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【後日談開始】警察庁特定未開領域犯罪捜査課  作者: 華洛
後日談 休暇

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17/23

第3話 過去


 バスを降りた迅は、しばらく停留所の前に立ったまま夜の街を眺めていた。

 行き先を決めかねているわけではない。ただ、胸の奥に残る微かなざわつきをやり過ごす時間が欲しかった。

 久しぶりに同人誌ショップへ向かうことにする。

 迅は人の心が読める。だからこそ、漫画や小説といった「虚構」を好んだ。現実の人間の心は、覗けば覗くほど歪みが見える。善意の裏の打算。愛情に混じる支配欲。複雑に絡まりながら、その実、驚くほど単純で浅い。

 だが物語は違う。

 そこには作者の意図がある。構築された感情がある。美しく整えられた嘘がある。

 読まなくてもいい心を、読まずに済む世界。

 全国を移動する生活では荷物は最小限に抑えなければならない。そのため本はほとんど電子書籍で済ませていたが、紙の匂いのする場所に足を運ぶことは、迅にとって小さな救いだった。


 スマートフォンが震える。

 ラプラスからのメッセージ。


『「食が如く」という居酒屋にいるよ。良かったら来なよ。シチミンの奢りだよ☆』


 迅は画面を一瞥すると、すぐにポケットへしまった。

 七罪の奢り。悪くはない。

 自動販売機で缶コーヒーを買い、人気のないビルとビルの隙間へ入る。

 夜の空気がひんやりと肌に触れる。街灯の届かない暗がりは、心の奥の澱とよく似ていた。


 背後で、もう一つの足音が響く。

 わざとらしいほど隠す気のない、剥き出しの気配。

 だからこそ人気のない場所へと入り込んだ。

 迅は振り返らずに、低く吐き捨てた。


「……殺気が強すぎる。何の用だ」


 振り返ると、大学生ぐらいの女性が立っていた。

 高部千秋。

 普通の私服姿。ジーンズにパーカー。だがその手には、ショートソードが握られている。

 ダンジョンの影響で、日本の治安は悪化している。探索者が武器を持ち歩く姿は日常と化していた。魔素を吸収した者が犯罪を犯すことも、珍しくはない。


堕人おとしびと


 千秋の声が、震えていた。

 吐き捨てる声。


「ようやく見つけた。お前の所為で、私のお姉ちゃんは!」


 迅は何も答えなかった。

 千秋は殺気を全身から放ちながら、ショートソードを振り上げた。その刃が、迅の首を狙って一直線に振り下ろされる。

 迅は半歩だけ身をずらした。

 刃が迅の頬を掠め、わずかに血が滲んだ。


――堕人


 その忌まわしき名は、かつて彼が背負っていた業そのものだ。

 特定未開領域犯罪捜査課という居場所を得る前、迅はナンバーワンホストとして夜の街に君臨していた。

 異能「覚」を用い、相手が最も欲する言葉を与え、依存させ、骨の髄まで搾り取る。救ったつもりなど一度もない。

 欲望のままに、効率よく「餌」を壊してきた。貢いだ金額が増えるほど人生は瓦解し、女たちはひとり、またひとりと破滅の淵へと沈んでいった。


 千秋の刃が、再び向く。

 迅は、動かなかった。

 避けようと思えば避けられる。

 だが、身体が応じなかった。


(まあ……いつかこうなるとは思っていた)


 罪には罰。因果応報。それは今の彼が最も信じている世界の摂理だった。


 未領域課に入ったのは更生のためでも贖罪のためでもない。

 ただ、七罪の言葉に乗っただけだ。

 生きる理由が希薄なまま、流されただけ。


(終わるなら、それでもいいか)


