第7話 取引
「王国の――兵士です」
女の言葉を聞いて、レンは捕虜を見た。
男は女を見つめていた。さっきまで伏せていた顔が、わずかに強張っている。
レンは女へ向き直った。
「三日前だったんですね」
「はい」
「この人のほかに、何人いましたか」
「五人ほどだったと思います」
「全員、王国兵でした?」
「いいえ。この人と同じ鎧の兵士もいました。王国の兵士は……三人くらいだったと」
レンは頷いた。
「戦っていたんですか」
「いいえ。立ち止まって、話をしていました」
「誰かが縛られていたり、武器を取り上げられていたりは?」
「そういうふうには見えませんでした。どちらも、剣を持っていましたから」
「何を話していたか、聞こえました?」
女は首を横に振った。
「離れていたので……すみません」
「謝らなくていいです。見えたことだけ教えてもらえれば」
女の肩から、少し力が抜けた。
レンは、村の名と見かけた場所をもう一度確かめた。
「ありがとうございます。妹さんたちの名前も、あとで聞かせてください」
女は小さく頷いた。
◇
ガルドが見張りの兵に声を掛け、捕虜の前へ立った。
「聞こえとったな」
男は答えない。
「三日前、村の近くで会った連中は誰だ」
視線が地面へ落ちた。
レンも、その前へしゃがんだ。背後では、セレスティアが黙って聞いている。
「一緒にいた人たちは、仲間だった?」
「違う」
返事があった。
レンは一瞬、次の言葉を忘れた。
ガルドも男を見る。
「じゃあ、敵?」
「違う」
「捕まえていたんですか」
「違う」
短い答えが続いた。
レンは少し待った。
「何をしてたんですか」
男は唇を閉じた。
川辺では、水を汲む音がしている。子供の声と、誰かが濡れた布を絞る音。
レンは急かさず、男の顔を見ていた。
やがて、男が息を吐いた。
「……取引だ」
ガルドの腕が、胸の前で止まった。
「誰と、何を取引した」
答えはなかった。
「王国兵だったのか」
男は顔を背けた。
何を渡したのか。何を受け取ったのか。
問い方を変えても、それ以上の言葉は出てこなかった。
◇
「王国兵と、帝国兵の取引か」
少し離れた場所で、ガルドが言った。
「王国兵かどうかは、まだ分かりません」
レンは捕虜へ目を向けた。
「あの人が見たのは、王国の鎧を着た人たちです。本人は、相手が誰かまでは答えてない」
「塔の男のことが気になるか」
レンは頷いた。
王国兵の鎧を着て、合言葉も知っていた男。その男が、グレイグを刺した。
「同じことかもしれないし、違うかもしれない」
「なら、今は別々に覚えとけ」
ガルドは短く言った。
「無理にまとめるな」
「はい」
レンは女から聞いた村の名を、もう一度口の中で繰り返した。
あとで地図に記しておこう。
それから、捕虜が言った言葉も。
取引。
何をやり取りしたのかも分からない。けれど、聞かなかったことにはできなかった。
「二人とも」
リオに呼ばれ、顔を上げる。
「歩くのが難しい方の確認が済みました。荷車の割り振りをご相談したいのですが」
ガルドが川辺へ目を向けた。
「分かった。すぐ行く」
レンも立ち上がった。
◇
荷車のそばで、セレスティアが報告を聞いていた。
兵が避難民の方を指す。
「あちらの二人は、誰かが支えれば歩けます。ただ、長くは続かないかと」
「子供を乗せれば、その分だけ親が歩ける」
別の兵が言った。
「だが、今乗っとる者を降ろすわけにはいかんぞ」
ガルドが荷台を確かめる。
レンも車輪の脇へしゃがんだ。泥を落とした軸には、まだ湿った土がこびりついている。
これ以上、何でも載せられるわけではない。
「歩ける人に、荷物を分けて持ってもらえませんか」
レンが言うと、近くにいた男が顔を上げた。
「俺なら持てます」
「私も」
女がひとり、空になった籠を差し出した。
リオが中身を確かめながら、荷を分けていく。兵が持っていた包みを避難民が受け取り、空いた手が負傷者を支える側へ回った。
それでも、足を傷めた老人は、立ち上がるだけで顔を歪めていた。
「レン」
セレスティアが隣へ来た。
「無理をしている方がいたら、教えてください。歩けると言っていても、言い出せないかもしれません」
レンは彼女を見た。
「殿下もですよ」
「私も?」
「疲れてても、黙ってそうですから」
セレスティアは一度、口を開いた。
何か言いかけ、やめる。
「……気をつけます」
「お願いします」
ガルドが横から言った。
「お前もだぞ、レン」
「俺は言いますよ」
「足を引きずりながらか」
レンは自分の足元を見た。
靴の中で、踵が痛んでいた。
「……あとで、見ます」
「今見ろ」
返す言葉がなかった。
◇
川の先へ出した斥候が戻る頃には、日が傾いていた。
近くに敵の姿はない。ただ、道は狭く、荷車の通れそうな場所を選ぶ必要があるという。
ガルドは報告を聞き、セレスティアへ向き直った。
「今から動けば、道の途中で暗くなります。今夜は、この近くで休ませるべきかと」
濡れた足に布を巻き直す者や、木の根元で眠り込んだ子供がいた。
「分かりました」
セレスティアが頷く。
「周囲の警戒をお願いします」
川辺の見通しがよすぎる場所を避け、荷車を木々の陰へ寄せた。
見張りが立ち、馬が繋がれる。
塔の男と帝国兵の捕虜は離して置き、それぞれに兵を付けた。グレイグの傷も確かめられたが、まだ詳しい話を聞ける状態ではなかった。
レンは兵たちと食料を数え直した。
避難民が持っていたものも、少しずつ差し出される。
固いパン。小袋に入った豆。布に包まれた干し肉。
ほとんど何も持たずに来た家族もいた。
「これで、どのくらい持ちますか」
聞かれて、レンは兵へ確認した。
配る量を減らしても、余裕はない。
その答えを伝えると、女は手元のパンを見て、小さく頷いた。
レンは残った数を、もう一度確かめた。
◇
夜が近づいていた。
レンは靴を脱ぎ、踵へ布を当てていた。
少し離れた場所から、子供の泣き声がする。
顔を上げると、セレスティアが少女の前へしゃがんでいた。
昼間、老人のそばにいた子だった。
彼女は何かを話している。ここからでは聞こえない。
少女が首を振った。
セレスティアは急かさず、その場にいた。
やがて、小さな手が伸びる。
セレスティアが、その手を握った。
少女は泣いたまま、彼女のそばへ寄った。
レンは布を巻く手を止めていた。
取引。
捕虜の声が、まだ耳に残っている。
ふと、少女が顔を上げた。
セレスティアの言葉に頷き、涙を拭っている。
レンは布の端を結び、靴を履き直した。
近くに置かれた水袋を手に取る。
あの二人の分も、持っていこうと思った。
――第七話 了




