刺客、貧乏くじと気がつくも
◆◇◆◇◆
夕陽が街を鈍色に染め上げ、人気のない一本の太い道に、街路樹が不気味な影を落としていた
整備された道からは人の声が失せ、影が失せ、静寂に包まれ、風の囁きだけが、これから始まる激闘を告げているかのようだった
◆【夕陽が沈み切った道の上】
街灯が灯る中
男は、右手に握った数多の毒針に意識を集中させ、構える動きや気配さえ闇に溶かし、その存在を希薄にしていった
女は、自分の得物の柄を弄びながら、アベルの姿を捉えていた。彼女の表情には、獲物を前にした狩人のような、冷たくも妖しい光が宿っていた
◆【身震い】
瞬間2人に悪寒が走った。アベルの姿を視界に捉えた今、次に行うのは『仕事』だけだと───そう、2人は思っていた
唾が溜まり、喉がなる。確かにそこにあるのは、ごく平凡な男の、少年の姿の筈だ
しかし、その瞳には今までの日常を謳歌する者や、殺されると知って命乞いをする気配は感じられなかった。ただ、静かな好奇心と、一切の動揺を見せない───そんなアベルの姿があった
◆【気のせいだ】
男は、迷いなく毒針を放った。風を切り裂く鋭い音とともに、街灯の淡い光に照らされた幾筋もの銀閃がアベルへと迫る
「…」
「はぁ?」
飛んできた針に対して、アベルはその動きをまるで空を漂う雲を眺めるように興味深そうに眺め、流れるような身のこなしでそれらは全て、的確にかわした───男はその光景を前に一瞬の動揺を覚えたが、すぐさま次の毒針を手に取った
◆【隙をつくように】
男の攻撃が全て不発に終わった。手を抜いたのかと女は思ったが、彼女もまた『勘』に似た『直感』を前に、この状況に違和感を覚えていた
彼女の得物がアベルの周囲を取り囲んでいく、多節を持つ一風変わった『これ』と『不可視』の魔術式が織りなす『カマイタチ』は気がつけば『殺害対象』を血の飛沫へと染め上げる
アベルに向けられて放たれたそれら、その刃の軌道は彼女ですら知覚不能さを有するまでの螺旋を描き刻む代物だった
「これは…面白いな」
「っ!」
アベルの口元に、微かな笑みが浮かんだ
◆【身体強化】
不規則かつ、高速の刃の渦の中でアベルは全ての攻撃の軌道を事前に見通しているかのように躱し、徐に刃を的確に弾き始めたかと思えば数瞬の後、螺旋は弾け飛んだ
「さ、次は?」
童との戯れが如き空間。彼らの得意とする環境、彼らの誇る技のひとつ。それがまるで『遊戯』の様に無碍にされた
◆【ニのうち語れず】
女は『技』を繰り出していく、多節を生かした距離を誤認させる『刺突』、多節をしならせ先端の加速が音を置き去りにする『音牙』、薙ぎ払いによる『風々』
しかし、アベルはそれらを一つ一つ、まるで本を読み解くように、あるいはパズルを解くかのように───彼女の技の引き出しが、急速に空になっていった
「これ以上は…!」
焦りが募る中、女が放ったのは最も使い込んだ『十八番』───持てる力を全て注いで繰り出した『カマイタチ』だった
舞い込む木の葉が瞬く間に裁断される程の早業にして力業。手応えはあった
「っ?…うぁ」
女の意識は、一瞬にして暗闇に沈んだ
◆【顎に一撃】
正確無比な一撃だった。『カマイタチ』の螺旋を躱す時間よりも長い時間の一撃。手加減を込めた拳のひと振りが女の顎を捉えたのを見て───男は全身に鳥肌が立つ程に圧倒的な絶望を受けた
「やってられっか!」
男はこれまで経験したことのない強大な力の差の前で、逃走を決意し、残された僅かな毒針を撒き散らし、背を向けて駆け出した
◆【が】
「ッグ…あ?なんだこれ」
まるで透明な壁に阻まれたかのように、男の逃走は阻まれた。小枝の踏み折られる音で男は振り返った
「念には念を…やっぱり大切だね」
ようやく、男は気付いた。目の前のアベルという男が見せる魔術体系は既存のものとは全く異なる、未知の領域の力だということに気がついた
しかし、それを知ったからといって何かできるわけもなく、危機的状況を前に男は腰が砕け、後退りをするしかなくなった
「くるな…」
アベルが、ゆっくりと歩み寄ってくる
「くるな、くるな!」
破れかぶれに砂を掴み、投げつける。無慈悲にもそれすら躱された
「くるなぁ!くるんじゃねぇ!」
男がこれ程までに狼狽える理由は、アベルの『被り物越し』に見える無機質な眼から『冷たい何か』が見えたからだった
◆【拳を構えて】
男は拳を握るとアベルを殴りつけた
「うあぁあ!!!」
「…」
「え、うぁ…」
鉄板、あるいは硬い何かを殴りつけた感覚だった
「大丈夫です。殺しはしませんので」
男の意識が女と同じように、暗闇へと沈んでいった
◆【楽しげな雰囲気】
アベルは木の葉のベッドをこさえると、倒れた2人を寝かせた
2人の扱っていたレガリアを集め、楽しげに帰路へと向かっていった───静寂が再び訪れた一本の太い道。街路樹の影がただ静かに眠る2人を覆い隠していた




