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千田フーヅシリーズ  作者: カワニナ
3/21

待つ

課長はどんな事を考えていたかというと。



 東北の玄関S市。パートを含んでも従業員が70人程の弁当製造業、千田フーヅ。


 陣内は以前いた住宅販売の会社が倒産し、ここに転職して来た。 どうにか食品会社である今の会社に慣れた頃、新卒で採用されたのが及川だった。


 千田フーヅは地方の零細企業という事もあって、縁故や中途での採用が多い。そんな中めずらしく新卒採用。

 及川の印象は可もなく不可もなく。育ちの良さそうな少しぼぉっとした印象と、若者らしい馴れ馴れしい口の聞き方の── 最もそれは陣内に対してだけかもしれなかったが──ごく普通の若者であった。


 栄養士の資格を持っていたので、工場での研修が終わった後暫く商品開発の方にいた。 そうして今陣内のいる営業部に配属されてきたのが2年前の秋。


 入社時の挨拶以来印象になかった青年だったが、何故か向こうは自分の事を良く知っている風だった。 最も陣内自身、お調子者として少々目立ってしまっている自覚はある。 だから入れ替わりの激しいパートのオバチャン方にも覚えが目出度く、 陣内が覚えていなくても向こうが覚えているという事はよくあったので、 そのあたりをあまりその時は気にとめなかった。



 千田フーヅは事務棟と弁当の生産工場との境界線すらも曖昧な小さい会社だ。 だから一応部署は決まっているが仕事のあり方は色々と流動的だった。

 人事も家族経営気味な会社で、肩書きのついている千田ご一家の面々も忙しい時は工場のラインに立つ。


 そういう事情もあって及川が自分の事に詳しい気がするのも、研修時代にラインでヘルプに入っている社員の誰かに 自分のある事ない事を面白おかしく聞かされたせいだろう、ぐらいに陣内は思っていた。




「ん、及川はまだ戻ってないのか」


「そっす」


 営業部長の戸川がでっぷり太った腹を揺らしながら事務所を覗く。 ベルトの上にはみ出る脂肪を支えるようにズボンの位置を直している所を見えると、 またどこかでラーメンでも間食してきた様子である。

 秋の行楽シーズンや年末の御節商戦で、万一人手が足りなくて戸川までもが生産ラインに投入された際、 はたしてあの狭いコンベアの間にこの腹が入れるのかどうかが陣内はどうにも気になってしょうがない。


「甘やかしちゃ駄目だよ~?、及川ももう一本立ち出来てるんだから遠慮なく帰んなさいよ。 サービス残業なんてほら、御一家(もちろん経営者の千田一族の事)の人たちがいる時だけでいいんだから」


「ま、そうなんスけどね」


 はじけそうな上着のボタンを止めて、戸川が大きな体を揺すりながら帰っていった。 省エネ省エネと呟きながら陣内は事務所の照明を半分落とす。

 営業部のあたり以外は薄暗くなった事務所。喫煙所以外は禁煙だったが、 陣内はポケット灰皿を取り出すと出窓に腰を下ろし一息入れた。


「ん……」


 千田フーヅ営業部は受付と一緒で建物の2階にあり、1階は倉庫と工場へ続く通路になっている。 丁度見下ろした目線の先に門をくぐってやって来る見慣れたぬぼーっとした影。


「帰ってきたか……」


 窓辺に誰かがいる事に気づいたのだろう。そしてそれが誰なのかも。 もう外は暗く、向こうからは逆光でよく見えないはずなのだが、 陣内からはその気落ちしたシルエットも気の抜けた表情も窓から漏れる明かりで手に取るようにわかった。

 落ち込んでいた表情に生気が戻る。こちらを見て心底嬉しそうに笑う安堵したような及川の顔。


「(あんな表情見せ付けられるんだからなぁ……)」


 にわかに歩みを速めるその姿に軽く手を振る。煙草を消し、 煙を窓の外に追い出すように手で仰ぐと出窓を閉め、自分の机に戻る。 そんな営業部の奥のほうにまで階段を駆け上ってくる足音は響いてきた。


「も、戻りました」


「ン、お疲れサン」


 駆け寄るように自分の机に戻ろうとする及川の足元は少しふらついている。一瞬陣内の方に体を向けそうになり、 気を取り直した、とでも言った風に一呼吸置いてちょっと照れたような様子を見せながら及川は自分の椅子に座った。


 以前ならこういう時陣内は例の調子でおどけて、肩を揉むなり背中を叩くなりして及川を元気付けていたはずだった。


 だが今、二人の間にはなかなかそういう事を気軽に出来ない微妙な空気が流れている。


 部長の机に軽く腰をかけ、陣内は及川の報告を聞く。


 別に本当は報告を聞くまでもない。営業先を出た後に陣内の下には既に及川からメールが届いており、 後は及川が正式に起こした書類を明日にでも受け取ればいいだけの話だった。

