同級生(二)
父や妹と別れたあと、私はウォーレンさまに声をかけてから、愛用の杖と帽子だけを持って少しだけその場を離れることにした。
王家の帰還セレモニーは終わり、王家の人たちも王城へと向かいはじめていた。
ただ、ウォーレンさまは、それこそ王国騎士団や他の領主たちに捕まってずっと話し込んでいる。
深刻そうな表情に、私などが入っても邪魔だろうと感じて、その間に魔法学院が無事なのか確認したいと思ったのだった。
「うーん。まあ、もう落ち着いてくれるよね」
人混みを抜けて都の中の静かな街路に出ると、私はふうっとひと息つきながら背伸びをした。
王も無事に戻ってきた。私の父や妹夫婦も健在だった。
カルガン族の本隊はまだ近くにいる。それは脅威だけれど、王国騎士団も戻ってきた。逃亡した王についていった王宮魔道士もいる。
数は少なくなってしまったけれど、一流の魔法使いばかりだ。
だから、もう一度王都を攻めるのはそう簡単にはいかないはずだ。
「このままカルガン族が退いてくれれば……帰れるかも」
私はそんな期待に胸を膨らませる。
(そうなれば、正式に……け、結婚して、辺境の地で穏やかな新婚生活なんてことも……)
妹の言葉どおり、恋愛にまるで興味がなかった昔の自分とはまるで別人のように、今は胸の中が甘い期待でいっぱいになっている。その変化に、私は少し戸惑いながらも、ふと頬が緩むのを感じていた。
王都のこちら側はよく知っている場所だった。
懐かしさのあまり街を見回す。
奪還されたとはいえ、王都はまだ傷だらけだった。
崩れた建物。割れた窓。それでも、人々は少しずつ日常を取り戻そうとしている。露店をまた開き始めた商人。瓦礫を片付ける人々。
懐かしい街並みのはずなのに、もう自分がここの人間ではないような、不思議な距離を感じた。
(私の居場所は、もうここじゃないものね)
そう思いながらも角を一つ曲がると懐かしい並木道にでた。
魔法学院へと続く、並木道。
「久しぶりー」
誰もいないのに、思わず私は懐かしさのあまり声をあげてしまった。
(魔法学院まで行ってしまうと、時間がかかってしまうから、ちょっとだけ……)
そう考えて、私は近くの道を少しだけ歩いてみることにした。何年も通い慣れたこの道を、思わずきょろきょろと周囲を見回しながら進んでいく。
「懐かしい。よくあの辺に来てた露天商でレナーテと買食いしてたっけ、あっちのベンチは、朝はいつもヴィクトルが変な楽器を鳴らしてたなあ」
しばらく感慨に浸っていたが、ふと我に返る。
(まあ、魔法学院も大丈夫そうね……よかった)
まだ距離はあるけれど、シンボルだった塔も学舎も無事なことは確認できてほっとする。
先生たちに挨拶とかできたら良かったけれど、そこまでする時間はなさそうだった。
そろそろ戻らないと、ウォーレンさまにかけた変化の魔法が切れてしまうかもしれない。名残惜しさを胸に、公園の前で足を止める。ベンチや並木道、懐かしい景色の一つひとつに、友人たちと過ごした数少ない思い出が静かによみがえってくる。私はその余韻を味わいながら、そっと踵を返し、帰路につこうとした。
その時だった。
「ん?」
最初は懐かしさのあまり幻覚が見えたのだと思った。
振り返った私は、足を止め、もう一度そっと首をひねった。
目に入ったベンチに、ひとりの青年が静かに腰かけている。その後ろ姿に、私は息をのむ。見間違えようもない。魔法学院時代に毎朝見ていた同級生そのものだった。服も髪型も膝の上にあの変な楽器を抱えているところまで、あの頃とまるで同じだ。
私は無意識のうちに、じっとその背中を見つめていた。
「サディア?」
声をかけようかためらっているうちに、向こうの方から振り返って名前を呼んでくれた。
