繋いだ手(中編)
「さて、サディアさま」
お互いに来客の相手が落ち着いたところで、隣のイマノル氏が酒を片手に近づいてきた。
膝と膝が触れ合い、顔も息がかかるくらいの距離だったので、振り返ることもできなかった。
「俺の嫁になりませんか?」
「へ?」
私は驚きと戸惑いで変な声を上げた。
(あ、別の意味で危険ってそういう意味ね)
わずかに目だけをイマノル氏の方に向けて笑っている様子を探った。
楽しそうに冗談っぽく言っているのだけれど、いけそうなら本当に口説きたいという熱も伝わってくる。
イマノルは私の手を握ろうとしたので、慌てて振り払って立ち上がった。
「わ、私は、ウォーレン伯爵のところに嫁ぎにきた人間です」
「まだ、決まっていないと聞いたが」
「もう決めました!」
声に出した瞬間、自分でも驚いた。
まだ正式に返事をしていなかったはずなのに、こんなにもはっきりと言えてしまった。
(そうか。私はもう、決めていたんだ)
大人のウォーレンさまの優しい笑顔。少年のウォーレンさまの照れた横顔。夕日の土手での不器用なキス。屋根裏部屋でのあの夜。
いつの間にか、あの人のいる場所が私の帰る場所になっていた。
「あんな年寄りと結婚してもつまらないでしょう……伯爵には俺から言っておきますよ」
イマノルはまだ諦めていないのか、嘲笑するように言った。
「全然、元気です。私なんかにはもったいないくらいで、もう大満足です」
私は大きな声で反論した。
ちょっと恥ずかしいことを大声で言ってしまった気がして顔が赤くなった。
拒否しているのにもかかわらずイマノルは立ち上がると私の腰に手を回して引き寄せた。
「ちょ、ちょっと」
嫌がっているのに、イマノルは密着して離れようとしない。
(そういえば、ウォーレンさまが町でお出かけした時に言っていましたね。『さらってでも抱いてしまえば嫁にする民族がいる』って。まさにこのアミオット族の話だったんですね……!)
魔法を使うチャンスを伺っていたその時、子ども姿のウォーレン伯爵が後ろの幕から飛び出してきて私とイマノル氏の間に割り込んでいた。
「手を出すんじゃない。これは俺の嫁だ!」
両手を広げてイマノル氏を威嚇していた。
逃げてもらったつもりだったのだけれど、気になって戻ってきてそこに潜んでいたのだろう。
「へっ、坊やは誰だい?」
伯爵は格好良く登場したつもりだったのかもしれないけれど、幼い少年の姿で、さらには私が恥ずかしいことを大声で言った直後だったので、伯爵も耳が赤くてちょっと締まらない顔になっていた。
「イマノル坊やは、俺の顔も忘れたか」
「……伯爵、その格好では分かるわけないと思いますよ」
私は、ウォーレン伯爵の背中に向かって冷静なつっこみを入れていた。
「……伯爵?」
イマノル氏は私の言葉を聞き逃さなかった。訝しげな表情で私とウォーレン伯爵の姿を交互に眺めている。
しかし、伯爵はイマノル氏も私の視線も全く気にしていないようだった。動きを止めて、イマノル氏の後ろの方を見つめている。
「イマノル坊。気をつけろ! サディア! 見えるな! 二人いる!」
「はい!」
私は伯爵と同様に魔法の構えを取った。杖は持ってきていなかったけれど、左手の腕輪に意識を集中させる。伯爵の言葉で、奥にいる怪しい動きをしている人影に狙いを定めた。
私と伯爵から、同時に氷の矢が放たれた。
イマノル氏の横を抜けて曲がりながら、不審者たちに突き刺さる。
走り出した足を止め、短剣を持っていた手を凍りつかせることに成功した。
「何だ!」
周囲の人々も驚きの声をあげる。
さすがにイマノル氏も振り返るとすぐに状況を把握したようだった。
「暗殺者! カルガン族の奴らか」
次の瞬間には、イマノル氏の部下たちが主人を守りつつ暗殺者を取り囲んで抑えつけていた。
素早い動きに見事な連携だと、私は感嘆しながら見守るだけだった。
「助かりました。噂には聞いていましたが、見事な魔法ですね。早さ、正確さ、威力。どれも素晴らしい」
イマノル氏は私に近づくと、いつの間にか両手を握りしめながら感謝してくれる。
「そちらの少年も素晴らしかった。その若さであんな魔法が使えるのだな」
私と全く同じ魔法を放った男の子に対して、イマノル氏は色々と疑問に思っていそうだったけれど、感謝しつつ褒め称えていた。
「まだだ。イマノル坊。油断するな」
私とウォーレン少年は同時に魔力を感じて、同じ方に振り返った。
