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勇者様、私との婚約は世界を救ったあとで破棄してください  作者: 週休七日


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13/20

英雄譚には載らない一日

 魔王の城は、絵で見たものほど城らしくなかった。


 山の向こうに、黒い塔のようなものが立っている。

 輪郭は、ときどきほどけて違う形になった。


 離れた廃村へ、最後の陣を置いた。


 兵たちが壁を補修する。

 ダグが地図を広げる。


 リゼは、兵士の名前を聞いて回っていた。


「何を書いているんですか」

「従軍した方の名簿です。これまでの記録は、勇者と聖女以外、省かれすぎているので」


 彼女は眼鏡を押した。


「結末は、まだ書きません」


 私はうなずいた。


 午後、全員で退路を確認した。


 城の内側は、地形が変わる。

 魔王を倒せば、その力で保たれていたものが崩れる可能性もある。


「帰りには、二人とも聖なる力を失っている」


 アレンが言った。


「行けた道を、そのまま戻れると思わないでくれ」


 兵たちは板と縄を運び出した。


 渡れない場所へ橋を架ける。

 灯りが消えても掴めるよう、縄を結ぶ。


 仮橋を作った町で手伝っていた兵士が、結び目を示した。


「この締め方で、よろしいですか」


「ああ。それなら、緩みにくい」


 私は、剣を持たないアレンの手を見ていた。


 同じ手だった。

 誰かを帰すために働く手だった。


 陣紙も用意した。


 朝に力を込め、リゼたちへ渡す。

 残った力がある間だけは、私が力を失っても使える。


 ただし、それを最後まで当てにはしない。


 紙が冷たくなったあとの道まで、作っておく。


 夕方、私は破れた袖を縫った。


 文字なら真っ直ぐ書けるのに、糸は思いどおりに進まない。


「大きな傷にはならないだろうか」


 アレンが縫い目を見る。


「布を治療しています。患者は黙っていてください」

「患者は上着では」

「付き添いの方も、静かに」


 彼は素直に黙った。


 そのあと、自分の指へ棘を刺した。


 魔獣の爪には顔をしかめない人が、小さな棘には露骨に嫌そうな顔をする。


 私は笑いながら、縫い針で取ってあげた。


 世界を救う前の日に、私たちは、そういうことをしていた。


     *


 アレンが、小さな板をくれた。


 掌ほどの大きさ。

 角が削られ、片面が滑らかに磨かれている。


「看板の練習に」


「小さなお店ですね」

「本物は、帰ってから作る」


 私は顔を上げた。


「約束にして、いいんですか」


 彼は言葉を止めた。


 それから、言い直す。


「作りたいと、今の俺は思っている」


 私は板を胸に抱いた。


 先のことを全部保証してもらうより、その願いを、ちゃんと聞いていたかった。


 表には、ノエル代筆店。


 裏には、お手紙、読みます。


 そう書いた。


 アレンが文字に触れようとしたので、慌てて止めた。

 まだ乾いていなかった。


 その指へ、インクが少しついた。


 汚れまで、惜しかった。


 帳面と手紙、それから看板をリゼへ預けた。

 内側には持ち込まず、後方の荷馬車で保管してもらう。


 手紙を封じる前、私は読み直した。


『未来の私へ。

 この人を、好きにならなくてもいいです』


 そこから先へ進めなくなった。


 アレンのところへ行く。


「どうした」

「いい人の手紙を書くのが、難しいです」


 彼は少し笑った。


「俺もだ」


「あなたも?」


「別の誰かを好きになってもいいと、書こうとした」


 眉を寄せる。


「今の俺には、かなり難しい」


 私は泣きながら笑った。


「私もです」


「そうか」


「未来の私を縛りたくないのは本当です。でも、今の私は、あなたに私を好きでいてほしいです」


「好きだ」


 すぐに返ってきた。


 私は、また泣いた。


 その夜の私たちは、あまり立派ではなかった。


 怖いと言った。

 嫌だと言った。

 忘れたくないと、何度も言った。


 明け方近く、アレンが尋ねた。


「眠れそうか」

「少しだけ」

「起きたら、朝食だ」

「そのあと、魔王討伐ですね」

「順番は守ろう」


 私はうなずいた。


 英雄譚には、たぶん朝食のことは載らない。


 それでも私は、彼ともう一度、朝食を食べたかった。

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