 ふと、七罪の無表情な顔が浮かぶ。

 もし自分がここで死んだら、あの女は泣くだろうか。……いや、違う。あいつはきっと、心底不機嫌そうに「私の観察対象が勝手に退場するな」と毒づくはずだ。

 その光景が妙に可笑しくて、迅は喉の奥で微かに笑った。

 刃が胸元に届こうとした瞬間。

 千秋の身体が止まる。


「なん、でっ。動けっ、動いてよ!」


 千秋の声が悲鳴に変わる。全身が見えない力に縛られ、指一本動かせない。


「はい、はぁい」


 パンッ、パンッ、と手を叩く音が響いた。


「その人には私も用があるんだよね。勝手に殺されると困るな~」


 路地の奥から、少女が現れた。

 一色彩。

 ミッション系の学校の制服を着た、高校生ほどの少女。その後ろには、キャバ嬢が着るような派手なドレスを纏った女性が立っていた。


「冬お姉……ちゃん」


 千秋の声が、掠れた。


「――バカ。何をしようとしてるの」


 ドレスの女性――千冬が、冷たい声で言った。


「……それ、は」

「彩さま。ご助力、感謝いたします」


 千冬は彩に向かって、恭しく頭を下げた。


「ん~。まあ、稼ぎ頭のお願いだからね」


 彩は軽く手を振った。


「私はその男の人と話があるから、妹ちゃんを連れて行ってよ」

「はい。かしこまりました」


 千冬は再び頭を下げ、千秋の傍へ歩み寄った。千秋の手に、自分の手を重ねる。

 その瞬間、彩の念動力による金縛りが解除された。千秋の手からショートソードが滑り落ち、アスファルトに乾いた金属音を響かせた。


「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん」


 千秋は姉の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。


「ごめんね。色々と心配かけちゃったね」


 千冬は妹の頭をやさしく撫でながら、ゆっくりと迅に視線を向けた。

 その唇が、にっこりと綺麗な弧を描く。

 直後。

 千冬の渾身の拳が、迅の顔面に叩き込まれた。

 肉を断つ鈍い音。迅の身体は無様に吹き飛び、地面を転がった。


「……ッ」


 迅は顔を押さえた。頬が腫れ上がり、口の中が血の味で満たされる。


「勘違いしないで」


 千冬の声は、静かだった。


「貴方は私のことなんて覚えていないでしょう。大勢いた中のひとりに過ぎないのだから。……借金を重ねて貢いだのは、私の愚かさ。だから、貴方を恨むことはもうやめたわ。意味がないもの」


