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【後日談開始】警察庁特定未開領域犯罪捜査課  作者: 華洛
後日談 休暇

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第7話 運命


 澪は夢を見ていた。


 白い病室。消毒液の匂い。機械の規則的な音。

 窓から差し込む午後の光が、ベッドに横たわる母親――鈴仙月希を照らしている。

 月希の顔は、記憶の中よりもずっと痩せていた。頬は削げ、目の下には深い影が刻まれている。だがその目は、優しかった。いつも澪を見つめていたあの優しい目が、そこにあった。


「お母さん、今日もダンジョン行ってきたよ」


 中学生の澪は、ベッドの傍らの椅子に座り、小さく笑った。


「一般開放迷宮。報酬はそんなに良くないけど、安全だから」

「……無理、しないでね」


 月希の声は、かすれていた。

 ダンジョンには四つの分類があった。

 世界に七箇所しかない阿頼耶まで繋がる『超法規的迷宮』。

 甲種三級以上のパーティのみ許可される『高度警戒迷宮』。

 資源採掘の主戦場となる『特定管理迷宮』。

 そして観光や教育目的での立ち入りも許される『一般開放迷宮』。

 中学生で探索者免許を取得して間もない澪が潜れるダンジョンは、『一般開放迷宮』だけだった。


「澪は、まだ子供なんだから」

「大丈夫」


 澪は母の手を握った。

 その手は、驚くほど冷たかった。


「私、もう中学生だし。お母さんの医療費くらい、自分で稼げるよ」


 月希は小さく首を振った。


「……ごめんね」

「謝らないで」


 澪は笑顔を作った。


「お母さんは悪くないよ。病気になりたくてなったわけじゃないでしょ」


 月希は何も言わなかった。ただ、澪の手を握り返した。

 その手が、震えていた。

 沈黙が落ちる。

 機械の音だけが、規則的に響いている。


「澪」

 月希が口を開いた。


「貴女に、話しておかなければならないことがあるの」

「……?」


 澪は首を傾げた。

 月希は深く息を吸った。まるで決意を固めるように。


「貴女のお父さんは――魔人なの」


 時間が止まった。

 澪は母の顔を見た。冗談を言っているようには見えなかった。

 魔人。

 それは都市伝説のような存在だった。ダンジョンの奥深くに潜む、人間を超えた存在。正式に存在が確認されたことはない。学者たちは否定し、探索者たちは噂し、政府は沈黙していた。


