蒼いオオカミの血を継ぐ者
朝。パンとスープの匂いで目が覚める。
「おぁよう」
欠伸交じりに言えば、母様が「父様はもう外よ」と教えてくれた。
「なんで起こしてくれなかったのさ」
僕は文句を言いながら、急いで甕の水を盥に移して顔を洗い、それを持ってゲルの外に出た。
「フッ! フッ!」
父様はもう剣を振っていた。
鋭い呼気をするたびに、剣が空気を裂くビュンという音がしている。
「遅れました!」
僕は頭を下げた。
フッ! フッ!
ビュン! ビュン!
という音が続いている。
僕はずっと頭を下げていた。
「お前ももう12歳だ。自分で起きられるようにならねばな」
「はい!」
「今日から真剣をもたせると言っておいたが、そんな心持ではまだ早かったかもしれんな」
そんなぁ、という言葉を飲み込む。
5つの時から父様に剣を習っている。けど、昨日までは木剣だった。それが今朝から真剣を振ってもいいというお許しをいただいて、昨日の晩は嬉しくてなかなか寝付けなかったのだ。
「頭を上げなさい」
父様に言われて、僕は顔を上げた。
父様はジッと僕を見詰めていた。
「お前は、将来、ワシに代わってジラント族を統べなければならん。そのためには、誰よりも速く駆け、誰よりも強くなり、誰よりも優しく、そして誰よりも己に厳しくなければならんのだ」
「はい!」
「まったく…」と父様が苦笑をした。
「お前は返事だけは良い」
言って、剣を……僕のために誂えた真剣を差し向けた。
「蒼いオオカミの血を継ぎし者として、粗末に扱うでないぞ」
「はい!」
僕は、初めて真剣を手にした。
木剣に比べて遥かに重かったけど。嬉しくて、僕はクタクタになるまで父様と剣を振るった。
ご飯を食べた僕は勇んで湖へと向かった。
ジラント族の縄張りには、蒼いオオカミが生まれたとされている大きな湖がある。
みんなは、その湖のほとりで遊んでいるはずだ。
「おーい!」
僕は勇んで腰に佩いた剣をみんなに見せびらかした。
「すげぇ」
「これで大人の仲間入りだな」
みんなが僕を羨ましがる。
それが楽しくて、僕は尻尾がブンブンと振れてしまいそうになるのを我慢しなければならなかった。
ちょっと離れた場所ではメスたちが花をつんでいる。
僕は、そっちをチラと見た。
わいわいきゃいきゃい、しているメスは剣なんて興味ないみたい。
花冠をつくったり、他愛無い噂話に興じている。
ふん、なんてツマラナイ奴等なんだろう。
けど、それでガッカリはしなかった。
メスたちのなかに、僕が惚れているレレイがいなかったからだ。
でも、どうしたんだろう? 何時もなら湖に来ていてもおかしくない時間なのに。
昨日も、その前の日も、前の前の日もいなかった。
「そういえば、トッシュがいないな?」
トッシュはレレイの兄で、僕と同い年のオスだ。
僕はレレイの居ないのを、トッシュに託けてみんなに尋ねた。
「そういえば、まだ来てないな」
「寝坊か?」
「ちげーよ、オイラ知ってんぞ。レレイが病気だからトッシュも心配して家に居んだよ」
それを訊いた僕は、兄妹の家へと駆けた。
トッシュは家の外にいた。
「トッシュ!」
「よぉ、未来の義弟」
僕がレレイを好いているのを知っているトッシュは、こんなことを言ってからかう。
けど今日に限って言えば、何時ものようなニヤケタ顔じゃなく、疲れたような、諦めたような顔で、それが僕を不安にさせた。
「レレイが病気だって聞いた」
「チッ、あのお喋りペキニーズが…」
「ホントなんだな…?」
「ああ、レレイは臥せっている」
「会わせてくれ!」
トッシュは僕をジッと見た。
「…わかった、来いよ」
トッシュが扉をあける。
「親父さんと小母さんは?」
