頷いた。
「二つ目。お前だけに適用される制限時間を設けさせてもらう。」
「制限時間の決め方は?1秒じゃさすがに困るのよね」
「そうだな……」
ギルは少し考え、ニヤリと笑う。
こういう調子に乗ったガキには、何もかも失ってもらう。
「お前の連れ、もう一人ガキがいるだろ。アイツを呼べ」
パイジィは怪訝な顔をしながらもジョーを呼んだ。
美少年フォームのジョーと、なぜかムーンが姿を現す。
ムーンは嫌そうにしているが、ジョーは無表情で何かを噛み砕いている。
「うお!?きったねえな……んだよパイジィ、飯ができたのか?」
「これからよ。というか、ムーンさんは呼んでないんだけど。」
返事の代わりなのか、ムーンはべっと舌を出してウィンクした。
「よお、男前の少年。お前、この生意気なガキの仲間なんだろ?」
「うん。」
「じゃあ、お前ここで限界までスクワットしろ」
「え……」
「お前がスクワットで限界を迎えるまで。それが料理の制限時間だ」
「……わかった」
「よしよし。精々仲間のために頑張るんだな」
(こんな華奢なガキ、どうせすぐ音を上げるに決まってる。こんな勝負まともにやってられるかよ)
なぜか半笑いのムーンとパイジィが気になるものの、ギルは心の中でせせら笑った。
「条件はわかったわ。勝敗はお互いの作った料理を食べて、互いに点数をつけて決める、でいいよね」
「は、そんなもん俺が0点をつけりゃ俺の勝ちだろ」
正気か?と笑うギルに、パイジィは真顔で答えた。
「そんなことができるような料理を、出すわけないでしょ」
「いちいちムカつくガキだ……それじゃあ、準備はいいか?」
「聞かれるまでもないわ」
パイジィは、磨かれた包丁を抜き放つ。
無言でスクワットの体勢に入るジョーと、一瞬だけ目が合う。
(勝つから)
小さくそうつぶやく。
勝負の幕が、切って落とされた。
「1……2……3……」
ジョーがカウントしつつスクワットを始めるのを聞きながら、
パイジィはまず環境のチェックを始める。
コンロの不安定な火力の調整。ボウッと燃えたかと思えば、次の瞬間にチリチリと弱火になる。
足元はぬるぬるとしており、少しでも油断すれば転倒して料理をひっくり返しかねない。
淀んだ空気は香りを正しく伝えず、水は生臭い。
「……馬鹿が。勝てっこねえよ」
ギルはそんな様子を見ながら腕組みをして座っている。
ジョーのスクワットが終わるのを待ってれば自分の勝ちなのだから、まともに作る必要はないと思っているのだ。
「……」
パイジィは、黙って立ち尽くしている。
その背中が、ギルの古い記憶を再び呼び起こす。
――あの時。
コンテスト決勝で、背中からかけられた声に振り向くと、
そこにはいかにも胡散臭い男がいた。
「単刀直入に申し上げます。このコンテストをご辞退ください」
「……は?」
「おわかりでしょう?あなたのお相手は、あのルギルブルク家専属の料理人……万が一にも泥をかぶるわけにはいかないのですよ」
「ふざけるな……」
ギルは激昂する。
この料理コンテストは、庶民出身の料理人にとって唯一無二と言っていい栄達への切符だ。コンテスト優勝者というだけで仕官先には困らないし、町で料理屋をやるにしても客入りが違う。
「どれだけの料理人がここを目指し、夢を抱いたまま無様に散っていくと思ってる!?」
「ホッホッ。そのような……我々貴族の箔付けに使われるだけ光栄だと思うべきでしょうな。」
「貴様ッ!!」
思わず殴りかかろうとしたギルの手に、何かを握らせてくる男。
それは、金貨だった。
「ふざけるな。こんなもので買収されるとでも――」
「――あなたは、無理でしょうな。しかし、コンテストの整備係はどうでしょう」
「なに……?」
その時。
ボッ……ボッ……
妙な音がする方を見る。
先ほどまで安定していたコンロの火力が急に揺らめき始め――
ゴオッ!!
「うわっ!」
急に燃え上がった炎が、フライパンに引いた油に引火する。
思わずたじろぎ、退いてしまう足。
転倒を防ごうと何かをつかもうとして、誤って油ビンをつかんでしまった。
床に落ちて割れるビン。広がる油。
そのまま転倒し、フライパンの火から逃げた火が落ちて――
「ッ……!」
汗まみれで目を開ける。
いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。
結局助かりはしたものの、あの火ではまともに料理ができるわけもなく。
事情を知らないコンテストの観客に散々罵倒されながら、俺は表舞台から退場した。
「くそ、変なこと思い出しちまった……」
「4021、4022、4023」
「……は?」
耳に入ってきたありえない数字を聞いて、そっちを振り返る。
そこには、あの少年が汗をダラダラと垂らしながら、スクワットを続けていた。
満面の笑みで。
ズルをしている様子は……見えない。
「ちょ、ちょっと待て」
その数字もたいがいだと思うが、それなら、アイツは?
立ち上がって、そちらを見ると――
「ひっ……!」
――そこは、いつか見たような火の海だった。
違うのは、その火が水の入った器で囲われているということと、
その火の海に、立ち続けている料理人がいたこと。
「……!」
その料理人こそ、パイジィだった。
彼女は、安定しない火力を、『火事にする』ことで燃やし続けることに成功したのだ。
燃やす範囲を決め、凄まじい熱気に耐えながら、彼女はなにかを作っている。
腕が小さなやけどに傷つき、その表情は火に焼けているのに、とても楽しそうだ。
「――」
熱気に耐えているのは、彼女だけではない。
熱せられた空気は、急速に水分を奪う。
それがトレーニングのように汗をかくことなら、なおのこと。
「4054、4055、4056」
マッスルフォームではないジョーの肌は既に塩に焦がされ、唇は熱気でひび割れている。
髪の毛はとうに水分を失って、目は充血している。
鼻血すら乾く熱気の中、それでも、彼は数えるのをやめない。
「い、イカレてる……お前ら……!!」
そうつぶやいて、逃げだそうとしたとき。
懐かしい匂いが、した。
思わず振り返る。
「カンザシスミレウオの、香り」
手で顔を覆いながらソレを確認する。
いくら火力が確保できたとしても、所詮あの安定度では一定温度を保つのは不可能なはず。
しかし、パイジィはそれを、微妙なフライパンの傾きで実現していた。
偏った油が、熱くなりすぎるようであれば少し傾け冷えるところと熱くなるところを入れ替える。
まるでどこが今何度なのかその眼で見えているかのように。
まさに、神業だった。
「……」
その時、俺はこの、パイジィという料理人が、あのコンテストで優勝できた理由が理解できた気がした。
八百長が俺の時だけで済んでいるはずがない。
そうだ。
なぜ今まで気づかなかったのか。やつらは取引だけで穏便に済ませるようなタマじゃない。
この人は――その程度の不運など、乗り越えてきたのだ。
だが、だが。
「時間だけは、どうしようもねえはずだ」
カンザシスミレウオの色が変わるのは、ほんの一瞬だ。
俺ですら、料理をするときには時計を使う。
前もって準備しなくては、間に合わないから。
……料理も、過去も、時間を巻き戻すことはできないのだ。
その時、最後の謎が解ける音がした。
「4997、4998、4999」
「――5000」
「今――!」
それを待っていたかのように。
パイジィが素早く皿を使い、カンザシスミレウオをさらう。
そうして。
――あの時、俺が作るはずだった――
その料理が、確かにそこにあった。




