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釈明はございません ~純潔の行方~  作者: ソーカンノ


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第5話 『雉も鳴かずば』

 ――ポーリー・アーカー子爵令嬢。


 正直なところを言えば、今この場においては語るべきところのない人物だ。我が友、ライオット殿の婚約者でありながらジャニス殿下に見初められ、不義の関係を結んでいたその相手。


 己が身分を考えれば、割り入るべきではない。無論それは私やヘレナ嬢も同様だが、この混乱した場においてはそれぞれに役割が振られていた。ポーリー嬢にはそれがない。ただ、ジャニス殿下の眼に留まった女性というだけだ。


 私たちは三者三様に彼女を見つめた。消沈するジャニス殿下の腕に両手を巻き付けて、さも自分のものであるかのようにアピールする。


「……話ならつきました。私たちを呼び止める必要はないと思いますが」


 ヘレナ嬢の塩っぽい反応に気分を害して、ポーリー嬢はさらに語気を強めた。


「なにもついてないわ!! それにあんたには訊いてない……エステラ、あんたが答えるのよ!!」


 名指しされ、エステラ嬢は右手の指で自身を指差す。


「……わたくしですか」

「そうよ、あんたよ!!」

「答えるとは、なにを?」


 エステラ嬢の当惑は、ポーリー嬢の剣幕に押されたというより、そのもの質問される心当たりがなかったためだろう。


「あんた、心が痛まないの!?」

「心……? あの、失礼ですけどポーリーさん、さっきからなにをおっしゃりたいのかわたくしにはよくわからないのですが……」

「ジャニス殿下に全部押し付けて、一方的に悪者にして、心は痛まないのかって訊いてるのよ!!」


 こちらの驚きも三者三様だった。私は呆れを通り越して唸った。共通していたのは、みな一様に言葉を失ったことだけ。


「……加害行為は、ジャニス殿下の方からされましたよ」


 器用にも片眼だけを眇めてヘレナ嬢が呟くが、こちらには一瞥もくれない。いきり立つポーリー嬢は、エステラ嬢以外相手にするつもりはないらしい。


「もとをただせばあんたのせいでしょ!!」

「わたくしに不貞の事実はございません。すべてジャニス殿下の誤解です」

「じゃあどうして今、私が殿下のお傍にいられるっていうのよ!!」


 さっきから居直りも甚だしい。論理も破綻しているように思える。裏切ったとはいえ親友の婚約者。仮にも貴族令嬢と目溢ししてきたが、これほどまでの醜態は些か眼に余る。実力で排除すべきだろうか。


 前に出ようとした私を、腕を伸ばしてヘレナ嬢が止めた。その視線はふたりに注がれている。今はまだ邪魔をするなということらしい。


「……さっきあんたは言ってたわね。私に、ジャニス殿下の御心の傷を癒してくれてありがとうって。その通りよ。ジャニス殿下は深く傷ついておられた。それはあんたの裏切りだけが原因じゃない。あんたが婚約者としての務めを果たさなかったから、深く御心を痛められていたのよ」


 ポーリー嬢の瞳からは、恨みつらみの情念が読み取れる。少なくとも表面上は、演技でないと仮定すれば。


「ではポーリーさん、お聞かせください。至らなかったわたくしに、あなたはいったいなにを求めるのですか?」

「あんたと殿下の間にある婚約の解消、それにあんたたちが世に求めようとしている沙汰をなかったことにするのよ」


 前者はわかる。王妃になることがポーリー嬢の悲願であるなら、ジャニス殿下とエステラ嬢との婚約は排除するべき障害だ。


 しかし後者を求めること、これは無理筋に過ぎる。ヘレナ嬢とエステラ嬢が自身の立場を懸けて証明したことを、なかったことにせよとは……。


 さすがに聞き捨てならぬと思ったのだろう、私を妨げていた腕を下ろし、ヘレナ嬢が前に出た。


「随分な言い様ですね、罪を不問にせよとは」

「ヘレナ、あんたは黙ってなさい!! エステラに眼をかけてもらっているだけの準男爵令嬢風情が!!」

「家格を理由に相手を貶める……それ、淑女教育じゃタブーですよ」


 淡々と言ってのけたあと、返し刀にこう言い加える。


「さて、子爵令嬢風情がなにを勘違いしているのか知りませんが、ジャニス殿下に下る罰は裏付けの取れるものだけです。盗賊ギルドとの黒い関係。証人を召喚出来ない以上、こちらは私たちにはどうしようもありません。今ならエステラお姉様を陥れようとした罪に、偽証罪、あなたとの不義密通、その他諸々を含めた比較的軽微な罰で済みますよ。王位継承権の無事までは保証できませんが」


