第8話 忠誠心
大阪、今城塚古墳。
日本国内でも数えるほどしかない、
深淵まで到達するダンジョンが存在する場所だ。
ダンジョンは七つの階層に分かれている。
上層・中層・下層。
そして深層・深淵・奈落。
そのさらに先に存在するのが――阿頼耶。
上層から下層までは下界。
深層から奈落までは中界。
そして阿頼耶のみが上界と呼ばれていた。
その「中界」の入り口、深層。
生態系すら変質し、難易度が跳ね上がるこの領域を、一人の女性が歩いていた。
逢魔七罪。
探索者に似つかわしくない、白いシャツとスラックスという私服姿。装備らしい装備は何も身につけていない。まるで街を散歩するような、気だるげな足取りだった。
『ミオミオの反応はこの先だよ☆』
ラプラスのホログラムが、空中に矢印を表示した。
七罪はその指示に従い、淡々と歩を進める。
途中、深層に生息するモンスターたちが襲いかかってきた。
巨大な蜘蛛。人の顔を持つ鳥。岩のような外殻を持つ四足獣。
それらは深層に相応しい、強大な魔力を持つ存在だった。
だが。
七罪は立ち止まりもしなかった。
右手を軽く振るう。
次の瞬間、モンスターたちは爆散した。
血も肉片も、七罪には一切かからない。まるで見えない壁が七罪を守っているかのように、すべての汚れは空中で止まり、地面に落ちた。
七罪は何事もなかったかのように歩き続ける。
やがて、広々とした空間に辿り着いた。
そこには二人の人物がいた。
一色彩。学生服は少し破れた箇所があるものの、身体にダメージを受けた様子はない。余裕の表情で、七罪を待っていた。
そして、鈴仙澪。黒い警棒を握りしめたまま、石の床に倒れている。ダメージをかなり受けているようで、意識を失っているようだった。
七罪は倒れている澪を一瞥した。
そして彩に視線を向ける。
「それで?」
七罪の声は、いつもの気だるげな調子だった。
「んー」
彩は首を傾げた。
「赤ちゃんが這い這いから、ふらつきながら二足歩行をなんとかできるぐらいには鍛えましたよー」
彩は肩をすくめた。楽しそうに。
「五日もあって、その程度しか無理だったの」
七罪の声が、わずかに低くなった。
「えー、ひどーい」
彩はぷんすかと頬を膨らませた。あざとい仕草。
「合法の範囲内でやったんですぅ。澪ちゃんを怒らせるために、犯罪行為で挑発しても良かったんだけどぉ、そうすると貴女さまが捜査に出張って来る可能性があったから。とれる方法は限られてたの。その中で最大限に鍛えましたー」
彩は不満そうに言った。
「実際、どれぐらいできるようになった?」
「んー」
彩は少し考える仕草をした。
「私たちが使う念動力――『見えざる手』を感知して弾けるぐらいには? あとぉ、ここにいる魔物なら、モンスターハウスに遭遇しない限り、単独攻略もできるよ!」
彩は得意げに言った。
「……」
七罪はいつもどおりのポーカーフェイスだったが、わずかに不服そうな様子が顔に浮かんでいた。
「貴女さま基準で考えないで欲しいなぁ」
彩は楽しそうに笑った。
「因みにぃ、貴女さまはどれぐらいのレベルを期待してたんです?」
彩の問いに、七罪は視線を自分の指先へ向けた。
そこには傷一つない。
だが、かつて。
その指先に、わずかな傷をつけた存在がいた。
七罪は何か昔を思い出すかのように、小さく呟いた。
「――人理勇華レベル」
「いやいやいや」
彩は大げさに手を振った。
「それって人間の頂点だった探索者じゃないですかぁ。無理ですぅ。五日でそのレベルまで行くなら、あらゆる非合法を使ってよければやりましたけどぉ」
「……澪なら、その気になればいけた」
七罪は静かに言った。