「2人とも薬草を積みにいってる」
「そうか。なら、レレイの病気もすぐによくなるな」
「あったりめーよ」
そんな言葉が返ってくると思っていた。
けれど、トッシュは黙って僕をレレイのところまで案内しただけだった。
天井にある明り取りの窓から降り注ぐ日差しが、ゲルのなかを薄く浮かび上がらせる。
レレイは、そんなぼんやりと輪郭が曖昧な薄闇のなかで寝ていた。
ドキリ、とする。
一瞬。一瞬だけど。考えちゃいけないんだけど。
レレイが、死んでいるように思えてしまったのだ。
「レレイ?」
僕は跪いて病人の顔を観た。
毛並みが荒れていた。
いつもは潤っている鼻が、乾燥してた。
「眠り病だ」
トッシュが言った。
聞いたことがある。眠ったまま死んでしまう病気。1年に1匹はかかってしまう不思議な病。
「でも、親父さん達が薬草を採りに行ってるんだろ?」
「たぶん、無駄足だ。今年は長雨だったせいで、眠り病の特効薬が全滅だったらしい。薬師の爺さんが言っていた。それが証拠に、2日で帰って来れる距離だというのに、父ちゃんも母ちゃんも帰ってこない。きっと、まだ薬草を探してるんだろう」
「そんな…」
僕はレレイの閉じられた瞼をソッと撫でた。
あたたかい。
まだ、あたたかい。
「そうだ! 眠り病の特効薬なら森にもあるって聞いたことがある!」
ずーと前に父様が酒を飲みながら母様に言っていた。
森に群生している眠り病の特効薬を摘めたなら、かなりの収益になるのだが。そんなことを喋っていた。
森、と聞いてトッシュは首を振った。
「駄目だ駄目だ! 森には行くなってガキの頃から釘を刺されてんだろ!」
森にはオオカミがたくさんいる。それにラズゥとかいう魔物もいるらしい。
だからコボルトは森には入らない。近づくことさえない。それは父様でさえも、だ。
「そんなこと言っても、それしか手がないだろ!?」
僕はトッシュを見据えた。
「お前が行かなくても、僕だけでも行く」
「わぁたよ」トッシュは諦めたように息を吐く。
「ホント、未来の義弟はわがままだぜ」
ニヤリと何時ものようにトッシュはニヤケタ。
森は思っていたよりも怖い場所じゃなかった。
僕もトッシュも抜き身の剣を持って警戒していたのが馬鹿みたいだ。
ちなみにトッシュは親父さんの剣を拝借してきている。バレたら確実に大目玉だ。
そう、からかったら
「お前も怒られるんだからな!」
と低い声で威嚇された。
ズンズンと森を進む。
「おい、何処に薬草があるか知ってるんだろうな?」
トッシュに問われて、僕はうなずいた。
「こいよ」
と誘って、2人して丈夫そうな木にスルスルと登る。
「あれだ」
僕は遠くに見える丘を指さした。
「こっからだと歩いて…そうだな、お天道様が天辺にくるぐらいには着けるだろ」
トッシュが言う。
それから木を降りた僕等は、ものも言わずに歩くことに専念した。
常に耳をそばだて、鼻を利かせておく。
時折、木に登って位置と方向を確認する。
そうしていると、何の問題もなく眠り病の特効薬が群生する場所に着けてしまった。
「すげぇ」
思わずつぶやく。
見渡す限り、薬草なのだ。眠り病の特効薬は平原だと希少で、高値で取り引きされている。
「こんだけありゃ、レレイは治るし、俺等だって金持ちだぜ!」
トッシュは言うと、薬草を根元から丹念に掘り出した。
それから黙々と薬草を採取する。
「背負子、持ってくればよかったな」
「だな」
両手で抱えきれないほどの薬草を採取した僕とトッシュは
「また来ようぜ」
気軽に考えて、群生地を後にした。
でも大人は口を酸っぱくして言っていたじゃないか。
森にはオオカミがでる、と。
僕等は帰り道の半ばで、そのオオカミに後をつけられていることを知ったのだった。
