王城の攻防
使いの者に案内されて辿り着いたのは、王城の奥まった一角だった。
本当は、扉が開く前に何かがおかしいと気づくべきだったのかもしれない。
けれど、私はウォレ君のことが心配なあまり、違和感に気づかずに部屋へと足を踏み入れてしまった。
「ようこそ、天使殿」
趣味のいい調度に、柔らかそうな長椅子。窓辺には酒器が並び、壁には剣と狩りの絵画。
仕立ての良い服ではあるけれど、かなりラフな格好のエドワード王子殿下が出迎えた。
(あれ……。ここは……?)
アリシア王女と打ち合わせをした部屋とも、陛下と接見した間ともかなり違う雰囲気の部屋だった。
「まあまあ、お座りください。天使さまはなんと言っても私の命の恩人なのですから」
緊張しながらも、にこやかなエドワード王子の促しに従い、思わずその柔らかな長椅子に腰を下ろしてしまう。
改めて部屋の中を見渡してみると、そこがエドワード王子のごく私的な空間であることがはっきりと分かった。
(いや、ここは完全に王子のお部屋だ)
ふと視線を向ければ、奥には洗面所や寝室まで見えている。
振り返ると、案内してくれたはずの使いの者が、いつの間にかいなくなっている。
(……あれ? これは、さすがにまずいのでは?)
王子さまの好意を『きっと羽根が珍しかっただけ』と笑っていた呑気な私でも、ようやく危機感が追いついてきた。
「そう警戒しないでください。少し、ゆっくりお話がしたかっただけですよ」
そう言いながら、エドワード王子は長椅子で私の隣に腰掛けてきた。
(ひぇ)
思わず声をあげそうになるのを必死でこらえ、私は長椅子の上で王子から少しでも離れようと、そっと横に少し跳ぶように座り直した。
「で、殿下。私は人妻ですので、こういった場所は、その……殿下にも良くない噂になってしまいます」
「人妻?」
王子さまは、少し不思議そうに首を傾げた。
「……失礼を承知で申し上げます。調べさせていただきました。王国にも、フォシア伯爵家からも、あなたを妻として迎えたという届け出は、どこにも出されていませんでした」
息が、止まった。
「式も、正式な手続きも、何ひとつ。ただ辺境へ送られて、そのまま。……あなたがシェティ家の借金の肩代わりとして送られたのだとも聞きました」
(し、調べた!?)
そんなに興味を持たれているとは思わずに、驚いていたけれど、それ以上に今は訂正しないといけない。
「しゃ、借金の肩代わりなどではありません」
確かに、もしかしたら借金はあったのかもしれない。国境沿いの土地まで手放すような状況だったのだから。
だけど、だからといってウォーレンさまが私を金で手に入れた、なんて思われるのはどうしても耐えられなくて、私はきっぱりと否定した。
「そ、それに、届け出がないのは……戦が続いていて、式を挙げる余裕がなかっただけで……」
言いながら、自分でも弱い言い訳だと分かっていた。
だって、それは事実なのだ。私はまだ、書類の上でも、神さまの前でも、ウォーレンさまの妻ではない。
「ああ、誤解なさらないでください。私はあなたを責めているのではありません。むしろ逆です」
王子さまは、本気で悔しそうな顔をした。
「そんな扱いを受けている方が、命がけで私たちを守ってくださった。……私はそれが、どうしても納得がいかないのです」
「ですが、あんな辺境の年配のおじさんの元になんて……きっといやいや嫁がされたのでしょう」
「お、おじさんなのはそうですが、全然、お元気ですし、立派な方でいらっしゃいます」
わざわざ王都まで助けにきてくださったウォーレンさまを悪く言われて、胸の奥に怒りがこみ上げたものの、それを顔に出さないよう必死に努めた。
「正式な妻としては扱われず、今回の戦いでも兵の一人として参加させられたと聞きました」
「えっ、ご、誤解です」
魔法使いとして認められて付いてきているのです。なんとか殿下に分かるようにそう説明をしたいと思ったのだけれど、殿下はもうあまり私の話を聞いてくれなさそうだった。
「分かっています。シェティ家の失策も咎められて、辺境伯に従わなくてはいけないのですね」
なんでそうなるのと思いながらも、殿下は本気で悲しそうな目で私を見ていた。
