第11話 誰が敵なのか
背後で、重い木の音がした。
レンは振り返った。
門の隙間が細くなり、その向こうにいるガルドたちが見えなくなる。
やがて、扉が閉じた。
「……行きましょう」
セレスティアが言った。
レンは頷き、バルガスのあとに続いた。
◇
門の内側には、街道が続いていた。
両側に畑があり、少し離れて家々が見える。逃げてきた人々が押し合っているような様子はなかった。
その代わり、兵がいた。
道の脇にも、畑の端にも、高台にも。外から見えていた人数だけではない。それぞれが持ち場につき、周囲を警戒している。
レンは、通ってきた無人の村を思い出した。
新しい木柵と、ここに配置された兵。
いつから備えていたのだろう。
「レン?」
セレスティアに呼ばれ、顔を向ける。
「何か気になりますか」
「兵が多いと思って。外から見えたより、ずっと」
彼女も周囲へ目を向けた。
バルガスは振り返らず、歩き続けていた。
◇
領主の館へ着く頃には、辺りは暗くなっていた。
石造りの壁に、太い木の扉。
庭には木箱や樽が積まれ、兵たちが明かりを手に行き交っている。飾り立てた屋敷というより、物と人が集まる拠点に見えた。
廊下でも、何人かとすれ違った。
セレスティアを見て足を止める者はいたが、誰も騒がなかった。
バルガスが、一つの扉の前で止まる。
「領主様がお待ちです」
セレスティアは息を整え、レンを見た。
レンが頷くと、彼女も小さく頷き返した。
扉が開いた。
◇
部屋の中央には、大きな机があった。
広げられた地図には、街道や川に沿って、いくつもの印が書き込まれている。
その向こうに、一人の男が立っていた。
五十前後だろうか。
濃い色の上着を着て、腰には剣を下げている。華美な飾りはなく、机の端には報告書らしい紙が積まれていた。
男はセレスティアを見た。
すぐには何も言わなかった。
「……よく、生きておられましたな」
それが、最初の言葉だった。
セレスティアが頭を下げる。
「お会いいただき、ありがとうございます」
男も静かに礼を返した。
「レイモンドと申します。この北西領を預かっております」
「セレスティア・アルヴェインです」
「存じております、殿下」
レイモンドの視線が、隣へ移った。
「その男が、同行を求められた者ですか」
「はい。レンです。ここまでの道中、何度も助けられました」
「姓は」
今度は、レンを見ていた。
「……久城です」
「聞かぬ名だ」
「そうだと思います」
レイモンドは少しの間、レンの顔を見た。
「殿下は、この者を信頼しておられると」
「はい」
セレスティアは迷わず答えた。
レンは少しだけ視線を落とした。
門でも聞いた言葉だった。今度は、茶化す気にはなれなかった。
「どうぞ、お掛けください」
セレスティアが座り、レンも隣へ腰を下ろした。
バルガスは扉のそばに控えた。
レイモンドは立ったまま、机へ両手を置く。
「ご用件を伺いましょう」
◇
「門の外にいる者たちを、領内へ入れていただきたいのです」
セレスティアが言った。
「王国兵と避難民を合わせ、二百人を超えています。負傷者も多く、自力で歩けない者もいます」
「受け入れ先を求めて、ここまで来られたのですか」
「はい。馬と荷車はありますが、食料に余裕はありません。負傷者を休ませる場所も必要です」
レイモンドは黙って聞いていた。
「帝国兵も一人、連れておられるそうですな」
「捕虜です。拘束し、見張りを付けています」
「その者以外の身元は、すべて確かですか」
セレスティアは一度、言葉を止めた。
「いいえ。道中で合流した者もいます」
「では、そのままお通しすることはできません」
静かな返事だった。
セレスティアの手が、膝の上で重なった。
「理由を、お聞かせいただけますか」
レイモンドは地図へ目を落とした。
「ここには、私の民がおります」
指が、村と街道の間を動く。
「王都は落ち、帝国軍は動いている。どこまで来ているのか、こちらが得ている情報も十分ではありません」
そこで、指が止まった。
「誰が敵なのかさえ、確かでない状況です」
レンは顔を上げた。
レイモンドは、そのまま続ける。
「その中で、武装した兵を含む二百人以上を、一度に領内へ入れることはできません。身元の分からぬ者も、帝国兵もいる」
