起動ボタンを押す時
最後の晩餐
といえばレオナルド・ダヴィンチ画伯の名画を連想される人が多いだろう。しかし実際のところキリストは復活を遂げたので「最後の晩餐」は最期の晩餐でもなんでもない。ゆえに正教会では「機密制定の晩餐」と呼ばれており、最近の新約聖書ではその項の見出しが「主の晩餐」とされている。
という訳で篠ノ木少年は家族と晩餐の時を過ごしている。
来栖と別れて家に帰った後すぐにゲームに必要なアイテムとやらが届いた。腕時計の形をしたそれは特に不思議な機能やボタンがあるわけでもなく本当にただの黒い時計にしか見えない。
が、しかし一度デジタル使用の文字盤に目をやるとその奇妙さがうかがえる。というのもそれが普通の時計とは逆に時間を刻んでいるからだ。
普通の時計は一分一秒と時間数を増やしていくが、その時計は一分一秒と時間が減っていく。それがゲーム開始へのカウントダウンだということはだれの目をとっても明らかだろう。
それによれば開始時刻まであと六時間と五十二分。いまリビングの時計が八時を回ったころなので開始は深夜三時と言ったところか。
実はこの後、再び来栖と二時に集合の手はずになっている。そしてそのまま来栖の父親が用意した施設で匿ってもらうことになっているのだ。
たしかにゲームの事にばかり気を取られがちで現実世界の事を考えていなかったが、長期間ゲームに精神が拘束されて体を留守にする可能性があるのだから、誰かに面倒を見てもらわねばならない。
警察である来栖の父親がどうしてその話を信用してくれたのか、どのような扱いでどのような施設に預けられるのかなど大きな疑問は多々あるが、麻由美や結衣に心配をかけるわけにもいかず(特に父がいない今)、来栖の父親に任せることになった。
「───ねえ!お兄ちゃん聞いてるの!?」
気付くと妹の顔で視界が埋め尽くされていた。思考に夢中でうわの空のうちにじわじわと前進してきたようで、少し顔を突き出せば唇が触れる距離まで近づいている。
「……聞いてた聞いてた、……田中君の話でしょ?」
「誰!?絶対聞いてなかったでしょ!?……もうお兄ちゃん、本当にどうしたの今日?いつもぼけっとしてるけどなんか今日は心ここにあらずって感じ」
確かに精神は現実世界からいなくなるけど……、などと考えつつ唐揚げを口に放り込む。今宵の篠ノ木家の晩餐は唐揚げと味噌汁とミネストローネ。
スープが二つあるなんて突っ込んではいけない、それが篠ノ木家の(麻由美の)日常だ。
「まあ、ちょっちな。お兄ちゃんも大変なのですよ」
「もしかして……まだあのえっちい夢の事気にしてるの?」
「ぶっ!!違うからね!?お兄ちゃんは無実だからね!?」
「いいんだよ、結衣も分かってる。お兄ちゃんももう大人だからね……、恥ずかしがらなくていいんだよ?」
「そんな聖母みたいな表情でそんなこと言わないで!!なにプレイ!?ねえ、これなにプレイ!?」
そんな兄妹の滑稽なつつきあいを麻由美は笑いながら見ている。……というか笑いながら見てていいのですかお母さん?あなたの息子と娘はどうしようもない方向へ進もうとしていますよ!?と思わないでもない篠ノ木。
「仕方がないわー、私とお父さんもそんな感じだったから」
(どんな感じだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!)
