第一楽章~吹き抜ける風~
乾いたパンをぬるい水で流し込み、簡単な朝食を終えた。
「空腹じゃ何もできないからな」
そう言って皆に食事を促したのは大地だった。
「どうやら、普通の状況じゃないみたいね」
若菜の言葉に、大地がうなずく。
「今、全体を見てきた。電気がついてたのは、非常用の蓄電池みたいだ」
いつまで使えるのかは分からない。
それでも昨夜、明かりがあったことだけは救いだった。
「異世界……ってところなのかなぁ」
アイシャがぽつりと言った。
「アニメの展開だと、もうちょっと親切だけどな」
夏樹が力なく笑う。
その笑いにつられるように、何人かが小さく笑った。
ほんの少しだけ、張りつめていた空気が緩んだ。
「とにかく、何もしないわけにはいかないわね」
若菜が皆を見回した。
「そうだな。とりあえずは森の散策と、これからのことだな」
大地の言葉に、何人かがうなずく。
軽い話し合いのあと、若菜、夏樹、アイシャ、大地の四人で、周囲を散策することになった。
転移の翌日――つまり今日は、二時間ほど森を歩いてみる。
部室棟から離れすぎないよう、慎重に木々の間を進んでいった。
木々の間から差し込む光は明るい。
けれど、少し奥へ目を向ければ、その先は重なる木々に遮られて何も見通せなかった。
足元には見慣れない草が生い茂り、歩くたびに乾いた葉が音を立てる。
「道なのか、なんなのか分からないな」
足元を見ながら、大地がつぶやいた。
人が歩いた跡のようにも見える。
ただ草が少ないだけの場所にも見える。
「そうね。どのくらいの広さかも分からないから、慎重に行きましょう」
「ゲームなんかだと、そろそろモンスターが出てきそうだよな」
「えー、やめてくださいよ」
アイシャが嫌そうな顔をした、そのときだった。
ガサガサッ。
「キャー!」
突然、茂みから何かが飛び出した。
バタバタバタバタ――。
大きな羽音を残して、数羽の鳥が木々の間から飛び立っていく。
四人がそろって空を見上げた。
枝葉の間を抜けた鳥たちは、そのまま高く舞い上がっていく。
見上げているうちに、その姿は空へ吸い込まれるように小さくなり、やがて見えなくなった。
「……びっくりしたわね」
若菜が胸元に手を当てる。
しばらくして、誰からともなく笑い声がこぼれた。
結局、その日見つけられたものは何もなかった。
「よし、今日は戻るか」
大地が来た道を振り返った。
「そうですね。みんなも心配してるでしょうし」
夏樹の言葉に、若菜とアイシャもうなずく。
四人はそれ以上森の奥へ進まず、部室棟へと引き返すことにした。
一日、また一日と時間だけが過ぎていった。
毎朝いくつかの組に分かれて森へ入り、決めた時間になれば部室棟へ戻る。
次の日には、昨日よりほんの少しだけ遠くへ行く。
それを繰り返した。
けれど、何も見つからない。
次第に、みんなの口数も減っていった。
一週間を過ぎたころには、森を歩くことにも慣れていた。
最初は足を止めていた鳥の声にも、いつしか誰も反応しなくなった。
茂みが揺れても、少しくらいなら驚かない。
森を歩く足取りも、最初のころよりずっと速くなっていた。
それでも、まだ何も見つからなかった。
分かったことといえば、食べられそうな果物や、小動物がいることくらいだった。
――このまま、どうなるんだろう。
きっと、誰もが同じことを考えていた。
けれど、それを口にしてしまえば、不安が一気に広がってしまうような気がした。
だから誰も口には出さない。
静かに、落ち着いて。
何かが変わる時を待っていた。
二週間が経とうとしていた、ある朝。
今日も空は同じだった。
木々の隙間から見える青い空も、枝葉の間から差し込む朝の光も、もう見慣れたものになっていた。
「そういえば、まだここに来てから雨が降ってませんね」
アイシャが空を見上げた。
「そうね。飲み水のことも考えなきゃいけないし、何か見つけないと」
いつもの朝の散策。
若菜、夏樹、アイシャの三人は、担当している場所を歩いていた。
二週間近く歩き続けたことで、探索する範囲もずいぶん広がっている。
そろそろ、何か見つかってもいいころだった。
ふと、三人の間を風が通り抜けた。
木々の葉が一斉に揺れる。
三人は何となく足を止めた。
何かが違う。
そんな気がしたが、誰も言葉にはしなかった。
♪――
違和感は、風だけではなかった。
遠くから、確かに音が聞こえる。
三人は顔を見合わせた。
もう一度、耳を澄ませる。
♪――
聞き間違いではない。
「……誰か、フルート吹いてるのかな」
アイシャが音のする方へ顔を向ける。
「そうね。誰かが持ち出してるのかも」
若菜も耳を澄ませた。
夏樹はしばらく黙ってその音を聞いていたが、やがて首をかしげる。
「……なんか、少し変じゃないですか?」
音が聞こえてくるのは、まだ一度も足を踏み入れていない方向だった。
三人はその音を頼りに、森の奥へと進んでいく。
近づくにつれて、音が少しずつ鮮明になっていった。
間違いなくフルートの音だった。
やがて、木々の間から差し込む光が強くなっていく。
それまでどこまでも続いていた森が途切れ――
視界が開けた。
水面が陽の光を反射して、きらきらと揺れている。
そして、その水辺に一人の少女がいた。
銀色の長い髪が、風に揺れている。
少女はまだ三人には気づいていない。
ただ静かに、フルートを奏でていた。
木々の隙間から差し込む光が、その姿を静かに照らしていた。




