第三十二話 新リーダー爆誕
アラームで目を覚ます。
ランニングの時間だ。けれど今朝は腹痛がひどく、何も考えたくない。
痛みが引くのを期待して、ベッドの上で寝返りを繰り返す。
「ダメっぽいなぁ」
陽が昇っても体調は変わらない。
仕方なく起きあがり、鏡付きテーブルの前に座る。
気だるさの残る腕で髪を梳かし、リップグロスのみを薄く塗って、重い足どりのまま部屋を出た。
食堂のパンコーナーで、スコーンを一つだけとってトレーに移す。
今は話しかけられたくないし、朝は人の少ないリフレッシュルームへ向かった。
左隅の席にナックを見つけ、わずかに気分が上向く。
「ナックさん、おはようございます」
「ハーベストか。どうした? 今日は声に力がないが。きちんと食べているか?」
返事に困りつつ、隣に座りたい目配せを送り、彼の頷きを得られて安堵する。
正直に伝えて良いのだろうか。
後で叱られる方が嫌だと思い、口を開いた。
「すみません、体調が優れないので今日の訓練は休みたいです」
「体調不良は仕方ない。試合日と被らなかっただけマシと割り切るしかないな」
ナックは軽く肩を竦める。
理由を深く聞かれなくて良かった。報告するのは少し恥ずかしいから。
誤魔化すべく休みの話題を振る。
「ウェハーさんもお休みが多いですけど、お子さんの事情ですか?」
「そうだ。だが、休んでも問題がないようにしているし、試合には必ず出る」
「家族のために自分の仕事は完璧に仕上げてるのがプロって感じがしますね。僕には真似できないな」
ウェハーはまさに職人といった感じで、欠点が見当たらない。
一騎打ちの模擬戦でも1勝1敗8引き分け。悔しくないかと言えば嘘になる。
痛みがぶり返して俯きかけると、ナックが気遣うように肩を軽く叩いた。
「ウェハーも常に完璧な訳ではない。試合日に無断で休んだ上で、その後も数試合欠場したことがある。知っているか? ガレージ脇の鉄塔の無数の凹みを」
どうやら落ちこんだと勘違いしてくれたらしい。
気遣ってくれたことは嬉しいし、このまま勘違いさせておこう。
「はい。誰かがハンマーで何度も殴ったのか、ひしゃげてますよね。いったい何のために……」
「ウェハーがやった。無論、その場を見たわけでもないし、ウェハー本人から聞いたわけでもないが……」
ナックは目を細め、昔のことを語りだす。
「右拳に爛れた傷を抱えた、鬼の形相のウェハーとすれ違ったことがある。とても声をかけられる雰囲気ではなかった」
「いつ頃のお話なんですか?」
「マリンが検査入院と言って、連絡が取れなくなった数日後のことだな。後日、病院に確認をとったが、そんな患者は入院していないと返された」
今までの情報から推察するに、マリンが政府から殺されたのだと思う。
温厚なウェハーが鬼の形相と言われても、全く想像ができない。
「ナックさんから逃げるように言わなかったんですか?」
「何度も諭したさ。だが、娘やウェハーに危害が及ぶかも知れないと、マリンは頑なに拒んでいた。今思えば、もっと言い方があったとも思う」
少し前までのナックは生きることに悲観的だったし、マリンを熱心に説得しなかった姿が容易に想像できる。
「悔やまれますね」
「俺なんかよりマリンの方が立派だったし、ウェハーの方が何倍も強い。あの二人は命というものと正面から向きあっている。俺にもやっとその凄さが分かった」
言葉を切って立ちあがったナックは、左側にあったゴーグルを、一度掴み損ねてから拾い直す。
無言でドリンクコーナーへ向かうナックに、嫌なデジャヴを感じた。
慌てて立ち去ろうとしたけど、その前にナックが戻って来てしまう。
「ハーベストの分だ。休みだったとしてもプロテインは摂取しておけ」
「結構です! 間に合ってますから!」
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週が明け、来シーズンのリーグ戦直前に行うエキシビションマッチ。
暫定リーグ順位の2位エクリプスと、6位トワイライトの試合を終えた。
ソルティが、スピーカー割れを起こすほどの大声で文句をたれ流す。
『ナック! 寝ぼけてたんか? レジ前のじじいみてーな動きしやがって!』
