目覚めれば日常
夢でもし逢えたら。
というのは音楽知識の浅い篠ノ木芦哉が好きな有名楽曲の一説である。
最近では髭とサングラスが特徴的な歌手の代表曲として広く知れ渡っているが、それがカバー曲だということはご存じだろうか?
当時からこの曲を聴いていた大人はともかく、平成っ子には知らなかったという方も少なくないはずだ。
さて、昨晩決して「素敵なこと」とは歌えないような出会いを果たしてしまった篠ノ木少年は今絶大なる眠気と月曜日の気怠さのコンビに苦戦していた。
(寝た気がしない……。いや、だって俺起きてたじゃん!!完璧に目覚めてたじゃん!!)
体が眠っていたとはいえ、精神なるものがあの世界に持って行かれていた以上なんにせよ浅い眠りしか為していない。
ほとんど眠ったままの脳みそを無理やり働かせ昨日の出来事について思案する。……ただし真冬、十二月の寒さは答えるので体は布団に浸かったまま。
(ただの夢……ってことはやっぱ無いんだろうな、準備期間は一週間か。思いのほか短い……。ゲームの内容も知らされて無いんじゃ、ほとんどなんもできねえな)
夢なわけない、あの場にいた人物の顔、声、仮面の男の台詞、足の疲れ具合、乾いた空気の細やかな味まで鮮明に覚えているのだ。
考えれば考えるほどため息が出ると篠ノ木は思った。
他にもどのくらい期間をかけてゲームをやるんだろうとか、橘教授は何者なんだろうとか、そういえば今日の体育だるいなあとか、いろいろ考えていたところを女性の声に遮られた。
「芦哉ー!早く下りて朝ごはん食べちゃいなさーい!」
篠ノ木家の偉大なる母、麻由美である。
思い出したように時計を見ると短針が八に届こうとしていた。
今行くよと軽く返事をしながら篠ノ木は椅子に掛けてある制服に手をかける。そのまま早々に着替えを済ませると部屋をでて正面の階段を下りた。
「あふぇ?にいちゃん、ふぇのしたくまでふぃてるよ?」
「結衣、食いもん飲み込んでからしゃべれ」
篠ノ木は食卓の席に腰かけながら妹の結衣を注意する。結衣は地元中学の制服を着てトーストをほおばっていた。顔を皿に近づけて食べているので、危うく肩まで垂れた黒髪が卵の黄身につきそうである。
ふぁーいと返事をした結衣は食べていたトーストを飲み込むと再び口を開いた。
「寝不足?目の下、クマできちゃってるよ?」
「うん、ちょっとな変な夢にうなされてた」
「あら、お化けにでも追いかけられたの?」
「俺はいくつだよ、母さん……」
フフフと静かに笑う麻由美は外見からは実年齢がうかがえないほど若く、地毛とは思えない明るい茶髪も相まって大学生と言われても納得してしまうほどだ。
その実は40手前のれっきとしたおばさんなのだが、それを言うと温和な笑みが身の毛もよだつような邪悪な笑みに変わるので、篠ノ木家では母の歳は禁句となっている。
「でも実際になんの夢見たの?」
「大した事無いって」
「……えっちい夢?」
「そんなことを真面目に聞くんじゃありません!どこで覚えたんだ、そんなこと!お兄ちゃんは悲しいぞ!」
「クラスの男子が話してたよ。……えっ?ていうか本当にそうなの!?」
「違う!断じて違うぞ!!」
そんな妹にエッチエッチ言われ続けるというある種変態ちっくなプレイに興じていると、時計が八時半を告げる小さなチャイムを鳴らした。
始業が九時なので割とギリギリといった所、だ。
篠ノ木は先程口に入れた目玉焼きを飲み込む間もなくトーストを口に詰め込むと、立ち上がって鞄をつかみ、コートを羽織ってそのまま玄関へと向かう。
「ちょっと遅刻気味だからもう出るわ」
「口に物入れたまま喋るなって言ったの兄ちゃんじゃん!」
「へーい気を付けます、じゃあ行ってきます」
後ろから、もうという呆れの混じった声が聞こえたが聞こえてないふりをして走り出した。
都立柏田高等学校に到着して、二年のフロアの一番端にあるA組の教室に入るとクラス中がある話題で持ちきりになっていた。
篠ノ木が近くにいた友人に尋ねると驚きの声が返ってきた。
「お前知らねえの!?今朝のニュースでめちゃくちゃ放送されてたじゃん!!」
篠ノ木家は全くと言っていいほどニュースを見ない。新聞もとっていないし、唯一そのような世間的な情報に明るい父親は今単身赴任中だ。そのため篠ノ木芦哉は基本的に学校で情報を見聞きすることになる。
篠ノ木が黙って続きを促すと思いもよらない答えが返ったきた。
「日本全国で何人も同じ夢を見たんだって!それもなんか一か所に集められてゲームをするとかどうとかっていう内容らしいんだけど」
待て、それは今朝方自分が見た夢……もとい連れて行かれたゲームの世界の話ではないだろうか?
