王女殿下との面会
数日後、招待に応じた日。
久しぶりに間近で見上げた王城は、痛々しくも、どこか誇り高かった。
砕けた見張り塔には仮の足場が組まれ、焦げた壁は塗り直されている。王城の中に入れば、廊下の焼け跡には織りたてのタペストリーがかけられ、磨き上げられた床は、まるで戦争なんてなかったかのように小石一つも落ちていない。
傷は隠しきれていない。それでも、できる限りの修繕をして、精一杯の威容を取り戻そうとしている。そんな心意気のようなものが、城のあちこちから伝わってきた。
最初の予定は、王女さまとの面会だった。
あらかじめ私の変化の魔法で大人の姿となったウォーレンさまに付き従い、通されたのは大きな会議室だった。長机は艶々に磨かれ、壁の地図は真新しい。……よく見ると地図の端がわずかに焦げていて、それを金の額縁が上手に隠していた。
入り口で待っていたのは、背筋のまっすぐ通った一人の若い女性。
王女アリシアさま。
濃紺のドレスは飾りが少なく、結い上げた髪に宝石のひとつも見当たらない。
王女らしさは最低限に、特に着飾ったりはしていない。
それでも、年の頃は私と同じくらいのはずなのに、立ち姿だけで場が引き締まるような、静かな威厳がある。
何より印象的なのは、目だった。意志の強さがそのまま宿ったような、まっすぐな目。
「本日はご足労いただき、感謝します。辺境伯」
挨拶は短く、無駄がない。こちらが名乗る間もないうちに、長机には帳簿と地図が次々と広げられていった。
(あの、私、まだ名乗ってもいないのですけれど……)
完全に『伯爵のお付きの魔法使い』という扱いで、私は書記係のように隅の席へ案内されてしまった。まあ、間違ってはいないのだけれど。
それにしても、と私は室内を見回す。
王女さまの後ろに控えているのは、年配の女官と文官が一人ずつ。これだけ広い会議室で王都の復興を話し合うというのに、他の貴族や役人の姿がひとつもない。
(……こういうお話って、もっと大勢でするものではないのかしら)
少し不自然に思ったけれど、相談は待ったなしで始まってしまった。
「冬が来る前に、住まいを失った民をどこへ収容するか。食糧をどう回すか。……辺境伯のお知恵を、借りたいのです」
「では、殿下のお手元の数字から見せていただこう」
やりとりは、驚くほど速かった。王女さまの側近から資料を出し、ウォーレンさまが道筋を示し、王女さまはすぐに理解して、次の質問を重ねる。
(……仕事の話。うん、完全に仕事の話ですね)
昨日のもやもやが少しだけ薄れて、私は胸を撫で下ろしていた。
ただ、聞いているうちに、気がついてしまったことがある。
王女さまの出す数字は、細かすぎるのだ。避難民の人数も、備蓄の量も、荷馬車の数まで、全部この方の頭に入っている。
それはつまり……それだけの全部を、この方が一人で抱えているということで。
ウォーレンさまも、同じことを感じたらしい。
ひと通りの道筋を示し終えたところで、ふっと口調を緩めた。
「……殿下。ひとつ、年寄りの余計な口出しを」
「何でしょう」
「これらのすべてを、殿下がお一人で背負われることはありませんぞ。王立騎士団もいる。王宮魔道士もいる。都の貴族たちとて……当てにならぬように見えても、使いようはあるものです」
アリシアさまが、はっと顔を上げた。
「頼り、頼られて、部下も貴族も育っていく。戦も政も、そこは同じですな」
張り詰めていた王女さまの表情が、ほんの少しだけ、和らいだ。
「……心に、留めておきます」
短い言葉だったけれど、その声は最初の挨拶よりも、確かに柔らかかった。
(あ……。表情がゆるむと、年相応の女の子みたいになるんだ)
やがて、ウォーレンさまはふと窓の外に視線を移し、そっと昇りゆく日の高さを確かめるように目を細めた。
「殿下。名残惜しいですが、私はこれで。……この後、陛下への謁見がありますのでな」
ウォーレンさまはそう言って席を立った。案内を申し出る文官を丁重に断り、私たちは二人だけで廊下へ出る。
もちろん、道に迷わない自信があるからではない。人目のないところで、こっそり変化を解くためだった。
そうしてたどり着いたのは、謁見の間ではなかった。
『接待の間』と呼ばれる部屋らしい。広くはないけれど、調度品のひとつひとつが見事で、よほど親しい客しか通されないのだという。
「……昔の俺ですら、入ったことないぞ。この部屋」
控えの間で少年に戻ったウォレ君が、扉の前で小さく呟いていた。
部屋の中では、国王陛下が満面の笑みで待ち構えていた。壁際に護衛の騎士が数人、彫像のように無言で立っているだけで、他には誰もいない。
「おお、ウォレ! よう来た、よう来た!」
駆け寄らんばかりの勢いで出迎えられて、ウォレ君はぎこちなく一礼した。
「時に……後見人のウォーレン伯爵は、いかがした?」
陛下が、きょろきょろと私たちの後ろを見る。
「は、伯爵は……その、アリシアさまに捕まっておりまして」
私は苦しい言い訳をした。嘘ではない。ついさっきまで、本当に捕まっていたのだから。