「……何を、言って……」


 澪の声が震えた。


「お母さん、疲れてるんだよ。休んで」

「澪」


 月希は澪の手を強く握った。その弱々しい手が、必死の力を込めている。


「本当なの。貴女のお父さんは、魔人だった」


 澪は何も言えなかった。


「貴女には辛い宿命を背負わせる形になってしまったわ」


 月希の目から、涙が溢れた。


「でも、私は、私たちは貴女のことを、愛している」


 月希の声が、震える。


「これだけは……絶対に変わりないわ。だから、どうか、そのことだけは――忘れないで」


 その瞬間。

 機械の音が、変わった。

 警告音が鳴り響く。月希の身体が、痙攣した。


「お母さん!」


 澪は叫んだ。

 看護師たちが駆け込んでくる。医師が怒鳴る。澪は無理やり病室の外へ押し出された。

 廊下で、澪は立ち尽くした。

 病室の扉の向こうから、慌ただしい声が聞こえる。

 そして――静寂。

 扉が開いた。

 医師が出てくる。その表情を見た瞬間、澪は全てを理解した。


「……ご臨終です」


 医師の声が、遠く聞こえた。

 澪は膝をついた。

 母が、死んだ。

 最期に告げた言葉。

 ――貴女のお父さんは、魔人なの。

 その言葉が、澪の心に突き刺さったまま、抜けなかった。




 それから、澪の生活は変わった。

 学校には行かなくなった。ダンジョンに潜る日々が続いた。

 魔素を吸収するたびに、澪は自分の中に「何か」が目覚めるのを感じた。

 怒り。

 制御できない、燃え上がるような怒り。

 些細なことで、澪は激昂した。探索者仲間に怒鳴り、時には殴りかかった。

 界隈で、澪は「狂犬」と呼ばれるようになった。

 怒ったら手が付けられない。理性が吹き飛ぶ。そんな評判が立った。

 澪は気にしなかった。むしろ、それでよかった。

 自分は人間ではない。魔人の血を引いている。ならば、人間らしく生きる必要はない。

 そう思っていた。

 犯罪スレスレの仕事も受けた。自分が持つ免許では入れないダンジョンへの違法侵入。盗掘。密輸の手伝い。

 金になれば、何でもよかった。




 だが、ある日。

 偽造した探索者免許で潜っていた『高度警戒迷宮』で、素材の違法採取の依頼をこなしていると、警戒中の女性警察官――人理勇華と戦闘になった。

 澪は魔人としての力を無意識に使いはしたものの、手も足も出ずに床に這いつくばった。

 それは仕方のないことでもあった。

 探索者免許は、丙種、乙種三級から一級、甲種三級から一級、そして特級と分かれている。その特級探索者が、勇華だ。

 巷では『勇者』の二つ名で呼ばれる実力者。


「いやー、君はまだ高校生ぐらいだろ」


 勇華は聖剣を鞘にしまい、澪の前に座った。


「あと十数年したら私がいる領域まで来るかも。末恐ろしいけど、こんな探索者がいるなら、私も安心していける」


 勇華は澪を見た。その目には、敵意はなかった。


「私のような優しいお姉さんと遭遇したのは運が良かった。怖い人だと、奴隷にされてヒューマンオークションに売り払われていたかもよ」

「……どうでもいい」


 澪は素っ気なく答えた。


「なんだか、死んでもいいって感じだね」

「……いいです」


 澪は自虐的な笑みを浮かべた。


「私なんて、死んだって、誰も悲しみはしない。それどころか迷惑な探索者がいなくなって喜ばれるでしょう」

「まあ、そうかもしれないね」


 勇華は肯定した。

 澪は少し驚いた。


「……っ。貴女のことは知ってます。人理勇華警部。警察の人でしょう。私を補導するんですよね」

「しないよ」


 はっきりと勇華は答えた。

 その返答に、澪は唖然とした。


「ここだけの話」


 勇華は小さく笑った。


「妹の占いによれば、私はもうじき死ぬ運命にあるんだ」

「え」

「妹の占いは優秀で百発百中。ま、回避するのは簡単でね。『超法規的迷宮』の最深部、阿頼耶に行かなければ死なないんだって」

「……なら行かなければいいじゃないですか」

「あはははは」


 勇華は楽しそうに笑った。


「だよね。私もそう思う」


 勇華の笑顔が、消えた。


「でも、それは運命からの逃げだ。私は運命から逃げてまで、おめおめと生き長らえたくはない」

「……バカじゃないですか」

「妹にも言われた」


 勇華は肩をすくめた。


「とはいえ、むざむざ死ぬつもりはない。運命に抗うために、最高の状態になるために鍛えている段階。ごめんだけど、君の補導とかで費やす時間はないんだ」


 勇華は頭を下げた。

 そして澪の横に、回復薬が入った瓶を三本置いた。


「君は自分の運命から逃げてるだろ」


 勇華は澪を見た。