 千冬は一呼吸置き、静かに言葉を継いだ。


「でもね。自分の自己満足じさつのために、私の妹を人殺しにしようとしたことだけは、絶対に許さない。貴方の力なら、秋の心くらいどうとでも誘導できたはずでしょう?」


 迅は何も答えなかった。

 言い返すこともできなかった。

 異能「覚」は、ホスト時代ほど自在には使えない。特定未開領域犯罪捜査課に入るにあたって、異能を縛っている。未領域課という軛が、迅を制約している。

 だがそんな理屈は、自分の過去から逃げたいがために無抵抗で死のうとした卑怯さの言い訳にはならない。


「あのさぁ」


 彩が、大袈裟に咳払いをした。


「いつまで昼ドラみたいな安い修羅場を見せるつもり? 飽きちゃうんだけど」

「も、申し訳ありません」


 千冬は頭を下げると、千秋を連れて去っていく。

 千冬は迅を一瞥もせずに。千秋は睨みながら。

 二人の足音が遠ざかる。

 迅は地面に座ったまま、空を見上げた。

 星は見えない。大阪の夜空は、街の光に塗りつぶされている。


「はじめまして」


 彩が、迅の前にしゃがみ込んだ。


「自己紹介は必要かな?」

「……いい」


 迅は立ち上がった。腫れた頬が痛む。

 一色彩。魔人――「色欲」の伯爵。

 大阪で起きた連続誘拐事件の真の黒幕でありながら、証拠不十分で不起訴になった少女。


「実はね。私は貴方のことを狙ってたんだよね」


 彩は立ち上がり、楽しそうに言った。


「ナンバーワンホスト。心を読み操る、意図も容易く人を堕とす『堕人』。本当に面白いよね~」


 その言葉が、迅の記憶を呼び起こした。


『人の心を読み操るんだ。本当に面白い。ねえ、ここから落ちて死ぬぐらいなら、私の元に来て異能を活かさない?』


 彩の姿が、初めて会った時の七罪と重なった。

 ビルの屋上。落ちようとしていた自分を、七罪が止めた。あの時の声が、今も耳に残っている。

 迅は思わず舌打ちをした。


「ねえねえ」


 彩は迅の周りを回りながら言った。


「あの方の元を離れて、私の元に来ない? 特別待遇で迎えるよ~」


 甘い声。

 迅の胸の奥に、かすかな嫌悪が芽生える。

 かつての自分と同じ匂い。

 欲望を肯定し、堕落を正当化する誘い。


「……今の職場から転職する気はない」

「えぇ~」


 彩は大げさに肩を落とした。


「今、異能を軛で縛られて自由に使えないんでしょ? 昔みたいに自由に使って、女をモノのように扱いたくない?」

「そういうのは、卒業したんだ」

「あははは」


 彩は笑った。心底楽しそうに。


「無理無理。人間の本質は変わらないんだよ。貴方はずっと――」

「うるさい!」


 怒鳴る。


 変わらないかもしれない。

 だが、変わらないと決めつけられるのは許せなかった。

 その声が、路地に反響する。


「お前ら――魔人はなんなんだ」


 迅の声が震える。


「どうせついて行っても、荒蒔みたいに使い潰すつもりだろ」

「まっさか」


 彩は首を振った。


「アレは都合のいい隠れ蓑だよ。生気を食べるために良かっただけ。アレの代わりは幾らでもいるけど、貴方の代わりは誰もいない」

「どうだかな」

「うーん」


 彩は少し考える仕草をした。


「話だけでも聞いてくれない? そうだ。この辺りは私の庭だから、VIP待遇で招待してあげるよ」


 迅は黙った。

 逃げようとしても、しつこく追いかけられる気がした。彩は執念深そうだ。

 そして、ラプラスから少し前に受けた連絡を思い出した。

 七罪たちがいる居酒屋。


「……分かった」


 迅は顔を上げた。


「なら、場所は指定させてもらうぞ」


「うん。いいよ」


 彩は楽しそうに笑った。まるで夜の散歩に誘われた子どものような、屈託のない笑みだった。

 だが迅は、その笑顔を信用していなかった。

 二人は夜の街へ歩き出す。ネオンに染まった通りは人通りが絶えず、酒と油の匂いが湿った空気に混ざって漂っていた。酔客の笑い声、客引きの呼び込み、車のクラクション。雑多な音が重なり、夜の大阪は昼よりも賑やかだった。

 その中で、彩の声だけが妙に軽い。

 弾むような調子で、まるで何もかもが楽しい遊びであるかのように話す。

 しかし迅には分かっていた。この女は、そんな単純な存在ではない。

 雑踏を抜けながら、迅は低く言った。


「……さっきのはお前の差し金だろ」

「んー。なんのこと?」


 彩はとぼける。だが声色には、まるで隠す気がない。


「あいつ等の登場はあまりにも出来過ぎている。荒蒔達と同じように裏から操っていたんだろ」

「何のために?」

「七罪に会うためだ。あいつのことだ。何もなく会えば取り合わないだろうが、俺が連れてきたという流れであれば、邪険にこそすれ無視はしないだろ」

「正解~」


 彩はぱちぱちと拍手をした。

 見た目は年相応の少女だ。無邪気で、軽薄で、どこにでもいそうな若い女。

 だが、その裏で行っていることはあまりにも邪悪だった。


「それで私の目的が分かった所で、他の店に行く? どこでもVIP待遇は約束するよ」

「……いや。昔の俺と違って、今の俺は自分の分を弁えているつもりだ」


 迅は吐き捨てるように言う。


「目には目を。魔人の相手は魔人にしてもらう」

「うんうん。長く生きるコツだね」


 彩はくすくすと笑った。


「……」

「嫌味とかじゃあないよ」


 迅は苦虫を噛み潰したような顔で彩を睨む。

 彩はそれを楽しむように、わざとらしく肩をすくめた。


「千冬はね。借金を背負ってどうしようもなくなった人が落とされるヒューマンオークションで買ったの」


 さらりと言った。


「今はキャバとかソープで働いてもらっていて、妹のこともその時に聞いたんだぁ」


 まるで世間話でもするような口調だった。


「今ってSDGsの時代でしょう。使えるものは最後まで使い切らないとね」


 迅のこめかみに、わずかに血が上る。


「……俺をスカウトしたいっていうのは本当だったのか」

「当たり前だよ。今回は一挙両得を目指したけど、一つは袖に振られちゃった」


 彩は目元を指で押さえ、わざとらしく声を震わせた。


「ぐすんっ」


 もちろん涙など出ていない。

 迅は露骨に顔をしかめた。

 この女と話していると、胃の奥がじわじわと腐っていくような気分になる。

 そのとき、通りの先に目的地である居酒屋の看板が見えた。


 二階の窓の上。

 古びたパネルに大きく書かれた店名。


 ――食が如く。


 迅は無意識に歩く速度を上げた。

 一刻も早く、この女との会話を終わらせたかった。

 だが同時に分かってもいる。

 この夜の流れすべてが、彩の掌の上で転がされているのだということを。

 迅は小さく舌打ちし、居酒屋「食が如く」へ続く階段を上った。




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