天使とウォレ君
「おお、我が天使よ」
そんな和やかな空気を大きな声が打ち破った。守ってくれた騎士たちをかき分けるように、現れたのは、先ほどヴィクトルの標的となっていた王子、つまり第一王子エドワードだった。
姉のアリシア王女がいるけれど、この国の次の王位継承者と目されている人物だった。
「あなたのおかげで、助かりました。このような美しい天使に護ってもらえるなど、私は運がいい」
第一王子エドワードは、すらりとした長身をかがめ、ウォレ君に支えられている私の両手をしっかりと包み込むように握った。
まだあどけなさが残る、端正な顔立ち。その王子は、その地位のみならず、王都の貴族令嬢たちの憧れの的でもある人物だ。
(最初に私が攻撃を防いだ時、さっさと逃げてくださればどんなに楽だったことか……)
もし私が昔のままだったなら、こんな間近で王子に手を握られたことに少しくらい胸が高鳴ったかもしれない。けれど、今の私は心の中でため息混じりの文句ばかりが浮かんでいた。
「お名前は、なんというのですか、マイエンジェル」
「マ、マイエンジェル? ええと、サディア・シェティです。あ、今はもうフォシアの家のものです」
失礼のないようにと必死で姿勢を正そうとしたものの、どうしても体に力が入らず、そのままウォーレンさまに支えられた格好で答えるしかなかった。
「ああ、シェティ家の……。それで、逃げることになって今はフォシアに身を寄せていると……。そうなのですね」
ここ最近、悪い意味で有名になってしまった実家のせいで少し勘違いをしているような気がしなくもない。
はっきりと以前からウォーレンさまの婚約者ですと言った方がいいだろうか。でも、王子さまともう会う機会もないだろうし、わざわざ説明するのも、ちょっと自意識過剰な気もしてしまってそのままにしておいた。
「あの……殿下。サディアはもう疲れておりますので、休ませてあげたいのですがよろしいでしょうか」
ウォレ君こと小さな姿のウォーレンさまは、ほんの少し語気を強めてそう告げた。さすがに王子の手を無理やり振りほどくことはできず、けれど私の手をそっと自分のほうへ引き寄せようとする。
「なんだね。君は……」
エドワード王子は、不機嫌そうに得体の知れない小さな男の子をじっと睨みつけた。
けれど、私が疲れていることは察してくれたのか、それ以上無理に手を握ろうとはしなかった。
そんな気まずい空気の中、遠くからいくつもの足音と甲冑のきしむ音が近づいてきた。
ふと顔を上げると、護衛の騎士たちと王宮魔道士に囲まれた一団が、こちらに向かって歩み寄ってくる。その中心にいるのは、国王陛下だった。
国王陛下が、厳かな声で問うた。
「今、我々を守ってくれたのは、どなたかな」
石畳にへたり込んだ翼を背に生やした私と、その隣に立つ小さな少年。
さぞ、奇妙な光景に見えたことだろう。
「あ、えっと、フォシア辺境伯の、その……」
なんとか石畳に片膝を付きながら私は立ち上がろうとする。
しどろもどろになる私の横で、ウォレ君が、すっと背筋を伸ばした。
「フォシア辺境伯が遣わした者です。陛下のご無事、何よりです」
少年の声で、けれど堂々と。
国王陛下が、感心したように目を細めた。
「辺境伯の……。君が王都奪還の立役者か。よもや、こんな子どもと、翼の魔法使いとは」
「いえ、フォシアの軍には、私たちだけでなく他にも優秀な魔法使いがおりますゆえ」
なんとかごまかして、さっさと話を切り上げたいというウォーレンさまの気持ちが伝わってきた。
「君の名前は? 若い頃の辺境伯に似ておるな。息子はいないはずだが、親族のものか」
頭を下げたままのウォーレンさまが、『ま、まずい』という顔をしているのが私からは見えてしまった。
陛下とは若いときにも何度か会っているのだから、当然そんな反応になるのは自然だった。
「ウ、ウォレと申します。辺境伯の甥にあたります」
ウォーレンさまは、ほんの少し声を詰まらせながらも、とっさに偽名を口にした。
思わず、さっき自分が考えた名前がそのまま使われたことに、頬が緩みそうになるけれどなんとか口元を引き締める。