「あなたを救ってあげたい。ぜひ、私の元に来てください」
そう言いながら、殿下は身を乗り出し、私の両手をそっと包み込んだ。
どうやら変な気持ちとかではなく、本当に私が可哀想な境遇だと思っているらしい。
王子殿下を相手に無碍にするわけにもいかず、実家の立場をこれ以上悪くしたくない気持ちもあった。けれど、それ以上に、たとえ勘違いでも真剣に私のことを思ってくれているのが伝わってきて、すぐに手を振り払うことができなかった。
「わ、私の元?」
「命を救われた恩義というだけではありません。あのような強大な敵に立ち向かう勇気。そして、あの美しい姿。ずっと私の心に焼きついてしまいました」
「え、ええ?」
「ぜひ私の元へ、ゆくゆくは私の妻として……」
王子さまが一歩踏み込んできた、その時だった。
最後までは言わせないと言わんばかりに、ばんっ、と大きな音を立てて扉が開いた。
「失礼いたします!」
息を切らせた少年が、ひとり走り込んできた。ウォレ君だった。
「何者だ?」
「サディアさまは、この後、次のお仕事がございますので! お迎えに上がりました!」
王子さまの返事も待たず、ウォレ君は私の手を掴んで、ずんずんと部屋を出ていく。
「こ、こら、待て。話はまだ」
「失礼いたします! それでは!」
振り向きもせずに言い切ると、部屋の扉は自動的に閉まった。
ウォレ君は廊下を早足で進んだ。
角を二つ曲がったあたりで、ようやく歩みが緩む。
「ウォレ君。殿下に対して魔法を使うのはよくないですよ」
扉は自動的に閉めて、しばらく開かないようにしたのが分かったし、そしておそらく部屋を見張っていた従者の方は眠らせるか魅了するかをして部屋に入ったのだろう。
下手をすれば、反乱行為だと思われても仕方がない。
「仕方がないだろう。非常事態だったのだから」
ウォレ君は手を離してくれると、腕を組みながら口をへの字に曲げて私を不機嫌そうにちらりと見上げた。
怒られているのだけれど、そんな仕草も可愛らしいと思って見てしまった。
「申し訳ありません。油断しました。まさか殿下があんなに迫ってくるなんて思いもしませんでした」
私は素直に頭を下げた。
ウォレ君は別にそんなに気にしていないけどなと言いたそうな表情で受け入れていた。
「……ウォレ君。陛下の方は、どうしたのですか」
「宰相どのが急ぎの案件を持ってきた。その隙に、抜けてきた」
ウォレ君は、微妙な表情でその時のことを思い出しているようだった。
「……膝の上は、回避した」
「よく、ご無事で」
こちらも、あまりいい抜け方ではなかったようだと苦笑してしまう。
国王陛下の方は、ウォレ君も強いので大変なことにはならなかっただろうと思うのだけれど、何にせよ王家とフォシア家が仲違いなどと思われるだけで国の危機になりかねない。
王家の人たちともなんとか穏便にいきたいですねとウォレ君と話しながら歩き続けた。
逃げ込んだ先は、事前に地図で目星をつけておいた空き部屋だった。
人の出入りが少ない区画で、隠れて変化をかけ直すならここだと決めてあった場所。夕刻の御前会議には、大人のウォーレン伯爵で出なければならないのだ。
……ただし、予想外のことがひとつ。
「もっ、物が、いっぱい……」
扉を開けると、部屋は壊れた調度品で溢れかえっていた。
砕けた花瓶。脚の折れた椅子。ひびの入った大きな鏡。襲撃で壊された王城中の品々が、応急でこの部屋に詰め込まれているらしい。人ひとりが立つのが、やっとの隙間しかない。
(この狭さで、変化の魔法をかけて、お着替えして、となると……)
(む、無理です。裸のウォーレンさまと密着してしまいます)
私は変化の魔法だけかけると、着替え一式をウォレ君──いえ、みるみる大きくなっていくウォーレンさまに押しつけて、逃げるように廊下へ出た。
扉の前で、何食わぬ顔をして見張りに立つ。
(お着替え、どうか早く終わりますように……)
そう祈っていた、矢先だった。
廊下の向こうから、こつ、こつ、と上品な足音が近づいてきた。
王女アリシアさまと、お付きの女官だった。
「あら……サディア? こんなところで、どうしたのですか」
(お、王女殿下!? なぜここに!?)