「おお、そうかそうか。あれは一度仕事の話を始めると長いからのう」
あっさりと納得されてしまった。……というより、最初からウォレ君にしか興味がなさそうだった。
「して、そなたは、確か……」
「は、はい! 私は、ウォーレンさまのこ……」
婚約者です。そう名乗りかけた、その時。
「おお、思い出したぞ。あの時の、羽根を生やした魔法使いか!」
見事に、かぶせられてしまった。
「よくぞウォレと共に、余と子どもたちを守ってくれた。改めて礼を言うぞ」
「も、もったいないお言葉です……」
そのまま話は流れてしまい、名乗り直す機会は完全に失われた。
(まあ……いいでしょう。また今度で)
この時はまだ、私はそう呑気に構えていたのだった。
それからしばらく、意外なことに、会話はごくまともだった。
城門前の襲撃の御礼。裏切った若い魔道士たちへの憂い。それから。
「フォシアには跡継ぎがおらんのが、長年の気がかりだったが。……だが、ウォレのような立派な甥がおるなら、安心じゃな」
しみじみと語る陛下は、どこからどう見ても、家臣の行く末を案じる立派な王さまだった。
「ウォーレンのやつもなんでちゃんと報告せんのか。ちゃんと後継者として手続きをして宣言しておかんと駄目じゃろ」
「あ、いえ、私は甥ですし、そんな身分のものではありませんし……」
「他におらんのじゃ。母親が庶民だったとしても、そんなことは些細なことだ。領主となれば、自分が死んだあとのこともちゃんと考えておかねば、領地に無駄な争いが起きかねん」
この場にいない……ウォーレンさまを叱るかのように陛下はそう語る。
全くの正論なので、少年姿のウォーレンさまは困ったような顔をしていた。
「なので、わしのお墨付きでウォレを後継者として手続きをしておこうと思う」
「あ、いや、陛下。少しお待ちください。まだ、お、叔父上に子どもができるかもしれませんし……」
ウォレ君は、そう言ってからちらりと私の方を見た。なんで自分で言ってから顔を赤くしているんですか、いえ、私も赤くなりますけれど……。
「あやつはもう、十年以上も子ども作っておらんし……。まあ、生まれたら生まれたでその時変更すればいいじゃろ」
「そ、それはそれで、後継者で争う原因になったりしますし、もうしばらく、お待ちになった方がよいのでは」
数々の領主の後継者争いを見てきたかのような心配を、まだ少年姿のウォーレンさまが語っていた。
ウォレ君の存在を公に調べられたりすると色々面倒なので必死だった。
「そうか……。まあ、王家があまり他の領主の跡継ぎに口出しをするのも荒れる原因だしの。よくウォーレンとは話し合っておくようにな」
「はっ」
なんとか乗り切ったので、ウォレ君は元気な返事をしたあとで、安堵したような表情を見せた。
(……なんだ。心配するようなことは、何もなかったですね)
(噂は、噂。ガルシアさんの取り越し苦労でした)
そう安心しかけた、まさにその時だった。
「ところでウォレよ。もそっと、こっちに来ぬか」
陛下が、ぽんぽん、と自分の膝の上を叩いた。
(ひ、膝の上……!?)
「わしのもとで政治について、勉強するのはどうだ? 将来領主になるのであれば、ためになると思うぞ。将来の大臣になるような若者とコネクションを作っておくは王国のためになる。ああ、心配ないウォーレンにはわしから言っておくのでな」
真面目な語り口だった。
ただ、実の孫に対するような笑みと態度で抱きかかえようとするかのようの国王陛下に対して、ウォレ君の顔が、にこやかな笑みのまま固まった。
と、その時。扉が控えめに叩かれて、使いの者が顔を覗かせた。
「天使さまを、エドワード殿下がお呼びでございます」
(わっ、ちょうどいいタイミング……! これで自然に席を外せる)
こんなこともあるかと見越してこの時間に王子との面会になるようにお願いしていたのだ。計画通りになって、私は内心ほっと胸を撫でおろした。
「そ、それでは陛下。私たちはここで失礼させていただきます」
「うむ。だが、エドワードとの約束はサディア嬢だけでいいのであろう?」
「え?」
そんなことは……と思いながら陛下の顔を見る。そして、陛下も目を向けている使いの者へ、視線を移していく。
「はっ、エドワード殿下からは、天使さまだけをお連れするようにと伺っております」
使いの者は直立不動で陛下にそうお答えした。
「あ、いえ、ウォレ君も大活躍でしたし……」
と言ってから、確かにエドワード王子を助けた時にはウォレ君は間に合っておらず私だけだったと思い出していた。
王子さまの招待も、断れない約束のひとつ。けれど今この部屋を離れたら、ウォレ君が。
(い、行って大丈夫でしょうか)
目でそう訴える私に。
(だ、大丈夫だ)
ウォレ君が、引きつった笑顔のまま、目で答えた。
(でも、目が『たぶん』と付け加えている気がします……)
さすがに騎士さんたちもいる中で変なことはされないだろうと信じて、後ろ髪を引かれながら、私は接待の間を後にした。
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