繋いだ手(前編)
「うーん。これは……」
私は、状況を整理しようと揺れる視界の中で周囲を見回した。
「まずいのでは……」
周囲の状況をまとめた上で出した結論は……。
(どうやら私はさらわれてしまったらしい)
ということだった。
荷車に乗せられて、馬車は西へと走り出していた。
窓から見える景色は、フォシアの町の周囲とはだいぶ雰囲気が違う。乾燥して荒涼としていて、馬車が進むたびに砂煙が舞い上がる。
無理矢理に押し込められたというわけではないのだけれど、いつの間にか一緒に乗っているのは言葉の通じない二人の若い男だけだった。荷車の入り口に座っていて、私が入り口に近寄ろうとすると『危ないから』と言いたげな顔と手で制止する。
あまり傷つけるようなことはしたくないので交渉しようと試みるのだけれど、言葉も通じないのでお互いに変な身振り手振りをしているうちにフォシアの町から離れていってしまった。
……というのが今の状況だった。
事の起こりは、つい数時間前のことだ。
最近はすっかり『伯爵お付きの魔法使い』として領民に頼りにされるようになった私は、今日もフォシアの町から少し離れた農村で魔法の仕事をしていた。
大して遠くもなく、何度も行った農村なので今日はアビーさんについてきてもらうこともなく一人だった。
泉を掘り、害虫を駆除し、病気の牛を運び、気がつけばいつの間にか日が暮れ始めていた。
疲れていたので村が用意してくれた馬車に乗り込ませていただいたのだけれど、少しウトウトしていた後で、気がつけばどうやら町と反対側に向かっていて言葉の通じない人たちと同行している……そんな馬車の中だった。
(どうしようかな……)
今のところは手荒なことはされていない。
手足を縛られることもなく喋ることも自由だ。
つまり魔法も使えるので、その気になれば簡単に逃げ出せるとは思う。
(護衛の人たちはどうしたのだろう?)
町に出る時も伯爵がこっそりと手配してくれている護衛の兵たちの存在に、私でもさすがに気がついていた。
今も跡をつけてきてくれているか、伯爵に報告に戻っているのならいいのだけれど、もし捕まっていたらと思うと私だけ逃げ出すわけにはいかない。
(極力、傷つけるようなことはしたくないですし……)
馬車の幌の中に一緒にいる男たちをちらりと見てみる。
彫りの深い顔、褐色の肌。礼儀正しいとはとても言えなくて色々と雑だったけれど、悪人には見えない。
辺境の中でもなまりの強い言葉なのだろう。御者台にいる人も含めて、言葉の通じないたくましく若い男性たちと同じ空間にいるのは怖さもあったけれど、こうなれば私を連れてこさせた理由が知りたいと思う。
このまま私を連れてくるように命じた人に会おうと決意して、しばらく馬車に揺られてあげることにした。
馬車が止まったのは、小さな村のようだった。
私は男たちに連れられて、一番大きな家に入っていった。家と言っても、町の建物とはかなり違う。木の柱と頑丈そうな布でできた巨大なテントのような家だった。
そこで待っていたのは、私と同じくらいの年頃の女性だった。背格好も私によく似ている気がするけれど、この辺の民族らしくやや褐色の肌で彫りが深い顔立ちで、私よりしっかりしている印象だった。
彼女は私を見るなり、にこやかに笑って言った。
「ようこそ! 私はリリアと言います。あなたがサディアさんですね? 最近、このあたりで噂の魔法使いの」
私は驚いて彼女を見つめた。彼女は私のわかる言葉で話してくれていた。
「なぜ、私をさらってきたの?」
私はぶしつけに、いきなり尋ねてしまった。
リリアと名乗った女性は一瞬目を丸くしたあと、苦笑しながら答えた。
「さらってきた……のではなく、兄の命で丁重にあなたをお迎えさせた……つもりだったのですが……」
リリアさんはそう言いながら、壁際で控えている私を連れてきた男性たちを順番に確認していた。
確認していく途中で『これは駄目だ』という表情になったのを見逃さなかった。
「申し訳ありません。人選にミスがあったようです。普段の交渉役が火急の用事で駆り出されてしまいましたので……」
そう言って、『無理やりとか、怖がらせるつもりはなかった』と深々と頭を下げた。
「い、いえ。大丈夫でしたので、頭をお上げください」
恐怖が全くなかったかといえばそんなことはないのだけれど、乱暴には扱われなかった。そんな深く謝罪されると逆に申し訳ないくらいの気持ちになってしまった。
