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剣の姫君と封印守の魔法使い  作者: 如月アトリ


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2/11

一 封印守の魔法使い

 南のマクラウド家に伝わる始まりの話では、彼らは、この国の北の果てに、ある日突然現れたのだという。

 自分たちは山の向こう、森の向こうの海辺で暮らしていたこと。そこに竜が現れ、長く争い、どうにか倒したものの、土地は荒れ果て、暮らしていけなくなったこと。

 だから、ここまで来たのだと、そう語ったという。

 当時の北の辺境の領主はしばらく考え、こう答えた。

 ――この国の民となると誓うなら、領民として迎え入れてもよい。ただし、この国は南の隣国と争っている。戦える者は兵として南へ行き、そうでない者は土地のために働け。

 一族の長であった青年は、これを受け入れた。

 竜を倒したというその青年は、戦場で獅子奮迅の働きを見せ、その武勲は将軍の目にも留まった。青年は将軍の娘を娶り、王都に近い南の地で爵位を得た。

 それが、南のマクラウド家の始まりだった。


 ――それから、三百年。

 南のマクラウド家の末裔、ソルカ・マクラウドは、北へ向かっていた。

 王都を出てから、二週間。道は次第に細くなり、人家は減り、やがて、王国の支配が及ぶ場所の端にたどり着いた。そこから先は、山の向こう側だ。

 王都から同行した従僕が、蒼白な顔で訴える。

「お嬢様、おひとりでは無理です」

「ここから先は、私の家の使命よ」

「でしたら、なおさら私も」

「あなたの忠義を試す場所ではないわ」

 ソルカは従僕に金と手紙を渡した。

「十日、ここで待って。それでも私が戻らなければ、王都へ帰りなさい。ソルカ・マクラウドは北で死んだと、父と母に伝えて」

「そんなことは」

「命令よ」

 従僕は泣いたが、ソルカは泣かなかった。


 山を越える道は、もはや道と呼べなかった。

 馬を引いて歩かねばならず、風は冷たく、雨は横から吹きつけた。深い森のところどころに、黒く焼けた岩肌が覗いている。

 二日をかけて山を越え、ソルカは北の村へたどり着いた。


 村は、三軒ばかりの集落だった。

 石垣に囲まれた質素な家が、風を避けるように低く建っている。軒下には干した魚が吊るされ、鹿皮が張られていた。煙突からは細い煙が上がっている。

 だが、土地そのものは、思いがけないほど明るかった。

 空は広く、風に伏せた草地はどこまでもみずみずしい緑で、白っぽい岩が波打ち際に転がっている。草の匂いに、潮の匂い。強い風。遠くの海は光っていた。

 ソルカは呪われた地を想像していたが、目の前に広がっていたのは、拍子抜けするほど美しい風景だった。


 ソルカが馬を止めると、年配の女が顔を上げた。女はソルカの赤毛を捉え、次に腰の剣へ視線を移す。

「南のマクラウドだね」

「ご存じなの?」

「忘れたわけじゃない」

 女は手を拭きながら近づいてきた。

「来るとは思っていなかっただけだよ」

「私は、使命を果たしに来ました」

 女はしばらくソルカの顔を見ていた。怒っているようにも、呆れているようにも、泣き出しそうにも見える。

「……あの丘の向こうに、封印守《ふういんもり》の家がある」

 女は丘の向こうを指した。

 ソルカは女の指さす方角を見たが、なだらかな丘が続いているだけで、家は見えない。

「……封印守? 何も見えないわ」

「村からは見えないように建っているんだ」

「なぜ」

「あの子は、村ではなく洞窟を見ているから」

 女は、丘のほうへ向ける目を細めた。

「行くなら、日が落ちる前に行きな。あの家は近いようで、風が強い」


 ソルカは馬の手綱を引き、丘の道を歩き出した。

 風は冷たかった。王都を出たころには夏の明るさがあったのに、この北の海辺では、季節がひとつ手前で止まっているようだった。草の匂いに潮の匂いが混じり、さらにその奥に、かすかに、焦げた鉄のような匂いがあった。

 丘を越える道は細い。人が踏み固めた跡はあるが、荷車の通う道ではない。両側の草は膝の高さまで伸び、風が吹くたび、波のように揺れた。下のほうから、波が岩を打つ音が聞こえる。

 村の犬が一匹、物珍しそうに付いてきていた。犬は、丘の途中でぴたりと足を止め、鼻先を低くして草の間の匂いを嗅いだ。ソルカが振り返ると、犬は尾を下げ、来た道を戻っていった。


