辺境の魔法使い(中編)
町を歩いた日から、しばらくが過ぎた。
ウォーレン伯爵領は雨期に入っていた。
来る日も来る日も、雨が降り続いていた。
まだ伯爵からの求婚に正式な返事はしていない。
嫌ではないのは間違いないのだけれど、どこか色々引っかかっている。
大人のウォーレンさまと子どものウォーレンさま、どちらを見ればいいのだろうとも思ってしまう。
もう少し色々話してみたいと思いながらも、今の時期、ウォーレンさまは相変わらず忙しいので、私はお屋敷の中で本を読んだり、魔法の研究をしたりしていた。
(あまり都にいた時と変わらないなあ……)
家に籠もっていれば、そんな感想にもなってしまう。
この前の町巡りは楽しかった。特にいくつもの露天商は単なる買い物としても、魔法の研究という意味でも興味深かった。
とはいえ、ウォーレンさまも言っていたように女が一人で出歩くには少し危ないらしい。
(魔法をぶっぱなしたい……)
窓の外の雨を眺めながら、つい本音が漏れそうになる。
(……いやいや。そうじゃなくて)
頭を振った。
問題は魔法を使いたいということではない。このままではただの居候だということだ。
お屋敷に置いてもらって、ご飯を食べさせてもらって、何もしていない。ウォーレンさまは何も言わないけれど、このままでいいはずがなかった。
(何か……何か、役に立てることはないだろうか)
そんなことを考えていた時だった。
「サディアさま。少しご相談があるのですが」
アビーさんがお茶を運んできてくれたついでに、少し遠慮がちにそう切り出した。
「実は、近くの村から助けを求められてのです。大きな岩が塞いでしまって、村から町へ行くことも難しいと」
「岩、ですか」
「ええ。この大雨で山の方から崩れてきたようで……。人手で撤去しようにも大きすぎて、手のつけようがないと」
アビーさんは少し言いにくそうにしながら、私を見た。
「それで……大変厚かましいお願いなのですが、サディアさまは魔法をお使いになれると伺いましたので。もし、岩にヒビの一つでも入れていただければ、あとは村の男衆で何とかできるかもしれないと……」
「引き受けます」
私は即答していた。
「え? よろしいのですか?」
「もちろん。ぜひやらせてください」
居候の身で何もしないわけにはいかない。
それに、正直に言えば、久しぶりに大きな魔法を遠慮なく使える機会が嬉しかった。
(……いえ、役に立ちたいという純粋な気持ちですよ。本当に)
雨が上がった翌日、私はアビーさんに案内されて町の外へと向かった。
用意されていたのは、質素な幌馬車だった。都の貴族が使うような装飾のある馬車ではなく、荷物や人を運ぶための実用的なものだ。
幌の中に乗り込むと、左右に向かい合うように木製の長椅子が据えられていた。私たちはそこに腰を下ろす。
ふと横を見ると、ウォリスちゃんとマーシャちゃんもついてきていた。アビーさんが留守番を頼もうとしたらしいのだけれど、二人とも頑として聞かなかったらしい。
「べ、別にあんたのことが心配なわけじゃないんだから。ママが一人で遠出するのが心配なだけよ」
ウォリスちゃんはそう言いながら、ちらちらと私の方を見ている。
マーシャちゃんはもっと正直で、最初から私のことをじっと観察していた。
(どうやら、どんな魔法を使うのか気になっているらしい)
あの日は敵視されたけれど、子どもの好奇心には勝てないようだった。
魔法学院に通うとその辺の感覚は麻痺してしまうけれど、都でも実際に魔法を使うところを見る機会は滅多にないので。二人の興味は理解できた。
『お姉さん頑張っちゃう』という気になりながら、馬車に揺られていた。
やがて馬車は村に到着した。
しかし、そこには私たちの馬車だけではなかった。いくつもの馬車が開けた空き地に停まっていて、御者たちが困り果てた様子で話し込んでいる。聞けば、岩が道を塞いだせいで先に進めず、ぬかるんだ迂回路も荷馬車には厳しくて、皆ここで立ち往生しているのだという。
幌の隙間から外を覗くと、馬車の傍で数人の男たちが話しているのが聞こえてきた。
「伯爵さまのところに、都の貴族の娘が来たんだとか」
「ああ、聞いたぜ。なんでも嫁の候補だとかで」
