第4話 魔人とは
迅は澪の横に座った。彩は七罪の横に、半ば押しかけるように座った。
纏は七罪の左腕にしがみついたまま、フードを深く被っている。彩を見ようともしない。澪は拳を握りしめたまま、彩を睨んでいる。
個室の空気は、重苦しかった。
迅はスマートフォンを取り出し、無言で注文を済ませた。
日本酒の熱燗。焼き鳥。揚げ出し豆腐。
指は機械的に動いていたが、視線はどこか虚ろだった。
「あの、蓮見さん」
澪が口を開いた。
「顔、大丈夫ですか」
迅の顔は少し腫れ上がり、わずかに赤黒く変色している。唇の端には、乾いた血が滲んでいた。
「……ああ。ちょっとぶつけただけだ」
迅は素っ気なく答えた。視線を合わせない。
「もしかして一色彩に――」
「酷い濡れ衣ー」
彩が大げさに両手を広げた。
「むしろ助けてあげたぐらいなのにぃ」
「コレを連れてきた時点で、どうせコレの浅知恵に嵌って受けたんでしょう」
七罪は気だるげに言った。彩を「コレ」と呼ぶ。まるで物を指すような、冷徹な響きがあった。
「……チッ」
迅は小さく舌打ちをした。否定しない。
澪は迅を見た。腫れた頬。血の滲んだ唇。そして何より、その目に宿る諦めのような色。
迅は、何かを諦めている。
その感覚が、澪の胸に刺さった。
「――俺のことはいい」
迅は低く言った。
「それよりも魔人について教えろ」
七罪は小さくため息をついた。目の前の徳利を手に取り、おちょこに酒を注ぐ。一気に飲み干すと、面倒くさそうに口を開いた。
「その前に、一つ」
七罪は澪と迅を見た。
「ここから話す情報は、孔明が知っていることに限る。そういう約束だから、私はすべては言えない」
澪は息を呑んだ。
孔明が知っている、ということは――孔明は魔人の秘密を最初から知っていた。七罪から直接聞いている。そしてそれを、澪たちには伝えていない。
「まず」
七罪は箸を手に取り、焼き鳥を一本取った。
「魔人はどこに住んでいると思う?」
「魔人というぐらいだ」
迅は即座に答えた。
「魔界か地獄だろ」
「漫画やライトノベルを読みすぎ」
七罪は呆れたように言った。
「魔人がいるのは、阿頼耶と呼ばれる世界」
「阿頼耶?」
澪は聞き慣れない言葉を繰り返した。
『阿頼耶。または阿頼耶識だね☆』
ラプラスのホログラムが、空中に文字を浮かべた。
『人間の意識の最深層にあり、「生命エネルギーの貯蔵庫」とも称される場所。過去のあらゆる経験やカルマが「種子」として蓄えられる……仏教哲学の概念を借りれば、そうなるかな☆』』
「その『種子』がまとまり、意思を持った」
七罪は淡々と、講義でもするかのように続けた。
「人間が持つあらゆる悪行の性質を分類した、七大罪。その性質そのものを本質として得た存在――それが魔人」
澪は戦慄した。
魔人は外部からの侵略者ではなく、人間自身の内側に溜まった澱から生まれたものなのか。
「昔は私たちと対極にある、七美徳の性質を持つ聖人と呼ばれていた存在もいたんだけどねー」
彩が軽い調子で言った。まるで昔話でもするように。
「……七大罪と七美徳」
七罪は酒を一口飲んだ。
「魔人と聖人。十四の王と、それを統べる一柱の皇帝。それがかつての阿頼耶の秩序だった」
「だった、か」
迅が低く呟いた。
「まるで過去形だな」
「七美徳の聖人たちはね」
彩は目を細めた。楽しそうに。
「魔人との戦争に敗れて、ほぼ全滅しちゃったんだ。あは、悲劇だよねぇ」
彩は指で目元を拭ったが、そこには湿り気など微塵もない。醜悪なまでの演技だった。
「二度にわたる大戦。結果、七美徳の王は戦死し、その配下は滅ぼされるか、あるいは『反転』して七大罪に取り込まれた。今や純粋な七美徳は絶滅寸前。皇帝が種の保存のために保護している程度」
澪は拳を握りしめた。
善が悪に敗れた。
七美徳が七大罪に滅ぼされた。
それは、世界の均衡が崩れたということだ。
「そうそう」
彩は嬉しそうに言った。
「私も『純潔』の聖人を何人か反転させたけど……あれは最高だったなぁ。あんなに白かった心が、ドロドロの快楽に染まっていく瞬間ときたら」
