前妻の遺した言葉(後編)
応接間に戻ると、ウォーレン少年とスティーブさんが何やら真剣な顔で話し込んでいた。
どうやら周辺の一部の部族の動きが怪しいらしかった。
「それで? 結婚式はいつするの?」
オフィリアさんは深く椅子に腰掛け直しながら、全く関係のない話題を切り込んだ。
「いや、まだ結婚すると決まったわけでは……それに、しなくてもいいかなと思っていて……来るお客ごとに幻覚の魔法を使うのはかなり大変だし」
幻覚の魔法は人にかける魔法なので、人が多く出入りしない場所の方が都合がいい。
ウォーレン伯爵があまり公の場に出ずに交渉事もこのお屋敷で行うのはそのためだった。
ウォーレン少年の言葉に、オフィリアさんはお節介おばさんな感じで噛みついてくる。
「伯爵が結婚するのにそんなわけにもいかないでしょう。サディアちゃんだって、悲しいでしょう。ねえ?」
「い、いえ。私は別に……しなくても」
いきなり距離を詰められて『ちゃん』づけで呼ばれて戸惑いながら応じていた。
それに、そもそもまだ私は正式に結婚を承諾したわけでもないのだけれど。
でも、社交の場も苦手な私にとっては、式が無くても特に問題はなかった。
「家臣に対しても領民にも伯爵夫人になったことを示さないといけないわ。綺麗な花嫁衣装を着てお披露目しないとね。ウォーレン君だって、実際のところサディアちゃんの花嫁衣装を見たいでしょう?」
「それは……まあ、確かに……見たいけれど……」
ウォーレン少年は、一度私の方をちらりと見て、その姿を想像したのかわずかに紅潮しながら横を向くと段々小声になっていった。
(可愛い)
今までは、綺麗な衣装を着ることにもあまり興味がなかった。いえ、全くないわけじゃないけれど、面倒くさいという気持ちの方が勝っていた。でも、今は伯爵が喜んでくれるなら着てあげてもいいなと思いながら、ウォーレン少年の横顔を眺めていた。
「もう十二歳だか十三歳だかの領主ってことにしてしまってもいいんじゃないの? それくらいで後を継ぐ貴族だって普通にいるでしょ」
オフィリアさんは本当に気さくにそんなことを言う。
「いきなり俺が若返ったりしたら混乱するだろう」
「でも、実際若返っているわけだし、きっと平気よ。へーき」
「うーん。都の貴族ならともかく、ここでは若いと舐められるからね……」
ウォーレン少年が頬杖をつきながらぼそりと言った言葉には、オフィリアさんも同じように頬杖をついてため息をついていた。
「確かにね。若い頃のウォーレン君も苦労したものね」
ちょっと混乱してしまったけれど、この『若い頃のウォーレン君』というのはおそらく二十代の頃の話なのだとやっとのことで理解した。
「あ、あの……『変化』をしたらいいのではないでしょうか?」
二人が考え込んでいてしばらくの沈黙があったので、私は小さく手を上げて提案した。
「『変化?』鳥に化けたり、蛙にしちゃったりというあれよね?」
「俺を変化させて、元の年齢の姿にしてしまえば、お客が多くても大丈夫ってことか。まあ、確かに……」
「ですが、そんな高度な魔法を使える方はなかなか……」
スティーブさんもいい方法だと理解してくれていそうだったけれど、実際にするのは難しそうだと首を振った。
「あ、私、使えますので」
私としては軽い気持ちで言ったのに、この部屋にいるウォーレン少年、オフィリアさん、スティーブさんと少し離れて立っているアビーさんまでもが大きく目を見開いて驚いていた。
「え!」
「すごい」
魔法に詳しいウォーレン伯爵にも驚かれてしまった。
「ええと、『変化』の魔法はそれほど高度ではないのですが、色々と扱いが難しいので使う人が少ないので難しいと思われているんです」
「いや、十分に高度だけれど……」