本当のことを国王陛下だけに伝えてもよいのでは、そんな気持ちも頭をよぎるが、周りには王家の人々や騎士たちがずらりと取り囲んでいて、とても打ち明けられる状況ではない。ウォーレンさまはそんな判断をしたようだった。私はただ静かにその様子を見守った。
「伯爵の弟の子か……。いや、弟にも子はいなかったはずだが……」
国王陛下はかなり記憶力がいいので驚いてしまう。
いや、これくらいは把握していないと国王としてやっていけないのかもしれない。
「わ、私も父のことは知らなかったのですが、最近母がなくなり遺言で、辺境伯を頼れと言われましてそれで初めて辺境伯が叔父だと判明した次第でして……。そこから辺境伯に魔法を教わっていたのですが魔法使いの頭数が足りないので、参加しろと言われまして……」
ウォレ君は、いつになく饒舌に、即興の作り話を並べていた。
その様子を見て、私はふと思う。これからの人生、ウォーレンさまが早口で冗長なことを言い出した時には、きっと慎重に耳を傾けたほうがいい気がする。
そんな教訓を心に刻むのだった。
「そうだったか、ぜひ、お礼もせねばならぬので、王城に招待させてもらいたい」
陛下はそれ以上追及することはなく、いったん納得されたようだった。何よりも、命の恩人であることを重く見てくださったのだろう。危険はないと判断されたのか、穏やかな表情に変わっていた。
そう言うと、陛下はウォレ君をぎゅっと抱きしめた。
感謝の抱擁。
色々あったけれど、私もウォーレンさまも王家の人たちを一生懸命守ってよかったと思わせる時だった。
(……だけれどずいぶん長いな。頬を擦り寄せすぎじゃないかな)
私は、目の前でウォレ君――つまりウォーレンさまが、ひたすらに国王陛下に頬を擦り寄せられている場面を見せつけられ、なんだか妙な気分になってしまった。
「天使さまもぜひ、来てください」
ウォレ君が身動きが取れない間にそれまで静かにしていたエドワード王子が再び、私の手を包み込むように握ってきた。
「あ、はい」
その言葉にエドワード王子は嬉しそうに頷いていた。まだ手を離してはくれなかった。
(どういう状況なんだろう……これ)
ちょっと目立ちすぎて、面倒なことになってしまった感がある。
でも、今は……。
助かった。王家も、無事だった。
誰も、死なずに済んだ。
そのことに感謝しつつ、少年姿のウォーレンさまと目をあわせて、お互いに困ったような顔をして笑った。
ウォーレンさまの淹れるお茶は、びっくりするほど濃い。
同級生たちと対峙した、あの城門前の騒動の翌日。
私は野営地の天幕で、湯気の立つカップを両手で包んでいた。
「……苦かったか」
対面に座ったウォーレン少年が、ちらりとこちらを見る。
自分で淹れると言って聞かなかったのだ。
小さな手が、ちょっと茶葉を多く入れすぎてしまったのを私は見ていた。
少年の姿ではあまりお茶を淹れ慣れていないせいか、記憶がおぼろげだったのかもしれない。
「いいえ。目が覚める、いいお味です」
「そうか。……嘘が下手だな、お前は」
少しだけ笑って、それきり二人とも黙った。
昨日から、ずっと胸の奥に重いものが沈んでいる。
「同じ教室で学んだ人たちが、あんなことを……」
ぽつりと、こぼれてしまった。
ヴィクトルの静かな目。視線を逸らしたレナーテ。軽い調子のまま消えたフェリクス。
「しかし、そうだな。まあ……」
ウォーレン少年は、なんとか私が傷つかないように、あの三人がそれほど悪くないという理由を探そうとしているようだった。
そして、諦めたかのように小さくため息を吐きながら言った。
「……人は、自分の信じるもののために動く。お前もそうだろう」
ウォーレン少年は、カップに視線を落とす。
「私も、ですか?」
「お前は、ここを選んだ。この場所と、俺たちを。あいつらは、別のものを選んだ。それだけだ」
少年の声で、けれど、色々な経験をしてきた人の言葉だった。
答えが出たわけではない。それでも、濃すぎるお茶と一緒に、少しだけ飲み下せた気がした。
(隣に、この人がいてくれる。今は、それでいい)
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