遠くから強大な魔法を使おうとしている魔法使いがいた。先ほどの暗殺者が動くと同時にもう詠唱を開始していたのだろう。しっかりと魔力をためた火の玉がこちらに向かおうとしているのがわかった。
「証拠隠滅と、ついでに暗殺をできればいいということでしょうか」
もし都だったら大問題なのだけれど、大雑把すぎる対処に辺境ならではの空気を感じていた。
「イマノル坊。周りの人間を避難させろ!」
叫ぶウォーレン少年だったけれど、イマノル氏は何を言われているのかわからずに動きが遅かった。
ウォーレンさまの正体もわからない状況なのだから仕方がない。
私は一歩前に出た。
杖はないけれど、左手の腕輪に力を込める。
「いけ! ファイアーボール」
詠唱はすぐに終わり、腕輪から巨大な火の玉を放った。
相手の火の玉を相殺する。そのつもりだった。
「あれ?」
ちょっと想定よりも威力が強かった。……いえ、かなり強すぎた。
相手の火の玉はあっという間に消し飛んで、異民族の魔法使いがいた場所は完全に黒焦げになっていた。
「ま、町中でなくてよかった……」
「す、すごい」
イマノル氏をはじめ、やりすぎな結果にかなり驚かれてしまったようだった。
腕輪の増幅効果は、ここまで強いものだったのかと私自身も驚いている。
「危ないところでしたが、助かりました」
リリアさんが、私の手を握り褒めてくれた。不穏な空気を察して警備にあたっていたのだろう。
「俺のせいで警備体制が乱れたのだろう。イマノル坊、すまん」
ウォーレン伯爵の方は褒められて良い気分になることはなく、イマノル氏に向かって、潜入していた暗殺者に好機を与えてしまったことを謝っていた。
イマノル氏はちょっと不思議そうな顔をしていた。目の前の可愛らしい美少年が、熟練した魔法を使い、今もなぜか自分の方が若僧であるかのように扱ってくるのがおかしかったみたいだった。でも、単に背伸びした子どもの言うことだとは思えない何かを感じ取って、気圧されたままじっと少年を見ていた。
「俺だ。ウォーレンだ」
くるっと体ごと横を向きイマノル氏に向かい合うと、胸を張りながらそう宣言した。
かなり身長差があるので見上げながらだったけれど、それでも妙な威厳があった。
「い、いいんですか? その姿で正体をばらしてしまって」
私は慌てて近寄ると両膝を地面について声を潜めて聞いた。ただ、声を潜めても、イマノル氏もすぐ側にいるので聞こえてしまっていそうだった。
「構わないさ」
ウォーレン伯爵は何か覚悟を決めたらしく、簡潔にそう言った。
「ウォーレン伯爵? ……そのご子息とか?」
イマノル氏は、やはりウォーレン伯爵にかけられた魔法のことは知らないようで当然のようにそんな反応になっていた。
「違う。本人だ。……うーん。サディア、俺を本来の姿に見せてくれる?」
ウォーレン伯爵はイマノル氏の方を向きながら、私にそう言った。
「はい」
きっとこの間試した変化の魔法を使ってほしいのだろう。でも、服が破れてしまうのももったいないのでこの場はイマノル氏とリリアさんに本来の姿が一時的に見えるように幻覚の魔法をかけることにした。
「えっ」
「お、おお、ウォーレンさま」
リリアさんとイマノル氏は、私が見せている幻覚のウォーレン伯爵に対して跪いていた。
「大きくなったな。イマノル坊」
「お、お久しぶりでございます」
先ほどまでの自信たっぷりな若い族長の姿はどこにいったのか、怖い師匠に再会してひたすら頭のあがらない子どもの姿にしか見えなかった。
信頼があると同時に恐れられているのが伝わってくる。
「サディアは『私』の嫁だ」
そう言って、ウォーレン伯爵は私の肩を抱いて引き寄せた。
今までになく強引に引き寄せられて、見せつけようとする力強さにどきりとしてしまう。
(妬いていらっしゃる……とか自惚れすぎでしょうか)
そう気がつくと可愛らしくてにやけてしまいそうになった。
何と言っても私から見たウォーレン伯爵は少年姿のままに見えている。今もちょっとつま先立ちをしてから、私の肩に手を回していた。
「さ、さきほどのは冗談です。さすがは伯爵、まだまだお盛んですな。このように若くて可愛らしい嫁を迎え入れるとは、いや、羨ましい限り」
イマノル氏はいたずらをしていたところを咎められた子どものようになっていた。
けれど、完全に諦めたわけでもないらしい。恐縮しながらも、ちらちらと私の方を見ている目にはまだどこか未練がましい光が残っていた。
