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辺境伯に嫁いだ魔法使いの奮戦記 ~~辺境のおじさん領主に嫁ぐことになりましたが、何故か待っていたのは可愛らしい美少年でした~~  作者: 風親
第1章

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ウォーレンさまの過去(前編)

 会ったこともない先輩の字を、読むのがすっかり私の日課になっていた。



 ウォーレンさまが前線から戻り、いつも通りの朝が訪れた。


 ただ、南の王国からの定期便は相変わらず途絶えたままで、屋敷全体にうっすらと緊張が漂っている。ウォーレンさまはスティーブさんやガルシアさんと情報収集を続けて、何かあったのは間違いないらしくて慌ただしく動いていた。

 私は結局、最近の日課通り領民の依頼をこなしながら空いた時間をイーディスさまのノートに費やす日々を送っていた。


 日が暮れると屋根裏部屋に入り、希少な魔導書を読みながら、イーディスさまの書かれたメモを見ながら研究ノートを紐解いていく。

 読み込むほどに、圧倒される。


 イーディスさまの分析は緻密で、論理的で、そして美しかった。呪いの構造を一つずつ解き明かしていく手順は、魔法というよりも精密な建築物を設計するかのようだ。仮説を立てて、検証して、修正して、また次の仮説へ。一つの結論に辿り着くまでの道筋に、一切の隙がない。

 魔力に頼って呪いを一か八かでなんとかするのではなく、絶対に安全に呪いを解除するんだという強い意志を感じた。


(この人は……あらゆる魔法の原理を理解した上で、その先を見ようとしていたんだ)


 王立魔法学院を首席卒業の魔法使い。その肩書きはやはり、伊達ではなかった。


 ふと自分の魔法学院でのことを思い出した。

 私の代で首席を取ったのはヴィクトルだった。攻撃魔法に関しては、学院の歴史上でも指折りの天才。他にもレナーテとフェリクスという二人の逸材がいて、私たちの学年は『当たり年』と呼ばれていた。

 三人とも卒業後は王宮魔道士として即採用されている。同じ学年から三人も王宮に入るのは前例がないと、当時はちょっとした話題になったものだ。


(やっぱり首席になるような人はすごいのよね……)


 正直に言えば、成績だけならば私も上位ではあった。ただ、得意分野が変化の魔法やマイナーな領域だったため、評価に結びつかなかった。攻撃魔法で派手な成果を出せるヴィクトルたちとは、注目のされ方が違ったと思っていた。


 けれど今、イーディスさまのノートを読んでいると、首席になるような人と私の差がどこにあったのかを突きつけられるような気がする。


 魔法の引き出しの数が違う。視野の広さが違う。

 一つの分野を深く掘るのではなく、あらゆる分野を横断して繋げていく力。それが首席の魔法使いというものなのだろう。


 ただ一つだけ、イーディスさまのノートの中で、分析はあっても実践の記述が薄い箇所があった。


 変化の魔法だ。


 それもそのはずだった。変化の魔法は使い手が少なく、あまり発展も見込めないので、現在は王宮魔道士にも研究者もほとんどいない。いくら天才でも、実地の経験がなければ踏み込めない領域がある。


 そしてノートの後半に、決定的な一節があった。


『幼児に戻る呪いの根源は、カルガン族に伝わる古代の秘術にある。

 本質的には「変化」の一種──対象の肉体の状態を、幼児期へと書き換える呪法。

 であれば、変化の魔法で呪いそのものを上書きできる可能性がある。

 しかし──』


 そこで筆が止まっていた。

 そして、あの最後の一行に繋がる。


『力が足りない。もう少し時間があれば──』


 何度目かの再読。やはり、ここで途切れている。


(変化の魔法で、呪いを上書きする……)


 本格的な呪いの解除は難しい。

 うまくいけば、呪いは術者に返せるが、そうでないと一層の深いところに浸透してしまうかもしれない。

 だから、普通は神の祝福の力に頼る。

 ……でも、それは駄目だったのだろう。ウォーレンさまの話を聞いても、イーディスさまのノートを見てもそう推察された。


 イーディスさまは方向性まで見えていた。答えの手前まで辿り着いていた。

 ただ、変化の魔法を実践で鍛える時間がなかったから、最後の一歩を踏み出せなかった。


(私ならば、イーディスさまが見つけた道の、続きを歩けるかもしれない)



 ……とはいえ、具体的にどうすればいいのか。

 

 いくつかのやり方に頭を悩ませていると、ふと、背後で扉が開く気配がした。


「ここにいたのか」


 低い声。

 落ち着いた、大人の男の声。


 心臓が跳ねた。

 振り返ると、ウォーレン伯爵が立っていた。

 白髪交じりの髪、精悍な顔、口ひげ。黒い軍服ではなく、ゆったりとした部屋着を纏っている。


(あ、今夜は満月だった)


