繋いだ手(後編)
「あらあら。それでは、お二人の婚約お披露目の宴にしたいと思うのですがいかがですか?」
いつの間にか戻ってきたリリアさんが、楽しそうに両手を合わせてぱんと大きな音を立てながらそう言った。
私たちのやりとりを、どこからかはわからないけれど見ていたらしい。
「えっ、あの……」
「はやっ」
私が何か言おうとするより先に、ずっと待機していたかのように周囲の人たちが一斉に動き出していた。
「この辺の者たちは娯楽に飢えているのです。少しの間、楽しい雰囲気を分かち合わせてください」
リリアさんはにこやかにそう言いながら、自分もてきぱきと指示を出し始めた。
「ちょっと飾り付けを変えるくらいですよ。そんな大げさなものではありませんので」
あっという間に広場の雰囲気が変わっていく。私たちの席が少し豪華になって、族長たちの席が左右に並ぶように設置されていった。
「サディア。その……変化の魔法を頼めるか」
ウォーレン少年が、少し照れたように私を見上げた。
「皆の前に出るなら……大人の姿の方が、いいだろう」
「はい。もちろんです。ただ……服を脱いでいただかないと」
幻覚魔法は多人数には効きにくい。
変化の魔法は体そのものを大人に変えるので、大勢の人の前に出るには適している。
……ただ、少年の服のまま大人になったら、服が破れてしまう。
リリアさんにお願いして、テントの奥に仕切りを作ってもらった。
リリアさんが大人用の服──イマノル氏のものらしい──を仕切りの中に用意してくれた。
「サディアさま、はいどうぞ。お入りください」
リリアさんにそう言われながら背中を抑えて、仕切りの中に入った。
ウォーレン少年は、すでに服を脱ぎ、リリアさんが用意してくれたこの地方の服を手に持っていた。
少年の体は華奢で、肩や鎖骨が見えている。こうして見ると本当にただの綺麗な男の子だ。
「あ、あまりじろじろ見ないで欲しいんだけれど……」
思わず見入ってしまった。傷ひとつない白い肌は、私のものよりずっと綺麗で滑らかだ。少年特有の華奢な体つきなのに、どこか凛とした美しさがある。感心しながらぼんやりと上から見下ろすように眺めていると、ウォーレン少年が居心地悪そうに身じろぎした。
「は、す、すいません。では、いきますね」
杖がないので、腕輪に手を触れながら手を伸ばし変化の魔法を詠唱する。
手を伸ばした結果、すぐそこにウォーレン少年の滑らかな肌があった。
(わぁ。綺麗だなぁ)
淡い光がウォーレン少年を包み、その体が伸びていく。
細い肩幅が広がり、薄い胸板が厚みを増していく。子どもの面影が消えて、骨格そのものが大人のそれに……。
「……っ」
目の前で、大人のウォーレンさまが現れた。
裸のまま。
(うまくいっている。ちゃんと大人の体になっている。成功だ。よかった)
変化の魔法はちゃんと本物と同じ体を再現している。広い肩幅、引き締まった胸と腹。
(ま、満月の夜と……同じ)
体型だけでなく、胸や脇腹の傷。そして、柔らか気な口ひげまで再現できている。
魔法使いとして冷静に確認しようとした。……しようとしたのだけれど。
満月の夜のことを思いだしてしまった。
(だ、だめだめだめ。見ちゃだめ)
思わず下半身の方まで目がむいてしまい顔が火のように熱くなった。慌てて視線をそらしたけれど、もう遅かった。
「どうした?」
「な、なんでもないです。服、着てください。早く」
自分でも耳まで赤くなっているのが分かる。
大人になったウォーレンさまは、なぜこんなおじさんの体を見て照れるのか全く分からないという感じで平然とした表情のまま服を着ようとしていた。
「……ボタンが」
子どもの意識のまま無理やり大人の体になると少し慣れるのに時間がかかる、着付けに手間取っているらしい。
「もう……」
目のやり場に困りながら、震える手でなんとかボタンを留めた。イマノル氏の服は少し大きかったけれど、大人のウォーレンさまの体格なら十分着こなせていた。
「ありがとう。では、行こうか」
伯爵は私に手を差し出した。大人の大きな手だった。
その手を取ると、しっかりと握り返してくれた。さっきまでの少年の小さな手とは全然違うのに、同じ温かさだった。
(頼もしい……)
大きく力強い手に引かれて、歩き出す。
やはり子どもの時とは違って、自分はついていけば良いのだと安心する。
