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王国最後の軍師 ―敗残兵から始める異世界覇道戦記―  作者: 千蘭


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第17話 三日前

誰も、すぐには口を開かなかった。


 机の上には、開かれた手紙がある。赤い蝋の欠片が、その横に転がっていた。


『王女殿下の身柄を、速やかに我が領へ移されたい』


 その一文だけが、部屋に残っているようだった。


「……誰なんですか。この手紙を送ってきた人」


 レンが聞いた。


 レイモンドは手紙へ視線を落とす。


「オスヴァルト・グランツ」


 セレスティアは、紙に記された名を見つめていた。


「ご存じの方ですか」


「はい。グランツ侯爵。王国でも、大きな領地を持つ方です」


「どんな人です?」


 セレスティアは少し考えた。


「難しい方です」


「難しい?」


「父上とは、何度も意見を違えていました」


「意見を違えた、では少し優しすぎますな」


 レイモンドが言った。


「レイモンド様」


「軍の配置、税、国境の守り、領主への権限。あの男は、陛下に何度も反対した」


「反逆者なんですか」


「違います」


 答えたのは、セレスティアだった。


「少なくとも、私の知る限りでは」


「陛下と対立していたのに?」


「意見が違うことと、国を裏切ることは同じではありません」


 声は静かだった。


「グランツ侯爵は、王国を弱くしたい方ではありませんでした」


「むしろ逆だ」


 レイモンドが続けた。


「あの男は、王国を強くすることに執着している」


 レンは手紙を見た。


「だったら、殿下を助けたい可能性もあるんですよね」


「ある」


 レイモンドはあっさり認めた。


「だが、それなら、もう少し違う書き方もできたはずだ」


 手紙の一節を指で示す。


「身柄を、移す……」


 レンはその言葉を繰り返した。


 何のために。


 移されたあと、どうなるのか。


 そこが、何も見えなかった。


「グランツ侯爵は、人を駒のように扱う方なのですか」


 セレスティアが尋ねた。


 レイモンドは少し考えた。


「私には、あの男が人そのものを欲しがっているようには見えませんな」


 一度、言葉を置く。


「使えるものを、欲しがる男です」


 レンはセレスティアを見た。


 王女。王家の血を引く、生き残った人間。


 国王は、もういない。王都は落ち、王国軍は散っている。


 生きているだけで、人が集まる。


 追撃の理由を考えた時、レン自身が口にしたことだった。


「殿下を旗にして、人を集めるつもりかもしれないんですね」


 レイモンドがレンを見る。


「殿下がいると分かれば、侯爵のもとへ王国兵や領主が集まるかもしれない。王女殿下を守るために戦うと言えば、人を集める理由にもなる」


「ああ」


 レイモンドはセレスティアへ視線を移した。


「それが本当に、殿下を守るためなのかは、別の話ですが」


 彼女の指が、膝の上でわずかに動いた。


「私が、旗になる」


 レンは答えなかった。


 自分で考えたことだった。


 けれど、隣にいる彼女へ頷くことはできなかった。


     ◇


「私は、あの方が苦手でした」


 しばらくして、セレスティアが言った。


「グランツ侯爵が?」


「はい」


「嫌いだったんですか」


「……分かりません」


 少し困ったように、目を伏せる。


「王宮で何度かお会いしました。私にも、礼を尽くしてくださいました」


「でも、苦手だった」


 セレスティアは頷き、胸元の小さな花へ触れた。


「あの方と話していると、私ではなく、私の後ろにあるものを見られている気がしたのです」


「王女という立場ですか」


「たぶん。子供の頃でしたから、その時はうまく説明できませんでした」


 視線が、机の手紙へ戻る。


「今は、少しだけ分かる気がします」


 レンは、その指先にある花を見た。


 ともに逃れてきた少女は、セレスティアへ花を渡した。


 頑張ったから、と。


 侯爵から届いた紙には、彼女を移すようにと書かれている。