何を思い出したのかぽっと顔を赤くし体をくねくね捻じる麻由美。両親の生々しそうな過去の片鱗に触れてしまった篠ノ木少年は食欲がうそみたいに一気に失せた。
結衣の方を見るとあちらには刺激が強すぎたようで(当然だ)持っていた箸が唐揚げの上空でぐるぐると旋回飛行している。
はあ、と誰にも聞こえはしないかすかな溜息を空に流し、篠ノ木は席から立ち上がる。そのまま食べ終えた皿を回収しながら、
「母さん、知ってると思うけど明日から鯉島達と旅行行くから。一週間くらい帰んない予定だから」
「はーい分かってるわよー」
「あっ、そうそう。なんかあったらここに連絡してくれ」
篠ノ木はテーブルに来栖父の電話番号が書かれたメモ書きを置くと、それをそのままずいっと麻由美の方に差し出した。
「これは誰の番号?」
「友達の親父さんの。同行してくれてるから」
「了解、あんまり迷惑かけちゃだめよ?」
「分かってるって、もう高校生だぜ?俺も」
「あんまり危ないことしちゃだめよ?」
「……なんもねえよ、大人も付いてるんだからさ」
「アブナイことしちゃだめよ?」
「なんで今日アンタはそればっかりだッ!!」
先程のダメージから立ち直りかけていた結衣がまたしても固まる。箸を突き刺されたまま放置された唐揚げから「食うなら早く食ってくれ!」と悲痛な叫びが聞こえそうだ。
軽く叩いて結衣を現実に戻してやると「はっ!唐揚げさんとアブナイ事しないと!」などと呟くので、もうどうしようもない。
諦めて自室に戻った篠ノ木はゆっくりとベッドにダイブした。来栖との集合の時間にはまだかなりの余裕がある。このように何もない時間になるとついつい恐怖が胸をよぎり、そして考えても意味のない事と知りつつも無駄な思考をせずにはいられない。
いけない、と頭を振って思考を真っ白にすると自然と瞼が落ちた。たまには考えることをやめるのも悪くないだろう。少なくとも今はゲームとやらの為に体力を少しでも蓄える方が先決だ。
もそもそと布団の中へ這い入った篠ノ木はそのまま意識を閉ざした。
彼が目覚めたのは携帯電話のアラームが告げた一時半きっかりであった。基本的に早寝の篠ノ木一家でこの時間に起きてる者は一人もいない、そのため家の中は隙間風の音が聞こえるくらい清閑だ。
起きだした篠ノ木はすぐに窓から月ではない人工物の明かりがさしこんでいることに気付いた。カーテンを開いて下をのぞいてみると一台の白塗りの車が止まっているのが分かる。
(集合より早めに来てくれたのか、待たせるのは悪いな。)
荷物を詰め込んだリュックをしょい込み玄関へと向かう。なるべく音を立てないよう忍び足で。
ここで起きてこられて鉢会うとまたいろいろと面倒くさい。
玄関へとたどり着くと扉の前で来栖が立って待ってるのが見えた。呼びに来たのだろうか?
篠ノ木は急ぎ目にスニーカーを履き終えてから振り向いた。
「さてしばらくのお別れだ」
帰るべき我が家を見回した篠ノ木はドアに手をかける。
その時だった。
「あふぇ?お兄ちゃんもう行くの?」
ピタッと動きが止まった。ついでに心臓の鼓動も止まるかと思った。磯貝の時もそうだが今日はこういう出来事が多い気がする。
「あ、ああ早めに集まって行こうってなってるんだ」
言い終わってから声が上ずっているのに気付いて焦りまくる篠ノ木。だが予想外に結衣の反応は普通のもので拍子抜けといえば拍子抜けしたり。
「そうなんだ。お母さんは知ってるの?」
「いや言って無い……。だ、だってほら夜遊びしてるってなったら怒られるだろ?」
「そうだけどさ……」
納得の言って無い表情の結衣に「母さんには内緒なっ!」と半ば無理やり押し付けてドアに再度手をかける。
後ろから、もうという呆れの混じった声が聞こえたが聞こえてないふりをして外へ一歩踏み出した。
無音で篠ノ木を迎えた来栖はついてこいとジェスチャーで示し、篠ノ木の部屋から見えていた裏通りに連れて行った。駅や商店街のある大きな表通りとは異なり、裏通りは道が細く車が一台通るのがやっとの広さである。そのためか普段の日中から人通りも少なく主に不良たちのたまり場となる空き地なども多い。
その車、ベンツの一九九八年物のSLK 200の前に立っていたのは身長190cmを超える大男だった。それも長いだけの虚弱な様相ではなくクマの一頭や二頭なら素手で仕留めてしまえそうなほどの屈強な体格をしている。
「この人が私のお父さんの来栖征十郎」
「初めまして。篠ノ木芦哉くんといったかな?」
「はい、初めまして篠ノ木です。今回はそのよろしくお願いします」
「いいんだいいんだ。国民の安全を確保するのが警察の仕事だからな」
ところで、といったん区切ってから今度はクマの一頭や二頭なら眼光で仕留めてしまえそうなほどの殺人的な眼差しで篠ノ木をとらえて、
「千夏とは一体どういった関係なのかね?」
「はい?」