 だから別に帰りを待つ必要もなかったのだが。


 疲労困ぱいといった様子の及川、衿をゆるめ天井を向いて一息ついて、 鞄からペットボトルを取り出すとぐびぐびと半分ぐらい一気にあけた。



「(甘やかしちゃだめ、か…)」





 先週及川は大きなポカをやった。発注を受けた弁当の内容の取り違え、である。それもかなり大口の。

 幸い、納品直前にその間違いは発覚したので、 翌早朝から手の空いた社員総出で工場のラインをフル回転させてどうにか作り直す事は出来た。

 だが食材から見直さねばならなかった為、業者に無理を頼んで原価も上がった。 間違った方の材料はどうにか他の注文に回したがそれでも結構なロスも出た。 そこに急遽呼び出したパートの人件費。


 結果、結構な損失を出した。 どうにか納品先に、この間違いで迷惑をかけるような事にはならなかったのが不幸中の幸いではあったが。


 翌週、そういったわけで及川には罰が科せられた。 事務所への出社前、工場のラインに入って一週間早番パートさんたちと作業をしなければならなくなったのである。

 早い時は早朝5時からのライン入りである。しかもその後に通常の業務が控えている。


 こういう罰則は千田フーヅでは恒例の事だった。そこにはパート従業員はどんな偉い役職についていようが、 そういう社員をその期間だけはこき使っていい、という暗黙の約束すらある。

 労基法的に問題だが、この習慣はパートと社員の連携にいい効果をもたらしてもいるので この事を問題視する社員はあまりいない。

 そして現在、若い及川は実にいいようにオバチャンたちに顎でコキ使われてしまっているようだった。


「あと2日だな」


「もうぐったりッス……」


 陣内は自分の机に戻り、用意しておいた書類を及川に手渡した。 そこには及川が今日中に仕上げておかないといけない文面が既に記入され、 後は具体的な数字と署名欄が空いているだけであった。


「あとちょっとだ」


「課長……」


 お調子者だが陣内は、めったにこういう部下を甘やかすような事はやらない。


「疲れでまたポカを重ねられたくないからな」


 陣内は例のように軽い口調でそう言い放つ。だが本当にそういうつもりでフォローにまわっているはずなのに、 そんな自分の言葉がまるで言い訳のようにも感じられ、つい書類を渡す手つきも乱暴になってしまった。

 しかも及川は及川でそんな陣内の葛藤に気づきもせず素直にその気配りに感激し、今にも陣内に抱きつきたい、 と言わんばかりの熱い視線を無自覚に陣内に送ってしまっている。




 そんな及川の目線。





 今の陣内には──重い。










「んな顔すんな、ば、ばかやろうっ」


「え?」





 手渡されているのは何でもない書類。

 なのにそれを伝わって互いに熱い何かが交わされているような感覚に陣内は囚われてしまう。





 どうにもこの「いい雰囲気」を自覚させられる事実が、まだ今の陣内には重い。





「な、何かあったらこっち、連絡しろや。俺ちょっと下でもう一服してくるわ」



 そう言って胸ポケットの携帯電話を軽くとんとん、と叩くと、 陣内は気持ちを切り替えようと搬入口そばの喫煙所に向かった。





 ロビー裏、冬は殆ど吹きさらしのような庇の下の喫煙所。


 ベンチに座り100円ライターで火をつける。







 及川に告白されたとき、なぜ陣内は突き放す事が出来なかったのか。


 確かにそれまでの関わりから陣内も及川に対しては悪い感情を抱いていなかった。 が、もちろんそれは上司と部下という目線からの話である。せいぜい個人的にもウマが合うな、ぐらいのもの。


 常識的に考えれば、無かったことにしてお茶を濁すのが妥当な方法だったろう。

 だが瞬間、及川につらい思いをさせるが、早く気持ちを切り替えてもらうためにも はっきりとそれは叶わないと伝えようと陣内は考えた。 こういう時曖昧に答えを濁すことは、かえって及川の気持ちにいらぬ傷を残す事になるだろうと。






 だが陣内にはそのどちらもの決心がつかなかった。





 そうと意識をして思い返してみれば、自分を慕ってついてきている及川のその態度に、 単なる部下と上司との関係以上の気持ちが込められていた事に気づかされる。 及川の半分無自覚に向けてくるその目線、陣内の言葉に逐一反応するその緩い笑顔。


