第3話 『純潔を狙う者たち』
――正しきをなせ。
あの日から、頭の中でずっと鳴り響いている。懐かしい故郷の風景、その只中にいる今は亡き父上が、そう教え諭してくれている。
理解はしている。今の私が真逆の行動をしていることを。決行のその日に備え、浮浪者同然の男と綿密な打ち合わせを行う。なすべきことは簡単だ。非力な令嬢を力で組み伏せ、その身に消えぬ暴行を加える。犬畜生にもとる犯罪の片棒を担ぐのが、他ならぬこの私というわけだ。
「なぁ旦那、そのエステラってお嬢さんは、さぞかし良い女なんだろう?」
決行日が近づき、協力者の男が浮つきを隠さなくなってきた。蛇のように細く長い舌で、自らの唇をしきりに舐めつけている。
「美女だろうが醜女だろうが、貴様に関係があるか」
「大アリよぉ!! だってよ、おっ立てるのはこの俺なんだぜ!?」
くそ、このような男と面と向かって会話していること自体が恥だ……。
「いつも誰に対しても笑みを絶やさぬ、女神のような女性だ。これで満足か?」
「満足も満足よ!! へへっ、楽しみで滾ってきやがったぜえ!!」
さかりのついた獣のように爛々と眼を輝かす。必要以上に傷を負わせることは本意ではない。釘を刺しておくことにする。
「貴様が命じられたのは針の役だ。それ以上の狼藉は許さん」
なんと白々しい。私は私自身の発言に唾棄したい思いを抱く。このような犯罪行為に加担した時点で、私の矜持などとうに地に落ちている。エステラ嬢の被害の程度を減じたところで、罪が軽くなるわけではない。
『知らせがあったのです。エステラお姉様の身に危険が迫っていると』
ふいに、説得の場でのヘレナ嬢の言葉が甦る。不思議な雰囲気を纏う女性だった。決して多弁なわけではない。むしろエステラ嬢の傍に控え、いつも人形のように静かにしているイメージだ。毅然とした態度で、断固としてこちらの申し出を断ってくるとは思わなかった。
「口からの出任せのはずだ。このような事態を先んじて読むなど……」
当事者である私でさえ、自身が直面した事態を信じられぬのだ。軟禁状態にある準男爵令嬢が察知できたはずもない。
しかし頭の一部が考える。もしも本当にこの危機を予見していたのなら、私が真に手を携える相手は……。
「焼きが回ったな。私という男にも……しかし、影か」
見張りも壁も貫通し、主人が必要とする情報を届ける。そのような人智を超えた存在を使役しているというなら、それはもう妖女の類だ。能力の高低いかんに関わらず、別の意味で信を置くことなどできない。
結局、最後に頼むことができるのは自分を置いて他にはいない。
行為の是非も責任も、すべて私の元へと返ってくることになる。
落ち着かず、煮え切らない時間だけがただ流れ、ついに決行の日を迎えることとなった。
◇
標的が貴族学院の敷地に入ったところで、尾行を開始した。
こちらからは相手を視認でき、相手からは気づかれない距離を念頭に置き、接近しすぎないよう気を払う。足音を殺しているが、後続の針男は不得手と見えて、パタパタとボロ靴が地を叩く音をさせている。
尾行対象が武の心得がない貴族令嬢でなかったとしたなら、既に露見していてもおかしくなかった。
「けひひ、もうすぐ、もうすぐだぁ!!」
「……黙っていろと言っている」
小声で諫めるも、涎を垂らし、獣欲に振り回される針男に効果はない。先行する私に追いつくタイミングで、はぁはぁと汚らしい呼吸音が聞こえる。
壁に背を預け、横眼で後姿を確認しながら呟く。
「じきに予定の隘路だ。手順は覚えているな」
「人気のつかない暗所にきたら、旦那が背中からお嬢さんを拘束する。その隙に正面に回った俺が、お嬢さんのお相手をするって段取りだったな」