「都で遊んでいた貴族の娘なんて、この土地じゃ何にもできないだろうに」
アビーさんが表情を硬くしたのがわかった。
私は聞かなかったことにしようと思ったけれど、男たちの声はこの村の人らしいおばさんを交えつつさらに続いた。
「財産目当てとかじゃないのか? 伯爵さまももう若くはないしな。伯爵さまの普段の生活を支えてくれるならいいんだが」
「伯爵さまが、若くて綺麗なだけの女に騙されていないか心配だねえ」
「箱入りのお嬢さまなんて、伯爵さまも迷惑しているんじゃないか。色々と理由をつけて、そのうち追い返そうとしているところらしいぜ」
(……なるほど)
領民の間では、そういう評判になっているらしい。
都から来た、何もできない、財産目当ての貴族の娘。伯爵さまが迷惑している厄介者。
(まあ、そんな評判になるわよね……)
居候の身という現状には少し胸が痛む。けれど同時に、都の貴族の娘はみんな着飾って社交界に出るだけで何もしていない、とでも言いたげな物言いには、それは違うのに、と反論したくもなった。
でも、伯爵さまのことをみんな心配して、信頼もしているのだということも伝わってきた。
「サディアさま……申し訳ありません。気にしないで……」
アビーさんが慌ててそう言いかけたのを、私は笑顔で遮った。
「大丈夫です。事実、今の私はただの居候ですから」
マーシャちゃんが私の顔をじっと見上げていた。何を考えているのかはわからないけれど、子どもらしくない真剣な目をしていた。
「だから、今日ちゃんと仕事をして見せましょう」
私はそう言って、歩き出した。
現場に着くと、確かに崖が崩れていた。いくつもの土砂や石が散乱する中、ひときわ大きな岩が道の中央にそびえ立っている。
道を完全に塞いでいて、荷車はおろか人が通るのにも苦労するほどだ。
「おお、アビーさん。今日はよろしくお願いします」
村長らしき人がアビーさんの手を両手で握り、歓迎の言葉を述べている。私の方にもちらりと視線を向けて挨拶をしてくれたけれど、その目には『随分と頼りなさげだが、本当にこの人で合っているのか』という疑いの色がありありと浮かんでいた。
付近の住民も何人か集まっていたけれど、私を見る目にはあまり期待の色はなかった。
「この人が?」
「伯爵のところにいるっていう都の……」
「まあ、ヒビの一つでも入れてくれれば、あとは俺たちでやるから」
ひそひそ声だったけれど、しっかり聞こえていた。
魔法使いといえば、長いあごひげを蓄えた貫禄あるおじいさんを想像していたのかもしれない。
あるいは、逆に都の貴族の令嬢と聞いていたから、もっと華やかな見た目の美しい女性を妄想していたのだろうか。
なんにせよ、期待外れの人間が来てしまったと言わんばかりの空気が漂っていた。
アビーさんが何か言い返そうとするのを、手で制した。
「では」
私は静かに一歩前に出て、手にしていた魔法の杖を高く掲げた。
まずは風の魔法を紡ぎ出す。軽やかな風が私の足元から大岩に向かって吹き抜ける。破片や火の粉がこちらに飛んでこないようにとの配慮だったが、周囲の村人たちは『なんだ、この程度か?』という表情でざわめき始めた。
その視線に少し緊張しつつも、私は次に使う魔法へと意識を集中させる。
杖だけではなく、左手に嵌めた腕輪にも意識を巡らせる。これは以前、町の露店でウォーレン少年が買ってくれたものだ。理由ははっきりしないけれど、この腕輪を身につけていると、魔力の流れがどこか滑らかになる気がする。今日のように力を使う場面では、心強い味方だ。
息を深く吸って、焦ることなく呪文を唱える。
火の玉が杖の先から放たれた。
そのまま岩にぶつかると同時に爆発させる。
結果は……。
砕けた。
ヒビでも亀裂でもない。大岩そのものが、粉々に砕け散った。
破片が細かな石くれになって地面に散らばり、もうもうと土煙が上がる。
(少しやりすぎたかもしれない……)
(それにしても、今日は自分でも驚くくらい調子がいい……)
詠唱の間、魔力が不思議なくらい素直に流れていた。まるで左手の腕輪が私の魔力を受け止めて、増やして、うまく回してくれているような感覚。
(この腕輪、私と相性がいいのかしら。……もしかして、魔力を増幅している?)