長身で、整った顔立ち。仕立てのいい外套。記憶よりも少し大人びているけれど、その顔を見間違えるはずがなかった。
間違いない。私の知っている元同級生だった。
「ヴィクトル……?」
ヴィクトル・ゲレロ。
私の代の首席。学院始まって以来と謳われた、あの『当たり年』の筆頭。天才の中の天才。
「やっぱりサディアか。ここで会えるとは……」
ヴィクトルは、変な楽器をしまいながら穏やかに微笑んだ。
「ヴィクトルこそ、無事だったのね!」
思わず、声が弾んだ。
「うん、ずっと君に会いたいと思っていた」
黙ってさえいれば整った顔立ちで、静かに微笑むその姿は、記憶の中と変わらない。どこか人間離れした静けさをまとい、まるで波ひとつ立たない静かな湖面のようだ。私は昔から、そんなふうに彼を感じていた。
「そうなの? 私のことなんて忘れているかと思っていたわ」
それなりに仲良くはあったつもりだったけれど、天才君は私のことなんて本当に忘れているのではと思っていた。
「君が欲しいんだ」
ヴィクトルは真剣な眼差しで私を見つめていた。
その視線は、かつて学院時代に多くの女生徒をときめかせ、時には勘違いさせてきたものと同じだった。
でも私は、そのまなざしに込められた意味を、誰よりもよく知っている。この男は本当に魔法にしか興味がないのだ。
「はいはい。また何かマイナーなジャンルの研究でお困り? あ、でも今はウォーレンさまのところにもどらなきゃいけないから、また今度ね」
そろそろウォーレンさまの変化の魔法が解けてしまう頃だ。ウォーレンさま本人の幻覚の魔法でしばらくはごまかせるだろうけれど、このまま長く引き延ばせば無駄に魔力を使ってしまうし、いずれは見破られるかもしれない。不安が胸に広がる。
「ウォーレンさま?」
「あ、うん。今の私の……」
なんと説明していいか迷う……。夫? 旦那さま? いや、それはまだちょっと早い気がする。
「こ、婚約者かな」
色々あったけど、結婚する約束は……たしかにしている。嘘ではないと思う。でも、こうして同級生に改めて伝えるのは、やっぱりちょっとだけ自信がなく気恥ずかしい。
「ああ、噂の辺境伯についてきたすごい魔法使いというのはサディアのことだったか……」
「あのね。ヴィクトルなら分かっていると思うけれど、私、角に火のついた牛の群れなんて召喚していないからね」
ますます尾ひれがついてきた噂話を、私は強めに否定する。
「分かっている。でも、サディアの力で突破したのも分かっているよ」
ヴィクトルは穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに頷いた。何か腑に落ちたように、納得した様子がその表情に滲んでいる。
どういう感情なのだろう。
いつだってこの天才の気持ちを推し量るのは難しい。何をどこまで知っていてそう思ったのかは興味があったけれど、話は長くなりそうなのでここで切り上げることにする。
「じゃあ……」
でも、別れる前にこれだけは聞いておかないといけないと思う。
聞くのが少し怖かったけれど、なんとか言葉を絞り出した。
「レナーテとフェリクスは無事なの?」
「ああ、無事だよ」
当たり前じゃないかとでも言うように、ヴィクトルは答えた。
私は安心して、少し瞳が潤んだ。
特にレナーテは魔法学院の数少ない同性のお友だちだ。ずっと心配していたので、無事であることを聞かされてほっとした気持ちになった。
そりゃあ、天才三人だから、そう簡単にやられはしないとは思っていたけれど、王都が陥落するという事態なのだ。何かあっても不思議ではない。
「よかった……。王都が落ちたと聞いて、あなたたちのことが、ずっと……」
そこまで言って、ふと、違和感が胸をかすめた。
(……あれ?)