 とは言ったものの、最後の一文はポーリー嬢にとっては死活問題だ。ヘレナ嬢もその効果を知り抜いている。親の仇のように睨みつけてくる視線を、軽やかに受け流していた。


「あ、あんた……次期王妃に利いていい口じゃないわよ!!」

「エステラお姉様の立場を勝手に奪わないでください。それとも、略奪するおつもりで?」

「……ヘレナ」


 身体ごとヘレナ嬢に向き直ったエステラ嬢が、こほんと空咳を挟む。


「はしたないですよ。口汚い煽り合い、これも淑女教育のタブーだったでしょ」

「でも、エステラお姉様……」

「でももなにもありません。話し合いでことが丸く収まるなら、それに越したことはないんですから」


 しばらくこの場は任せて頂戴、とのエステラ嬢の物言いにヘレナ嬢は渋々ながら頷きを返した。そして――。


「ポーリーさん、あなたも少し誤解があるみたいなので言っておきます。わたくしとジャニス殿下との婚約は、お互いの親同士が決めたもの。わたくしの一存で勝手に解消したり、破棄したりできるものではありません」


 教え諭すような言い回しに、ポーリー嬢が眉根を寄せる。先刻承知、というより、ハーツ王国民なら子どもでも知っていることだ。


「なにが言いたいの?」

「今後の運びに関しては、早急に結論を出すべきではないということです。親族も含めた大きな集いをもって、それから……」

「わかったわ」


 説明の途中なのにポーリー嬢が頷いた。眼を閉じ、開くと、再びエステラ嬢を視界に納める。


「それがあんたの手管だっていうんでしょう? 話し合いにかこつけて、周りの意見を操作して、自分の望む通りの結論に誘導する……まったく、とんだ女優もいたもんだわね!! でも私は騙されない。あんたの思う通りになんてなってやるもんですか!!」


 ……私の眼には、エステラ嬢の態度はこの上なく誠実に見えた。


 しかしポーリー嬢には真逆のものに思えたのだろう。その根拠を探す意味は恐らくない。彼女の出した答えは昨日今日で導き出したものではなく、もっと以前から心の奥で根を張っていたものだからだ。


「私とジャニス殿下との間には、『真実の愛』があったわ。あんたとはどうなの? 愛すべき御方を不安にさせて、猜疑心を芽生えさせて。挙句不貞の疑惑まで抱かせたじゃない。これが本当に未来の王妃のすること!?」


 自身の言葉に胸を打たれて、眼に涙まで溜めている。仮にここに立つ経緯を知らなければ、私とてこの令嬢の味方をしてしまったかもしれない。


 だが、どれほどの熱演だろうと種は知れている。演技が堂に入っているほど、私たちの心は底抜けに冷えてゆく。


「落ち着いて。まずは冷静になってから……」

「先に答えなさいよ!! ジャニス殿下のこと、本当に愛してたって言えるの!!」

「…………」


 微笑を浮かべまま微動だにしないと、この女神のような令嬢も妹分と同じく人形染みて見える。


 その答え、果たして当人の口から聞くことはなかった。歩み出たヘレナ嬢が私のときと同じように、腕を伸ばしてエステラ嬢を諫めたためだ。


「……誘導です。エステラお姉様は、もうなにも言わないで」

「わたくしの出番はここまでというわけね」


 至極残念そうな口ぶり。理由ならば眼差しに現れていた。ポーリー嬢への一瞥に込められた同情の念、私以外に誰か読み取れただろうか。


 対話者の座を譲られ、ヘレナ嬢がポーリー嬢に相対する。


「先に忠告しておきます。これ以上しゃしゃり出ない方がいいですよ」

「あんたには聞いてないわ……エステラ、答えなさい!!」


 なおも食い下がるポーリー嬢ではあったが、当のエステラ嬢はヘレナ嬢の横顔をじっと見ている。選手交代が果たされた以上、自身はもう見守ることしかしないということか。代わりに妹分が口を開く。