ただ、思わず先ほどの逞しい体を思い出してしまって、慌てて頭を振って追い出すのだった。
「あの……ウォーレンさま。変化の魔法は、もともと三十分くらいしか保ちませんので。……いえ、その、今日はもしかしたら、三十分も保たないかもしれません」
「なぜだ」
「さ、先ほどの戦いで魔力をだいぶ使ってしまいましたし……それに、その、じ、実は……お酒もだいぶ入っていますので」
「飲みすぎだ」
伯爵は呆れたように、けれど口ひげの下でおかしそうに笑った。
「……まあ、それでも構わん。最初の挨拶さえできればいい」
手を引かれて二人揃って広場の前に出ると、イマノル氏がすでに民衆の前に立っていた。
「皆、よく集まってくれた!」
イマノル族長の大きな声に、それまで騒がしかった広場は一斉に静かになった。
「本日の主賓を紹介する! カルガン族とのテナ川の戦いで我が一族を助けていただいたウォーレン伯爵と、同じく戦場を駆けたマーティン卿のお孫さん、サディアさまだ!」
「おお!」
その紹介に、広場に集まった民から大きな歓声があがった。
私を嫁としてお披露目するつもりだったのに、うまく誤魔化しているなあと感心してしまうのだった。
テナ川の戦いはこの地方では今も語り継がれる伝説の戦いなのだと聞いた。その時に活躍して、ウォーレン伯爵をひと目見ようと、この時ばかりは酒を置いて身を乗り出す民も多かった。
「ウォーレン伯爵! お元気そうで何よりです」
「最近はあまり姿をお見かけしなかったので、心配しておりましたが」
「交易の時に顔を合わせるが、ここまで来てくださったのは久しぶりだな」
普段から王国と交易をしている者たちは、伯爵の姿を知っているようだった。最近はあまり人前に出ないウォーレンさまの姿を久しぶりに見て、安堵と喜びの入り混じった声があがっている。
「あの方がウォーレン伯爵か。テナ川の時はまだ若かったのに、立派になられて」
「年を重ねて、ますます貫禄が出ましたなぁ」
「さすが、この辺り一帯を守ってくださっている御方だ。風格が違う」
ずっとこの地方で暮らしている民たちの間からも、感嘆の声が次々と聞こえてくる。
テナ川の戦いの頃は二十代の若者だったウォーレンさまも、今は堂々とした壮年の姿だ。年月を経て円熟した風格に、民衆は素直に感じ入っているようだった。
「あのお嬢さんが、マーティンさまのお孫さんかい」
「ほう! あの英雄の血筋か」
「さっきのすごい魔法を見たろ? さすが血は争えないってやつだ」
私も大慌てで前に出てお辞儀をした。
ウォーレン伯爵のように大勢の前で堂々と振る舞うことなんてできるわけもない。なんとか笑顔を作りつつ、顔をあげた。
「ウォーレン伯爵とマーティン卿のお孫さんに、祝福を!」
「おおー!」
大きな歓声がわき起こった。
伯爵と英雄の孫が揃って村を訪れてくれた。それだけで十分にめでたいことだったのだろう。民たちは飲んで、踊って、大いに盛り上がった。
楽器の音色がひときわ大きくなり、広場全体が揺れるような熱気に包まれた。
挨拶をしに来た人たちがひっきりなしだった。
年配の人たちが孫でも見に来るかのようにふらりと私の前にやってきて、祖父の話をしてくれたり、頭を撫でていったりした。
「あんた、マーティン卿にそっくりだねぇ。魔法はウォーレン伯爵にそっくりだけれど」
「あはは……ありがとうございます」
「伯爵を頼みますよ。あの方はこの辺りの宝ですからな」
温かい言葉のひとつひとつが胸に染みた。
そのうち、民たちの間からこそこそと別の声も聞こえてきた。
「お二人はどういう仲なのかしら……」
「魔法の師匠と弟子なんじゃないのかね」
「いや、あの距離感は間違いなく、そういう仲だろう」
「伯爵がああやって誰かと並んでいるのは、先代の奥方以来じゃないか」
「お似合いじゃないか。めでたいめでたい」
私たちが並んで座っている姿を見て、勝手にそんな憶測が飛び交っていた。
思えば、最初に出会ったころよりも、今ではずいぶん自然に隣に座っていられるようになったのだと気付かされた。
イマノル氏が何かを発表したわけでもないのに、自然とそういう空気になっている。
ウォーレンさまはそんな声が聞こえていないふりをしていたけれど、その耳がほんの少し赤くなっているのを私は見逃さなかった。
