辺境の魔法使い(後編)
「サディアさま。先日はお疲れ様でした。それであの……」
翌日、私たちは無事にお屋敷に戻った。
道中の疲れもあって、部屋でのんびりと過ごしていたところだった。控えめなノックの音がして、アビーさんが顔を覗かせる。その表情には、どこか戸惑いの色が浮かんでいた。
「領内をサディアさまの噂が駆け巡ってしまったらしく……あの」
「え? あ、はい」
「サディアさまに来てほしいという依頼がいくつも来ているのですが……またお願いしてもよろしいでしょうか」
アビーさんは、両手で何通もの手紙を広げて、私に向かって差し出した。
「わ、分かりました。やらせていただきたいと思います」
昨日の今日でこんなにも依頼があるなんてと少し驚きつつも、お役に立てることは嬉しいことだった。
ウォーレン伯爵の許可をとり、各地にでかけていった。
その日を境に、私への依頼は順調に増えていった。
最初は、都からおじさんの伯爵に嫁ぎに来たらしい若い貴族の娘という、物好きな人間を一目見てみたいという好奇心もあったのだろう。けれど次第に、『都から来た嬢ちゃんはすごい魔法使いだ』という噂があっという間に広がっていった。
土木作業。農作物の相談。困りごとの数々。
「日照りで困っているのですが、雨を降らせることができましょうか?」
農民からの相談に、『お任せください』と軽く引き受けた。
期待に満ちた目はプレッシャーがあり、天候変化の魔法を実際に使うのは初めてなので、もし失敗したらどうしようという緊張感があった。
私は無事に雲を発生させた。
本物の雨が降るまでの繋ぎとしては十分な雨の量で、農民たちからは女神様であるかのように感謝された。
さらに少し離れた農地では、水不足に悩む人たちがいた。
地面の下に水脈を感知して、魔法で掘り当てる。泉が湧き出た瞬間、周囲から歓声が上がった。
「楽しい」
「えっ、あの、このような土木作業のようなことばかりを引き受けていただき、本当に申し訳ない……と思っていたのですが」
お屋敷に戻ると、アビーさんが申し訳なさそうな顔で出迎えてくれた。依頼をこなしたことへの感謝と、また新しい依頼が来たことを報告してくれる。
「都では、こんな魔法はなかなか使えないですから。派手に使わせてもらえて楽しいです」
私はアビーさんの入れてくれた紅茶を飲みながら、素直に笑顔でそう答えた。
都で魔法を使って地形を変えるような仕事をしようと思ったら、あちこちに許可を取らなければならない。
天候に関わる魔法は特に面倒なのだ。隣接する全ての領主から許可を得なければ使ってはいけないなんて場所も少なくない。
「まあ、伯爵のところにいる身だから許されているということはわかっていますけれど……」
この地方での伯爵の権力と領民からの信頼が絶大だからこそ、私は自由に魔法の仕事をさせてもらえている。
それでも、この十年くらい表に出ない伯爵の代わりとして領民に直接感謝されるのは、伯爵にとっても嬉しいことだし私も役に立っている実感があって嬉しかった。
いつしか、領民たちの私を見る目は変わっていた。
『都の嬢ちゃん』が『魔法使いの先生』になり、やがて『サディアさま』と呼ばれるようになった。
(都では誰の役にも立てなかった私だけれど、この場所では私を必要としてくれる人たちがいる)
そんなことを思うと、胸の奥がほんのりと温かくなり、自然と笑みがこぼれた。
「いえいえ、あまり外に出られない伯爵も感謝しています。満足していただけているなら、それでは……こちらの依頼もお願いできますか?」
アビーさんは、後ろにそっと隠していた手紙の束を、ためらいがちに机の上へと差し出した。机に置かれると、『ドン』と鈍い音が響いたのは私の気のせいではないだろう。
「えっ、こんなに……さすがに多すぎませんか?」
なんとか笑顔を作ろうとしたけれど、表情がひきつっているのを自分でも感じた。
そんな充実した日々が続いたある夕方、屋敷に戻ると、アビーさんが一通の手紙を差し出した。
「サディアさま。都からお手紙が届いております」
「都から?」
差出人を見ると、妹の名前があった。
一瞬、胸が弾んだ。けれど封を切って目を通すと、その期待はすぐにしぼんでしまった。
手紙の内容は事務的なものだった。
実家に残していた私の荷物──主に魔法の資料や書籍──を送るという連絡。それだけ。
「辺境の暮らしはいかがですか」という問いかけもない。
父からの言付けもない。
