↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
釈明はございません ~純潔の行方~  作者: ソーカンノ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/9

第8話 『光なる心、影なる心』

 驚天動地の一日だった。洪水の濁流に飲まれでもしたかのように、我が身はいったいどこまで流されたのか。それを冷静に思い返す時間もないまま、事後処理は始まり、そして終わった。


 もっとも重要にして、扱いの難しい事柄がある。それはジャニス殿下の身の処遇だ。彼の身辺を巡っては、私たちは面を突き合わせて話し合う権利すら持っていない。だから、この場で、この国で唯一それを持ち合わせている人物の独断によって、裁可が下されることとなった。


 結論から言えば、ジャニス殿下は廃嫡を免れた。それどころか、彼には領地の相続権まで残ることとなった。


 しかし継ぐことのできるのは広大な王領地のほんの一部。南の海上にある猫の額ほどの小さな島だ。実質的には流刑。この量刑を軽いと見るか重いと見るか、それは人それぞれによるだろう。


 その身はポーリー嬢とともに王家の厳重な監視下に置かれ、のちの人生において捲土重来の機会が訪れることは、まずあり得ないはずだ。



◇



「……あの、ちょっといいですか」


 事情聴取の最中、背後から話しかけられた。現場に召集されたウィリアム卿の書記官殿へと事情を説明していた私は、一時中断して声の主を見る。


 一目でそれをわかる銀髪の持ち主は、ヘレナ・オーラ準男爵令嬢。この場において、多大なる役割を果たした立役者とも言える女性がそこに立っていた。


「少し失礼……なんでしょうか」


 話していた書記官殿に断りを入れ、彼女へ向き直る。ハーツ王国を揺るがす未曾有の危機。国難とすら呼べるそれが去ってまだ一時間と経っていないのに、その眉間には深い皺が刻まれていた。


「折り入ってあなたにお話が」

「私に? いったいどのような用件で?」

「……この方を少し借りてもいいでしょうか」


 横柄な物言いは私宛てではない。私の証言を報告書にしたためていた書記官殿へと向けられたものだ。命令の優先順位なら事前に周知していたのか、彼はヘレナ嬢に一礼を残すと、あっさりとその場から立ち去った。


「ヘレナ嬢、仕事の邪魔立ては……」

「今はそんな呑気なこと言ってる場合じゃありません」


 相も変わらず険しい顔つき。まるで仇敵を眼の前にしたかのようなただならぬ雰囲気を受ければ、こちらとしても察することがある。


「まさか、ジャニス殿下とポーリー嬢が脱走を!?」


 瞬時に脳裏を過ぎったのは、エステラ嬢の突きつけた逆婚約破棄。あれから現場に人員が呼ばれ、ジャニス殿下とポーリー嬢は保護という名目で連行を受けていた。よもや移動途中に馬車から飛び降りでも図ったのだろうか?


 それは私の思いつく限り最大の懸念点だったのだが、ヘレナ嬢は静かに首を振ってこれを否定した。


「剣なら先に取り上げてますし、そんな事態は起きていませんよ」

「では、どのような問題が起こっているというんですか?」

「あなたです」


 ビシッと言ってのけられた。身長差の関係で、目線より下から私の鼻先に向けて指先を突きつけている。さりとて、私自身に心当たりがあるかと言えば、無論のことさにあらず……。


「申し訳ない。昔から、ユーモアを解するセンスには疎くて」

「じょ、冗談なんかじゃありません!!」


 決め打ちで謝ってみたものの、意外なほどの激昂が返ってきてしまった。今やこの令嬢に対し、頭を下げることに抵抗感はない。さりとて、どんな落ち度や不手際が自分にあったかわからなければ、謝りようがないというのが困りどころだ。


 そんなこんなで頭を悩ませていると、彼方から天の助けがやってきた。新しく聖女の座に就任したエステ・プリムム嬢が、駆け足でヘレナ嬢の隣に納まる。


「あー、こんなところにいた……ヘレナ、マシュー様にご迷惑をかけてはいけないって、あれほど言ったでしょう」


 怒られるようなことはしていない――そんなムスっとした表情で、ヘレナ嬢がエステラ嬢へ向き直る。


「私は誓いを求めにきただけです」

「それを無理強いするのがご迷惑なんですよ」

「でも、エステラお姉様」

「でももなにもありません……ほら、マシュー様に謝って!!」


 右手でヘレナ嬢の後頭部を掴み、自分も一緒になってペコペコと頭を下げてくる。聖女にして次期王妃。いずれは国の中枢を担う大人物にそんなことをされれば、私としても慌てふためかずにはいられない。