リリアさんとお互いに申し訳なさそうにしていると、部屋の中に無遠慮にズカズカと男性が入ってきた。リリアに似ていて、同じ褐色の肌と彫りの深い顔をしていた。
「おお、あなたがサディア・シェティ嬢か。ようこそ、我がアミオットの民の元へ」
私を見つけるとその男性は、両手を広げながら近寄ってきた。
「ひえ」
まさかと思いながらちょっと逃げようとした私に対して、豹みたいな動きと素早さで近寄るといきなりハグされた。
「兄様。駄目ですよ。都育ちなのですから、いきなり抱きついたりしたら礼儀知らずの蛮族と思われてしまいますよ」
たくましい男の腕の中で何も見えなかったけれど、リリアさんが冷静な声で言っているのは聞こえてきた。
「おお、すまないね」
そう言いながら、男性は私を解放してくれた。とはいえ、慌てた様子もなく悪びれた様子もない。
「俺はイマノル。このアミオットの民の族長だ。ようこそ、アミオットの村へ」
体を離してはくれたけれど、まだ近い。イマノルと名乗った男性は、背が高く私を見下ろしながらそう言った。
「ようこそって。私、なんでここに連れてこられたのか何も聞いていないんですけれど!」
恐怖はありつつも、イマノルの方を向き抗議した。
「何と言われても、ただ歓迎したかっただけなのだが……」
精悍な顔つきで、戦いの場では恐れを知らなそうなイマノルだったけれど、今は私の怒りにどうしたらいいのかわからずに困惑している。
撫でようとした犬に吠えられてしまったかのようだった。
「歓迎って……なぜですか?」
「あの……。サディアさま。私たちアミオット族はウォーレン伯爵とは敵対していません。友好的な民族です」
「あ、そうなのですか?」
都にいた頃は異民族というのは全面的に我が国と対立しているものだと思っていた。でも、この土地に来てからは友好的に交易している民族も意外と多いのだと理解していた。
ウォーレンさまの努力の結果なのだろう。そう思っていたけれど、イマノルさんは意外なことを私に言ってきた。
「ご存知だと思いますが、我がアミオットの民は、あなたの祖父マーティン卿の英雄的な活躍により助けられたのです」
イマノルさんは私の方を見ながらそう言ったけれど、私は何を言っているのかわからずに目を丸くしていた。
「え?」
「この周辺では、今も語り継がれて子どもでも知っていること……なのです……が」
大げさに手振りを加えて話していたイマノルさんの動きが止まる。さらには不安そうな顔で妹のリリアさんの方を振り返ったりした。
「もしかして、ご存知ないですか?」
立派な体格のイマノルさんが、急に縮こまって見えた。
「すみません。あまり聞いたことがなくて……」
私は頭を下げた。
祖父とウォーレン伯爵が昔一緒に戦ったことがあるということは聞いていたのだけれど、そんな大活躍をしたということは知らなかった。
言われてみれば、祖父が酔っ払った時に自慢話を聞いた気がするけれど、酔っ払いの大げさな話だろうと思っていた。
「そんな馬鹿な……。この地域では知らない人がいない大英雄だというのに」
「すみません。祖父はあまり功績を自慢するような人ではなかったので……」
膝に手をついてがっくりとうなだれるイマノルさんをなぜか私が慰めるような形になってしまっていた。
私としてはとにかく早く帰りたいだけなのだけれど。
「いや、それでこそマーティン卿! あれほどの英雄的行為にもかかわらず決して吹聴することはない!」
膝を叩いて、イマノルさんは背を伸ばし立ち上がった。
あくまでも前向きに考えて、実戦での活躍を重視する。
なんとなく祖父がこの人たちと意気投合して、そして今でも慕われているのはわかる気がした。
「とにかく。我々は、大恩があるマーティン卿のお孫さんを歓迎したいのです! 歓迎させてください!」
「わ、わかりました」
勢いよく面と向かって言われてしまうと、断る方が疲れてしまう。諦めたかのように私はうなずいた。
「よし、宴だ! 支度をせよ!」
喜びの声をあげながら、イマノルさんは外へと出ていくと応じる野太い声がいくつも聞こえてきた。
(ただ単に、この人たちは宴がしたいだけなのでは……)
そんなふうに思いながら、イマノルさんの後ろ姿を追っていた。
「今日中に帰していただけるのでしょうか?」
一人部屋に残っているリリアさんに不安げな表情で聞いてみた。
「宴のあとですと深夜になってしまうので、危険だと思います。明日には必ずお送りいたしますので、どうか泊まってやってください」
リリアさんは、強引な兄に代わって頭を下げてお願いしてきた。