こういうことに関してだけはよく覚えている。
こいつ、初犯というわけでもなさそうだな……。
「必要以上に傷つけることはするな」
「わかってるっつうの……俺がやっていいのは、突っ込むとこまでだってんだろ」
「理解しているならいい。くるぞ、タイミングを合わせろ」
ジャニス殿下の名で呼び出した約束の場所に赴くには、必ず通らなければならない細道がある。周囲を背の高い建造物と木々が囲んでいて暗く、昼間ですら貴族令嬢ならば歩くのを憚る道だ。しかし一本道ゆえ、その先に用向きがあるなら避けては通れない道でもある。
夕刻から夜に移り変わる時間帯。その道には先んじて夜が来ていた。闇に誘い込まれるよう中へ入ってゆく女性の背を、その何倍もの速度で私が追走する。
背後から迫る危機を察知するより、私の手が届く方が早い。
気づく頃には、私はエステラ嬢のことを羽交い絞めにしていた。
「……来い!!」
声とともに合図を送った瞬間、エステラ嬢が異変に気づいた。可能な限り身を捩って拘束を解こうとするも、所詮は女の力。両脇の下から差し込まれた私の腕を振り解くまでには至らない。
「自分は訓練を受けています。無闇に危害を加えられたくなければ、どうか大人しくしてください」
空気が変わる気配があった。頭の中で、エステラ嬢の意図を先読みする。私は事前に準備していた、薬液を染み込ませたハンカチをエステラ嬢の口元に強く押し当てると、無理に中身を嗅がせるようにした。
両手を掻き毟るような必死の抵抗も徐々に弱まり、その手が腕ごと完全に弛緩して、だらんと地に向けて落ちていった。
「寝たのか?」
「一時的な昏睡状態だ……それより貴様、準備は」
「おおっと」
こちらの様子を窺っていた針男が慌てて駆け出すと、ぐったりとしたエステラ嬢の正面に回って、ズボンのベルトをガチャガチャやり始める。
「なにやってる、早くしろ」
「おっかしいな……ベルトがバックルから外れやがらねえ、クソ!!」
イラつきを隠さない針男を見ながら、逆のことを考えている。
どうか一秒でも長く、この女性の身が無事であって欲しいと――。
「貴様、ベルトすら満足に外せんのか」
「なんで今日、こんなお楽しみの寸前に限って!!」
苛立ちが頂点に達した針男は、窮状に対し別の方策を取った。ベルトをバックルから外そうとするのではなく、ズボンのポケットから取り出した小型ナイフで根本から断ち切ったのだ。
「やった!! これでお嬢さんと楽しめる!!」
「エステラ嬢はこのまま私が支えておく。スカートを上げて、正面から突き入れろ」
段取りを指示したその瞬間だった。
隘路の暗がりから、見知った男女二人組が姿を見せる。
「ジャニス殿下!? それにポーリー殿まで……何故このようなところへ!?」
「貴公の働きぶりを拝見しにな」
悠然と、優雅さすら感じられる口調でそう嘯くものの、場に似つかわしくない不自然さまでは拭えない。
「仕事ならば順調です。お眼汚しの前に、どうかご退場を」
驚くことよりも優先すべきことがある。仮にも未来の主君となる人物に、この後に待ち受けるおぞましい行為を見せるわけにはいかない。
暗がりでもわかるほどにギラリとした眼光。口の端を持ち上げたジャニス殿下が、逆にこちらへと歩み寄ってくる。
「特等席を独占したいとは、貴公も意外にいけずな男だな」
「ジャニス殿下……あなた、なにを言って……!?」
聞き捨てならない言葉に耳を疑うも、裏打ちするような声が届く。
「これから癇に障る腹黒女が穢されようというときに、わざわざ観客席から立ち去る必要があるのか?」
「しかし」
しかし……なんだというのだ?
この期に及んで、私はなにを弁明しようとしている?