「随分と小癪なことしますね。激昂した振りで、言質を取ろうとするなんて」

「なんの話よ!!」

「またそうやってしらを切る……まあいいです。そっちがその気なら、こちらも容赦はしないというだけの話ですから」


 ヘレナ嬢の身から、にわかにただならぬ気配が発散される。ポーリー嬢はたじろぎを見せたものの、ここで矛を納めたら元も子もないと思ったのか、野良犬が吠え立てるように負けじと主張を叫んだ。


「エステラと話させなさい!! まだ質問は終わってない!!」

「それが誘導だって言ってんですよ……」


 呆れたように呟くと、はあっと大きな溜息をこぼして顔を上げた。


「……あんたみたいな手合いなら、私は何人だって見てきました。人の男に手を出しておきながら、咎を問われたら二言目には『真実の愛』だのなんだの……そんな曖昧で実態の定かじゃない概念をチラつかせて、浮気の証明以外のいったいなにになるってんですか。私たちは不貞行為で散々っぱら盛り上がりましたって、ただそれだけの話でしょうが」


 それはおよそ令嬢らしくもない、あまりに砕けた口調だった。


 ヘレナ嬢にそのきらいを見ていた私ですら閉口したが、ポーリー嬢の驚きはそれに輪をかけた。眼を月のように丸く見開き、唖然としている。


「あ、あんた……なんて口振りしてんのよ……!?」

「悪びれませんよ。こっちが素なんで。それよりポーリーさん」


 突如名を呼ばれ、ポーリー嬢がぎょっとして身を震わす。


「ジャニス殿下との火遊び、あなた楽しかったですか?」

「ひ、火遊びですって!? ……ふざけないでよ!! 私と殿下は『真実の愛』で結ばれているのよ!! そんな言い方して良いような関係じゃ……!!」

「いいんですよ。だって、火遊びで合ってますから」


 断じて、真っ直ぐにポーリー嬢の瞳の中を覗き込むようにする。


「……光あるところ、影はどこにでもできる。人の心だってそうです。光と闇は表裏一体。あなたが『真実の愛』と呼ぶものの裏には、常に『退屈』の影が付きまとっていた。要するに、あなたは刺激が欲しかったんですよ。退屈な日常を微塵に砕いてくれるほどの、強い刺激が」


 ポーリー嬢が半歩退くのを、私は見た。


 気圧されたから? それとも図星を突かれたから? ひょっとしたら両方であったのかもしれない。


「勝手に決めつけないで!! そんなのただの妄想じゃない!!」

「いいんですね、根拠を求めても……」


 ヘレナ嬢が腕を上げ、ポーリー嬢の首元を指差す。


「まずはその首飾り。中央に納まっている宝石は碧涙石。透明度の高い水色はパルスラムダ鉱床でのみ産出される希少性の高いもの。おまけに、人の瞳にも近いそのサイズ。学生街の宝石店如きに卸される品物ではありません。行商、それも高位貴族にのみ商いを行う専属宝石商から購入したものでしょう? 当然、子爵令嬢のさもしいお小遣いで手が届くものではありませんよね」


 一息に捲し立てて、首を振って問いかける。


「ねだったものかプレゼントか、それはさして問題じゃないです。厳然とした事実はひとつ。それはジャニス殿下が購入し、あなたに贈ったものだということ。教えてくださいポーリーさん。宝石の輝きこそが、『真実の愛』の証明なのですか?」