(ウォーレンさまに連絡しないと……きっと心配しているわよね)
護衛から報告を受けているだろうか。無断外泊となると嫁候補失格になってもおかしくないと考えてしまうのだった。
特に束縛されもしなかったので、リリアさんについてきてもらいながら建物の外に出て村の様子を見学していた。
宴の準備がされている広場に到着すると、そこには色とりどりの布や飾りが飾られたテントが並び、焚き火や炭火が熱気を放っていた。香ばしい匂いや甘い香りが鼻をくすぐり、楽器の音や歌声が耳に届く。
「これはすごいですね……」
私は感嘆の声を漏らした。都で見たこともないような華やかさと活気だった。
洗練されてなくて野蛮に見えると都の人なら言うかもしれないけれど、私は、都の社交パーティよりこの雰囲気の方が好きになれそうな気がした。
リリアさんは嬉しそうに私の手を引いて、少し盛り上がったところにある大きな天幕のあるテントに連れていった。
広場に向かって大きく開く天幕の前に椅子と机があり、ここが主賓の座る場所なのだと理解した。
(私が……主賓)
先ほどから言われていたことで、言葉は理解していたのだけれど実感がなかった。
すでに広場では村中、いやそれ以上の人が集まっている。
人生でこんなに注目を集めることはなかったので、今さらながらに緊張してきてしまう。
私は用意された椅子に座った。小さな机とセットが隣にももう一つ並んでいた。
(なにか結婚披露宴みたい)
族長であるイマノルさんと主賓が並ぶのは当たり前なのだろうけれど、どうしてもウォーレンさまに対して後ろめたい気がしてしまう。
そんなことを考えていると、テントの入り口から覗き込む一人の男の子の姿が見えた。
先ほどからずっと頭の中で考えていた、まさにその人物だった。
「サディア。無事だったか」
「ウ、ウォーレンさま! どうしてここに……?」
子どもの姿のウォーレン伯爵は、水でも運んできた子どものようにこっそりと近寄り私の横へとやってきた。
「部隊も動かしたが、心配だったのでまずは俺だけでも先にと思って飛んできた」
伯爵は不機嫌そうにそう言った。
若すぎる男の子の姿なのでそれほど怖くはなかった。というかむしろ可愛いと思うのだけれど、そんなことを口に出したらさすがに怒られそうなので神妙な面持ちで聞いていた。
「申し訳ありません。ですが……子どもが一人で潜入だなんて危険ですよ」
「サディアに言われたくはない」
ますます不機嫌そうに腕を組まれてそっぽを向かれてしまった。
「私は大丈夫ですよ。いざとなれば魔法も使えますし、一人でも逃げられます」
「そうやって油断していると、へんてこな魔法をかけられて戦えなくなってしまったりするからな」
「……なるほど、さすが経験者の言葉は重みが違いますね」
魔法で男の子の姿になっている伯爵を見ながら大きくうなずいていたら、『からかうな』とほっぺたをつねられてしまった。
少なくとも少年姿の伯爵とは、最近こんな親しげなやりとりもできるようになっていた。
「す、すみません。でも、ここの……アミオットの民は友好的ですし、特に危険なことはないかと思いますよ」
「そんなことは、サディアより俺の方がよく知っている」
またそっぽを向きながらそう言うので、不機嫌なのか自慢しているのか表情が見えずによくわからなかった。
「そうは言っても、誰が入り込んでいるかわからないし、あと、族長は別の意味で危険だ」
「別の意味……? なんですか。それは?」
疑問に思っていると、このテントに向かって何人もの人がやってくる音がした。
「は、伯爵。と、とりあえず隠れてください」
私はテントの裏に伯爵を運ぶと布と布の間に潜ませた。子ども姿の伯爵は体が小さいので違和感なく隠れることができていた。
「やあ、お待たせしました」
入ってきたのはまさに今話していたイマノル族長だった。
その後ろには料理と飲み物を持った従者たちが何人もついてきている。
盛大な乾杯の挨拶があり、祖父の功績が紹介された気がするけれど、混乱しているうちにもう乾杯になってしまった。
その後は、思いがけず気楽に過ごすことができた。
集まっている大半の人々はあくまでも楽しく騒ぎ、食べて飲んでいた。年配の人たちが孫でも見に来るかのようにふらりと私の前にやってきて、お話したり頭を撫でていったりした。
(やっぱり、都より心地よいなあ)
居心地の良さと料理とお酒の美味しさに満足していた。
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