「目を見たら分かる。せめて抗ってみなよ」

「人は――誰も貴女みたいに強くない」

「それでも、私は人の強さを信じてる」


 勇華は立ち上がった。


「君も運命から目を逸らさずに、立ち向かっていけばいいさ」

「……」

「どうしても運命に立ち向かって、抗って駄目なら、周りに助けてもらえばいい」


 勇華の声は、優しかった。


「人は致命的な間違いさえやらなければ、何度でもやり直せるんだからさ」


 その言葉は、どこまでも純粋だった。


「さて、私は奥へ行くけど、君も体力が回復したら地上へ戻りなよ」


 勇華の足音が、少しずつ遠ざかっていく。

 そして立ち止まった。


「そうだ。恩を着せる訳じゃないけど」


 勇華は振り返らずに言った。


「もしも私が行方不明にでもなったら、警察官になって、今の君のような子を救ってあげなよ」

「は?」

「補導されなければ、経歴に傷はつかない。警察官も目指せるさ。キャリアは無理かもしれないけど……」


 勇華は手を振った。


「ま、君の人生だ。たまたま運命が交差したところで出会った優しいお姉さんの戯言だと思って、一考してくれると嬉しいよ。じゃあね」


 勇華の姿が、ダンジョンの奥へ消えていく。

 澪は床に座ったまま、遠ざかるその背中を見つめていた。

 勇華に言われて、澪は自覚した。

 自分は、魔人という血から逃げていたのだと。

 このまま犯罪行為を重ねれば、本当の魔人に堕ちてしまうかもしれない。

 なら、勇華に言われたように警察官になるのも悪くない気がした。


 それから、澪は変わった。

 真面目に学校に通い、勉強した。探索者としての活動も、合法的なものだけにした。

 そして、決めた。

 警察官になる。

 勇華のように、誰かを救う警察官になる。




 全身に痛みが走り、澪は現在へ引き戻された。


「……っ」


 澪は目を開けた。

 視界に映ったのは、ダンジョンの天井だった。

 冷たい石の床に、澪は倒れていた。

 身体が、痛い。

 全身が、悲鳴を上げている。


「おっはよー、澪ちゃん」


 楽しそうな声が聞こえた。

 澪は顔を上げた。

 そこには、一色彩が立っていた。


「今日も可愛いね。青色の競泳水着、似合ってるよ」


 澪は自分の格好を見た。

 青色の競泳水着。

 屈辱が、澪の胸を満たした。

 修行という名目で戦い始めて、四日。

 負ける度に、彩は澪に様々なコスプレを強要した。

 メイド服。ナース服。チャイナドレス。バニーガール。

 そして今日は、競泳水着。

 澪の精神は、限界に近づいていた。


「さあ、今日も頑張ろうね」


 彩は楽しそうに笑った。


「澪ちゃんの怒り、まだまだ足りないよ。もっともっと、怒らないと」


 澪は拳を握りしめた。

 屈辱。

 怒り。

 それらが、澪の中で渦巻いている。

 母の顔が浮かぶ。

 勇華の顔が浮かぶ。

 そして――自分が警察官になると決めた日の、自分の顔が浮かぶ。

 澪は立ち上がった。


「……もう一回」


 澪の声が、低く響いた。


「もう一回、やります」


 彩は目を細めた。


「いいねぇ。その目」


 澪の瞳が、変わっていた。

 真紅と金色。

 二色が混じり合い、燃え上がるような光を放っている。

 そして七罪から渡された黒い警棒が、澪の感情に呼応するように黒く光った。


「でもね」


 彩は笑った。


「まだまだ甘いよ」


 彩が指を鳴らす。

 次の瞬間、澪の身体が吹き飛んだ。

 念動力。

 澪は壁に叩きつけられ、石の床に落ちた。


「怒りだけじゃ、私には勝てない」


 彩は澪に近づいた。


「もっと。もっともっと、怒らないとダメだよ」


 彩の声が、澪の耳に響く。


「澪ちゃんの中にある、すべての怒りを解放しよう。大丈夫。どんなに醜く、汚れていても、『色欲』の私は愛してあげる」


 澪は歯を食いしばった。

 身体が、動かない。

 だが、心は折れていなかった。

 母の言葉を思い出す。

 ――愛している。

 勇華の言葉を思い出す。

 ――運命から目を逸らさずに、立ち向かっていけばいいさ。


「……負けない」


 澪は呟いた。


「絶対に……負けない」


 澪の瞳が、さらに強く輝いた。

 真紅と金色が、激しく渦巻く。

 彩は満足そうに笑った。


「そうそう。その調子♪」


 彩が再び攻撃を仕掛ける。

 澪は立ち上がる。

 警棒を握りしめる。

 怒りを、力に変える。

 澪の修行は、まだ終わらない。



読んでいただきありがとうございました。

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