じわりと手のひらに汗が滲むのが分かる。
(やはりあの場には何人もいたか……)
その情報は篠ノ木を複雑な感情にさせた。
ゲームのルールが分からない以上プレイヤーの多さは助けになるか障害になるか分からない。プレイヤー同士が協力するようなゲームならばよいが、プレイヤー同士で争うもの、または生き残りに人数制限のあるゲームならば他人は敵になりうるからだ。
「『何人も』って具体的にどんくらい?」
「今朝見たニュースだと100人くらいって言ってたけど」
最低でも100人は参加者がいるらしい。
だが、この早朝の段階で夢の事を公の機関に報告した者は一割にも満たないはずだ。実際はこの十倍、0000人はくだらないだろう。
教えてくれた友人に軽く礼を済まし、麻由美譲りの茶色い頭を抱えながら席につく。すると教室の扉が豪快に開きその音に負けずとも劣らない声量で名前を呼ばれた。
「篠ノ木……、篠ノ木芦哉いる?」
篠ノ木が顔を上げて突然の来訪者を確認すると、それは見覚えのある顔だった。
その少女、来栖千夏は去年同じクラスだったが、わざわざ訪ねてくるほど仲が良かっただろうか?
そんな篠ノ木の疑問などあたり知らぬ少女は彼の姿を発見すると、短く切りそろえた髪を揺らしてつかつかと歩みよってくる。
何?と問う暇はなかった。腕を掴まれ強引に起立させられたと思えば、辺りの「付き合ってんの?」とか「告白かー?」とかといった野次も無視し、そのまま引きずるようにに教室の外へと連れてこられたからだ。
「アンタ、昨日あの場所にいたでしょ?」
「え?」
あらゆる情報、予測が篠ノ木の頭をめぐる。とっさには声が出ない。
そんな篠ノ木を見かねて、さらに来栖が口を開く。
「昨日の夜の夢よ、あの仮面の男に話しかけてたでしょ?」
(あー、そういえば「ここは精神世界なんじゃないの?」とか訊いた記憶があるな。……ってことはやっぱ……)
「来栖もあそこにいたのか……?」
「……うん、間違いなく。覚えてるのよね……、夢だったとは思えないほど鮮やかに」
お互いに少しだけ鬱屈な気分になり奇妙な沈黙が訪れる。傍から見れば本当に告白をしているようにしか見えない。
それを来栖が裂く。
「これから、どうするの?」
弱い言葉ではなかった。
他人に何かを訪ねる、他人を頼るような質問であるのに相違してその語調は自身の中で人知れぬ決心がある者の声。
つまり。
それは問うていたのだ。『どのようにして生き残るか』と。
それを肌で感じた篠ノ木は、
「来週の日曜日ひま?ゲーム当日になっちゃうけど平日は学校あるし、土曜は部活はいってるだろ?」
「そうね……、分かった当日は空けておくわ」
「ああ、その時いろいろと話し合おう」
それからお互いの事を少しだけ話し合って、予鈴を合図に互いの教室へ戻った。
教室へ再入室した篠ノ木を熱烈な視線が歓迎する。
「なあ、あれバスケ部の来栖さんだよな!」
「ねーねー二人はどんな関係!?」
「付き合ってんの!?付き合ってんの!?付き合ってるんでしょ!?」
「F○CK、oh,FU○K!!!」
「バルス」
「えー!信じらんねえ」
「ちょっと待て!!誰だ、滅びの呪文となえた奴!?ってか違うからな。偶然この前見かけたって話だけだからな!!」
決して嘘ではない。
その後もしばらく「付き合ってる」、「付き合ってない」の押し問答が続いたが今度は本鈴によって救われた。一部、噂好きの女子と「来栖さんを称える会」(自称)の男子から質問と罵声が飛び続けたが、それも先生が入ってくると同時に静まる。一応は受験生ということか。
その一日ほど早く過ぎ去った日はないと思う。
ゲームの事に頭を回しながらも一時間目の古典に悪戦苦闘し、二時間目の倫理で仮眠をとり、三・四時間目の体育で寝起きの体に鞭を打った篠ノ木はその時点で体力が限界に達していたわけだが。
救いが訪れた。室内で体育をやっていた篠ノ木たちは気付かなかったのだが、いつの間にか外は十二月の大雪に彩られていたのだ。
このままでは交通網に大きな影響が出る。そうなってはそこそこ有名な進学校である柏田高校の生徒の中には県外に住んでいて帰れない者が出てしまう。そう判断した校長が残り二時間の休講を出したのだ。
そんなわけで晴れて自由の身となった篠ノ木少年はゆっくりと帰路を進んでいる。
どこからともなく聞こえてきた「ホワイトクリスマスになるかもねー」なんてカップル達のキャッキャウフフな声を耳がとらえた。
ホワイトクリスマス、今年は特に縁遠いなと篠ノ木は思う。一週間後に迫ったクリスマス。しかしその日、自分はこの世界にいないだろう、と。
例年も彼女なんてできたことがない、むしろ彼女なんてUMAみたいなものなのではないかとさえ感じている彼にとって、クリスマスなんてあってないような物だが……、それでも普段通り母親の少し豪勢な夕飯を食べながら、テレビでバラエティ番組を流し見るなんてことも出来ないとなると寂しいものである。
あるいはそれが二度とできなくなるかもしれないからだろうか?
どうだと思う?と尋ねる篠ノ木に真冬の白く鋭い風はなにも答えてはくれなかった。
まるで自分で考えろ、と突き放すように。