「お、落ち着いてください!! ヘレナ嬢は、まだ私になにも求めてなどおりません!! お願いですから頭を上げて!!」


 既に集った面々がこちらに注意を向けてきている。たかが準男爵令息の身である私がエステラ嬢に頭を下げさせたとあれば、どのような大問題が持ち上がるか知れたものではない……。


 その懇願はどうにか通じたようで、ふたりはすぐに頭を上げてくれた。


「……そ、それより説明してください。誓いというのはいったいなんですか。どのような意図で、私にそれを求めようと?」


 説明を求めると、対話者であったヘレナ嬢ではなく、何故かエステラ嬢が頬を赤らめた。


「あのー、それはついさっきのことなんですが……」

「マシュー様には、他言無用をお願いしたいのです」


 他言無用? つまり、なにかを口にするなと。


「わかりました……と言いたいところですが、なにを喋らないでいたらいいのです? 申し訳ないのですが、どうにも私には心当たりがないのですが」


 ヘレナ嬢が眉根を寄せる。さらに怒らせてしまったかと肝を冷やしたものの、隣に姉と慕うエステラ嬢がいるためか、話の続きを優先してくれた。


「さっきの、ジャニス王子をやり込めたときのエステラお姉様の口振りですよ。マシュー様はもう知っていると思いますが、この度めでたくエステラお姉様は百年ぶりの聖女になられました。ですけど、その神聖なる肩書きと、ジャニス殿下への言動はいささかイメージのギャップが大き過ぎると感じたんです。だからマシュー様には、さっき見聞きしたことは一切口外しないと、そう誓いを立ててもらいたいんですよ」


 説明されれば成程まさに。ヘレナ嬢の言わんとしていることには筋道が通っている。私とて初めての経験だったのだ。よもや天使のような笑顔で語られる恨み言が、あれほどまでに恐怖心を煽り立てるとは……。


 個人的には真っ赤になって縮こまり、隣で汗を搔いているエステラ嬢の姿が気にかかるが、今は触れない方がいいだろう。


「……そんなこと、もはや問題ではないというのに」

「うん? マシュー様?」

「いえ、こちらの話です……わかりました。その誓い、今この場で結びましょう」


 務めて微笑を浮かべ、宣誓のために腰を下ろすと、ヘレナ嬢に促されてエステラ嬢が前に出てきた。非常に申し訳なさそうな顔をしていたものの、自身としても先程の言動はやり過ぎと感じていたためか、存外素直に誓いの儀式を行ってくれた。


 儀式を終えると、張り詰めた空気が少し緩んだ気がした。


「マシュー様に感謝します。これで王国を揺るがす国難が去りました」

「大袈裟ですよ……ちなみに、もし私が断っていたらどうするつもりだったのですか?」

「そのときはあなたの背に影を貼りつかせるしかありませんね」


 ……そいつは、なかなかにぞっとしない話だ。私の笑みもぎこちなくなっていることだろう。


 上機嫌となったヘレナ嬢の隣で、エステラ嬢も平常の笑顔に戻る。


「わたくしも、胸の支えが取れてほっとしました……それじゃあヘレナ、今度はあなたの番ね」

「私の?」


 自身を指差し、寝耳に水といった表情でエステラ嬢を見返す。トレードマークの笑顔を浮かべたエステラ嬢は、多少の困惑とともにうんっと首を傾けた。


「えと、なにもありませんけど?」

「あらあら、ヘレナったら照れちゃってもう……あなたの口から、マシュー様に言っておくべきことがあるでしょう?」


 そうなのか。突然のことに私も心当たりを探ってみる。しかし改めて胸裏を探ってみても、この非凡なる貴族令嬢の口から私に語っておくべきことなど、なにもない気がするのだが。