ヴィクトルたちは、王宮魔道士だったはずだ。
なら、王家が脱出した時、その一行に加わっていたのでは……。
でも、先ほど出迎えた王家の一団の中にヴィクトルもレナーテもいなかった。
それなのに、どうして今、彼はこの王都にいるのだろう。
奪還されたばかりの、この街に。
「ねえ、サディア」
ヴィクトルが、一歩、距離を詰めた。
「私は君が欲しい。私たちと一緒に、魔法使いの国を作らないか」
「……え?」
言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
「魔法使いの、国……?」
「そうだ」
ヴィクトルの目が、熱を帯びた。
「この王国は、魔法を規制しすぎている。危険だ、前例がない、伝統に反する。そんな理由で、新しい研究はことごとく潰される。実力があっても、結局は政治の道具にされるだけだ」
よどみなく、彼は語った。
それは、まるで何度も繰り返し考え抜かれた、信念のようだった。
「魔法使いが、誰にも縛られず、自由に力を振るえる場所。自由に研究できる場所。そういう国を作るんだ」
元同級生が、何を言っているのか理解できなかった。
もちろん、私も王国の魔法に対する規制には文句を常々言ってきた。
でも、ヴィクトルのような考えになったことはない……はずだ。
「君の魔法は、本物だ」
ヴィクトルは、私の答えなど待つことなく、ただ静かにそう言った。
「私がそのことを一番分かっている。研究していた魔法が評価されにくい種類なだけだ」
今、適当に褒めてくれている……わけではなく学生の時からそんなことを言ってくれていた気がする。
君のすごさが分からない評価の仕組みが悪いと。
それは、天才ならではの、凡人を慰めてくれている対応なのだと思っていた。
でも、今日改めて、その奥に。ぞくりとするような、称賛するだけではない別の何かが混じっている気がした。
嫉妬。執着。
そして、もっと冷たい、何か。
並木道に、二人だけ。
風が、枯れ葉を巻き上げて通り過ぎていった。
「待って」
私は、彼の言葉を遮った。
胸の奥が、ざわざわと騒いでいる。
「ヴィクトル。あなた、さっきから……何を言っているの?」
魔法使いの国。
王国への不満。
そして、奪還されたばかりの王都に、なぜか彼がいること。
点と点が、繋がっていく。
繋がってほしくない方向へ。
「王宮魔道士の仕事はどうしたの?」
私は、王宮魔道士の制服ではなく、学生時代のままの私服を着たヴィクトルをまじまじと見つめながら、その違和感のままに問いかけた。
「ああ、あんなところはもう辞めたよ」
あっさりとヴィクトルはそう答えた。
私をはじめ、全国の魔法使いたちが目指した憧れの場所をいとも簡単に捨てる。
それ自体はヴィクトルらしいと思ってしまった。
「レナーテたちも? 一緒に?」
レナーテならヴィクトルが言えば、何でもついていきそうと思ったけれど、フェリクスはどうだったのだろうと思う。
「若い魔法使いは皆、私の理想に賛同してくれたよ」
「え……」
ヴィクトルは、感情の色を見せずに答えた。
その表情にも声にも、罪悪感も誇らしさも滲んでいない。ただ、静かに事実を述べているだけだった。
「つまりヴィクトルが、みんなを引き連れて王宮魔道士を辞めたってこと?」
ヴィクトルは、否定しなかった。
ただ、静かに私を見つめている。その沈黙が、何よりも雄弁な答えだった。
(王家に付き添っていた魔法使いが少なかったのはそういうこと……)
王都が、あんなにもあっさりと陥落した理由。
あれほど高度な結界を維持していたはずの王宮魔道士たちが、なぜ防げなかったのか。
その答えが、今、目の前にあった。
「あなたたちが……王都の結界を……?」
「単に結界を整える人がいなくなっただけだ。結界がなければ、外壁を落とすのは難しくない」
あっさりと、ヴィクトルは認めた。
まるで、簡単な魔法理論を説明するみたいに。
(嘘でしょう……)