騒がしくも楽しい時間が流れていった。
夜空には満天の星が広がり、焚き火の火の粉が星に混じるように舞い上がる。
楽器の音色と笑い声と、焼けた肉の香ばしい匂い。
挨拶にくる人たちはなかなか途切れなかった。伯爵も上機嫌でお客と話していると、ふと伯爵の手の甲がかすかに光ったのが見えた。
(わ、わわ。まずい……)
変化の魔法が解ける前兆だ。いつの間にかもう三十分が経とうとしている。
「ウォーレンさま」
私は伯爵の袖をそっと引いた。
「どうかしたか?」
ただ、ウォーレンさまはまだ自分にかかっている魔法が切れかかっていることに気がついていないようだった。
「そろそろ、二人きりになりたいです」
私は腕を絡めて、なんとか自然に連れ出す口実を考えたけれど、そんな言葉しかでてこなかった。
「……ああ、そうだな」
伯爵は一瞬だけ目を見開いたけれど、すぐに理解したようだった。
「すいません。明日早くに戻らないといけないので、そろそろ休ませていただきます」
伯爵はそう告げると、ゆったりと席を立ち、周囲に軽く頭を下げてその場を離れようとした。
「ははは、お邪魔してしまって申し訳ない」
「ごゆっくり休んでください」
客人たちはどこか申し訳なさそうにしながらも、どこか楽しそうな笑みを浮かべ、「またお会いしましょう」と言い残して席を立っていった。
その中には、「若い奥さんを持つのは大変ですね」とでも言いたげな表情の人もいた。
私は、そんな風に誤解されるようなことを言ってしまった自分に気づき、顔が熱くなった。
リリアさんは事情を分かっているので、何も聞かずにうなずいてくれた。
伯爵の腕を取って、広場から少し離れた天幕の陰に滑り込んだ。
「ふう、間に合った」
そう安堵したところで、不意に伯爵に抱きしめられた。
「えっ、どうしました」
「いや。二人きりになりたかったのだろう?」
分かっていないふりをして囁く声だったけれど、見上げれば口ひげの奥で微かに笑みを浮かべているのがわかった。
「もう……」
口では文句を言いながらも、私はその腕から逃げ出すことなく、されるがままにされていた。逞しい伯爵の胸の中はとても心地よく感じられた。
直後だった。
淡い光が伯爵の体を包み、大人の服がぶかぶかになって、中から少年の姿が現れた。
今度は縮んだウォーレン少年の体を落ちないように私が抱きかかえた。
「なんとか、なりましたね」
あと数分遅かったら、民衆の目の前で伯爵が縮んでいくところだった。
「サディアお姉ちゃん。ありがとうね」
私の腕の中でぶかぶかの服の袖をぱたぱたさせながら、ウォーレン少年が小さく言った。
顔が赤い。そして何やら言動がおかしい。
(あっ、これは小さい体にお酒が残ってしまっているんだ)
「お姉ちゃん。大好き」
目の前で赤く染まった頬の美少年が、まっすぐ私を見つめてそう告げてきた。
ぶかぶかの服がずり落ちて、あらわになった肩やうなじから二の腕にかけての白い肌が、思わず目を奪われるほど眩しい。
(こ、これは……し、刺激が強すぎ)
眩しさに目がくらみそうになるのをなんとか踏みとどまると、なんとかウォーレン少年を静かに地面へと下ろした。
そのまま少し離れようと思ったけれど、すぐにウォーレン少年は私の腰に両手を回すと密着してきた。
美少年が抱きついてきて、私の胸に顔を埋めているような形になる。
(これは、私も抱きしめた方がいいのか。いえ、許されるのですか、そんなことをして……)
異性と密着したことがないのと、無垢な少年に悪いことをしているような感覚が混ざり合い。しばらく固まってしまった。
「あ、あのウォーレンさま?」
私が固まっていると、ウォーレン少年もそのまま動かず、二人して静かに時が止まったようだった。
しばらく静かにそのままで下へと視線を向ける。
「寝てしまわれましたか?」
ウォーレン少年は私の胸に顔を埋めたまま、静かに目を閉じて眠っている。その穏やかな寝息だけが、静かな天幕の中に優しく響いていた。
「ふふ、ここまで大慌てで来てくれたんですものね。お疲れですよね」
母性のようなものを感じながら、その寝顔を暖かく見守っていた。
起こさないようにと気をつけつつ抱きかかえたまま、ベッドに腰を下ろす。
天幕の隙間から、広場の宴が見えた。