「……ですから、ありませんって」


 ほら、ヘレナ嬢だってそう言っている。ただしエステラ嬢は納得していないらしく、笑顔のままヘレナ嬢へと詰め寄った。


「ここでなにも言わずにいるのは、不義理というものよ」

「で、でもですね……本当に心当たりなんてないのですが……!?」


 おお、あのヘレナ嬢が狼狽えている。よもやジャニス殿下を敵に回して一歩も引かなかったご令嬢が、姉と慕うエステラ嬢の前ではこうも腰砕けになろうとは……。


 などと、新鮮な印象を噛みしめている間に、状況に動きがあった。なんとヘレナ嬢がエステラ嬢の前から逃げ出し、私の背に隠れてしまったではないか。


「ヘレナ嬢? いったいどうしたというんです!?」

「い、いえ……別にどうもしてませんよ」

「そんなわけが……はっ!?」


 ヘレナ嬢が私を盾にしたことで、私とエステラ嬢が直に向かい合うかたちとなる。その背からは、なにやらオーラらしきものが立ち昇って見える。


「義務を果たさずして、立派な淑女にはなれませんよ」

「ううぅ……はっ、そうだわ!! エステラお姉様、こんなことしてる場合じゃないですよ!!」


 私の肩から頭を出し、なにやら言ってきたヘレナ嬢に、エステラ嬢が暗黒系の微笑みを向ける。となればつまり、その真正面に立つ私にも直撃しているわけで……全身に鳥肌が立つなどというレベルではない。


「ヘーレーナー」

「ひっ……でっ、でも本当なんです!! 今から殿下に会いに行かないと、門限に間に合わなくなっちゃいますから!!」


 背から立ち昇る黒いオーラを引っ込めて、エステラ嬢がテンションを一気にニュートラルなものに戻した。


「そう言われたら、たしかにそうね……今日はもう時間も遅いし。あの、マシュー様?」

「は、はい!!」


 しゃきんと背筋を伸ばす私に向かって、エステラ嬢はやさしい声音で。


「この子に代わって、わたくしの口から申し上げますね。こたびの騒動、あなた様のご協力なくして円満な解決を迎えることはできませんでした。あなた様はわたくしと、この子の命の恩人です。その感謝の心は、今この場でお伝えできるような大きさではありません。後日、改めてお礼の機会をいただけますでしょうか?」


 ――約束、か。


 後ろめたい気持ちは無視できない。さりとて、ここで断るほどの無礼もないだろう。少し考えたのち、私はこの国の未来の担い手たる新たなる聖女へと、しっかりと頷いてみせた。


「そうおっしゃられるのであれば、必ず」

「良かった。ヘレナ、もういいですよ」

「はい、エステラお姉様……」


 気まずげに私の背から姿を現したヘレナ嬢が、定位置であるエステラ嬢の隣に納まる。これで私は、令嬢二人と向き合うかたちとなった。


「これから、なにか用向きでも?」

「ご挨拶ですよ。第二王子ロンドベル様へ、新たなる婚約者としての」


 懸念が去ったと見るや、さっそくにヘレナ嬢が解説役を買って出る。

 その変わり身の早さに舌を巻いていると、エステラ嬢がこう補足した。


「状況に大きな変化がありましたから。実兄の元婚約者であるわたくしを、ロンドベル殿下が快く迎えてくださればいいんですけど」

「そのような心配は……だってロンドベル王子って、まだ十二歳でしたよね?」


 たしか、なにかの祭典で遠目に見た記憶がある。ロンドベル王子の外見から受ける印象は、どこか箱入り令嬢のそれを思わせた……。


「それに厄除けのための異性装もまだ解けていない。会いに赴かれるのは、その義務から解放される次の誕生日を迎えてからでも遅くない気がするのですが」


 どうせもう、ロンドベル王子の手の者に情報は伝わっているのだ。息せき切って面を合わせに向かうよりも、状況の変化を咀嚼する十分な時間を置いてからの方が、新しい婚約者の初対面としては上策な気がしたのだが……。


