第32話 sideマーティンの想いとそれぞれの思い
「兄上、やはり婚約するのは、止めてください」
婚約するため神殿に行く前日、弟のエディオンが深刻な面持ちで俺の部屋を訪ねてきた。珍しいこともあるなと、部屋の中へ招き入れると、開口一言そう言ってきた。
「すまない。それは出来ない。エヴェは俺の運命なんだ。彼女以外と婚約する気にはなれない」
「兄上は将来この領地を継ぐんです。彼女と婚約してしまったら、将来どうなるか分からないって……、そんなのあんまりです」
「エディオン、もしかして父上と俺の話を聞いていたのか?」
「すみません。偶然、書斎を通りかかった時に、聞こえてしまいました……」
「そうか……」
夏季休暇に入って、エヴェたちが来る前に、俺は一足先に領地に帰ってきていた。事前に父上と話し合うためだ。これまでに両家で話し合いは進み、エヴェがやって来れば婚約することが決まっていたが、その前に俺の決心したことを父上にも納得して欲しかったからだ。
「父上、俺はエヴェが卒業してエリシーノ国に帰るなら、ついて行こうと思っています。離れてしまったら、緑の精霊に認められることも、あちらの国に許されることも出来ない。俺は認めてもらえるように頑張りたい。例えそれが、嫡男としての責任を果たすことが出来なくなることだとしても、俺はついて行きたい」
黙って聞いていた父上は、じっと俺の顔を見た。
「それは、この領地を継がない、と言っているのか?」
「……、俺がいなくても、エディオンがいます。きっと弟なら、この領地をしっかりと守ってくれるでしょう」
「エディオンは体が弱いと知っているのに、随分無責任なことを言うのだな?」
「それは……、いずれ体は良くなると、信じているので」
「信じて?お前はいつから、根拠のない戯言を言うようになったのだ?」
父上の辛辣な言葉に、俺はグッと息をつめた。確かに都合のいい言い訳でしかない。無責任だと言われても、仕方がないことを言っている自覚はあった。
「それで、エリシーノ国へ行ったとして、お前は何年で緑の精霊様とエリシーノ国に認められるんだ?」
「それは分かりませんが、出来るだけ早く、認めてもらえるように努力します」
「卒業後、10年だ」
「え?」
「卒業してあちらへ行き、10年で認められてこい。それ以上は待ってやらん。だが、お前が28歳の頃なら、まだ私は現役で領主をやっているだろ。10年後に帰国して、それから領地のことを学び直して、使いものになる頃に私は引退。ギリギリ10年、それ以上経てば、エディオンを後継者に指名するぞ」
「はい、頑張ります。ありがとうございます、父上」
父上の了承を得て、俺は決意を新たにしたのだが、まさかその会話をエディオンに聞かれていたとは……
居たたまれない気分で、俺は頭をガシガシと掻いた。
「すまない。勝手なことを言った自覚はある。お前に継いでもらおうなんて、責任を押し付ける様な言い方だった。でも言い訳じゃなくて、俺は本気でエディオンなら、いい領主になれると思っていたんだ」
「僕は、気管支が弱く、寒い季節は屋敷から出られません。兄上のように、元気に領地を見て回ることも、領民と交流することも、ほとんどできない。領主は兄上がなるべきです。父上が許したとしても、僕は兄上にそんな決断をさせた女性を、……認めたくない」
頑なな態度を崩そうとしないエディオンに、複雑な気持ちになったが、結局何も言えなかった。
エディオンはエヴェに対しても、明らかに不満そうな態度で接していたが、説得する言葉を見つけることが出来ないまま、神殿に行く朝を迎えてしまった。
その日の夜、婚約を祝うささやかな会を設けたが、エディオンは出席したものの、終始無言で食事を食べていた。エヴェもエディオンの態度を気にしていたが、俺がエリシーノ国に行くつもりだということを内緒にしている手前、どう説明していいか悩んでいた。
婚約後、俺たちは領地で二人の時間を楽しんだ。フレデリックは俺たちに遠慮して、父上と一緒に領地を回っているようだ。少しだけ申し訳なく思う。
今日は朝から、湖の近くにある丘にピクニックに来ていた。晴れていた空は、昼過ぎに曇り出し、とうとう雨が降り出した。
「あ、雨だ。本降りになる前に帰ろうか」
俺の言葉に、エヴェは頷いた。俺は持って来たバスケットに、荷物を素早く詰めて馬車が待つ丘の下へ向かった。道は狭いので、エヴェは俺の後をついて来る。
「雨、激しくなってきたな。……エヴェ?」
雨を避けるように、慌てて歩を進めていたが、ふと後ろが気になって振り向いた。先ほどまで、エヴェは俺の後ろをついて来ていたはずだった。
「いない⁈エヴェっ、どこだ!」
さらに雨脚が激しくなり、視界が霞んできた。それでも俺は、来た道を取って返した。バシャバシャと水が跳ね、焦れば焦るほど、ぬかるみに足を取られる。
「何処なんだ?」
霞む視界にエヴェを見つけることが出来ず焦っていると、俺の背後から冷たい声が聞こえた。
『小僧、我の愛し子を危険にさらすとは、万死に値するのう?』
「緑の精霊……、エヴェはどこだ⁈危険な目にあっているのか?」
『このまま湖に落ちれば、例え愛し子であっても、ただでは済むまい。我についてまいれ』
湖に落ちる⁈俺は焦る気持ちのまま、緑の精霊の後を追った。丘を下る途中、湖の一部が見下ろせる場所があった。横道に逸れれば、ここから湖まで一直線だ。
「あれは、……エヴェとエディオンか?」
湖の周りには、転落防止の柵が張り巡らされているが、その柵の上に乗りあげるようにエヴェが身を乗り出し、柵を越え湖に転落しそうなエディオンを必死で掴んでいるのが見えた。
状況を瞬時に確認すると、俺は弾かれるように、湖に向かって駆けだした。そして風魔法が有効な距離になったのを確認して、エディオンを風魔法で陸地へと飛ばした。反動でエディオンの腕を掴んでいたエヴェも、一緒に地面に倒れ込んだ。
「エヴェ、大丈夫か?何があった?」
俺の姿を見て、エヴェが安堵の表情を浮かべたが、エディオンがいるため声を出すことが出来ないようで、困惑したように首を横に振った。
『特別じゃ。我が手をかそう。少し眠らせてやるかのう』
緑の精霊の声がしたと思ったら、地面に倒れ込んでいたエディオンが、フッと気を失った。微かに寝息が聞こえるので、本当に寝ているだけのようだ。
「エヴェ、何があった?」
「偶然、丘を降りる途中で湖が見えて、そこにエディオン様が立っていたんです。嫌な予感がして、思わずこちらに来たら、突然飛び込もうとなさって、慌てて止めようと腕を掴みました」
いつも読んでいただきありがとうございます。
不定期投稿ですみませんが、よろしくお願いいたします。
今週、あと1話は投稿いたします。