なんだろう別の意味でアブナイにおいがする、と篠ノ木は半歩後ずさる。
「いやだから、私のかわいい千夏ちゃんとはどういう関係かって聞いてるんだ!」
「どういう関係も何も、去年同じクラスで友達ですけれど……」
「はい!カップルはみんなそう言うんですー。お父さんは認めんぞッ!こんなひょろっちい男のどこがいいんだ!!結婚するならお父さんみたいな男にしなさい!いやもうむしろお父さんと結婚しなさい!!」
「誰がするかこの変態親父!!近所迷惑考えろそれでも警察かッ!」
なんというか嵐みたいなお父さんだなあ、と思いつつこんないつ逮捕されてもおかしくない人が警察とはどうなんだろう、とか日本の未来を少しだけ心配しながら篠ノ木は親子を見ている。
「はぁはぁ、まあ今は追求しないでおこう。とりあえず二人とも車に乗れ」
娘との激しい愛のスキンシップをとろうとして、殴られたり蹴られたりとボロボロの父親は呼吸を整えると車のエンジンをかけた。車の心臓部にオイルが注がれ激しく脈打つ音が鼓膜を刺激する。
そのままいったんバックして表通りまで戻ると駅とは逆の方向へとハンドルを向けた。
「これからお前らに行ってもらうのは政府の要人用の病院だ。外国のお偉いさんとかもよく入院してたりとかするから設備に間違いはない、安心しろ。加えて俺の部下を十人ほど警護に付ける。いざという時のためにな」
「そんなに!よく動かせましたね」
「がははは、これでも警視副総監だからな」
「えっ!?」
「世も末でしょ?こんなんが警視庁で二番目に偉いなんて」
「まったく千夏もツンデレだからな!もっと自慢してもいいんだぞ!」
「誰がよ」
「でもなんで話を信じてくれたんですか?世間じゃ夢見人はあざけりの対象なのに」
「なんでって千夏が嘘をつく訳が無いじゃないか!!」
「……それだけ?」
「充分だろ?」
と得意げな顔をする征十郎。娘の一言を信じてここまで組織を動かすとは実はこの人はものすごい人なのでは無いだろうか。
いやいやと篠ノ木はそれを否定する。やっぱりこんなのが警視庁で二番目に偉いんじゃつくづく世も末だ。
ピッ。
左腕からの音。しかも二つ重なった音。
音の方向を見ると時計から立体的なディスプレイが空中に投影されていた。画面の中央にはでかでかとGAME STARTの文字が浮き出ている。まだ開始時刻までは二十分ばかりあるはずだが。
ふと疑問が頭をよぎる。
(これじゃあボタンを押さなければ参加せずに済むんじゃ?)
そんな篠ノ木の考えを読み取ったのか来栖が口を開く。
「多分、アンタが思っているようなことはできないわ。おそらく時間になったら強制連行よ、それでもあくまで自分の意志でボタンを押させたいんでしょ。そんな外道の考えることだからきっと最後まで押さないで強制連行された人には罰でもつけてくれるんじゃない?」
憤りといら立ちの混じった乾いた笑いがこぼれ出た。
「人をおちょくって……ッ、なんだと思ってるのよ……!」
今度は悔しさをこらえて唇を噛み締めていた。怒りと不安と恐怖と、様々な感情が湧き上がっては彼女らを食らおうと牙を剥き出す。
篠ノ木は震える来栖の肩に手を乗せた、思っていたよりも小さな肩がさらに小さくなっているのがまざまざと感じ取れる。
「……行こう、生き残ってすべてはそれからだ。……正直まだ俺にはそんなに現実味がないけど、上手く状況とかも飲み込めてないけど、それでも絶対生き残ってあの男の仮面剥ぎ取ってやろうぜ!」
「…………言うじゃん、意外。もっと弱弱しいかと思ってた」
「これでも男の子ですからね。まあ見栄もばりばりあるけどな……」
なんだよ、と笑いあった二人はディスプレイに向き合う。薄青い画面が挑発的にボタンを点滅させる。
「行くぞ」
「うん、じゃあお父さん行ってきます」
返答は返ってこない。
「さよならは言わせないから」
二人の指がディスプレイに近づいていく、それは同時に平穏から遠ざかっていくことを意味している。距離が近づくあと10cm。
そして。
そして二人は同時にボタンに触れる。
今、起動ボタンを押す時、それは長い戦いの始まりの合図、生存をかけた果てのない戦いの……。
刹那、蒼白色の閃光が車内を満たす。現実世界と電脳世界を繋ぐその橋は驚く間もなく二人の意識だけをきれいに刈り取ってそのまま虚空に消えた。
征十郎は車のバックミラーに目をやる。後部座席では篠ノ木と来栖が仲良さそうにに寄り添って目を瞑っていて、兄妹か恋人が穏やかに眠ってるようにしか見えない。
「ちっ、くっつきやがって、今回だけは見逃してやる。ひょろっちいって言ったことの詫びだ。……だがな千夏を守れなかったときは覚えてろ。この俺が地の果てまで追いかけてお前を殺してやるからな、クソ坊主」
SLK 200はそんな征十郎の言葉を飲み込んで夜の高速道路をひた走る。
十二月二四日午前三時〇〇分。ついにゲームの幕があがる……!!