 ポーリー嬢は愕然とした顔をし、掌で首飾りを包んでヘレナ嬢の眼から隠すようにした。


 当たらずとも遠からず、というより、ほぼ正解を言い当てたに違いない。


「な、なんなのよあんた……さっきから気色の悪い!!」

「それとも子爵令嬢の身では届かないその輝きで、少しは退屈が紛れましたか」

「私の退屈なんか問題じゃないでしょ!!」


 なおも睨みつけるものの、その表情には怯えが走って見える。ヘレナ嬢は淡々と、しかし確実にポーリー嬢のことを追い詰めるつもりらしい。


「誠実な婚約者は退屈でしたか。だからジャニス殿下の元に走ったんですか」

「ち、違うわ!! 私の中に、ジャニス殿下が『真実の愛』を見つけられて……!!」


 少しでも言い澱んで隙を与えれば、ヘレナ嬢が破城槌のような追及を突き入れてくる。


「この国の第一王子に見初められて快感でしたか。婚約者を裏切るスリルは楽しめましたか。不義の愛の実現のために、無実の人間を陥れたことは?」

「ううっ、くぅっ……!!」


 連続する言葉の刃が、ポーリー嬢の心を刻んだ。眼の縁に大ぶりの雫を溜めた半泣きの状態でジャニス殿下から手を離すと、向き合う対話者の追及を力ずくで止めようと思ったのか、突進するように走り寄って右手を大きく振り上げた。


 しかしヘレナ嬢とて役者が違う。突如として暴力に訴え出たポーリー嬢の行動など百年前から読んでいたかのように、振り下ろされたその手首を片手で掴むことに難なく成功する。そして――。


「蠅が止まんだよ」

「痛っ……あ、あんた!! 私になにをしたの!?」

「それはこれから」


 掴んだ手首を離すと、その指先を近寄ったポーリー嬢の眉間に突きつけた。


「さて、こたびの婚約破棄騒ぎの争点をおさらいしましょうか。それは淑女の純潔が守られているのかということ……それではポーリーさん、私からも質問を。あなたの純潔を奪った相手は誰ですか」


 先刻掴まれた手首を擦りながら、ポーリー嬢がヘレナ嬢の顔をキッと睨みつける。


「はあ? なに言ってんのよ!? そんなのジャニス殿下に決まって……!!」


 人が一瞬で青褪める様を、このとき私は間近で見た。失言に気づいたポーリーが口元で両手を重ね合わせ、私たち一同を凝視している。


「嘘……なんで……!?」

「自白剤ですよ。王室御用達のね。さっきあなたの手首に打ち込みました」


 ヘレナ嬢が右手を開いて見せると、親指の先から短い針のようなものが伸びているのがわかる。


「あ、あんた、なんてことを……!?」

「雉も鳴かずば撃たれまい。火遊びの代償、高くつきましたね」

「…………」


 真にショックを受けたとき、人は涙を流すことすら忘れる。力なくくずおれ、地に両膝を突いてしまったポーリー嬢の瞳に輝くものはなかった。大きく眼を見開き、自身の不必要な失言と、そのせいで未来にかかってしまった暗雲について考えを巡らせているようだった。


 ヘレナ嬢の言った通りだった。これは予見のできた事態。ジャニス殿下の鋭い牙を躱し、逆に追い詰めることのできる令嬢になど刃向かうべきではなかった。失ったものを取り戻そうとして、逆により多くを失う。そんな人間の愚かさ、どうしようもない欲が、この子爵令嬢の身を破滅へと誘ったのだ。


 ヘレナ嬢が対話者から視線を切り、こちらへ振り返る。エステラ嬢の懸念は当たっていた。ここまでの仕打ちをするつもりはなかったらしく、やはり同情心の入り混じった視線でポーリー嬢のことを見ている。


 とはいえ、事後処理は行わねばならない。エステラ嬢もまた未練を断ち切ると、ヘレナ嬢に対して様々な意味合いを込めた頷きを送った。


 私も動かねばならない。自らの処遇も含めて、眼の前には課題が山積している。ジャニス殿下とポーリー嬢の不始末は、ややもすれば王位継承権の剥奪にまで発展するかもしれない。真にかしずく相手を選別するためにも、身の振り方にはより一層の慎重さが求められるだろう……とりあえず、今は。


「ヘレナ嬢、それにエステラ嬢も。今後の動向については日を改めて話し合いの場を持つことにましょう。ともかく今は、このような場からは一刻も早く離れるべきです」


 場に穢れの概念を持ち込むつもりはない。しかし令嬢方はそうは思わないだろう。この場にはまだ、自身の純潔を散らそうとした輩だっている。それに修羅場を演じた場所にいつまでも留まっていれば、心も安らぎを覚えることはないはずだ。


 双方から頷きが返ってくるのを確認して、私が先陣を切る。

 この場を去ろうと踵を返しかけた、その矢先のことだった。


 暗がりに太刀筋が閃き、私は寸ででそれを浴びるところだった――。

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