第25話 厄介な令嬢
不機嫌なお爺様が去って、私たちはホッと息を吐いた。
フレデリックは、マーティン様が目覚めたことを皆に知らせて来ると言って出ていった。入れ替わりに、医務室付きの治癒魔法師の先生が入室してきて、マーティン様の容態を確認しだしたので、私は魔道具のペンダントを握って話すことを止めた。
「うん、4日間眠っていただけで、他に問題はなさそうだね。歩けそうなら、寮に戻っても構わないよ。何かあれば、すぐに言って下さい」
「はい、ありがとうございます。では、このまま寮へ戻ります」
私はマーティン様と共に医務室を出た。
マーティン様が眠っている間、私は授業以外のほとんどの時間を医務室で過ごしていた。クリスティアン様が、「ここには結界を張ってあるから、許可のない人間は入れない。ゆっくりしていて」と言っていたが、どうして結界が必要なのか理由は聞いていなかった。
「マーティン様!お目覚めになったのですね!ずっと心配しておりましたの」
聞き覚えのある声に、前を向くとそこには自称マーティン様の婚約者を名乗った令嬢が、今にもマーティン様に抱きつきそうな雰囲気で立っていた。
「え、っと、誰かな?」
初対面らしき令嬢に、いきなり親し気に名前を呼ばれて、マーティン様は混乱しているようだ。彼女が婚約者を名乗った女性ですよと、説明したいが生憎こちらは声を出せない。私は慌ててポケットに入れてあるメモを取り出し「婚約者?」と書くと、マーティン様に見せた。
メモを見た瞬間、マーティン様が怒りの表情で令嬢を睨みつけた。
「お前がエヴェのことを傷つけた令嬢か?」
地を這うような声で凄まれ、令嬢は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて後退した。
「あ、遅かったか……」
キース様の声がして振り向くと、不機嫌なクリスティアン様と冷たい笑顔のコーディー様、困った顔のキース様とフレデリックが立っていた。
「せっかく結界を張ってもらっていたのに、出たら意味がないから急いで来たんだけど、一足遅かったね」
キース様の言葉に、結界が張ってある意味に気づいた。おそらくこの令嬢は、医務室で眠るマーティン様に近づこうとしていたのだろう。本当の婚約者なら邪魔をすることは出来ないが、怪しい女生徒を眠る無防備なマーティン様に近づけたくなかったのだろう。
「何回言えばわかるのかな?君はマーティンと面識もない令嬢で、婚約者じゃないよね?」
コーディー様が怖い笑顔で令嬢を指さした。
「あの、私は婚約者になる予定ですの。今は面識がなくても、お見合いを……」
「それはこちらから断らせてもらう。既に父には了承を得ている。だから、俺の目の前に立たないでくれ。君のせいで……、違うか、俺のせいでエヴェを深く傷つけた。二度と誤解は与えたくない。俺が君に誤解を与えるようなことをしたのならすまない。でも、俺が愛しているのはエヴェだけで、それは俺が死ぬまで変わらないから」
静かだけど、威圧的な言葉に令嬢は目を見開いて固まった。マーティン様は必死で怒りを抑えているのか、握りしめた拳がぶるぶると小刻みに震えていた。
「あ、あなたなんか、死んでしまえばよかったのよ!」
私に向かって指をさし、令嬢は悲痛な叫び声を上げた。マーティン様は、ギリっと歯を食いしばったが、我慢できずに、泣き叫ぶ令嬢に拳を振り上げた。
「きゃああっ」
バシッと音がして、マーティン様の拳は割って入ったキース様に受け止められた。
「待て待て、流石に拳で殴ったら問題だって……」
庇われた令嬢は、恐怖のあまりそのままペタリと床に座り込んで放心状態だったが、次の瞬間には庇ってくれたキース様を見て、「私の運命の王子様ですわ!」と叫んでいた。どうやら彼女は相当に思い込みの激しいタイプのようだ。
「え??」
「わたくしの婚約者になってくださいませ!」
「ごめん、無理だ」
今にも抱きつきそうな令嬢に、キース様は慌てて逃げ出した。令嬢はそのままキース様を追いかけていった。
私は令嬢がいなくなって、ホッと詰めていた息を吐いた。
「大丈夫か?エヴェ」
心配そうにこちらを見るマーティン様に、私はずっと痛み続けている胸をそっと抑えて微笑んだ。大丈夫、これぐらいの痛みなら誤魔化せる。
壊れかけた魂はすぐには治らない。緑の精霊に言われたように、精霊の森に行けば魂は消滅しないかもしれない。それでも、私はマーティン様の側にいることを選んだのだ。これくらいの痛みなら、きっと誤魔化してみせる。
「そうか、それならいい、けど、本当に辛くなったら、絶対に隠さないで欲しい。もう、君を失う恐怖は、耐えられそうにない」
私は頷いて、マーティン様の手を握りしめた。いつも温かい彼の手は、今は緊張しているのか冷たく、僅かに震えていた。
「ハァ、仕方ないから、僕たちはキースを助けに行くよ。後はゆっくり、二人で話して」
コーディー様がクリスティアン様とフレデリックを連れて、キース様たちが走って行った方向に向かって歩き出した。
「皆、ありがとう」
「ああいう女は厄介だ。キースに付きまとったら僕たちも迷惑だから、しっかり教え込んでやる」
クリスティアン様の氷のように冷たい声に、マーティン様と私は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
後日、令嬢は体調不良を理由に、実家の領地に帰ったそうだ。勿論マーティン様との婚約の話もなくなった。気になった私は、クリスティアン様が何をしたのか、その場にいたフレデリックに問い質したが頑として教えてくれなかった。「世の中には、知らない方がいいことがある」と引きつった顔で言っていたので、少しだけ令嬢が気の毒に思えた。
その後の学園生活は平穏に過ぎ、気がつけば前期の試験も終わり、夏季休暇に入ろうとしていた。それまでの間に、何度かお婆様宛に伝書蝶を送った。お爺様を懐柔するより、お婆様から父様とお爺様を説得してもらった方が確実だと結論を出したのだ。この際、遠く離れたお母様の力も借りようと、伝書蝶を送っておいた。
「父様はお母様に弱いからね。まさかお母様が賛成だと言った途端に、反対していた父様が賛成に回るとは思わなかったけどね」
呆れたように呟いたフレデリックに、私は苦笑した。
「まぁ、父様はお母様に負い目を感じているから、一生頭が上がらないでしょうね」
「そうだね。お母様がエリシーノ国から出て、もう6年か……。今はゴルゴール国だったよね」
私とフレデリックは、ゴルゴール国の方角を見て、母が出ていった日のことを思った。




