第27話 ユーイング伯爵領訪問
夏季休暇に入って10日後、私とフレデリックはマーティン様が待つユーイング伯爵領に向かった。マーティン様は先に帰郷して、私たちが快適に過ごせるように準備しておくと言っていた。
馬車で揺られること5日、やっとユーイング伯爵領へと到着した。山は低く、裾野に美しい森が広がっている。馬車の窓を少し開けると、鳥の鳴く声と共に、涼やかな風が通り過ぎて行く。
「わぁ、流石避暑地、ここは涼しくて過ごしやすいな」
ユーイング伯爵領は、北に近い位置にあり避暑地としても有名な場所で、多くの貴族が別荘を所有しているそうだ。綺麗な湖が観光名所で、夏は特に人気があるそうだ。
「タランターレ国に来て、観光らしいことはしていなかったから、楽しみだね、エヴェ」
暢気な弟に、私は深い溜息をついて首を振った。
「フィーは気楽でいいわね。私はマーティン様のご実家に挨拶に行くことを考えたら、観光なんてする気にはなれないわ……」
「ええ、そうかな?もう婚約することは決まったも同然じゃないか。挨拶が済んだら、観光に行ったっていいと思うけど?」
父様がお母様の一言で反対の意思を翻した時点で、我が家は婚約に前向きになった。運命の相手であるなら、お婆様は最初から賛成だし、マーティン様に会って人となりが分かっているお爺様は、今後の婚姻に懸念は残るものの反対はしなかった。
国にはまだ敢えて言っていないが、今回私がユーイング伯爵領を訪問して神殿に届け出をすることで、家門同士の婚約は正式に成立する。
婚姻には王家の承認が必要だが、婚約に王家の承認は必要ない。貴族は婚約時に、婚姻の事前申請を打診することが多いそうだが、それは学園を卒業後に承認申請することにした。今、承認申請を打診すれば、留学は即刻中止され強制帰国の命令が出る可能性が非常に高いからだ。
勿論、卒業後の申請も一筋縄ではいかないが、今は婚約することが重要だ。タランターレ国にいる残り2年半の間、婚約者がいた事実がエリシーノ国に帰った後、婚姻承認申請をする時の実績になるはずだ。
昔は婚約を認めてもらうことも王宮に申請が必要だったが、人口が増えたこと、婚約をすぐに解消する者が増えたことから、手続きを簡略化したらしい。
簡略したと言っても一定の手続きは必要で、神殿に婚約者二人で出向き、書類にサインをして一定額以上の金額を寄付しなければならない。誰でも彼でも婚約出来るわけではないのだ。婚約破棄も同様の手続きで、その場合は寄付金額が婚約時の倍になるらしい。簡単に婚約破棄をしないための抑止力になっているかどうかは、疑問が残るところだが……
平民の場合は、婚約する必要がないなら神殿に婚姻届けを出せばいい。寄付は多少必要だが、神様に認めてもらえば婚姻は成立する、実にシンプルで羨ましい。
「私が平民なら良かったのに……」
心で思っていたことが、思わず口をついて出た。私の言葉を聞いたフレデリックが、私の思考を読んだように溜息をついた。
「それは余計にややこしいと思うよ。もし、エヴェが平民で緑の精霊の愛し子になっていたら、間違いなくなった時点で王宮に閉じ込められていた。傾国の加護持ちの平民なんて、危険分子でしかないからね。かといって、愛し子は殺せない。そんなことしたら精霊の逆鱗に触れる。一生外に出られないように、厳重な鳥かごに入れられる。僕、思うんだけどさ、あの絵本に出てきた魔女アルラが貴族の娘なら、もしかしたらめでたしめでたしの未来もあったんじゃないかって……」