「マシュー様、それはダメですよ」

「ダメ? どうしてですか?」

「それだと、わたくしが眼福を味わえないじゃないですか」


 ニコニコと、エステラ嬢が曇りなき笑顔を浮かべている。


「えー、こほん……エステラお姉様?」

「あ、これって言っちゃダメなやつでしたっけ?」

「ダメなやつです」


 やけに冷静なツッコミだな……などと思う間もなく、ギョロリとしたヘレナ嬢の眼が私に突き刺さった。


「誤解しないでください。べ、別にエステラお姉様がロンドベル殿下のドレス姿を見たかったとか、そういうわけでは断じてありませんからね」

「は、はぁ……」


 見たかったのか。そうか……。


「忘れてください。今耳にしたことも。時間が惜しいので、誓いの儀式は割愛しますが」

「わ、わかりました……」


 素直に了承すると、エステラ嬢に促されてヘレナ嬢が踵を返す。去り際、エステラ嬢が振り返り、私に向けて会釈をしてくれた。


 私もまた仕事に戻る。話を終えたと見て現れた書記官殿へと、自らが体験したすべてを語って聞かせた。隠しごとはしない。それは今回、黒い企みに囚われ続けた私の決めごとだった。私の口から語られることは、どんなに些細な虚偽であろうと慎重に排除し、真実への到達を阻むものであってはならない。


「どうもお疲れさまでした。今後の動向に関しましては、後日私どもの方から改めてお知らせいたします。マシュー様、本日は大変な一日でしたね。自室に戻ってゆっくりとお休みください」

「……こちらこそ、お手数をおかけしました」


 職務に忠実な書記官殿が、最後に笑顔を見せてくれる。こちらに気を遣ってのことだろうが、果たして私はそれに足るだけの人間だろうか。


「…………」


 周囲から人の姿も捌けてきた。事後処理が一段落したというより、この場ですべき仕事を終えたと見るのが妥当だろうか。ウィリアム・ゴールデン卿自身こそ姿を見せていないが、その手の者たちは連れ立ってこの場を後にしてゆく。


 ふと、私の眼が一点に留まる。その御方はまだこの場におられた。身辺警護を担う近衛騎士の方々へ先に帰るよう進言されると、やや渋面を見せたものの、配下は主の命に従った。


 どうやら、すべて察してくださったようだ。これで私と、陛下を除いてこの場には誰もいなくなった。


 陛下はまだ、こちらに気づいておられない。私は息を吐き、腰に佩いた剣の柄を握る。音を立てぬよう静かに抜剣すると、護衛を帰して完全に無防備となったその身を目指し、背後から一歩ずつ近づいていった。


 陛下が首を巡らせ、こちらを向かれる。抜き身の剣を持った私へと、藪睨みのような視線を送られた。しかし既に圏内。私が声を張るのが先だ。


「――陛下」


 お声がけと同時に腰を折った。柄を掴んでいた手を離し、刀身を両手で捧げ持つようにして、抜き身の剣を掲げる。


「恩賞でなく、誅罰を求めるか」


 そのようなお声が、頭上から降り注いだ。抑揚から感情を洞察する意味はない。私はただ、脳裏で纏め上げた文言を口にするだけでいい。


「……都合の良い、考えを持ちました」


 剣を掲げて、地を向き眼を瞑ったままでの心情吐露。本来であれば、こちらからお声かけすることすら憚るハーツ王を前に、今から私は自らの要求を突きつけねばならない。


「こたびの騒動の渦中にあって、私は考えました。今後の自らの身の振り方を。ジャニス殿下無きあと、いかに振る舞えば周囲の者に迷惑がかからぬか、納得してもらえるかに気を払いました。自分のことしか、見えておりませんでした」


 話しながら、緊張で心臓が爆ぜそうになる。一語発声するごとに息苦しさが増し、言葉が咽喉元で引っかかる。


 そんな私に、陛下は「続けよ」とおっしゃってくださった。再度息を吸い込み、思いの丈をぶつける。


「これほどの大事でなければ、それで良かったのかもしれません。しかし現実問題として、ジャニス殿下は廃嫡こそ免れたものの、二度と表舞台に立つことはなくなってしまった。そしてそれを、陛下御自らがお命じになられた。そもそも最初からすべてを知っておられたのです。ですから、私は――」