言葉の出てこぬ私の代わりに、隣のポーリー嬢が口を開く。
「ジャニス殿下と私の眼を愉しませる。それが今のあなたの負っている役目なのではなくて? マシュー様」
馴れ馴れしく名を呼ばれた不快感を押し殺し、私は未来の王妃に相応しい言葉遣いを堅持する。
「……自分は、そのような名目でこの仕事を請け負ったわけではありません。すべてはエステラ嬢の純潔を消失させ、婚約破棄をなさんがため。ひいてはあなたたちおふたりの婚約を成立させるためなのです。それ以外の事由で、手を汚すわけではありません」
言葉遣いは慇懃なものを選んでも、ポーリー嬢の顔を見るときだけは我慢できず睨みつけてしまう。対するポーリー嬢は眉根を寄せて露骨に不快感を示し、ジャニス殿下の腕を取って権威を見せびらかそうとする。
「あなた、未来の王妃に盾突くつもりなの?」
「私は、そんなつもりは……」
「そこにいるのは憎むべき女でしょう!! いつもジャニス殿下のご厚意を無下にして、勝手放題振る舞って、惑わそうとばかりして!!」
どっちが!!
……咽喉元まで出かかった反論を、寸でのところで飲み込んだ。
息巻くポーリー嬢の顔を可愛らしいものでも見るように覗き込み、ジャニス殿下がその身をさらに引き寄せた。
「薔薇は激情家だな。もっとも、怒ったその顔も比類なく美しいが」
「ですが殿下、先程からマシュー様の態度は眼に余ります」
「忠犬の役どころを演じているだけさ。そうだろう?」
「…………」
眼の奥は笑っていない。その質問には有無を言わさぬものがあった。
無言は保留か、それとも否定と取られるか……。
ジャニス殿下はどちらでもなかった。先の不協和は既に終わったものとして興味を失い、先程から気まずげにしている男へと首を向けた。
「おい」
「…………」
「そこのお前だ。針の役の男」
「へ、はい!!」
恐縮が一転、しゃきんと背筋を伸ばして軽く跳躍する。
弾みでズボンがずり落ちても一顧だにすることはない。
「な、なんでありましょうかジャニス王太子陛下殿下」
「貴様、そこの女をどう思う」
「どうとは……?」
「気に入ったかと問うているのだ」
不安に震える瞳がこちらを向く。いや、私が両脇の下から抱え上げているエステラ嬢の顔を見ているのだ。
「ええと、俺がこれまで生きてきた中で、一度も会ったことがないような別嬪さんだと思いますが……」
「そうか……なら最後までやれ」
「え?」
不意を打たれた針男の顔に、汚らわしい喜色が浮かぶ。
「へ? いいんですかい? 本当に?」
「今日の経験を糧に、あとで自分を慰撫するつもりだったのだろう? 卑しく溜め込んだその精、この女の腹にぶちまけてやっても同じではないか」
「待ってください!!」
自分のものとは思えぬ大声が出た。
木々に止まっていた鳥たちが、一斉に羽ばたいて逃げ出すほどの。
「エステラ嬢の純潔を消失させるのがこの場での目的だったはず!! ジャニス殿下はなにゆえ、それ以上の行いを求められるのですか!!」
諫言ではなく背信と取られてもおかしくはなかったが、こればかりは看過することはできない。
きつく睨みつける私の眼圧を、ジャニス殿下は悠然と受け止める。
「そもそもエステラの純潔はこの私のものになるはずだった。どう扱おうと私の勝手ではないか」
「しかしこの婚約は破棄される。エステラ嬢の純潔は、エステラ嬢自身のものだ。ただでさえ身を穢されるのです。それ以上の仕打ちで、人生までも台無しにするようなことは、いくらジャニス殿下といえど許されておりません」
一触即発の空気が流れ、互いに微動だにしない。だが主張は拮抗などしていなかった。ジャニス殿下はこの舌戦すら余裕で吹き飛ばす。
「この場を誂えた当事者である貴公がそれを言うのか?」
「それは……」
その事実は、私が言い返せないなによりの表れだ。私は犯罪行為に加担している、それは覆しようのない事実……。
「……堅苦しく考えすぎなのよ」