民たちは主賓がいなくなってからも、盛り上がっていた。踊っている人たち、笑い合っている人たち、子どもたちもまだ走り回っている姿が見えた。
しばらく眺めていると、さすがに子どもは連れ帰り、少しづつ片付けはじめて静かになっていく。
焚き火の明かりが夜空の星と溶け合って、どれもが温かくて、眩しかった。
「はっ?」
ウォーレン少年は不意に私の胸から顔をあげた。
「あ、お目覚めですか?」
どうやら、もう酔ってはいないようだった。ただ、まだ寝起きで頭がはっきりしていないように私の顔を見ていた。
ベッドに腰掛けていた私はウォーレン少年が落ちないように腰に手を回して支えた。
「え、ここはどこだ?」
「私の膝の上ですが……?」
ちょっとからかうようにそう答えたけれど、残念ながら相手にしてくれなかった。
「あ、イマノル坊たちの天幕か」
私に抱きかかえられたまま、周囲を見回しながら状況を思い出したようだった。
「それで……この状況はなんだ?」
腰を抱きかかえている私の両手を見ながら、怪訝そうにウォーレン少年は言った。
「つれないですね。『サディアお姉ちゃん大好き』と言いながら、私の胸に飛び込んできてくれましたのに」
「そ、そんなことするわけないだろ」
嘘をついたわけではないのに、あっさり否定されてしまったのは少し寂しい気がした。
けれども、真っ赤になって口元を押さえるウォーレン少年の様子が愛らしく、さらに何かを思い出してますます顔を赤らめている彼の姿に、自然と頬が緩んでしまう。
やがて、ウォーレン少年は私の膝の上から静かに降りて、ベッドの隣に座った。
外では宴の気配も消えて、広場は静まり返っていた。
さっきまでの喧騒が嘘のように、虫の声と焚き火の残り火がはぜる音だけが聞こえる。
「すまない。色々と迷惑をかけたみたいだ」
「いいのですよ」
ウォーレン少年は少し俯いて、膝の上で手を握ったり開いたりしていた。
何か言いたそうで、でもうまく言葉にできない。そんな顔をしている。
「……今日、来てくれてよかったです」
私の方から言った。
「危ないところを助けてもらいましたし、イマノルさんに絡まれた時も」
「当たり前だ。お前が……サディアが攫われたと聞いて、じっとしていられるわけがない」
ウォーレン少年はそっぽを向いたまま、少し早口でそう言った。
「ありがとうございます」
素直にそう言うと、ウォーレン少年は黙り込んだ。
しばらく二人で、静かになった広場を眺めていた。
ふと、今日一日のことを思い返した。
馬車の中で不安だった時間。リリアさんに会って安堵したこと。イマノルさんの豪快すぎる歓迎。そして、イマノルさんに「もう決めました」と叫んだ、あの瞬間。
あの時は反射的に口をついて出た言葉だったけれど、嘘ではなかった。
いつから決めていたのだろう。あの夜、気を失う寸前の甘い記憶。土手の上で不器用に唇を重ねた夕暮れ。イーディスさまの部屋で見た首席のブローチ。変化の魔法が成功した時の、ウォーレンさまの嬉しそうな顔。
全部が少しずつ積み重なって、気がついた時にはもう決まっていたのだ。
(この人のところに嫁ぎたい)
隣に座っている少年を見た。
幼い姿。ぶかぶかの服。焚き火の残り火に照らされた横顔は、やっぱりまだ子どもにしか見えない。
でも、この姿の奥にあの人がいることを、私はもう知っている。
「私たちはもう……」
そう言いかけて、少し悩んだ。
もう婚約者でいいのかな。いいんだよね。
目の前のウォーレン少年はまだ幼さの残る姿で、本当に家族になる実感が少し遠い気がして、つい言葉が途切れてしまった。
「そうだな。家族になるんだしな」
ウォーレン少年は、広場の方を向いたまま、静かにそう言った。
少年の声なのに、不思議と確かな響きがあった。
小さな手が、そっと私の手に触れた。
私はその手をそっと握り返した。
大人の時とは違う、華奢で小さな手。
でも、その手が伝えてくれるものは、大人の時と何も変わらなかった。
ここに来てよかった。
まだ伯爵の呪いについては考えなくてはいけないけれど、これからは、この土地で穏やかにこの人とともに歩んでいこう。
この時は、このままゆっくりと平和な時間が過ぎていく……そう思っていた。
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