 そこで言い淀み、考え直して言い足す。


「自らの立場を、改めて深く考えてみる必要がありました」

「それで? 結論は出たのか?」

「はい……私は、ジャニス殿下の手の者です」


 断言して、分水嶺を飛び超えた心地がした。口に出して言わなければ有耶無耶にできたかもしれないものを、私は今自分の意志で黒と言い切ったのだから。


 傾斜の付いた坂道から球が転がるように、私の舌も回る。


「そして裏切り者です。他ならぬ、陛下のご子息であられる御方の」


 天を見上げるようにして、そのお顔を眼に入れる。陛下は表情らしい表情を繕うこともされず、じっと私のことを睥睨しておられた。


「では聞こう。貴公がこの私になにを求めるのかを」

「黄金郷をお呼び戻し下さい。そしてこの剣で正しきご沙汰を」

「そのようなことのために、私に労を支払えと?」

「陛下御自らの御手を煩わせれば、名誉討ちとなりましょう。私如きにそれほどの価値はございません。ですから、どうか……」


 恐怖がないわけではない。その証拠に、跪いた体勢で額から垂れた汗の雫が、地を黒く染めている。


 陛下は黙され、お考えを纏め上げておられるようだった。私はじっとしたまま、来たるべき時を待つ。わかっている。我が天命はここで尽きると。そして理解もしている。それこそが、正しさの為されたなによりの証拠になるのだと。


 緊張の時間が流れて、私は薄く眼を見開いた。そして驚いた。今まさに私の眼の前に、地に膝を突かれた陛下御自身のお顔があったのだから。


「そんな!! 陛下!! なんともったいない……!!」


 驚きのあまり、己のなすべきことを忘れた。陛下が私の目線に合わせてくださったのなら、私はさらに屈み込んでそれを避けるべきであった。しかし当の陛下は気にされたご様子もなく、むしろ積極的に私の顔を眺められていた。


「顔貌に、影の色が濃いな、青年」

「か、影……!?」

「誰も見ておらぬ。そして私も気にはせぬ」


 そうおっしゃって、陛下は私の顔に手を伸ばされた。その指先を振り払うほどの不敬はない。私はじっとして、なすがままになった。


「成程、少し面影がある」

「それは、どういう……?」

「立て。私の足を痛めたくなければな」


 御身を理由にされては、従わぬわけにはいかない。かくも畏れ多いことながら、直立した私は陛下と向き合うこととなった。


 語るべきことは既に語った。ゆえに私は陛下のお言葉を待つのみだ。やがてそのときがやってくる。その眼を細めて、陛下はこうおっしゃった。


「……かねてより思っているのだ。卑劣千万なる行いを除いて、若さゆえの過ちは許されるべきであるとな」


 私のことを許すとおっしゃるのか。しかし、それでは正義が……。

 不敬であることはわかっていた。それでも言わずにはいられなかった。


「裏切り者は何度でも裏切る……陛下であれば、既にご承知のことと存じますが」

「そうだな。貴公は我が息子ジャニスを裏切った、それは事実」

「であるなら、然るべき処置を」


 退けない一線だ。不敬を承知で陛下の眼をじっと見つめた。

 陛下もまた私の眼を見つめ返し、私という男を見定めてくださる。


 いと尊き御人に、こちらの要望を叶える義務はない。さりとて、特例を作ることもまた回避せねばならない。若き身であることを理由に私を特別扱いすれば、それは悪しき前例となってしまう。そのことに考えの及ばぬような御方ではない。


 次のお言葉は、私の未来を左右するものだ。だからこそ、その口から語られた内容に、私の心は戸惑いを隠せなかった。


「……ヘレナをどう思う?」

「は? ヘレナ嬢をですか」

「こたびの騒動、貴公は短くない時間をあれと過ごした。所見を語ってみよ」


 私は少し考え、それから口を開く。


「不思議なご令嬢でした。人目を引く見事な銀髪を除けば、家格も低く見るところも少ない、エステラ嬢に気に入られているだけの女性だと最初は思っておりました。しかし、彼の人物には非凡の才がありました。影なる存在を使役し、我がハーツ王国に蔓延る陰謀の全容を真っ先に掴んでいた。だから、今はこう考えます。ヘレナ嬢はハーツ王国の未来にとって必要不可欠な、守護者のような存在であると」


 彼女がその身を挺してエステラ嬢を守ったように、いずれハーツ王国をも守る機会がくる。それは予感というより、遠くない未来に待ち受けている確定した出来事のように、私には思えた。