「僕、ナックさんが撃墜されるの初めてみました」
『すまん』
不慮の事故に近かったけれど、ナックの動きが精彩を欠いていたのは確か。
トワイライトが序盤に仕掛けてきたグレネード乱射。そこで早々にナックが退場してしまい、数で不利になって終始劣勢のまま進行した。
チーザが立て直しを図るも、敵はウェハー潰しを敢行し、挽回できず終い。
久しぶりの完敗となった。
「勝利者インタビューに呼ばれないのがこんなに悔しいって知りませんでした」
その日は、試合のあとも言葉少なく解散となった。
言い表せない思いを抱えたまま翌日を迎える。
ナックから呼びだしを受け、リーダー室を訪れた。
男性の部屋は慣れなくて凄く緊張してしまい、汗臭くないか確認を繰り返す。
一つ息を吐き、覚悟を決めてドアをノックした。
「ナックさん、来ました」
数拍遅れでドア越しに返る声。
「ハーベストか? 丁度良い、入れ」
ドキドキしながら憧れの人の部屋に入る。
予想はしていたけれど、物が少ない。
整備用の模型がいくつか目立つくらいで、日用品の類はほとんど見当たらない。
「この香りは……キャメルさんから貰ったんですか?」
室内はキャメルが好みそうなルームフレグランスの香り。
テーブルに資料を広げていたナックが、顔をあげる。
「そうだ。良く眠れると言われ、ラベンダーの香りを貰った。それはそうとさっさと座れ。本題に入る」
促されるままにソファーに座る。
憧れの先輩の部屋ということで緊張しているのか手汗が凄くて、視線も泳いでしまう。
拭うべく何度か握り直したのち、汗がつかないように注意して資料を手にとる。
内容はチームの詳細情報と、リーダー変更の手続き書類だ。
「えっと、これは?」
呼びだしの理由も、この書類の意図も分からず率直な疑問が声に出た。
アイスブルーの瞳でじっと見つめられ、正直ドキッとする。
「来シーズンから、ハーベストにエクリプスのリーダーを任せたい。お前ならできるはずだ。チームでサポートするからやってはくれないか?」
優しい口調で語りかけられたが、内容が頭に入ってこない。
「え? どうして僕に? ナックさんがいるじゃないですか? それに皆さん僕よりキャリアが長いですから……」
首を振りながら資料をテーブルに戻し、ずいっと遠ざけるように押しやる。
すると、笑顔で資料を押し戻された。
「他の奴らの了解は得ている。だからこれはチームの総意だ。エクリプスの新リーダーはライジングサン以外にあり得ない」
「僕よりチーザさんの方が向いていますよ。どうして僕なんですか?」
向かいあったナックは顎を手に乗せ、何やら思案顔をする。
いつも言葉数が少ない彼が、言葉を尽くして説得しようとする際に時折見せる仕草だ。
「エクリプスは常に見上げる存在。そこにはライジングサンであるお前が必要だ」
真意を問おうとする前に、彼は居住まいを正して真剣な表情で続ける。
「知っているか? エクリプスが空に見えるとき、必ず太陽は空にあるんだぞ。だから、らしく在るには昇る太陽が必要と言える」
「屁理屈ですよ! だいたいナックさんはどうするんですか?」
バツが悪そうに資料へ目を落とし、渋い表情をするナック。
「俺はサポートエンジニアになろうかと思う」
その答えを聞き、胸の中で腑に落ちる部分があった。
ナックへ少し顔を寄せ、その左目を見つめたまま、ずっと思っていたことを口にした。
「左目の視力低下が原因ですか?」
咄嗟にこちらへ丸くした目を向けた後、しばらく言葉を探していたナックだが、観念したのか再びゆっくりと視線がさがり始める。
「驚いたな。いつ気づいた? ソルティですら気づいていないぞ?」
……それは貴方が僕の憧れだから。毎日、見続けていたから。
リフレッシュルームで左端の席に座るようになったこと。
会話相手を右側に置こうとしたり、右半身を前にだすことが増えた仕草も。
以前は取り除いたピクルスを遠い場所に置いたのに、今は左側に置くことも。
全部の違和感が今、繋がったから。
「じゃあ、僕の方がソルティさんより上ってことですかね?」
「しばらく秘密にしてくれると助かる。ソルティにバレると面倒だからな」





