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王国最後の軍師 ―敗残兵から始める異世界覇道戦記―  作者: 千蘭


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第16話 王女という旗

 昼を少し過ぎた頃、レンは市場の端で荷箱を運んでいた。


 中身は干した豆らしい。見た目よりずっと重く、何度も往復したせいで腕が痛くなっていた。


「そこじゃない」


 北西領の兵が言った。


「え?」


「右だ」


「さっき、左って言いませんでした?」


「それは前の箱だ」


「箱ごとに違うんですか」


「違う」


「先に言ってくださいよ」


 兵が少しだけ笑った。


「覚えろ」


「昨日、来たばかりなんですけど」


 レンは文句を言いながら、箱を持ち直した。


 何もせず置いてもらうより、頼まれることがある方が居心地はよかった。


 腕は、別の意見らしかったが。


「レン」


 後ろから声がした。


 振り返ると、バルガスが立っていた。


「レイモンド様がお呼びだ」


「俺を?」


「お前と、王女殿下を」


 レンは箱を抱えたまま、その顔を見る。


 表情が硬かった。


「何かあったんですか」


「来れば分かる」


 レンは小さく息を吐いた。


「今日、それ二回目だな……」


「何か言ったか」


「いえ」


 一緒に運んでいた兵へ声を掛け、箱を下ろす。


 レンはバルガスのあとを追った。


     ◇


 領主館へ向かう途中で、セレスティアと合流した。


「殿下も呼ばれたんですね」


「はい。レンも?」


「同じみたいです」


 胸元には、朝と同じ小さな花が挿してあった。


 少し萎れている。


 それでも、まだそこにある。


「何でしょう」


 セレスティアが、前を歩くバルガスを見た。


「分かりません。ただ、急ぎの話みたいです」


 町は朝と変わらず動いていた。


 鍋から湯気が上がり、荷車が通り、誰かが荷を下ろすよう声を張っている。


 その間を、二人は館へ向かった。


     ◇


「来たか」


 部屋へ入ると、レイモンドが地図の前に立っていた。


 机には、報告書が広げられている。


 ガルドもいた。


 バルガスが扉を閉める。


「殿下、どうぞお掛けください。レン、お前も座れ」


 セレスティアが席につき、レンも隣へ座った。


 レイモンドは一枚の紙を手に取る。


「まず、昨日受け入れた者たちについてだ」


 レンは少し身構えた。


「問題が?」


「今のところ、大きなものはない。兵は指示に従っている。避難民にも騒ぎは出ていない。負傷者も、今朝の報告では急激に悪化した者はいない」


「よかった」


 レンは息を吐いた。


「ただし、王国兵の武器は、まだ返さない」


「はい」


「不満は出ているか」


 レンは少し考えた。


「手元にないのを、不安に思う人はいると思います。でも、今すぐ返せと言い出す人はいないはずです」


「なぜだ」


「俺たちは昨日、ここに入れてもらったばかりですから」


 レイモンドは黙って聞いていた。


「俺たちが北西領を見ているのと同じで、北西領も俺たちを見ている。そのくらいは、皆も分かっていると思います」


「私からも、武器を返すよう求めるつもりはありません」


 セレスティアが言った。


 レイモンドの視線が移る。


「王国の兵です。殿下からお求めになることも、できましょう」


「だからこそ、慎重にしたいのです」


 彼女は静かに答えた。


「ここは王都ではありません。私たちは助けを求めて来ました。王女だからという理由だけで、こちらの決まりを変えていただくつもりはありません」


 レイモンドはしばらく彼女を見ていた。


「……承知しました」


 紙を机へ戻し、別の報告書を取る。


「次だ」


     ◇


「北の見張りから、報告がありました」


 バルガスが地図を指した。


「街道の近くで、馬の跡が見つかっています」


「何頭です?」


 レンが聞いた。


「そこまでは分からん」


「いつ頃のものですか」


「昨日か、一昨日。その程度だ」


 レンは地図へ身を寄せた。


「向きは?」