「私は、先程の話の続きをしようとウォーレンさまを探しているのですが。……もう陛下の謁見も終わったとのことなのですが、どこにも見当たらず。サディアは何かご存知ですか?」
「わ、私も、その、待っているところなのです」
言ってしまってから、しまった、と思った。
これでは『ウォーレンさまがこの近くにいる』と、白状したようなものだ。
「そう。では、ご一緒に待ちましょう」
アリシアさまは少しも疑わず、あっさりと私の隣に並んだ。
「ちょうどよかったわ。……あなたとも、お話してみたかったのです」
「え? 私と、ですか?」
「幼い頃に、一度お会いしているのを覚えていますか? あの時も、魔法を見せてもらいました」
(……え?)
全く、記憶にない。
慌てて記憶の底をさらってみると……そういえば、どこかのお屋敷のお茶会で調子に乗って魔法を披露して、父にこっぴどく怒られたことが、かすかに、あったような。
(あ、あの場に、いらしたのですか!? 王女さまが!?)
「あれから、お茶会には全然出てきてくださらないのだもの。一度もお会いできずに、残念でした」
(王家の方は、どうしてこう記憶力がいいのですか……!)
そうでもないと王家など務まらないのかもしれないとは思うのだけれど、忘れていて欲しいということまでしっかり覚えられてしまっていて困ってしまう。
「それで……その。今のサディアは、ウォーレンさまの魔法使いとしてのお弟子さん、なのよね?」
アリシアさまの表情と口調が、ふっと崩れた。会議室でのビジネスライクな敬語ではない。年頃の娘同士の、内緒話の声だった。
「ど、どうなのかしら。普段のウォーレンさまは」
(……あれ?)
(今、お弟子さんって言いました? 私、弟子だと思われています?)
王家の人たちには、何故か私の情報があまり正確には伝わっていない気がする。
「ウォーレンさまは、そうですね。普段はとてもしっかりされていますが、わりと、がさつなところもあります。特に食べ物のことか、よくつまみ食いをしては、侍女さんたちに叱られています」
ともかく王女殿下には少し悪いことを伝えた方がいい。
となぜか判断して、そんな話をしてしまった。
しかも、これは少年の姿の時のエピソードだなと言ってしまってから思うのだった。
「ふふ、そうなのですね。あのお歳でそれほど食欲旺盛でお元気なのは素敵だと思います。それに、お仕事をされているお姿を拝見していて、部下の方たちとも気さくに接していらっしゃるのがよく伝わってきました」
アリシアさまは上品にくすっと笑い、まるで昔からの友人に共感を求めるように、親しげな口調で私に話しかけてきた。
(……そしてなぜ、『普段の』ウォーレンさまをお知りになりたいのですか?)
色々と引っかかりを覚えつつ、私はそっと探りを入れてみた。
「……殿下は、その。あのような年配の男性が、お好みなのですか?」
「べつに、かなり年上が好み、というわけではないの」
アリシアさまは、少し困ったように笑った。
「最初はね。フォシア家と王家の結びつきを、強くしなければと。国のために私にできることを、というだけ……の、はずだったのだけれど」
王女さまは、胸の前で軽く手を組んだ。
「お会いしてみたら、ああいう落ち着いた大人の方が、自分には合っているのかも……と、思うようになってしまって」
(じ、自分から、国のために嫁ぐおつもりだったのですか!?)