 やがて道が下りになり、視界が開け、ソルカは足を止めた。

 そこには、海蝕洞があった。

 黒い崖が、海へ向かって大きく口を開けている。洞窟の奥は暗く、昼の光が届かない。海水が洞窟の口を満たし、波が入るたび、低いうなりのような音がした。

 崖の上には、石造りの小さな家が一軒だけ建っていた。塔でも神殿でもない、漁師の小屋のような佇まい。だが、その窓は、まっすぐ洞窟を向いていた。

 ――村ではなく、洞窟を見ている。

 女の言葉の意味が、ようやくわかった。

 そして、気づいた。

 洞窟へ降りる道筋だけ、草が枯れている。

 水辺だというのに、岩の苔は赤黒い。

 さっきまで空には鳥の声があったのに、崖のまわりには、一羽も降りていない。

 美しい土地の、そこだけが――古い火傷の跡のように、死んでいた。


 ソルカは馬を石垣につなぎ、扉の前に立ったが、扉は叩く前に開いた。

 中から出てきた男は、まず空を見た。次に海を見て、崖下の洞窟へ目をやった。それから、ようやく仕方なさそうに、ソルカを見た。

 その視線が、ソルカの赤毛から剣へ、剣から顔へと移り――男は、あからさまに眉をひそめた。

「……村へ戻ってください」

 第一声が、それだった。

 ソルカは思わず聞き返した。

「あなたが封印守?」

「そうです」

「私はソルカ・マクラウドです」

「知っています」

「まだ名乗っていないわ」

「髪と剣で十分です」


 思っていたより、若い。二十代の半ばを少し過ぎたくらいだろうか。

 ソルカとほとんど変わらない背丈だが、痩せて、体に厚みがない。頬はこけ、袖口から覗く手首は骨の形がわかるほど細かった。肌は北の風と潮にさらされて白く、目の下には濃い影がある。

 そして、髪は赤かった。

 自分と同じ、燃えるような赤毛。それが、なぜか少しだけ、気にかかった。

 瞳の色は、夕方の光の加減か、色まではわからなかった。ただ、底を覗き込めば落ちる、と思わせる目だった。

 男は扉に手をかけたまま、家に入れようとはしなかった。

 ソルカは少し顎を上げた。

「私は、北の大地に眠る使命を果たしに来ました。マクラウド家に伝わる剣を持って」

「そうでしょうね」

「話を聞かせて。あなたが封印守なら、私を追い返す前に、話すべきことがあるはずよ」

「あなたにあるのは、帰る理由です」

 静かな声だった。

 だが、鞘に納めたままの刃を突きつけられているようだった。

「帰れと言われて帰るくらいなら、ここまで来ません」

「それなら、なおさら厄介です」

「失礼ね」

「失礼で済むなら、安いものです」

 男は一度、崖の下へ目を向けた。視線が、洞窟へ落ちる。

 ソルカもつられて見た。

 海水は黒く見えた。波が入るたび、洞窟の奥で何かが鳴った。岩に当たる水音にしては、低すぎる音だった。

「この洞窟に、何があるの」

 男はすぐには答えず、その音が消えるまで待っていた。

「村の人は、あなたが洞窟を見ていると言っていたわ」

「村の者は余計なことを言いますね」

「余計なことを言われるような暮らしをしているのでしょう」

 男の眉が、わずかに動いた。

 ソルカは続けた。

「あなたは封印守なのね。なら、封印されているものがある。私の家の伝承では、北の大地に使命が眠っているとあるわ。竜を斬った剣を携えて、果たしに来いと。あなたがここにいるということは、何もないわけではないでしょう」

「……あなたの家に伝わっている話と、こちらに残っている話は、ずいぶん違うようです」

 男の声は冷たかった。

「あなたが何を期待して来たのかは知りませんが、ここにあるのは、見ての通り――潮と、毒と、滅びかけの村だけですよ」

 ソルカは息を呑んだ。

 潮と、毒と、滅びかけの村。

 その言葉は、伝承の勇ましい響きとはまるで違っていた。竜殺しの英雄譚ではない。長患いの病人の部屋のような、じっと耐えて、看取るしかないものの重さがあった。

「私の家では、竜は倒されたと伝わっています」

「そうでしょうね」

「では、この洞窟は何なの」

「後始末です」

 男は短く言った。

「あなたの祖が斬ったものの後始末を、こちらの初代が引き受けた。村の者たちは、それで終わったと思った。――そこまでは、事実です」

「初代?」

 その問いには答えず、男は無表情に告げた。

「あなたの家は、名誉を継いだ。剣を継いだ。ここに残った者たちは、後始末を継いだだけです」

「そんな言い方」

「他に、何と言えば?」

 男が、ようやく扉から手を離して、家の中が少し見えた。

 暖炉、机、棚。壁際には古い帳面がうずたかく積まれ、天井の梁には、乾かした草束が吊るされていた。

 封印を守る者の家と聞いて、どこか神殿めいたものを想像していた。だが、そこにあったのは、帳面だけ――記録し続ける者の家だった。

「竜殺しの名誉も、北の宝もありません。あなたの家が南で何を語ってきたのかは知りませんが、ここに残った者たちは三百年、ただ見張ってきただけです」

「見張るだけで、満足しているの?」

 瞬間、男の瞳に怒りが宿った。

「満足?」

 声は低かった。

「満足しているように見えますか。封印が緩むたびに魚が死に、洞窟の風が熱を帯び、村の子供が熱を出す。若い者は出ていく。残る者は減る。この村に生まれた者は、出ていくか、見張るか――どちらかです。それを満足と呼ぶなら、南の言葉はずいぶん便利にできている」


