3-2
「……約束、か。俺たちは姫さんに、それしかできなかったからな」
「……あの子は今も、待ち続けているのだろうか」
いつ来るかもわからない、約束の時を。心変わらずに、待ち続けているのだろうか。
梨淑は闇を見つめて、呟いた。
「待って、いるのだろうな。あの子は」
「律儀にな。その上、頑固だ。変わってねえだろ、昔と」
苦笑した晴燕は、同じように外を見つめている。
「もしかしたら、李絳を送ることは間違っているのかもしれない。だが、それでも最悪の事態さえ避けられれば、なんとかなる。せめて、ここに来てくれたなら――」
梨淑の切実な想いに、晴燕は複雑な表情を浮かべた。
「……姫さんは望まないだろうな。ある意味ここが一番、姫さんにとって嫌な場所だからな」
「だが、そうでもしない限り彼女は過去に囚われたままだ。彼女の時間を動かさない限り、今を受け入れない限り前には進めない。たとえ彼女が望まなくても、絶対に引き下がるわけにはいかないんだ」
「なら、李絳に任せて正解だろ。李絳はああいう人間を、放って置けない奴だからな」
にやりと笑う晴燕の物言いは、感心しているのか面白がっているのか。どちらも混ざっているように聞こえて、梨淑は溜息をついた。
「本当なら俺が行きたいくらいだけどなー。どんな顔するのか、面白そうだ」
「お前に行かせるくらいなら、私が行く。お前はあの時随分、顔を合わせているだろう。私はほとんど言葉を交わしてないんだぞ」
「お前が俺に姫さんを送り届けるよう言ったんだから、俺は悪くねーだろ」
不機嫌に文句を言う梨淑に、晴燕は笑う。まだ根に持ってるのか、と言外に伝え湯呑を空にした。
「しっかし、やっと姫さんと会えんのか」
「そういえば、雅楽たちの様子はどうだ?」
「あ? まぁ、複雑そうではあったが話の分からん連中じゃないだろ。雅楽は嬉々として準備してるぞ。今じゃ他の奴らも雅楽と混じって、なんか楽しそうだぞ」
雅楽らしい話だ、と梨淑は苦笑する。
もともと、彼らには彼女の存在は伝えていた。だが、今回紅家に迎え入れることを伝えたのは、ほんの数日前だった。やはり、梨淑から伝え聞いていただけあって、藍家の人間を紅家に入れるのは複雑なものがあるらしい。しかし、梨淑自身も藍家について、彼女から聞いたことしか分からないのだ。
「だが、奴らにとって一番は、夏崔様の孫ってとこらしいぞ。長春様の親友にして、歴代当主の中でも群を抜く藍の一族一の秀才、藍夏崔様の孫に会わないでおくべきかってさ。藍家が滅んでも、夏崔様の名は健在だからな。――もっとも、雅楽は同族のよしみで会うのを楽しみにしてるが」
「ああ、姫は碧家の血も継いでいるからな」
「考えてみりゃ、姫さんは直系の上、碧家の血も引いてんだからかなり重要な立場にいるんだよな。いやーますます李絳が不憫に思えてきたぞ」
そう言いながら、顔は笑っている。どうやら、真実を告げた時のことを想像しているらしい。
梨淑は、人をからかうのを生きがいにしている彼に呆れた眼差しを向けた後、再び外の闇を見た。そして、ぼんやりと浮かぶ月を見上げた。
「……あの子は言うなれば月、だな。満ち欠けを繰り返してもなお、闇を照らし続ける。まるで、藍家の中の一筋の光のようだ、と」
「奴らにとっては最後の最後でそう見えてたかもな」
滅びの道を辿る藍家の中で、唯一生き残った彼女。精神的にも身体的にも、最後まで生き残った唯一の存在。
藍家は最期まで、誇りを持ち続けることはできなかった。当主という枷がなければ、彼らの精神は崩壊していくのだ。
「姫さんは、奴らの誇りを壊させたくなかったんだろうな」
「ああ。彼らが藍家という誇りを持ったまま、逝けるようにしたかったんだろう。それが彼女にとっても、唯一の救いだったんだ。……だから彼女は自ら手を下したのだろう」
言いながら、梨淑は昔の彼女の姿を思い出していた。
「藍家がどうあったとしても彼女がどう思っているのだとしても、彼女は我ら色家を――ひいては民を救ったにも等しい存在なんだ」
それだけ藍家は危険な存在だったのだ。
彼女が藍家にいたことは唯一の救いだった。色家にとっても、もちろん藍家にとっても――。
だからこそ、絶対に失ってはならないのだ。