「はい」
「殿下が、門の外の者たちを見捨てられぬことは理解しております」
セレスティアがレイモンドを見た。
「ですが、私にも、見捨てられぬ民がおります」
彼女は答えなかった。
レンも口を挟めなかった。
門を開けば、その先に暮らす人々へ危険が及ぶかもしれない。
助けを求める側からは、見えにくかったことだった。
◇
「それでも、お願いしなければなりません」
セレスティアが言った。
「私が、連れてきたからです」
レイモンドの目が、わずかに細くなる。
「途中で出会った者たちを、共に連れていくと決めたのは私です。この領地を目指した時、居場所を作ると約束したのも、私です」
「その約束を、私が引き受けることになるとはお考えになりませんでしたか」
セレスティアの唇が止まった。
レイモンドは声を荒らげなかった。
「食料も、寝る場所も、警戒に当たる兵も必要になります。こちらにも、限りがございます」
「……はい」
「殿下のお気持ちだけでは、賄えません」
セレスティアは膝の上の手を握った。
しばらくして、その口が開く。
「私たちに何ができるかも、お話しさせてください」
レイモンドは彼女を見た。
「すべてを当然のように求めてよいとは、思っていません。ですが、断られたまま戻ることもできません」
その声は大きくなかった。
けれど、目は逸れなかった。
レイモンドも、すぐには答えなかった。
「……陛下とは、似ておられない」
セレスティアの表情が、わずかに変わった。
男は、それ以上説明しなかった。
◇
「レン、と言ったな」
視線が移ってきた。
「はい」
「なぜ、帝国兵を生かしている」
レンはセレスティアを見てから、答えた。
「殿下が、話を聞く前に殺すべきではないと決めました。俺も賛成しました」
「情報を得るためか」
「はい。俺たちを追ってきた理由も、ほかの騎兵との関係も、分かっていなかったので」
「危険だとは思わなかったのか」
「思いました。逃げられたら、こちらのことを知られます」
「分かっていて、連れてきた」
「はい」
レイモンドはレンを見ていた。
答えの続きを待っているようだった。
「危険だから殺す、で決めたら、確かめる機会もなくなります。見張りを付けてでも、残しておく意味があると思いました」
「その意味はあったか」
レンは少しだけ考えた。
川辺で聞いた、短い言葉が浮かぶ。
「話したことはあります。ただ、何を意味するのかは、まだ分かりません」
レイモンドの眉が動いた。
「曖昧だな」
「分かったふりをして伝える方が、危ないと思います」
部屋が静かになった。
レイモンドはしばらくレンを見て、それから椅子を引いた。
初めて、机の向こうへ腰を下ろす。
「では、もう一つ聞こう」
「はい」
「門の外にいる者たちを入れて、私に何の得がある?」
セレスティアが顔を上げた。
レンは、すぐには答えられなかった。
助けてほしい。
休ませてほしい。
ここまで、自分たちに必要なものばかり話していた。
この領地が門を開く理由は、まだ示せていない。
◇
レンは机の上の地図を見た。
通ってきた街道と、空になった村。
新しく築かれた木柵。その内側に配置されていた兵。
帝国軍に備えているのだろう。
けれど、レイモンドは別のことも言った。
誰が敵なのかさえ、確かでない。
単に、紛れ込む間者を警戒しているのか。それとも、ここでも何かが起きているのか。
それによって、こちらから話すべきことも変わる。
「一つ、聞いてもいいですか」
レイモンドが顔を上げた。
「何だ」
レンは地図から手を引き、男を見た。
「この領地は、何と戦うつもりなんですか」
バルガスの視線が動いた。
セレスティアもレンを見る。
レイモンドだけは、姿勢を変えなかった。
「……なぜ、そう聞く」
「帝国軍を警戒しているのは分かります。でも、誰が敵か分からないとも言いましたよね」
「ああ」
「俺たちにも、そう思った出来事があります。同じものを警戒しているのか、知りたいんです」
レイモンドは答えなかった。
レンも、それ以上先を決めつけずに待った。
やがて、男が地図へ視線を落とす。
「なるほど」
短く、そう言った。
門の外では、まだ皆が待っている。
レンは膝の上で手を握り直し、次の言葉を待った。
――第十一話 了