 ソルカが言葉に詰まっていると、崖下の洞窟から、また低い音がした。

 男は硬い声で「今夜は、村へ戻ってください」と繰り返した。

「まだ何も聞いていないわ」

「聞けば、帰れなくなる」

「それなら、なおさら聞くべきでしょう」

「あなたは未婚の令嬢です」

 急に話が変わり、ソルカは目を瞬かせた。

「今、それが何の関係があるの」

「あります」

「私は使命の話をしているのよ」

「私は、あなたを家に入れられない理由の話をしています」

 ソルカは、思わず口を開けた。

「……まさか、私がここに泊まると思っているの?」

「泊まると言い出す顔をしていました」

「失礼ね!」

「おおむね当たっているでしょう」

 当たっていた。

 だが、当たっていることと、言っていいことは別だ。

「私は、話を聞くまで帰らないわ」

「では、送ります」

 男はそう言うと、強い力でソルカの腕を取った。

「ちょっと、何を」

「村へ戻ります」

「歩けるわ!」

「戻る気がないでしょう」

「乱暴しないで!」

 ソルカがそう叫んだ瞬間、男はぴたりと手を離した。

 傾いた日の光の中で、初めて瞳の色が見えた。紫紺の、夜空の底のような色だった。

「……失礼しました」

 彼は一歩下がったが、それでも扉の前からは退く気配はない。

「馬に乗ってください」

「命令?」

「お願いです。命令のほうがよければ、命令にします」

「本当に感じの悪い人ね」

「よく言われます」

「でしょうね」

「馬へ」

 ソルカは睨んだが、結局、折れたのはソルカのほうだった。


 馬に乗ると、男は手綱を取り、ソルカが抗議する前に歩き出す。崖上の家から、丘の細い道を下りていく。海からの風が背を押し、草が足元でざわめいた。

「子供扱いしないで」

「夜道で落ちたら困ります」

「まだ夜ではないわ」

「北の夕暮れは早い」

「あなた、何を言っても言い返すのね」

「必要なことだけを言っています」

「それが一番腹が立つのよ」

 男はそれには答えず、手綱を引く手に力を込めた。


 村へ戻るころには、空はすっかり灰色になっていた。

 三軒の家から細い煙が上がり、干した魚の匂いがした。昼にソルカへ道を教えた年配の女が、家の前で薪を割っていた。

 女は、男が馬を引いて戻ってくるのを見ると、手を止めた。

「追い返されたかい」

 ソルカは顔を赤くした。

「追い返されたのではありません。連れ戻されたのです」

「同じようなもんだね」

 男は女の前で手綱を止めた。

「マーラ。この方を一晩、泊めてやってくれないか」

「自分の家に置けばいいだろう」

「未婚の令嬢です」

 マーラは即座に「ああ」と納得した。

「なるほどね」

「なるほどではありません!」

 ソルカが言うと、マーラは声を立てて笑った。

「南のお姫様は怒りっぽいね」

「姫ではありません」

「じゃあ、今夜はうちの寝台で文句を言わずに寝る娘だ」

 マーラは家の扉を開けた。

「入りな。寒かったろう」


 ソルカは馬を降り、男を見た。

「明日、もう一度行きます」

「村にいてください」

「行きます」

「では、朝には家にいません」

「逃げるの?」

「仕事です」

「なら、仕事先へ行くわ」

 男は深く息を吐いた。

 初めて、年相応の、疲れた若者の顔になった。

「ソルカ姫」

「姫ではないわ」

「あなたは、何もわかっていない」

「だから、聞きに来たの」

 しばらく、二人は黙って向かい合った。

 風が吹く。男の赤毛が頬にかかった。彼はそれを払おうともせず、ただソルカを見ていた。

 やがて、先に視線を逸らしたのは、男のほうだった。

「……明朝、崖へは近づかないでください」

「なぜ」

「危険だからです」

「何が」

「それを知るために、近づかないでください」

「あなた、本当に説明が下手ね」

「よく言われます」


 男はマーラに軽く頭を下げた。

「頼む」

「はいはい。あんたも少しは寝な」

「潮を見ます」

「またそれか」

 マーラは小さく舌打ちした。

「洞窟ばかり見ていると、そのうち洞窟を嫁にすることになるよ」

「嫁を取る予定はありません」

「だろうね」

 男は手綱をソルカに返し、背を向けた。

 その背に、ソルカは声を投げた。

「そういえば――まだ、あなたの名前を聞いていなかったわ」

 男は足を止めた。振り返りはしなかった。


「……ルアリ。ただのルアリです。家名は、ありません」

 それだけ言って、彼は灰色の空の下、風に伏せた草の道を、丘の向こうへ一人で戻っていった。

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