妹が特に書かなくてもいいと思ったのかもしれないけれど、ただ淡々と、荷物の目録と送付の日程が記されているだけだった。
手紙の最後に、一文だけ付け加えられていた。
『こちらは主人がうまくやっておりますので、ご心配なく』
……ご心配なく、か。
私が心配しているかどうかは聞いてくれないのだなと思って、少しだけ笑ってしまった。
妹とは昔から特別に仲が悪いわけではなかった。けれど、良くもなかった。妹は社交的で要領が良くて、貴族の娘として完璧だった。私にないものを全部持っている妹。
比べられるのが嫌で、私はますます魔法の研究に逃げ込んだ。
手紙を丁寧にたたんで、机の上に置いた。
「……ふう」
別に傷ついたわけではない。予想通りの内容だったし、こんなものだろうと思っていた。
ただ、少しだけ……ほんの少しだけ、寂しかった。
「サディア。今日もずいぶん遅くまで働いていたみたいだけど」
いつの間にか、書斎の入り口にウォーレン少年が立っていた。
私の表情に何かを感じ取ったのか、ちらりと机の上の手紙に目をやった後、わざとらしく話題を変えた。
「今日の魔法はすごかったみたいだな。泉を掘り当てたって、領民たちが大喜びしていたぞ」
「もう伝わっているんですか」
「このくらいの規模の領地だと、噂が伝わるのは早い。都の貴族の社交場よりよっぽど早い」
ウォーレン少年は少し誇らしげにそう言った。
「君がいてくれてよかった」
それから、ぽつりとそう言って。
「……あ、いや、領民のためにも、ということだよ」
慌てて付け足す姿に、思わず笑ってしまった。
「ありがとうございます。……私も、ここに来てよかったと思っています」
手紙のことはもう気にならなかった。
少なくとも今は、ここが私の居場所になりつつある。それだけで十分だった。
その日の夕食は、いつも通りアビーさんの丁寧な料理だった。
最近は食卓の会話もだいぶ自然になってきて、ウォーレン少年と二人で今日あったことを話し合うのが日課になっている。
「そういえば」
食事も終わりに近づいた頃、アビーさんがお茶を淹れながら、思い出したように言った。
「明日、オフィリアさまがいらっしゃるそうです」
ウォーレン少年の手が、一瞬だけ止まった。
すぐに何事もなかったように紅茶を口に運んだけれど、わずかに困ったような表情を浮かべたのを私は見逃さなかった。
「オフィリアさまとは……?」
聞いたことのない名前だった。
ウォーレン少年は紅茶のカップをテーブルに戻して、少し間を置いた。
「……まあ、古い知り合いだよ」
それだけ言って、紅茶に視線を落とした。
それ以上は語ろうとしなかった。
(古い知り合い……?)
女性の名前だ。ウォーレンさまの「古い知り合い」の女性。
そして、その名前を聞いただけでウォーレン少年が困った顔をする相手。
「……楽しみですね。お客さまがいらっしゃるなんて」
私は努めて明るく言ったけれど、内心は穏やかではなかった。
(昔の恋人……とか?)
考えても仕方ないのに、頭の中で色々な想像がぐるぐると回ってしまう。
「サディア」
ウォーレン少年が私を呼んだ。
「何か嫌なことを言われても、気にしないでくれ」
その言い方が少し引っかかった。
嫌なことを言われる、とあらかじめわかっているような口ぶりだった。
どういう関係の人なのかも教えてくれないのに、嫌なことを言われるとだけ予告される。
余計に不安になるではないですか。
「大丈夫ですよ。私、見た目によらず図太いので」
冗談っぽく言ってみたけれど、ウォーレン少年は笑わなかった。
ただ、少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。
その夜。
自室に戻ってベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。
妹からの素っ気ない手紙。
正体不明の女性の来訪。
辺境の暮らしに少しずつ馴染んで、ここが自分の居場所だと思い始めていた矢先に、外の世界から風が吹き込んでくる。
(……考えても仕方ない。明日は明日で、なるようになるでしょう)
左手首の腕輪に軽く触れた。
あの日、夕日の土手でつけてもらった腕輪。不思議な魔力を持つ、デートの記念品。
少しだけ安心して、ようやく目を閉じることができた。
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