ただの露店の掘り出し物にしては、できすぎな気がする。今度ゆっくり調べてみようと、心に留めた。
土煙が収まると、道は嘘のようにきれいに開けていた。
付近の住民たちはしばらくの間、口をあんぐりとさせて動かなかった。
「す、すげえ……」
「嬢ちゃん……いや、お嬢さま。とんでもない魔法使いだったんですね!」
さっきまでヒビの一つでもと言っていた男が、目を丸くして何度も頭を下げてくれた。
「ふん、当然よ」
いつの間にか隣に来ていたウォリスちゃんが、なぜか得意そうに胸を張っていた。
さっきまで敵視していたのでは? とは思ったけれど、どうやらこの子なりに、さっきの井戸端の噂話が気に入らなかったらしい。
「サディアさまは王立魔法学院を優秀な成績で卒業されてるんだから。伯爵さまのお眼鏡にかなった方を偏見で馬鹿にしたりしないようにね」
ウォリスちゃんが、大人顔負けの難しい言葉でそう言い放ったので、大人たちも苦笑しながら詫びるしかなかった。
アビーさんや他の大人が言うと、少し刺々しくなってしまったかもしれない言葉も、ウォリスちゃんが言うことによって反省しつつも、和やかな空気に包まれていた。
(私のことを調べていたのかな……)
きっとウォーレン君に近づく女が怪しくないか、密かに探りを入れていたのだろう。その結果、どうやら問題なしと判断されたらしい。
私はにこりと微笑みかけて感謝を伝えようとしたけれど、ウォリスちゃんは素っ気なくそっぽを向いてしまった。
「いやあ、まさか、こんな若くて可愛らしい女性がすごい魔法使いだとは思わなかったもので……」
「ありがとうございますだ。お礼に宴の用意をしております。くつろいで行ってください」
村の村長さんをはじめおじさんたちは、私たちを取り囲み、手を擦り合わせながら、すぐには返さないぞという強い意思を示していた。
「いやあ、こんなに早く片付くとは思ってもいなかったもので、準備が追いつかなくて申し訳ない!」
村人たちは大慌てで宴の準備を急ピッチで進めていた。
広場には急ごしらえのテーブルが並べられ、女性たちが次々と料理を運んでくる。素朴な田舎料理だけれど、どれも湯気を立てていて美味しそうだった。
子どもたちは私の周りをぐるぐると走り回り、『魔法使いのお姉ちゃんすごい!』と口々にはしゃいでいる。
「まあ、まあ、そんな遠慮なさらずに。ぜひ伯爵さまとのお話などもお聞かせください」
村長さんに半ば強引に席へと案内され、気づけば杯が手に握らされていた。
諦めた私たちは、村で休んでいくことに決めた。
村人たちは久しぶりの明るい話題に沸き立っていた。岩が砕けたことで道が開通しただけでなく、道幅自体も広くなったらしい。これで作物も運びやすくなるし、他の町との交易もやりやすくなると、あちこちで笑い声が上がっている。誰もが上機嫌で杯を傾けていた。
やがて村人たちの興味は、私と伯爵の話に移っていった。
伯爵の近況を知りたいというのもあるみたいだったけれど、それ以上に、私が伯爵の嫁候補なのは本当なのかと聞きたがっているようだった。
けれど、まだ何の約束をしたわけでもない。
大人のウォーレンさまの満月の夜のこと、子どものウォーレンさまと一緒に町を回ったことを思い出すと胸が温かくなるけれど、それをおおっぴらに言えるわけもない。
私は杯を口元に運びながら、終始曖昧に笑って答えを濁すことしかできなかった。
村人たちの好奇心に満ちた視線が少しだけくすぐったくて、でも悪い気はしなかった。
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