「扱いが難しいというのは?」
オフィリアさんとウォーレン少年に身を乗り出されて矢継ぎ早に質問されてしまった。
「外見に中身が引っ張られてしまうと言われています。獣に化け続けていたら、そのまま野生の獣になって戻らなかったというような話がありますが……今回はウォーレン伯爵ご本人の姿に戻るだけですので悪影響は少ないかと」
「なるほど……。呪いで幼くなったけれど……外見を元の体に戻す……? 変わりないのか? うーん」
ウォーレン少年は、本当に同じなのかがわからずにしばらく悩んでいるようだった。
「いや、でもそれでもすごいです」
「ウォーレン君。サディアちゃんに愛想をつかされないようにね。大事にしなさいね」
なぜか、オフィリアさんとスティーブさんにすごく近づかれて圧力を感じていた。褒められているようなので悪い気はしないけれど、少し怖いくらいだった。
「とりあえず試してみようか。一日くらい元の姿に戻せるか?」
「はい。お任せください。……あ、でも、服が破けてしまうと思いますので脱いだ方がいいと思います」
私のその言葉に、ウォーレン少年は顔を赤くしていた。
「じゃ、じゃあ、俺の部屋で……な」
ここで何人にも裸を見られるのは嫌なみたいで、そう言うと私の手を引っ張って応接間を出ていった。
ウォーレン少年の私室で、二人きりになった。
伯爵は大人用の軍服を棚から出すと、上着を脱ぎ始めた。少年の細い体が見えて、思わず目を逸らしてしまう。
「……うん、全部、脱いだ」
「あ、は、はい」
子どもの体の姿とはいえ、さすがに全裸はなかなか直視できない。
眩しそうに目を背ける。いや、実際に肌が綺麗すぎて眩しい気がしてくる。
少し照れた様子のウォーレン少年に、私は杖を構えた。
左手の腕輪に意識を集中すると、魔力の流れが滑らかになるのを感じる。
(この腕輪、やっぱり変化の魔法との相性もいい)
そんなことを考えながら、呪文を唱えた。
光がウォーレン少年の体を包んだ。
少年の輪郭が揺らぎ、溶けるように広がっていく。
数秒後。
光が収まると、そこには立派な大人の男性が立っていた。
白髪交じりの髪、柔らかく整えた口ひげ、彫りの深い精悍な顔。
満月の夜に見た、あのウォーレン伯爵だった。
ただ一つ違うのは、今は昼間だということ。
窓から差し込む日差しの中で、伯爵は自分の手を見つめていた。
「……久しぶりに、昼間にこの姿になった」
その声は低く、静かで、少年の時とはまるで違っていた。
伯爵は自分の手を開いたり握ったりしながら、感慨深そうに窓の外を見た。
「ありがとう、サディア」
振り返った伯爵の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
目元に皺が入って、口ひげが優しく揺れる。あの夜と同じ、大人の余裕のある笑顔だった。
でも、あの夜は暗がりの中で月明かりに照らされていた顔が、今は明るい日差しの中にある。
それだけで、なんだか泣きそうになってしまった。
と同時に、目の前に大人の逞しい男性の裸があることに気づいてしまった。
卒倒しそうなくらい顔が熱くなる。
「い、いえ。まだ維持時間がどれくらいかわかりませんし、練習すればもっと長く持てるようになると思いますので……」
照れ隠しのように早口で説明する私を、伯爵は静かに見ていた。
「十分だよ。これだけでも」
大人用の軍服に袖を通しながら、伯爵はそう言った。
「おかえりなさい。あら、本物のおじさんのウォーレン君ね。すごいわ」
数分後、私はウォーレン伯爵と一緒に応接間に戻ってきた。
ただ先ほどと違い、私よりも背が高くしっかりした体格のウォーレン伯爵を見上げながらだった。