めまいがした。
同じ教室で学んだ仲間が。
同じ図書室で、夜遅くまで魔導書を読みふけった人たちが……。
「カルガン族と示し合わせたのね」
王国を裏切った。
ヴィクトルは、わずかに眉をひそめた。
「同じ釜の飯を食った魔法使いを、手にかけたりはしていないよ。賛同しない者は、好きにさせた。私はただ、人が一斉に抜けたので結界が緩んだだけだ。あとはカルガン族が勝手にやったことだ」
それは嘘ではないのだろう。
ただ、カルガン族とも何らかの繋がりはあると言っているようなものだった。
彼が王宮魔道士を抜ける情報を得たから、王都は落ちた。守っていた兵士や、逃げ遅れた人たちが、巻き込まれて命を落とした。
「どうして、そんなこと……」
「言っただろう。自由のためだ」
ヴィクトルの声には、罪悪感の欠片もなかった。
むしろ、正しいことをしているという、確信すらあった。
「君なら、分かるはずだ、サディア。君だって、この国では評価されなかっただろう。変化やマイナーな魔法なんて極めても、誰も見向きもしない。天候変化は使う機会も与えられない。君ほどの才能が、辺境の老いぼれに嫁がされて……」
「ウォーレンさまは老いぼれなんかじゃありません」
気づいたら、私はそう言い返していた。
声が、思っていたよりも強く出た。
ヴィクトルが、少し意外そうに目を細める。
「私には、守りたい場所と、守りたい人ができました」
私は、まっすぐにヴィクトルを見た。
「……私はもう、ウォーレンさまを主と決めています。だから、あなたのお誘いには応じられません」
はっきりと、そう告げた。
胸の奥はまだ震えている。けれど、この答えだけは、迷いがなかった。
ヴィクトルは、しばらく黙って私を見ていた。
それから、小さくため息をついた。
「無理やり嫁がされたと聞いていたからな。君ほどの才能が、辺境で浪費されるなんて、惜しいと思っていたんだが……」
「浪費じゃありません」
私は首を横に振った。
「あの土地で、私の魔法は初めて誰かの役に立ったんです。岩を砕いて、泉を掘って、雨を降らせて……。都では誰も見向きもしなかった私の魔法を、必要としてくれる人がいた。あそこが私の居場所なんです」
ヴィクトルの表情から、ふっと熱が消えた。
「……残念だ。でも、居場所ができたのならよかった」
ヴィクトルは、小さく息を吐いた。
てっきり、力ずくでも連れて行こうとするのかと身構えた。けれど、その手に魔力が集まる気配はなかった。
「できれば、君とは戦いたくないんだ。これは、本心だよ」
その声に、嘘の響きはなかった。
ヴィクトルにとって私は、数少ない『認めた』相手なのだろう。だからこそ、無理強いはしたくない。そんな身勝手な誠実さが、確かに伝わってきた。
けれど、安堵したのは一瞬だった。
ヴィクトルの視線が、ふいに私の背後へと向けられた。
崩れた街並みの向こう、王都の中心にそびえる、王城へと。
「つまり、噂のウォーレン殿は、まだこの王都の外門付近にいるわけだ」
ヴィクトルの目が、すうっと細められた。
穏やかな表情の奥で、別の何かが動き出したのが分かった。
「ということは、王家とは、もう別行動なのだな」
背筋が、ぞくりとした。
「このままカルガン族に手を引かれても困るしな……」
独り言のように、ヴィクトルは呟く。
「仕方ない。あの役立たずどもの代わりに、私が、王家を捕まえてくるとしよう。交渉の切り札は、多いに越したことはないからな」
「ちょ、ちょっとヴィクトル、待って!」
咄嗟に手を伸ばした。
でも、遅かった。
ヴィクトルの足元で、風が渦を巻く。その体が、ふわりと宙に浮き上がった。
「またな、サディア」
言い残して、ヴィクトルは王城のある方角へ、矢のように飛び去っていった。
後に残されたのは、枯れ葉の舞う、静かな並木道。
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