「……確かに、絵本だったからそういうお話だと思っていたけど、現実的に考えて村娘が王太子の妃になるなんて、かなり無茶な話だわ。きっと厳しい妃教育があったわよね。貴族令嬢なら基礎は小さい頃から教えられているから、妃教育も応用のようなものだけど、村娘が妃になるなら一から、もしかしたらマイナスから始めないといけないでしょうね。産まれてから育った環境を忘れて、王族としての環境に適応するなんて、きっと無理だわ……」
生まれた時から貴族として育てば当たり前に出来ていたことが、村娘のアルラには出来ず、育った環境をすべて否定されて過ごすことで、次第に心は疲弊していったことだろう。魅了で手に入れた王太子にアルラの心を癒すことは出来なかったと仮定すると、たった一人で味方もおらず、辛い環境から逃れるために、その後次々と王宮の人を魅了して自分を守るしかなかった。
過度の加護は弱った心を疲弊させ、魂を壊して狂わせた。もう引き返せないところまで来てしまった姉アルラを、双子の弟マルコが殺したのは、狂ってしまった姉を助ける唯一の方法だったからかもしれない。
「マーティンと婚約出来たのも、エヴェが貴族だからそれほど問題にならなかったんだよ。平民なら、そもそも国外に出ることもなかっただろうし、出会う機会さえなかったと思うよ」
フレデリックの言葉に、「それはそうね」と素直に自分の軽率な考えを改めた。
でも、もし奇跡的に平民としてマーティン様に出会っていれば、私も魅了を使ったのだろうか?そして自分を壊しながら、魅了で得た偽物の愛情に縋って、破滅の道を突き進み、フレデリックに殺される未来もあったのかしら?
「それは流石にないかしら」
「え?」
私の呟きにフレデリックが振り向いたが、私は何でもないと笑って馬車の窓から外の景色を眺めた。壊れかけた魂はまだ癒えず、時折息が詰まるほどの痛みが走る。きっとこれは、アルラが受けた癒しきれない心の傷なのかもしれない。
馬車はほどなくして、ユーイング伯爵邸に到着した。到着時間は、伝書蝶で知らせていたため、ユーイング伯爵邸の前には、マーティン様の姿が視認できた。隣にはユーイング伯爵と優し気なご婦人が立っている。きっとユーイング伯爵夫人だろう。マーティン様には3歳下の弟がいると聞いているが、体が弱いと言っていたので、姿が見えないということは部屋にいるのかもしれない。
「ようこそおいで下さいました。アンデル伯爵令息、アンデル伯爵令嬢。我々はあなたたちを歓迎いたします」
馬車から降りると、ユーイング伯爵が私たちに形式的な挨拶をした。それを見ていたユーイング伯爵夫人が、さっと私の手を取った。
「もう、あなたったら固いわ。アンデル伯爵令嬢はマーティンの婚約者同然なのですわ。やっとわたくしに娘が出来るのですよ。嬉しいですわ~」
マーティン様に似たオレンジ色の瞳に喜色を浮かべて、ユーイング伯爵夫人が微笑みながら私の手をぶんぶんと振っている。
「母上、あまり激しく彼女の手を振らないで下さい。びっくりしていますよ」
見かねたマーティン様に止められるまで、ユーイング伯爵夫人の手は止まらなかった。体全身で歓迎してくれるのが伝わってきて、私の心は少しだけ軽くなった。
私が緑の精霊の愛し子だということで受ける恩恵と、愛し子であるために受ける制限を天秤にかけるなら、私は決して優良な婚約者ではないだろう。マーティン様ならばきっと、本気になれば自領に相応しい優良な婚約者が見つけられるはずだ。それなのにマーティン様は、迷わず私を選んでくれた。
嬉しくないと言ったら嘘になる。真っすぐなマーティン様の愛情が、私の心を強くしてくれる。それと同時に、自分自身のことなのに、何一つ自由に選べない我が身を選ばせてしまったことを申し訳得なく思ってしまうのだ。特に、跡取り息子であるマーティン様の両親であるユーイング伯爵夫妻には……