「では、さらに問おう。貴公はヘレナが間違うと思うか」

「思いません」


 即答した。少なくとも、あの場で彼女が間違うことはなかった。


「ヘレナ嬢こそ、正義の相応しき担い手であると思います」


 その進言には、私自身の確信が載っていた。

 だというのに陛下は、ここで首を左右に振られる。


「その見立ては誤りだ。こたびの件、あやつは重大な過ちを犯しておる」

「そんな……しかし、ヘレナ嬢の存在無くしてジャニス殿下の陰謀を阻止することなんて」


 途中まで言って、私も不審点に気づいた。


「……まさか」


 瞠目して独り言ちると、陛下は頷きを返される。


「すべては終わった出来事。ならば結果から逆に考えてみることだ。こたびの騒動、目下の一大問題はエステラの婚約に関してであった。そのエステラは我が息子ジャニスに逆婚約破棄を突きつけ、第二王子ロンドベルと婚約を結び直すに至っている……ここまで言えば、貴公にもわかるな?」


 たしかに理解はした。しかし信じられない心地もまたある。

 ヘレナ嬢ともあろう者が、こんな初歩的なミスを犯していたなんて……。


「ジャニス殿下がエステラ嬢に突きつけた婚約破棄は、最初から問題などではなかった……?」


 鏡なくして、己の顔は見えない。だから今、自分がどれほどの驚き顔をしているのかはわからない。陛下はそんな私の顔を検分され、ゆっくりと顎を縦に振られる。


「しかり。エステラは、公衆の面前で婚約破棄を受けて構わなかったのだ」

「し、しかし……ならば何故、ヘレナ嬢は邪魔立てするようなことを!?」

「簡単な話よ。姉と慕う女性が侮辱されるのを、黙って見ておれなんだのよ」


 なんだそれは? よもやそんな理由で行動を起こし、自らが囚われる派目になったというのか……!?


「バカげている!! そんな、自分がどれほど重要な任に就いているか自覚のないようなことを!!」


 その憤激は、穴の開いた風船のようにたちどころに搾んだ。

 そもそもこの私に、彼女に怒りを抱く資格など存在しない……。


「ゆえに、貴公の存在が重要だった。真に守らねばならなかったのはエステラの婚約などではなく、ヘレナの身の自由であったのだから」


 屋敷に囚われたヘレナ嬢を逃がすため、誰かが行動を起こさなければならなかった。その役をこなしたのは他ならぬこの私だ。もし彼女の脱出が叶わなかったとしたら、エステラ嬢の身の無事も含めて、事態はどう転んでいたかわからない……。


「計画が綱渡りになってしまったこと、ヘレナは深く悔やんでおったよ。そして貴公と同じく、自らの身に罰を望んだ。しかし私は許しを与えた。何故だと思う?」


 生唾を飲み込み、私は慎重に返答を吟味した。


「……ヘレナ嬢の所持する能力が、このハーツ王国の未来に欠くべからざるものであるからかと」


 陛下は静かに首を振られ、答えられる。


「そうではない。他者に完璧を求めることこそ、人の上に立つ者が犯す最大の過ちだからだ。ヘレナはただ揺れたに過ぎない。貴公と同じようにな」


 揺れる? それはどのような意味で……。


「施政者は人を扱う。それは決して道具などではない。物とは違い、人には心が宿る。であれば、やむなき事情というものもまた存在しよう。真に大切なものを持たぬ人間は、信頼などするに値しない。貴公もヘレナも、自らの心の声に従ったまでの話だ。私はそれを裏切りと考えてはおらぬ」


 なんと畏れ多い容赦の心であろうか。しかし、それでも私は筋を通さぬわけにはいくまい。


 抗弁のために口を開きかけた矢先、陛下から先にお声がかかった。


「それとも、貴公は求めるというのか。自身のみならず、同じ罪を犯したヘレナにも罰を」

「……それは」


 言いあぐねて、歯噛みした。それでも、正義のために私は……!!