声の側へ顔を向けると、妖艶な笑みを湛えたポーリー嬢の姿がある。
「名だたる公爵家に生まれ、幼い頃からジャニス殿下の婚約者だった。生まれながらにしてすべてを持ち合わせていた。だからなんでしょうね、聖女ぶって他人を見下した笑顔なんて浮かべていられたのは。ああ……本当にいけ好かない女だこと。見ているだけで腹立たしいくらい」
持ち前の美貌を歪ませ、鬼のようにきつく眇めた眼で、ポーリー嬢がエステラ嬢を見た。
ジャニス殿下の腕を取っていない方の手で、愛おしそうに自らの下腹部を撫でる。
「……でも許してあげるわ。だってこの女は、今から醜い鬼子を孕むんですもの。ジャニス殿下の高貴な継嗣は、この私のお腹から生まれるのよ。精々見比べて後悔するといいわ。自分がどれだけ愛すべき御方に不義理をはたらいてきたのか。そして嘆くといい。多くの子宝に恵まれ、幸福な王妃となったこの私のことを見上げてね」
嗜虐的な笑みを浮かべるポーリー嬢の顎を、隣からジャニス王子の指先が掬った。
「フフ、この苛烈さが堪らぬな……女の嫉妬ほど恐ろしいものもなかろうて」
「嫉妬などしておりませんわ。この女には、愛するだけの価値がなかったというだけのお話でしょう?」
笑みを交わし合い、これから睦事でも始めようとするかのようなジャニス殿下の眼が、こちらを向いた。
「そういえば、腹が出れば誰にも一目瞭然であるな。エステラの純潔などとっくに失われている。この女は生まれにそぐわぬ、根っからの売春婦だとな」
ジャニス殿下が哄笑を上げ、続きポーリー嬢も高笑いをする。
あの針男までもが、貴人ふたりに追従して大声で笑い始めた。
笑い声が響き渡る空間の中心にいて、私の思考だけが冷え切っている。いったいこれはどういうことだ。我々が今行おうとしていることは、卑劣な犯罪行為だ。恥ずべきことだ。ならばせめて、行いそれ自体を己の恥として受け入れるべきだろう。開き直って被害者を嘲笑うなど、人の身にあってはならぬことだ。
それは、そんなことは絶対に――!!
「……もうたくさんだ」
地面を見詰めた状態から、顔を上げた。私の呟きは一同の笑い声よりよほど小さい。だが、ただならぬ気配を感じたのだろう。自身も武人であるジャニス殿下が笑いを納める。
「どうした? 大人しく台の役をやる気になったか?」
「あなた方に与した罪を否定するつもりはない……ですが、ここまでです」
腰を落とし、抱えていたエステラ嬢の身を静かに地面に横たえる。立ち上がって歩を進めると、呑気に突っ立っている針男の横面を全力で殴りつけた。
「――うげっ!?」
ノーガードで頬を殴りつけられた針男は頭を壁にぶつけ、地べたに伸びて動かなくなる。
「……なんのつもりだ?」
「もっと早くこうすべきでした」
すかさず抜剣し、片手で剣の切っ先をジャニス殿下の咽喉元へと向ける。
「婚約破棄の場でなさなかったことを、今こそすべきと判断しました。ジャニス殿下、私はあなたの言葉を覚えている。我が友ライオットに対する侮辱の撤回、そしてエステラ嬢の身の安全を懸けて、どうか私と決闘していただきたい」
剣の切っ先は震えていない。この決断に後悔はなかった。あれから幾度も考え、悩んできたことだ。父上の知る正義、それがいったいなんであるのかを。
驚いたような素振りも一瞬、ジャニス殿下は挑発的な笑みを浮かべる。
「冗談の類は不得手と見える。今ならまだ撤回できるぞ」
「いいえ殿下、私はこの決定を覆すつもりはありません」
「最後のチャンスだ。今ならなにも聞かなかったことにしてやるが」
「釈明はございません」
ジャニス殿下は片眼を瞑ると、呆れたような溜息を吐いた。
「ふん……こたびの興趣、余程貴公の気に障ったと見える」
「あなたの犬の役ならやりました。だが、人として最低限の善性まで捨てたつもりはない」
一度口にしてしまえば、言葉は立て板に水の勢いで流れる。