オフィリアさんは、立派に成長した──というか本来の年齢できっちりとした服に身を包んだウォーレン伯爵の姿を見て喜んでいた。スティーブさんもこの姿を見たのは久しぶりなのか、感慨深そうに見つめていた。
「あー。サディアちゃんは、見たくもないおじさんの醜い裸を見ちゃった?」
少し顔を赤らめて時折うつむいている私を、オフィリアさんはからかっていた。
「い、いえ。醜いわけではないですけれど……」
明るいところで裸を真正面から見てしまった。
それだけのことなのだけれど、妙に恥ずかしくてうつむいたままになってしまう。
「確かに。これなら分からないわね。というか本物そのままじゃない?」
オフィリアさんは、ウォーレン伯爵の胸のあたりを手でぱしぱし叩き、口ひげを撫でて確認すると感嘆していた。
「あれ? サディアちゃんは、ウォーレン君の本当の姿を知っていたの?」
「えっ、は、はい」
「一度、満月の夜に呪いを解除した」
振り返って私に質問したオフィリアさんだったけれど、目の前のウォーレン伯爵からの説明を見上げながら聞くとまた私の方を向いた。ベール越しでもにんまりと笑っているのがわかる。
「満月の夜に……あらあら、仲がいいわねえ」
「い、いえそんなことは……ありますけれど」
言いながら顔がさらに赤くなるのがわかってしまう。
あの夜のことを思い出すと、胸元に落とされた口づけの感触まで蘇ってきて……だめだ、今は考えない。
「あはは。よし、じゃあ、私はそろそろ帰るわ」
オフィリアさんは豪快に笑いながら、ウォーレン伯爵の胸を一度大きく叩いた。
少年姿の時のウォーレン伯爵なら照れている気がするけれど、今はあまり動じていないように見える。
(もうちょっと動じてくださってもいいのに……)
理不尽にそんなことを思いながら、一緒にオフィリアさんを見送った。
「結婚式するなら、ちゃんと呼ぶのよ。いいわね」
元気にそう言い残して、オフィリアさんは屋敷を後にした。
大人の姿のウォーレン伯爵は、あまり動じたところを見せなかったけれど、オフィリアさんの姿が見えなくなると大きく息を吐いて嵐が過ぎ去ったことを喜んでいた。
「……よかった。嫌な方じゃなくて。でも」
私がそう言うと、伯爵は穏やかに待った。
「前の奥さまの妹さんだって、最初から教えてくださればよかったのに。昨夜、私がどれだけ悩んだか……」
少しだけ恨めしそうに言ってみた。
伯爵は一瞬きょとんとしてから、申し訳なさそうに苦笑した。
「すまない。イーディスのことを話すのが……少し、難しくてな」
その言い方に、私はそれ以上は責められなくなった。
前の奥さまのことは、今もウォーレンさまにとって簡単に触れられる話題ではないのだろう。
「オフィリアは悪い人ではないけれど……距離の詰め方が独特だから。イーディスの妹だけあって」
「前の奥さまも、あのような?」
「いや、イーディスは正反対だったよ。穏やかで、静かで……。オフィリアさんが言った通り、あなたの方が面白い」
そう言って、伯爵は口ひげの下で笑った。
その瞬間。
伯爵の体が淡い光に包まれた。
「あ」
光が収まると、そこには少年の姿に戻ったウォーレンがいた。
ぶかぶかの服の中で、途方に暮れたような顔をしている。
「……三十分くらい、か」
私は少し残念な気持ちで時間を確認した。
満月の夜の解呪とは違って、変化の魔法には維持の限界がある。
「練習すればもっと長く維持できるようになると思います」
「ありがとう。これだけでも……十分だ」
少年の声に戻ったウォーレンが、ぶかぶかの袖をぱたぱたさせながら小さく言った。
その言葉は大人の時と同じなのに、少年の声で聞くと、なんだかとても愛おしかった。
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