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4-9



 悸暎(きえい)は屋敷の一室で姿勢を正したまま目を閉じていた。

 ふと誰かが廊下を歩いてくる気配がして目を開ける。そして、姿を見せた少女――彩霞に溜め息をついた。


「……無理をしないように言ったでしょう」


 彩霞は答えることなく悸暎に近寄ると、手の中のものを差し出す。


「……梨淑(りしゅく)様と晴燕(せいえん)様のご子息だ。文を預かった」


 低い声音にどんな想いが込められているのかは分からない。彼らの名を呼ぶ彼女はいつも愛おしそうでもあり、悲しそうでもある。

 悸暎が文を手に取るのを見て苦笑する。


「わざと、なのだろうな。……果たされるはずのない約束にすがりついている自分に笑えてくるよ」

「相変わらずふざけた者たちです。……それでも私は貴女を生かしてくれた彼らに感謝します」


 幸せだと言いながらも決して、意思を曲げることのない彼女を留めていたのは彼らだったから。

 毎日、どう転がるか分からない未来を想い、変わらず一日が終われば安堵した。

 言わずとも彼女は悸暎の想いを感じているだろう。しかし、話を最後まで聞いてくれることもない彼女に、悸暎はそれ以上の言葉を口にすることはできない。

 やりきれない思いを抱えつつ、悸暎は文を開く。


「…………」


 一読して、呆れたような苦虫を噛み潰したかのような溜め息をつき、文を畳んだ。そして、それを彩霞に差し出した。


「姫様宛てですよ」


 彩霞は悸暎のその表情に微かな安堵を感じ取り、訝しげに文を手に取った。

 そして、一読した後何も言わずに文を懐にしまう。

 悸暎はその無表情から何かを感じ取ろうと注意深く様子を探るが、すぐに彩霞に背を向けられてしまう。


「姫様――」

「彼らのことはお前に任せる」


 悸暎の呼び掛けを遮った静かな声音に思わず息を呑む。

 彼女はあまり感情を表に出さない。しかし、悸暎に対してだけ感情が緩むことがある。最近は感情を隠さず話をしてくれることも多かった。悸暎はそれを嬉しく思いつつ、寂しく思いもした。

 彼女は時折、心を許してはくれても、決してこちらの願いを受け入れてくれることはないのだ。

 そんな彼女が、悸暎の言葉を遮り、告げたのはその文に全く関係のないこと。しかし、その声音は、まるで謝っているかのようだった。

 悸暎のあらゆる心配に対して、迷惑ばかりかけてすまないと、謝罪しているかのような響きを持っていたのだ。

 驚かずにはいられなかった。今まで彼女の願いに関することで彼女が謝罪してくることなどなかった。

 彼女の中でその願いもそれを叶えることも、もはや決定事項であり、誰にもどうにもできないことだからだ。

 何とも言えない感情に囚われ悸暎が言葉を失っていると、少しして屋敷の外が騒がしくなる。どうやら”客”が到着したようである。

 ”客”を迎えに行っていた息子とその”客”の話しの声が微かに聞こえてくる。

 同時に、彩霞が部屋から出ていくべく動き出す。

 その背に、これで話は終わりかと溜め息をついた悸暎の耳に小さな声が届いた。その切ない響きに再び引き締めた心が緩んでしまいそうだった。


 ――謝らないでください。


 出かけた言葉を押し込め、それを悟られないように無駄だとは分かっていても、誤魔化すように言葉を投げ返した。


「……無理はなさらないように」


 決して聞き届けられることのない一番の願いは、襖が閉められる音とともにあっけなく消えていった。





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