頭のどこかで、似たような局面が来ることを予期していたのだろう。
ジャニス殿下は笑みこそ崩さないが、その表情には苛立ちが混じって見えた。
「覚えているか。時の運の話だ。貴公と私の決闘がそうであるように、貴公の抱える領民もまたその裁定からは逃れられん。このような狼藉をはたらいて、果たして無事でいられるかな?」
にぃっと嗜虐的に笑うジャニス殿下に、私は高らかに宣言した。
「構わない。あなたが我が領地を荒らし、領民に手をかけるというのならやってみるがいい。我が準男爵領は小さく、あなたの手から逃れる術はないだろう。しかしただでは終わらないぞ。私たちは己の全存在を懸けて、正義の名の下に、最後まで逃げず戦い抜くことをここに誓う!!」
眼を逸らさなかったのは最後の意地だ。私は、私が守るべき全領民の命すらも正義のために使ったのだから。
ジャニス殿下の片眼が歪み、怒りに震えている。捨て身の犬の恐ろしさなら身に染みているか。それを知らぬポーリー嬢が腹立たしげに前に出た。
「あんた気でも触れたの!? 謀反の真似事のようなことをして!!」
「道理ならば通っている。これは私と殿下、男同士の話だ。女であるあなたに割り入る資格はない」
家格で劣る私に上から物を言われて怒り心頭だろうが、眼圧で無理矢理捻じ伏せた。死線を背に負った男を第三者の言葉如きが止められるわけがない。私は再びジャニス殿下へと視線をやり、裁可を求める。
「自室でおっしゃった言葉、ここで守っていただきたく存じます。決闘の承諾を」
こたびの決闘申し込みは、作法に則って行われている。拒絶すれば、ジャニス殿下といえ臆病者の謗りは免れない。だが――。
再び余裕綽々の笑みに出くわす。ジャニス殿下は笑い声を立てながら口を開いた。
「どこまでもおこがましいことを言うな、貴公は。あの場での問答などリップサービスに過ぎん。私は他ならぬこのハーツ王国の第一王子だぞ。貴公のように貴族制度の端っこにぶら下がっているような雑種と、よもや本気で剣を合わせると思っていたのか?」
クツクツという笑いを納めて、私の顔を真正面から見据える。
「準男爵令息など、私から見れば物乞いも同然。貴公は物乞いと正々堂々とした決闘を行うのか? それこそ末代までの恥だ」
「まさか、お言葉を違えるのですか!?」
最後の一線をなんの躊躇もなく飛び越えた。
私は、驚き瞠った眼でジャニス殿下を見る。
「相手の恩情に期待をかけるなど、愚か者の在り方だ。貴公は詰めの甘さゆえに二度と郷里の地を踏むことはできぬ。まったく、素直に忠犬の役をやっていれば良かったものを、貴公ともこれでおさらばだな」
恥も外聞もなく言ってのけたジャニス殿下が、片手を上げた。
静寂の時がしばらく流れ、異変に気づき眉根を寄せる。
「……どういうことだ? ギルドめ、この私に掴ませたのか?」
「だから言ったでしょう」
その声は、私たちの立つやや後方から響いた。突然のことに一同の視線が集中するその場から、地に横たわった女性がゆっくりと身を起こす。
「ジャニス王子に、最初からあなたとの決闘を飲む気なんてなかったんです。魂を代価に契約を履行してくれるのは悪魔だけ。人の身にありながら、心に悪魔を宿した人間ではありませんよ」
ドレスに付着した埃を手で払い、身綺麗に細部を整えつつ、その場に立ち上がる。その途中、彼女は頭に被っていたかつらを取り外した。
エステラ嬢と同じ金の髪の下から出てきたのは、暗闇にあっても一際輝いて見える、見事な銀髪だった。
「貴様……ヘレナ・オーラ……!?」
私は退き、ジャニス殿下と正対する場を明け渡す。後方から歩を進めたヘレナ嬢はその位置で止まると、一切臆することなくジャニス殿下の顔を見た。
そして――。
「……覚えておいででしたかジャニス殿下、この私の顔を」
不遜の極みとすら言えるヘレナ嬢の自信に満ち満ちた声が、剣呑極まるこの空間の支配権を、高らかに主張したのだった。