さらりと語られた『打算』の中身に、私はまず驚いた。
この方は、王家とフォシアを繋ぐために、自分自身を差し出すつもりだったのだ。当たり前のことのように、それを『私にできること』と言ってのけたのだ。
驚いて、少し胸を打たれて……そして、続く言葉で血の気が引いた。
「奥様は、お亡くなりになって、今はお一人なのよね。……もっと、お近づきになりたいなと思って」
頬をほんのり染めて、嬉しそうに。
それは完全に、恋する娘の顔と声だった。
(ま、まずい。まずいまずいまずい)
(言わないと。取り返しがつかなくなる前に、ちゃんと言わないと)
私は、ウォーレンさまの……なんだろう。
妻ではないしなと思い、ちょっと迷った。
そう、『婚約者』。
それは間違いない。それでいいはず。
……でも、正式な手続き踏んでいたかな。
少なくとも、ウォーレンさまと約束はできているのだから、良いはず。
ぐずぐずと考え込んでしまっていたのがいけなかった。
『婚約者です』と口にしようとしたまさにその時に。
がたん、と空き部屋の中から物音がした。
「……今、何か聞こえませんでした?」
アリシアさまが、扉に手を伸ばす。
「あ、危ないです! わ、私が見ますから!」
制止も虚しく、扉は開かれてしまった。
そこには、ちょうど着替えを終えた、大人の姿のウォーレンさまが立っていた。
「……これは、王女殿下」
「ウォーレンさま? なぜ、このようなお部屋に」
「お恥ずかしい話ですが……服を少々汚してしまいましてな。人目を避けて、着替えておりました」
苦しい。あまりにも苦しい言い訳だった。
「父と……国王陛下と何かあった……とかではないですよね」
けれど、アリシアさまは疑うことなくむしろ心配そうにウォーレンさまを見ていた。
「いえ、何もございません。少し、飲み物をこぼしてしまっただけでして……」
大人の姿に戻ったウォーレンさまは、平静を装いながらも王女さまと向き合っていた。その表情にはわずかな緊張が滲んでいたけれど、それに気づくのは私だけ……という気がした。
「まあ。いつもしっかりしていらっしゃる伯爵にも、そういうことがおありなのですね」
くすりと笑う笑顔が眩しい……むしろ、好感度が上がった気配すらあった。どうして。
その時だった。
空き部屋に積み上げられていた壊れた調度の山が、がらがらと音を立てて崩れた。
「殿下!」
ウォーレンさまが咄嗟にアリシアさまを抱き寄せ、崩れてくる木箱から庇う。
埃が収まった時、王女さまは、ウォーレンさまの腕の中にすっぽりと収まっていた。
「……お怪我は」
「あ……りません。ありがとう、ございます」
アリシアさまの声が、上擦っていた。
大したことではなかった。木箱も軽そうなものだったし、何もしなくても大きな怪我をするようなことはなかっただろう。
でも、アリシアさまの中では重大事件だったのが分かる。
(あああ……)
私は心の中で頭を抱えた。
助け起こされた王女さまの頬は、真っ赤に染まっていた。
「こほん。……では伯爵、ちょうどようございました。先ほどのお仕事の話の、続きを。会議まで、まだ少し時間がありますから」
アリシアさまは咳払いひとつで居住まいを直すと、当然のようにウォーレンさまを連れて歩き出した。
その足取りは軽く、そして、心なしかさきほどよりも距離が近い。地図を指す振りをして袖に触れ、段差でさりげなく支えてもらい、何かを言っては笑い合っている。
(近い……! 近いです、殿下……!)
そして、ウォーレンさまを見上げて笑うその目を見て、私は確信してしまった。
あれは、恋に落ちた目だ。
他ならぬ私が、この辺境暮らしの中で、何度も鏡の中に見てきたあの目だ。
(かと言って邪魔するために割り込んでも……)
真面目に仕事の話をしている——でもアリシアさまは楽しげな——二人の間に入るのはさすがに気が引けた。
「ま、まあ、もうじき私たちは辺境に帰りますし……」
胸の奥に燃え上がりそうな嫉妬の気持ちを、なんとか抑え込もうと自分に言い聞かせた。
王都は奪還することができ、王族をはじめ避難していた人たちも戻ってきて、少しずつ機能し始めている。
目的を果たしたのだから、私たちは、間もなく自領へ帰ることになるだろう。
これで私が王子に会うことも、ウォーレンさまが王女さまと親しくなる機会もなくなる……はず。
そう期待していた。
唯一気がかりだったのは、これから先、カルガン族に対する責任や交渉の矢面にウォーレンさまが立つことになるのではないか、ということだけだった。
このまま西に転戦することになるのか、いったんフォシア領に戻ってそこからカルガン族を牽制して交渉することになるのか。
そんな不安を抱えたまま、夕刻からは今後について話し合う御前会議が開かれることになっていた。
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