 研究に没頭していて、すっかり忘れていた。窓の外を見ると、大きな満月が静かに輝いている。

 満月の夜は呪いが一時的に解けて、ウォーレンさまは大人の姿に戻る。つまり今、私の背後には、あの大人のウォーレンさまが立っている。


「あ、ウォーレンさま。た、多忙かと思いまして、邪魔しないようにこちらで過ごしておりまして……」


 私は慌てて立ち上がると、思わず言い訳のようなことを口にしてしまった。

 本当に伯爵は公務で忙しく、話しかける機会もあまりなかったのだ。

 けれど、婚約者であるにもかかわらず、こうして屋根裏部屋に籠って自分の研究ばかり続けていたのは、やはり少し悪かったかもしれないと、心の中で反省した。



 伯爵の視線が、机の上に落ちた。


 イーディスさまの研究ノート。魔導書が何冊か開かれたまま積まれている。その隣には、走り書きのメモ帳と、呪いの分析に使ったらしい小さな魔法道具。

 全部、イーディスさまのものだ。

 私がそれらを広げて、自分の研究に使っていた。


「す、すみません。イーディスさまのものを、勝手に使ってしまって……」


 慌てて片付けようとしたけれど、伯爵は穏やかに首を振った。


「いい。イーディスもきっと喜んでいる」


 優しい笑みだった。

 口ひげの下に浮かんだその表情に、不思議と胸が痛くなった。怒られるよりも、許されることの方が時々つらい。


「忙しくて、放っておいてすまなかった」


 伯爵がそう言って、対面の椅子に腰を下ろした。


「放っておいてなんて……私の方こそ、お忙しいのに何もお手伝いできなくて」


「お前は十分にやっている。領民の信頼は、スティーブから聞いているよ」


 そう言いながら、伯爵は少し疲れた息をついた。

 この数日、ずっと張り詰めていたのだろう。少年の姿の時にもウォーレンさまは無理をしていたけれど、大人の姿で見ると、疲労の滲み方がまた違って見える。目の下に薄い隈があった。


「やはり南の方で異民族の侵攻があったらしい。ただ……」


 伯爵は窓から差し込む月明かりに目を細めながら言った。


「王国の騎士団がブライス領に向かっているらしい。動き出してくれたのなら、しばらくは出兵の準備をしながらも情勢を見守るしかない。……というわけで今晩は暇になった」


 そう言って、棚から果実酒の瓶を取り出した。

 慣れた手つきでグラスに注ぐ。その姿に、少しだけ安堵の色が見えた。


「旧シェティ領の情報がまだ掴めないのが気がかりだが……」


 そこまで言って、伯爵はふと口を閉じた。

 私の方をちらりと見て、それから、小さく首を振る。


「……いや、今夜は仕事の話はやめよう」


(シェティ領……私の、実家の)


 気を遣ってくれているのだとわかった。

 その優しさに甘えてしまいたい気持ちと、申し訳なさが混じる。


「まあ、そんなわけだから、今晩は付き合ってくれるね」


 伯爵はグラスを軽く掲げて、私に向かって微笑んだ。

 静かな夜に、二人きりの夜。

 それは朝までということですよねと聞けるはずもないことを、考えると。


 一気に心拍数が上がった。


(お、落ち着け。落ち着くのよ、私)


 前回この部屋で大人のウォーレンさまと二人きりになった時は、緊張のあまり気を失うという前代未聞の醜態を晒した。あれだけは二度と繰り返してはならない。


「わ、私もお酒をいただいてもよろしいですか?」


「もちろんだとも」


 伯爵が少し目を丸くした後、嬉しそうに笑った。

 二つ目のグラスに果実酒を注いで、私の前に置いてくれる。


 グラスを受け取ってから、ふと、机の上に積まれたイーディスさまのノートが目に入った。


(……酔ってしまう前に、これだけは、ちゃんと言っておかないと)


「ウォーレンさま。ひとつだけ、聞いていただけますか」


 私はグラスを置いて、居住まいを正した。伯爵の顔をまっすぐ見る勇気はなくて、視線はノートに落としたまま。


「イーディスさまのノートを、読ませていただきました。素晴らしい研究です。正直、悔しくなるくらいに。……でも、変化の魔法だけは、私の方が得意です」


 嫉妬と尊敬が、胸の中で混ざり合っている。それでも、逃げずに言葉にする。


「イーディスさまが切り拓いてくださった道の続きを、私が歩きます。呪いは、必ず私が解いてみせます」


 伯爵は、しばらく黙っていた。

 おそるおそる顔を上げると、口ひげの下に、静かな微笑みが浮かんでいた。


「……ああ。心強いよ」


 短い言葉に、確かな重みがあった。


(い、言った。言ってしまった……!)


 急に頬が熱くなって、私は誤魔化すようにグラスを手に取った。


 一口飲んだ。甘い。美味しい。体がじんわり温まる。

 あまりお酒を呑んだことはないけれど、全然美味しいし飲みやすい。うん、大丈夫と思い。


 もう一口。

 もう一口。


(よし。少し緊張がなくなってきた気がする。前回みたいに気を失うよりは、ずっとマシ)


 そう自分に言い聞かせながら、杯を重ねた。

 伯爵も対面で静かにグラスを傾けている。月明かりの中、二人で飲む。


 ……少し、飲みすぎている気がしなくもない。


 二杯目を注いだ。


「サディア。飲むペースが速くないか」


「だ、大丈夫です。今日は自制してますから」


 三杯目を注いだ。


「……自制、とは」


 伯爵の声に呆れが混じっていた。

 けれど、止めはしなかった。口ひげの下で少し笑っているようにも見えた。


 体がぽかぽかしてきた。

 頭の奥がふわふわする。緊張はすっかりどこかに行った。


(うん、これくらいがちょうどいい)


 たぶん、もうちょうどよくなかった。


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よろしくお願いします。

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