「……ですが、伯爵。もし万が一、彼女が伯爵の嫁候補としてふさわしくないとか、伯爵のお眼鏡にかなわないというようなことがあれば……」
「ない」
ウォーレン少年が即答した。少年の声なのに、有無を言わさない迫力があった。
「兄様」
リリアさんが呆れたような、それでいてどこか感心したような声で口を挟んだ。
「いけませんよ。兄様は振られたのです。執着するのはみっともないです」
「そうは言うが、マーティンさまの孫ということはおいておいても、魔法があんなに使えて若くて綺麗な女性などなかなかいるものじゃない。十年後でも俺の嫁にしたい」
イマノル氏は悪びれもせずにそう言ってのけた。
「えっ、いや綺麗とかそんなことは……」
都では綺麗とか言われたことはあまりなかったので、思わずのけぞりつつ照れてしまうと肩を抱く手に力を込められてしまった。
「ほら、もうちゃんと愛しあっている二人なのですから、お邪魔するのは我が一族の長であっても許されませんよ」
リリアさんはぴしゃりとそう言い放った。
「あ、愛しあっている……」
ウォーレン少年が小さく呟いて、さっと視線をそらした。
私も『愛しあっている二人』という言葉に不意を突かれて、顔が熱くなるのを感じた。
(愛しあっている……私たちのこと、ですよね……?)
「…………」
「…………」
なぜか当事者である私たちの方が、イマノル氏よりもよっぽど動揺している。
リリアさんがそんな私たちを見て、くすっと笑ったのが聞こえた。
「はいはい、兄様。暗殺者の処理と警備の再編。長の仕事をしてください」
「わかったよ……」
イマノル氏はまだ名残惜しそうにこちらを一度振り返ったけれど、リリアさんに背中を押されて離れていった。
幻覚の魔法は長くは維持できない。程なくしてウォーレン伯爵の姿は少年のそれに戻っていた。
騒ぎが一段落すると、ウォーレン少年は私の横に腰を下ろした。
イマノル氏は離れたところで部下たちに指示を出している。リリアさんもその手伝いに回っていた。
広場の喧騒は少し落ち着いたけれど、騒ぎの本質を知らない民たちはまた酒と音楽に戻り始めていた。
「……聞こえていた」
ウォーレン少年がぽつりと言った。
「え?」
「さっき。イマノル坊に言ったこと」
私は一瞬、何のことかわからなかった。
けれど、ウォーレン少年が耳を赤くしてそっぽを向いているのを見て、すぐに思い当たった。
……もう決めました。
あの言葉。テントの裏に隠れていたウォーレンさまには、全部聞こえていたのだ。
「嫁いできてくれる……ことに決めてくれたんだな」
少年の声で、少したどたどしくそう言った。大人の時なら、もっとさらりと言えたのかもしれない。
広場の焚き火を見つめたまま、こちらを見ようとしない。
「……はい」
自分でも驚くくらい、素直に答えていた。
さっきイマノルさんに叫んだ時はほとんど反射だったけれど、今こうして改めてウォーレンさまに向かって肯定するのは、もっとずっと恥ずかしかった。
「……そう、か」
ウォーレン少年は、それだけ言うのが精一杯という感じだった。
声がかすかに震えていたのを、聞き逃さなかった。
横顔が焚き火の光とは関係なく赤くなっているのも。
「あの、ウォーレンさま」
「なんだ」
「私なんかにはもったいないくらいで大満足です、の部分も聞こえていましたか」
恐る恐る聞いてみた。
「……全部聞こえていた」
ウォーレン少年は、ますますそっぽを向いた。耳だけでなく、首まで赤い。
(ああ、もう。全部聞かれていたんですね……)
穴があったら入りたいとはまさにこのことだった。
でも、嫌な気持ちはしなかった。恥ずかしいけれど、聞かれてよかったとさえ思っている自分がいた。
二人してしばらく黙ったまま、広場で踊っている人たちを眺めていた。
楽器の陽気な音色と、笑い声と、焚き火のぱちぱちという音。どれも温かくて、心地よかった。
「あの」
「あの」
同時に声を出して、二人とも口をつぐんだ。
ちらりと目が合って、すぐにお互いそらした。
「……先にどうぞ」
「いや、お前から」
「いえ、ウォーレンさまから」
「……いいから、お前からだ」
少年の声で命令口調にされると、ちょっとおかしくて笑ってしまった。
ウォーレン少年も釣られたのか、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
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