 そして陣内には多少自分を犠牲にしてでも周囲の笑いを取りたいというところがある。 周りが笑っていてくれればとにかく自分も嬉しい。

 その為にはいくらでも道化でいられる、陣内はそういう男だった。


 そして人並みに40年程の人生を生きてきている。 もちろん対異性にであるが片思いの気持ちも断られる辛さも身に染みて良くわかっていた。


 自身が弱っていた時に告白された、というタイミングもあったのかもしれない。 とにかく、自分でも驚いた事に全く嫌な気分は感じなかったのだ。


 いやむしろ嬉しかったというのが本音かもしれない。


 単純に人として他人から好かれている事を嬉しく思う気持ちを取り違えているのだろうとも思う。


 だが、実際向こうが性的な意味合いも含めて自分に好意を抱いている事に考えを及ばせても、 陣内の中に殆ど嫌悪感のような感情は湧いてこなかった。


 自分は嫌ではない。


 よって及川が寂しい思いをする事を考えると突き放す事が出来ない。

中途半端な同情からの行動こそ、もっと深く及川を傷つけてしまうかもしれないというのに───。






 ふーっと顔を上げて溜め息と共に紫煙を吐き出す。 夜空に浮かぶ雲は地上の明かりに照らされていてほんのりと光を帯びている。







 陣内は困惑していた。





 全く、どうしたらいいのか。




 そして自分は一体どうしたいのか。









 断じて言えることだが自分はやはりノーマルである。及川の事は嫌いではないが、 つい承諾して個人的に過ごす時間が長くなってからも、 やはり自分から恋人として、相手に対して何かをどうこうしたいという欲求は沸いてきてはいなかった。








「熱ちち」


 気づけばまたフィルターギリギリのところに火が来ている。





 もう一本、とポケットに手をやるがもう体が煙草を欲してはいなかった。

 代わりに携帯電話を取り出し無駄に時間を確認してまたポケットに戻した。





 実は前回の東京出張の時、心の角でどこか覚悟をきめていた部分が陣内にはあった。

 及川が必死に自制をしている事ぐらい良くわかっていた。 自分は彼をそういう欲求を起こさせるに足るだけの中途半端な状態に引き止めている。

 

 だが千田部長の乱入のお陰で何事もなかった。



 そしてやはり押し倒されたその時感じた高揚感より、 未遂に終わった事にホッとした気持ちのほうが大きかった。






「どうすべ…」


 もう何度も呟いてきた独り言。互いにもう子供ではない。 陣内自身も大失恋の後行きずりの体だけの関係を持った相手がいなかった訳でもない。




 だが同性同士でそういう行為に及ぶ事を考えると───。











 陣内の思考はそこでブレーキがかかる。そこまで行くとやはり思考が止まる。

 具体的なことは知らないわけではない。だが良く知っているわけでもない。 そしてやはりその事を考えてしまうと不自然な気がするのだ。


 及川と今の距離で付き合っている事実は居心地がいい。 及川の方からあえて強くアクションを起こされない限りは、今のように友人づきあいが続く事が望ましい、 というのが陣内の本音のようだった。


 ずるいとはわかっている。及川に申し訳ない、とも。


 だから、もし、もちろん、もし、及川がそうやって。 陣内の領域に踏み込んで来たいと言う欲求を抑えられなくなったらその時は───。







「(そろそろ終わったか─)」



 結局、陣内の逡巡はいつもと同じ結論に行きついた。


 というより笑いを取りたい性分的にそうしてしまうだろう、とも思い一人苦笑する。




「(覚悟、は一応してんだけど…)」





「(実際にその時になったら、アイツにゃ可哀想だが 俺はきっとまたのらりくらりと逃げちゃうんだろうなー…)」





 猫背になっていた姿勢を正して陣内は伸びをした。 携帯の時間表示を見ると20時を過ぎていた。薄暗い階段を上り事務所を覗く。







「……ありゃ」






 きれいに帰り支度をし、片付けられた机に及川は突っ伏して眠っていた。


 渡しておいた書類は陣内の机に置いてあった。一通り目を通し、ミスがないかチェックするする。 判を押し、戸川部長の机へ向かおうと立ち上がりざま、及川を見る。


 反省の証だか何だか、及川は茶髪で少し長めだった髪を先週ばっさり切ってきた。 刈り上げられた後頭部をじょりじょりと逆なでしながら、 陣内はもちろんあきれつつも間延びした高校球児みたいだと笑い飛ばした。





 無防備に晒されている及川の襟足。





 

 ふと、陣内の胸に湧く悪戯心。











 辺りを見回す。誰もいないことを確かめ───。






















 屈みこみ、そっと唇を落とす。








 少し音がきこえたか、ぐらいの、キスを───。

































「つまんねぇな」





 よっぽど疲れているのだろう、突っ伏したまんま及川は微動だにしない。




「フッ」


 妙に笑いたいようなそんな気分に陣内はなった。これではまるで誘っているみたいではないか、と。 これではもし及川が気がついて、あのウルウルした目でこっちを見つめながら抱きつかれても文句も言えない。


「ホント、どうしたいんだろうね、俺」



 陣内の気配に気づいたのだろうか、及川がぐったりと重そうに体を起こす。 ぼんやりと、まるで寝ぼけた大型犬のような表情。やはり今しがたの陣内の悪戯には全く気づいていない様子。




「あ、す、すいません、俺……」


「ん、ああ、書類。チェックしといたからな」


 そう言って部長の机に書類を放ると、陣内はまくったYシャツの腕もそのまま鞄と上着を肩に背負う。


「オツカレサン、飯、行くか、飯」


「奢りっスか」


「そうだナァ…」




 寝ぼけ眼を擦りながら自分の後を追う及川の様子を横目で流し見しつつ、 陣内はいつものようにとぼけた表情で事務所の明かりを落としていった。












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