 反論の余地などない。しかし私は、それを求めぬわけにはいかないのだ。


 じっと陛下のお顔を凝視していると、根負けされたわけではないだろうが、陛下がなにやら諦めたようなお声を発された。


「わかった……貴公に罰を与えよう」

「寛大なる御心、感謝痛み入ります」


 陛下に本意を通させなかったこと、これはれっきとした不敬だ。しかし、これでやっと終わる。天の国で待つ父にも、胸を張って顔を合わせに行ける……。


 私はその場に跪いた。瞼を閉じ、この身に王命が下る瞬間をじっと待つ。この沙汰をもって、この一大騒動は真実に完結の目を見ることになるだろう。そして――。


「王の名において命ずる……マシューよ、貴公を明日より、我が実子たる第二王子ロンドベルの、剣術指南役に任ずる!!」


 私は顔を上げた。疑問より先に、その表情が物語っておられた。穏やかなる笑み。それは陛下がこれまで、誰にもお見せにならなかったものだ。


「い、いけません陛下……私が求めたものは……!!」

「ゆえに、これが罰だ」


 ニッと、悪戯小僧のように笑みを深められる。


「我が息子ロンドベルは、見目こそ我が妻に似て美しい。しかし昔から剣の腕はからきしでな。いずれ王たる身なれば、その扱いに長けねばならん。あれを一端の剣士に仕立て上げるのは大変だぞ? 貴公にとって、さぞや前途の知れぬ厳罰となろうて」


 なにか、なにかを言うべきだった。かような沙汰を撥ね退け、陛下のご主張を覆す反論を見つけねばならなかった。


 けれど私の両の瞳には今、温かいものが込み上げている……。


 跪いた姿勢でなにも言えなくなった私に、またしても陛下がしゃがんで目線を合わせてくださる。そして父のような口振りでこうおっしゃってくださった。


「……似ているな、貴公は。父君ダンに」

「父を、ご存知なのですか?」

「学友だ。昔から、あやつはなにかと思い詰めるたちだった」


 初耳だ。陛下と父上が知己であったなどと……。

 陛下はどこか遠い眼をされ、続きを語られる。


「誤解を恐れず言えば、私たちは親しき仲であった。物心のつくより前に顔を合わせ、互いに負けじと研鑽を詰んだ。しかしその行く末は、同じ道には続いておらなんだ。距離を取ったのはあやつの方からだ。それだけの身分差が私たちの間にあると、そう考えておったのだ」


 驚きより勝るのは、陛下のお顔に感傷の色が見えたこと。だから私も確信するに至った。このお言葉に偽りはない。我が父は、かつて王の親友であったのだと――。 


「……そのようなこと、私には一言も」

「そうだろうな。あやつは律儀で頑なな男であった。自身が我が傍にいるのを良しはとせなんだのよ」


 王がお立ちになり、視線で私を促す。眼から溢れ出たものを袖口で拭って散らすと、私もまた立ち上がって相対する。


「貴公の姿を見て、懐かしい心地になった。一目でわかったよ。貴公の身に、あやつの心が祟っておると」

「父上の心が、ですか」


 半信半疑に文言を繰り返すと、陛下は深い頷きで応えられる。


「教えられたのだろう、正しきをなせと」

「それは――」


 一瞬戸惑ったものの、陛下は先んじて首を振られる。


「なにも責めているわけではない。あやつの教えは正しい。しかし、それだけでは不十分なのだ。正しさを追求し、守る。それは人の影なる心に属する行為だ……マシューよ、ヘレナの言葉を覚えておるか。万物には、光と影がある」


 陛下の問いかけに、しっかりと頷きを返す。


「光と影は、一枚のコインの裏表。どちらか一方を欠けば、途端にバランスが崩れてしまう。貴公にもあるはずなのだ。ダンからではなく、もっと別の人間から学んだことが。それこそが、今の貴公に必要な光の心なのだ」


 光の、心。私にもあったのだろうか、そのような教えが……。


「まずは自分を赦せ。それを果たせたとき、また会おう」

「陛下!!」


 立ち上がる陛下へお呼びがけする。しかし、それ以上の言葉が出てこなかった。陛下もまた語るべきことは終えたと考えられたのか、制止の声には反応せず、しかし歩み去る寸前に一度だけこちらを振り返られる。


「よいかマシュー、人生とは決して狭量なものではない。もっと早くそのことに気づけていれば、私も貴公の父を失わずに済んでいたかもな」


 取り戻せない過去の後悔、郷愁。

 そのお言葉は私に、陛下と亡き父の間柄を思わせた。


 どんなにお互いを思っていようと、別れを選ばねばならないときもある。かつて友の背中を見送った陛下はしかし、私との再会を望んでくださった。その御心には、全力で応えねばならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。