はぁはぁ、と息が切れる。
直感だった。
僕は走りながら、剣を後ろに向けて振るった。
「ギャン!」
悲鳴を上げてオオカミが倒れる。
もっとも致命傷なんて与えられてないのは手応えで分かった。
せめて怯ませた程度だろう。
僕とトッシュはオオカミに追われていた。
追いかけてくる数は3。
決して多くはない。
けど、子供の僕等じゃ敵わない数だ。
オオカミの悲鳴にトッシュが走りながら、コッチを振り向く。
平気だ、行け! そう僕は目で訴える。
トッシュはもう剣をもってない。重いし走るのに邪魔だから捨てさせたのだ。持っているのは1株の薬草だけだ。
一方で僕はといえば、オオカミを抑えるために剣を持っていたけど、代わりに薬草は全部捨ててしまった。
ジリ貧だというのは分かっている。
オオカミは、僕等の体力がなくなるのを待っていた。
3匹のオオカミのうち、2匹は体格がちいさい。
もしかしたら、僕等を体のいい獲物にみたてて子供に狩りを教えているのかも知れない。
「クソ!」
舌打ちをする。
『誰よりも速く駆け、誰よりも強くなり、誰よりも優しく、そして誰よりも己に厳しくなければならんのだ』
父様の言葉が思い出される。
僕は覚悟をした。
脚を止める。
足音が聞こえなくなったからだろう、トッシュが立ち止まろうとするけど
「行け!」
僕は叫んだ。
「薬草を届けろ! 助けを呼ぶんだ!」
トッシュは再び駆けだした。
オオカミは後を追おうとするだろう。
それを防ぐために、僕は左腕を剣で浅く切った。
血がしたたる。
「どうだ? 美味そうだろう」
オオカミはトッシュを追うのをやめた。
3匹が僕をグルグルと囲んで歩く。
「ガゥ!」
死角からオオカミの1匹が飛びかかってくる。
僕は懸命にそれを避けた。
反撃するような余裕はない。
だけど、それでいい。
時間稼ぎをするのだ。
トッシュが無事に逃げおおせるまでの時間を稼ぐのだ。
剣をオオカミの首に突き立てる。
「終わりだ…」
どれほどの時間が経ったのか。
僕は勝った。
3匹のオオカミを相手に勝ててしまった。
「ハハッ」
笑ってしまう。
5歳から木剣を振ってきたのは無駄じゃなかった。
それでも薄氷を踏むような勝負だったのは理解している。
オオカミが3匹とも成体だったら、絶対に勝てなかったろう。
剣を杖代わりに、来た道を戻る。
森から出たところで、遠くに松明の灯かりを見つけた。
「おーい! おーい!」
僕を探す声が聞こえる。
助かった。
そう思った途端に涙が出た。
「アオオオオーーン!」
僕は吠えた。
力の限り吠えた。
傷が癒えて。僕は父様の容赦ないゲンコツをもらった。
「2度と無茶をするんじゃないぞ!」
それから抱きしめられた。
「お前は、ワシの誇りだ。まさしく蒼いオオカミの血を継ぎし者だ」
と頭を撫でられた。
トッシュも同じように怒られて、褒められたと言っていた。
レレイの病気も快癒した。
兄妹の親父さんと小母さんは、結局のところ薬草を手に入れることができなかったようで、僕にすごく感謝をしてくれた。
「ありがとう、マズーリ」
そう言って、レレイからキスのお礼も貰ってしまった。
今日も僕は剣を振って鍛錬してから、森のほうへと行く。
オオカミが出てこないか見張るのだ。
もしもオオカミが平原に出てこようものなら、斬り棄ててやるつもりで。
『誰よりも速く駆け、誰よりも強くなり、誰よりも優しく、そして誰よりも己に厳しく』
父様の言葉を胸に。
ジラント族を統べるに相応しい男になれるよう。
今日も、僕は森へと足を向けるのだ。
後半は駆け足になりました。
呪われし老コボルトの、幼い頃のお話です。
この後は……そういう展開になります。