澪は彩を睨んだ。
「なにを、したんですか」
「んー」
彩は首を傾げた。無邪気な仕草。だがその目には、底知れない邪悪さが宿っていた。
「んー? 『純潔』を『色欲』に裏返すんだよ? することは一つじゃない。……わざわざ詳しく聞きたいなんて、澪ちゃんも意外と隅に置けないね??」
「なっ!」
澪は反射的に机を叩いた。椅子を蹴って立ち上がり、彩に掴みかかろうとする。
その腕を、七罪が掴んだ。
「こんな安い挑発に乗らないで」
七罪の声は、いつもの気だるげな調子のままだった。
そして彩を見た。
「あと、一々挑発しないでくれる?」
「ごめんなさーい。澪ちゃんがあまりに可愛い反応をするから、つい」
「――っ」
澪は唇を噛んだ。座り直す。だが拳は、まだ震えていた。
七罪は小さくため息をついた。
「話を続けるけど」
七罪は酒を一口飲んだ。
「七美徳は敗北したことで、阿頼耶は七大罪の支配下に堕ちた。でも、七大罪は満足しなかった。人類史が戦いの歴史であるように、七大罪たちは更なる戦いを欲した」
七罪の声に、わずかな疲労が混じっていた。まるで遠い過去を語るような、どこか遠い響きがあった。
七罪は窓の外を見た。夜の大阪。ネオンに染まった街。
「その時に、地球の神が皇帝に言ってきた。『それじゃ……地球に攻めて来なよ。ゲームをしよう』とね」
七罪はそう言って、空のおちょこを指先で転がした。
まるで他人事のような口調だった。だが、その言葉の意味を理解した瞬間、澪の背筋に冷たいものが走った。
神が――人類を試している。
澪は息を呑んだ。
「は。どういう、ことですか」
「アレの本当の考えは、私には分からない」
七罪は面倒くさそうに言った。
「でも、『人類は停滞している。だから、外的要因として種に刺激を与え、進化を促す』とか言ってた」
神が、人類に刺激を与えるために、魔人を招いた。
ダンジョンは、神が用意した「試練」なのか。
「阿頼耶と地球を繋ぐパス――それがダンジョン。人類が魔素と呼ぶのは、阿頼耶のエネルギーを抽出したものに過ぎない。まあ、細かいことは色々とあったけど、これが今の混沌な時代になった流れ」
七罪は酒を飲み干した。
「これ以上はしゃべれないから」
沈黙が落ちた。
個室の中に、重苦しい空気が流れる。
迅が低く呟いた。
「……このことは、あの狸親父は知ってたんだな」
「知ってる」
七罪は即座に答えた。
「機動七班設立時に、私が教えた」
迅は小さく舌打ちをした。
孔明は知っていた。魔人の正体を。阿頼耶のことを。そして七罪が「普通ではない存在」であることを。
その上で、機動七班を設立した。
迅たちを、この世界に巻き込んだ。
澪は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。痛みが、現実感を呼び戻す。
魔人は、人間の悪の集積。
七美徳は、魔人に敗れた。
神は、人類に試練を与えるために、ダンジョンを作った。
そのすべてを、孔明は知っていた。
「逢魔さん……貴方は何者なんですか」
澪の声が震えた。
「魔人なのは知っています。でも、それ以外は何も。教えてください」
「――私のことは、別にどうでもよくない?」
面倒くさそうに七罪は言った。
「一色彩は、あいりん地区のダンジョンで逢魔さんに向けていいました」
澪は彩の言葉を思い出す。
『男爵以上はダンジョンから長時間離れられないのに、貴女ってば全国ふらふらしてるじゃん』
『最低でも侯爵以上のはずなのに、どの大罪の匂いもしないんだよね~』
そして、
「特定のダンジョンに縛られず、伯爵の一色彩から敬意を示されている。――逢魔さん。貴方は皇帝なんですか」
澪が七罪を真剣に見つめる。
七罪が口を開こうとした瞬間。
「お待たせしました。ご注文の品をお持ちしました……」
迅が頼んだ品を持ってきた店員は、部屋の空気を察したのか、言葉尻が小さく萎んだ。
さっさと品を置くと、頭を下げ、慌てて去っていった。
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