「北へ向かった跡と、街道から外れた跡が混じっている。はっきりしない」


「前に確認された騎兵と、関係はあるんでしょうか」


「分からん」


 レイモンドが答えた。


 レンは頷いた。


「同じ騎兵が残した跡かも、別の馬かも分からないんですね」


「ああ。調べさせている」


 ガルドが、地図を覗き込むレンを見た。


「お前が見ても、足跡は読めんだろう」


「分かってますよ。場所を確かめてるだけです」


「なら、もう少し離れろ。殿下から見えん」


「あ」


 レンは身体を引いた。


「すみません」


 セレスティアが、ほんの少しだけ笑った。


 空気が緩んだのは、そこまでだった。


「今日、呼んだ本当の理由は別にある」


 レイモンドが机の端へ手を伸ばす。


「今朝、使者が来た」


 封書が、机の中央へ置かれた。


 封はすでに切られていた。


 赤い蝋に残った紋章を、レンは知らない。


「帝国からですか」


「違う。王国の貴族だ」


 王国。


 その言葉に、一瞬だけ安心しかけた。


 けれど、レイモンドの顔を見て、やめた。


「誰からです?」


「まず、殿下に文面を確かめていただきたい」


 レイモンドは封書を、セレスティアの前へ滑らせた。


「殿下ご自身に関わる話です」


 セレスティアは中の紙を取り出した。


 レンは、その横顔を見た。


 最初の数行では、表情は変わらなかった。


 途中で、紙を持つ指が止まる。


「殿下?」


 セレスティアは同じ箇所へ、もう一度目を通した。


 それから、紙を机へ置く。


「何と書いてあるんですか」


 彼女は少しだけ息を吸った。


「私の生存を、確認したと」


 レンは手紙を見た。


「王都陥落後の王国について、至急協議する必要があるとも書かれています」


「それだけなら、おかしくはないですね」


「はい。ですが」


 セレスティアの視線が、再び紙へ落ちた。


「続きがあります」


 紙の端を押さえる。


「王女殿下の身柄を」


 一度、言葉が止まった。


「速やかに、我が領へ移されたい」


 部屋が静かになった。


 セレスティアの指が、紙の端をわずかに強くつまんでいた。


「……身柄?」


 レンが呟いた。


 助けたい。


 迎えたい。


 そういう書き方ではなかった。


 どこで、どう過ごしたいのか。


 セレスティア自身に尋ねる言葉も、今聞いた文面にはない。


「これ、お願いなんですか」


 レンがレイモンドを見る。


「少なくとも、殿下のご意思を伺う書き方ではないな」


 セレスティアは手紙を見つめていた。


「殿下」


 ガルドが低く呼んだ。


「相手のお考えに、心当たりはおありですか」


 彼女は少し考えた。


「王宮には、父上と意見の合わない貴族もいました。ですが、この方が今、何を考えているのかまでは……」


 言葉を切り、首を横に振る。


「私を助けようとしているのか。それとも、別の理由で必要としているのか。分かりません」


 レイモンドが頷いた。


「分からぬうちに、返事を決める必要はございません」


「はい」


 セレスティアは顔を上げた。


「ただ、一つは分かります」


 皆の視線が集まる。


「私が生きていることが、外へ知られ始めています」


 レンは手紙へ目を戻した。


 王都は落ちた。


 国王は、もういない。


 兵も人々も各地へ散り、連絡さえ十分には取れていない。


 その中で、王女が生きている。


 それを知った人間が、すでに動いていた。


 助けを求める者だけではない。


 セレスティア自身を、求める者がいる。


 レンは隣を見た。


 彼女の胸元には、小さな花があった。


 昨日、ようやくここにいていいと言えた少女から、受け取ったものだった。


 今日の朝も、その少女は町の子と並んで水を運んでいた。


 ここで過ごす時間が、始まったばかりなのに。


 机の上の手紙は、そこからセレスティアを移せと言っていた。


 居場所は、見つければ終わりではなかった。


 そこにいたいと願った時から。


 守らなければならないものになるのだ。


――第十六話 了


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