 同じ人間へ向けられたものなのに、ずいぶん違って見えた。


     ◇


「それで、どうなさいますか」


 ガルドが尋ねた。


 レイモンドも、セレスティアを見る。


「まずは、殿下のお考えを伺うべきでしょう」


「私の、ですか」


「要求されているのは、殿下ご自身の身柄ですからな」


 セレスティアは手紙を見た。


 しばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「今は、行きません」


「理由を伺っても?」


 レイモンドが聞いた。


「何も分からないからです。なぜ私を求めているのか。何をさせたいのか。私が行けば、ここにいる人たちはどうなるのか」


 一つずつ、確かめるように続ける。


「それを知らないまま、この手紙に従って向かうことはできません」


 レイモンドは彼女を見ていた。


 それから、小さく頷く。


「それでよろしいかと」


 セレスティアが少し目を見開いた。


「いいのですか」


「殿下がどうなさりたいかも伺わず、お送りするつもりはございません」


「……ありがとうございます」


 セレスティアが頭を下げた。


 レンは、机の上の手紙へ目を戻した。


 ここでは、彼女の答えが待たれた。


 それだけの違いが、今は大きく思えた。


     ◇


「ただし、返答を出す前に、確かめたいことがあります」


 レイモンドが言った。


「侯爵が、何を知っているかです」


「殿下が生きていることは、書いてありますよね」


 レンが手紙を見る。


「ああ。だが、いつ、どこで知ったのかは書いていない」


「ここにいると知って送ったのかも、まだ分からない」


「そうだ」


 レンは少し考えた。


 王女が王都から逃れたこと。


 北へ向かったこと。


 北西領を目指し、昨日ここへ入ったこと。


 自分たちには一続きの出来事でも、侯爵がどこまで知っているかは別だった。


「手紙が届いたから、道中のことまで全部知られているとは限らないんですね」


「逆に、手紙に書いていないから、知らぬとも限らん」


 レイモンドが答える。


「まずは、分かるところからだ」


 ガルドが腕を組んだ。


「使者は、まだおるのだろう」


「ああ。返答を待たせている」


「なら、話を聞けますね」


 レンは手紙へ目を落とした。


「これ、いつ書かれたか分かりますか」


 レイモンドが紙を確かめる。


「日付はない。使者に尋ねる必要があるな」


「レイモンド様」


 バルガスが口を開いた。


「出立については、入領の際に聞いております」


 机の端に置いていた記録を取り、差し出す。


「グランツ侯爵領を出たのは、三日前だと」


 レンは顔を上げた。


「……三日前?」


「本人は、そう申告している」


「この手紙を持って、ですか」


「ああ。侯爵から預かり、そのままこちらへ向かったと」


 レイモンドが記録を受け取った。


 セレスティアも、手紙を見る。


 三日前。


 自分たちが北西領へ入ったのは、昨日だった。


「その話が本当なら」


 レンは、ゆっくり言った。


「殿下がここへ着いたのを見てから、送った手紙じゃない」


「そういうことになる」


 レイモンドが答えた。


「出立の話も、文面を預かった時のことも、詳しく聞こう」


 レンは手紙を見た。


『王女殿下のご生存を確認した』


 同じ一文が、さっきとは違って見えた。


 ここへ辿り着き、王女がいると門の兵へ伝えた。


 その知らせが外へ出たのだと、どこかで思っていた。


 けれど、使者の話が正しければ、侯爵はそれより前に動いていたことになる。


 誰が、生存を確かめたのか。


 どこで知り、侯爵へ伝えたのか。


 そして、なぜ、この領地へ手紙を送ったのか。


 答えは、まだない。


 レンが顔を上げると、セレスティアも考え込んでいた。


 胸元の花に触れていた手が、静かに下ろされる。


 王女という旗を必要とする者がいる。


 その手は、もう届き始めていた。


――第十七話 了


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