「――灰色なだけで、そんな可能性は感じなかったなぁ」
彩は首を傾げた。
「それとも、澪ちゃんは特別なんですかー?」
「……あの漢の娘だから、期待はしてた」
七罪は短く答えた。
「あれぇ」
彩の目が、鋭くなった。
「澪ちゃんは知らないみたいだけどぉ、貴女さまは父親を知ってるんだぁ。教えて教えて」
七罪は倒れている澪のところまで歩いた。
そして身体を持ち上げ、背負った。澪の身体は、驚くほど軽かった。
「二十年以上前の、自分たちの主の名前を忘れた?」
七罪の声が、冷たくなった。
「――え」
彩の顔色が変わった。
「じょう、だん、だよ、ね」
彩の声が、震えていた。
現在、日本を支配しているのは『傲慢』の王、獅子傲政臣である。
だが約二十六年前、日本を支配していたのは『憤怒』の王、壬生憤弥だった。
ダンジョンが出現して一世紀。
魔人の中で行われた前代未聞の、支配地域のトップ入れ替わり。
現在、日本各地のダンジョンを支配している魔人の多くは、かつて憤弥の配下だった者たちだ。彩も、その一人。
大罪とは派閥だ。
七大罪の王の配下には、それぞれ異なる属性の魔人が混じっている。
色欲の伯爵である彩が、かつて憤怒の王の配下だったとしても不思議ではなかった。
「私も確信まではなかったけど」
七罪は澪を背負ったまま言った。
「獅子傲が言っていたから間違いない」
「……」
彩は七罪の元へ歩み寄った。
そして膝を折り、頭を下げた。
「貴女さまなら、あのお方の居場所を把握していらっしゃいますよね」
彩の声が、変わっていた。
今までのような人を苛つかせるような口調ではない。敬う声。主を想う臣下の声。
「私は皇帝の近衛」
七罪は冷たく答えた。
「王の居場所を把握してるわけがない」
「貴女さまは!」
彩が声を荒げようとした瞬間。
「――しつこい」
七罪が、冷徹な声で言った。
次の瞬間。
彩の身体が、崩れ落ちた。
声も出せない。呻くこともできない。
彩は床に倒れ込んだ。全身から血が噴き出し、骨が軋む音がした。
瀕死の重体。
七罪は何をしたのか。
見た目には何も変わらなかった。ただ一言、「しつこい」と言っただけだ。
だが彩は、ありとあらゆる攻撃を瞬時に受けたかのようなダメージを負っていた。
「皇帝を探していた真の目的は、軛ではなくて、先代『憤怒』王の居場所を知るため?」
七罪は淡々と言った。
「もう当代『憤怒』王がいるから、彼のことは忘れなよ」
七罪は少し間を置いた。
「それに――探しているもう先代『憤怒』王は、いない」
確信を持った声色だった。
七罪はポケットから、掌に乗るほど小さい黒い箱を取り出した。首にかけるチェーンが付いている。
それを彩の元へ投げた。
箱が、彩の傍らに落ちる。
「……これは報酬のヤツ」
七罪は気だるげに言った。
「一応、鍛えてくれたことには変わりないからあげる」
それだけ言うと、七罪は元来た道を歩き始めた。
澪を背負ったまま。
彩は床に倒れたまま、七罪の背中を見ていた。動けない。声も出せない。
七罪の足音が、遠ざかっていく。
「――伯爵でこれだと、獅子傲が皇城に来ていた理由は…………」
七罪は小さく呟いた。
「はぁ、面倒くさい」
珍しくため息を吐き、七罪は歩く速度を上げ、走り出す。
澪を背負ったまま、深層から上層に向け駆け抜ける。モンスターたちは七罪に近づくことすらできず、次々と倒れていった。
一色彩
獅子傲政臣
壬生憤弥
そして鈴仙澪
七罪は思案に没頭しながら、ダンジョンの出口へと向かった。
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